ふじたりあん年表

今までのあゆみをこのページにまとめます

創作に関係する出来事や生い立ちなどをまとめました

 創作開始前 

幼児期

昔から絵を描くのは好きで、自分で考えたビルの絵や自分で考えた電車の絵を描いていました

今思えば、捨ててしまったのがもったいないくらいの絵をたくさん、チラシの裏とかに描いていた気がします

あとは、おじいちゃんの趣味がカメラだったこともあり、カメラに触れる機会が普通の子供よりは多く、少しだけ写真を撮ったりしていました

小学生時代

自ら進んで何かを創ることはありませんでしたが、図工の授業などで描いた絵は評価されていました

このころからすでにいろいろと独創的で、左の絵を描くとき、先生の言われた通りに描かずに怒られたりしていました

魚の目の部分に絵の具を盛っていたりした記憶があります

あとは、夏休みの宿題にひまわりの観察日記を描いていた時。土を描くのに茶色い鉛筆を使うのではなく、実際のひまわりの根元の土を紙にこすりつけて塗っていたり、

今思い返してみても、とても面白い表現をしていた気がします

あと、字が汚かったです

中学生時代

中学校時代も表立った創作活動はしていませんでしたが、所属していた科学部の活動の一環として、コンテストに応募したりはしていました

部活の課題で描いた作品。宇宙ゴミを回収する人工衛星を考えて描いた絵です

それと、たま~に鉛筆画を書いて、2015年くらいにGoogle+にて、別名義で鉛筆画を公開していた時期もわずかにありました

ただ、長続きはせずに終わりました

それと、中学校卒業時にドラムを始めます

高校生時代

高校時代は写真部に所属し、副部長を務めていました

ただ、賞に選ばれたりということはなく、プリンターを運んだり、そういった雑務みたいなことをしていました

絵の方に関しては依然として、たま~に書いているという感じで、どこにも公開することなくただ描いているだけでした

学業に関してはすでに頑固な性格が頭角を現し始めていました

不必要な化学で追試を受けたり、国語で追試を受けかけたり、ただ一方で、同じテストでは物理の偏差値が75だったりしました

ドラムのほうも、依然として叩いていましたが、人に見せたりはありませんでした

大学入試、入学

大学に進む際にまず、美大に行くか、理系の工業大学に行くかで悩みました

ただ、美大の就職先が不安定だということと、美大という教育機関の存在意義が心底わからなかったことなどから、工業大学に進むこととしました

そうして入学先を探すにあたり、千葉大学の工学部にAO試験があることを知ります

鉛筆画と工作と面接とセンターで入れる試験です

僕はその試験を美術系の予備校に通うことなく、独学で受験し、絵と工作の1次試験を合格しました

2次試験の面接も受け、合格しました

そして、センター試験で物理、数学、英語の三教科で75%以上とれば千葉大生……というところで落ちました

それからは普通に受験し、オープンキャンパスにすら行ったことのない東京電機大学という大学に普通に入学しました

入学式には、“スーツを着たら負け”、”量産型にはなりたくない”という思いから、100年前のスーツを着て出席しました

オタク化

高校の後半くらいから、アニソンを聞くのが好きでした

ただ、アニメを見たりということはなかったのですが、大学入学とほぼ同時に、オタク化しました

電大は自他ともに認めるオタク大学です

オタクの街秋葉原は、かつての電大生が作ったラジオを売りまくったことにより形成された街です

シュタゲでも、主人公のオタク二人が電大生です

東方projectの創始者は電大卒ですし、 東方projectが始まったのは電大の学祭です

イラストレータのカントクさんや、溝口ケージさんも電大出身です

ひとつ前のキャンパスは神田。秋葉原にありました

大学にはオタク以外の人間はいませんでした

そんな環境下に置かれた僕は瞬時にオタク化し、絵を描いていたということもあってオタク系のコンテンツを作るようになります

今思えば、この大学に入っていなかったら創作者としての僕はいなかったかもしれません

 創作開始後 

大学受験も終わり、大学入学と共に暇な時間が増えました

なので、新たな趣味を探していたのですが……、このころ、「エロマンガ先生」や、「冴えない彼女の育て方」などのアニメを見てラノベを書きたくなりました

ただ……ラノベはおろか本を自主的に全く読んだことがなかった人間です。

ただ逆に、“本を読んだことがない人が小説を書いたら、それは僕の生まれ持ったものだけで構成された小説なのでは?”

ということを考え、ある種の実験として書き始めました

ラノベを書き始める

ということで、ラノベを書き始めます

最初はGA文庫の新人賞を目指し、10万字ほどの小説を書いていた気がします

ただ、もちろん。国語が大っ嫌いで、かつ、自主的には小説を全く読んだことない人間が書いた物語です。出来は案の定イマイチでした

ただ、物語を考えるのは楽しく、講義中もプロットを考えたり、執筆していたりしました

そうしてしばらくしたころ、大学1年の前期が終わるころ、2018年9月

小説を書くうちに、自分がかつて鉛筆画を描いていたということから、自分の小説の表紙や挿絵を自分で描いてみたくなりました

というわけで、ノートパソコンについていたタッチパネルでデジタルイラストを描き始めます

初イラスト

ここからは、初イラストを描いた2018年9月2日を創作開始の日として、何日後に何をしていたのか、まとめます!

2018年9月2日、創作を始めてから約0ヶ月後(0日後)

創作活動を始めるにあたり、最初に描いたのはです

そして、しばらくは、女の子の顔を書くために、練習していました

それ以降、約半年はどこにも公開せず、孤独に描き続ける日々が続きます

その間にも、ノーパソについていたフリーソフトをやめてクリスタを買って使い始めたり、

ノーパソのタッチパネルで描くのをやめて、いきなり17万円もする液タブを買ったり、

いろいろなことがありつつ、練習し続けました

そして約8か月後、

pixiv開始

2019年5月1日、創作を始めてから約8ヶ月後(241日後)

pixivに初めての投稿をしました!

令和記念 濡れJK

ちなみに、2019年5月1日というのはちょうど、令和が始まった日です

twitter開始

2019年5月6日、創作を始めてから約8ヶ月後(246日後)

ツイッターを始めました

pixivを始めた5日後のことです

そして、同時に初めてのツイートもしました

始めてのツイートです

娘(嫁)とは、自分の描いた絵を娘のように可愛がり、嫁のように愛する。という意味を込めたタイトルです

京都アニメーション放火事件

2019年7月18日、創作を始めてから約10ヶ月後(319日後)

悲しい事件でしたが、この出来事が今でも、夢に向かって突き進む原動力となっています

初フォトバッシュ

2019年11月17日、創作を始めてから約1年2ヶ月後(441日後)

その後長らくメインコンテンツとなるフォトバッシュを始めました

初めてのフォトバッシュのツイートです

初めてのわりによくできました

この作品が成功したからこそ、そのあとも続けることとなり、結果として3DCGを始めることにつながっていきます

ホームページ開設

2019年12月7日、創作を始めてから約1年3ヶ月後(461日後)

ホームページが完成しました

講義では鬼つまらなかったhtmlとcssですが、自分のホームページを作るとなると楽しくて勉強が進みました

更新に更新を重ね、今のホームページとなっています

初仕事

2020年1月2日、創作を始めてから約1年4ヶ月後(487日後)

初めてのお仕事をもらいます

個人でラノベを創作されている方から、表紙としてのご依頼でした

Youtube初投稿

2020年1月5日、創作を始めてから約1年4ヶ月後(490日後)

Youtubeに初めての動画をアップしました

3時間でイチゴを描くだけの動画です

新型コロナウイルスからの引きこもり

2020年2月、創作を始めてから約1年5ヶ月後(517日後)

このころから日本でもコロナの脅威が始まりました

もともと、肺炎で入院したことがある僕なので、人一倍気を使うこととなります

このウイルスの影響で大学の講義はオンラインになったりしたので、PCがもはや体の一部と化している僕はその力も借り、以前と比べ物にならないほどの単位を取れるようになりました

同時に、家に引きこもるようになってからは起きている時間のすべてを創作につぎ込めるようになりました

ひどい時には1か月外に出ないこともあり、数か月外出しないときもありました

その間ほぼ座りっぱなし、会話することもなく創作を続けました

ただ、今思えば、誰とも会わずに誰とも交流しなかったことで、独自の作風がぶれることなく創作できたり、長い間空を見ないで引きこもっていた影響で空や自然の少ない作風になっていったりと……

その後の作風の礎となった事変かもしれません

初アニメーション

2020年3月16日、創作を始めてから約1年6ヶ月後(561日後)

イラストを初めて動かしました

https://twitter.com/noveldrum/status/1241315189724594176

このころ始めたAEを使って作った作品です

そしてこの半月後に、背景を本格的に動かした作品を公開しました

真の初アニメーション作品はこっちかもしれません

3DCGを始める

2020年5月5日、創作を始めてから約1年8ヶ月後(611日後)

blenderをインストールし、初めての3Dモデルを作りました

初めてのモデリングは何かのコックピットです

いきなりアニメーションもつけました

チャンネル登録者数1000人

2020年7月1日、創作を始めてから約1年9ヶ月後(668日後)

初の3ジャンル融合作品

2020年7月26日、創作を始めてから約1年10ヶ月後(693日後)

イラスト、3DCG、フォトバッシュ。

3つの異なる創作ジャンルを一つにまとめた、初めての作品です

初の万バズ

2020年8月24日、創作を始めてから約1年11ヶ月後(722日後)

製作途中に遊んでいたらできたいい感じのものを何となくツイートしたところ、13000いいねくらいきました

正直こんなに伸びるとは思っていませんでした

こんなに伸びるんだったら看板の光らせ方とか、もっと工夫すればよかったな~と思っています

留年

2020年9月、創作を始めてから約1年11ヶ月後(730日後)

とうとう、留年します

この留年で人生が大きく変わりました

個性を重視していた作風は封印し、大衆受けするための作品にシフトチェンジしました

また、同級生がみんな進級したために引きこもりに一層の拍車がかかり、より一層。独自の世界観が色濃くなりました

指を怪我する

2020年10月、創作を始めてから約2年後

ドラムの叩いてみた動画を録画中、指を怪我しました

この時のけがは結構深刻で、病院には行かなかったのでわかりませんが、おそらく右親指の内部の肉が断裂していたと思います

それからしばらくは痛くてペンも握れない状態でした

以降、右手の親指に関しては、指サックをはめないとドラムを叩けなくなりました

フリー音源配布開始

2021年1月7日、創作を始めてから約2年4ヶ月後(858日後)

フリー音源配布チャンネルを開設し、フリー音源の配布を開始しました

同時に、フィールドレコーディングという、録音をする趣味を始めています

長い引きこもり創作活動による体の衰えを解決するため、録音するために歩き回ろう。という考えです

自作のアニメーション作品の音を自分で録音したくて始めました

それと同時に、フロー型コンテンツになりがちなイラストレーターの欠点を補うため、ストック型コンテンツとしてのストック素材配布という意味もあります

イラストレーターになるのをあきらめる

2021年1月20日、創作を始めてから約2年4ヶ月後(871日後)

イラストレーターになるのをあきらめ、3DCG、背景イラスト、アニメーションなど、キャラ以外の分野を伸ばして仕事にする。ということを目指すようになりました

Youtubeサブチャンネル開設

2021年3月7日、創作を始めてから約2年6ヶ月後(917日後)

ツイッターにて、作業途中の動画をツイートしていたのですが、毎日毎晩四六時中創作活動をしている僕なので、だれからも見られることなく、秒でタイムラインに埋もれていく動画がほとんどでした

それではもったいないので、一部作業風景動画をyoutubeにログとして残すことにしました

また、メインチャンネルでは投稿できないような闇深い作品、対談動画、そう言ったものはサブチャンネルで気兼ねなく公開することにしました

新たな夢が見つかる

2021年4月、創作を始めてから約2年7ヶ月後

このころ、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されてしばらくが経ち、庵野秀明のプロフェッショナルが放映されました
2019年7月の京都アニメーション放火事件を機に、彼らの死を無駄にはしたくないという思いから、漠然とアニメ業界に進みたくなっていた僕ですが、それから長らくは実際にどの役職に進むのかを決めることなく、何となくで創作していました
ただ、その後、庵野秀明のドキュメンタリーを見たりして庵野秀明の生い立ちや幼少期を知るうちに、アニメ監督になりたいと思うようになりました
留年したとはいえ、2年後には就職です
このころ進路について本気で考え始め、アニメ業界についていろいろ調べ、撮影という役職から入り、キャリアアップしてアニメ監督になる
という進路を打ち立てました
それと同時に、これまではツイッター等のSNSを伸ばすことで仕事をもらおうとしていましたが、それをやめ、SNSのための創作ではなく、ポートフォリオのための創作に切り替えました

顎関節症

2021年4月、創作を始めてから約2年7ヶ月後

顎関節症という、生き地獄のような疾患を発症しました

顎を開くと外れてしまうため、口が開かなくなりました

原因は定かではありませんが、おそらく、引きこもり創作活動による運動不足や姿勢の悪さ、しゃべらな過ぎどだと思います

これ以降は痛くてあくびができなくなったため、あくびが出る夜遅くの作業はできなくなりました

また、ハンバーガーやカツサンドくらいのサイズの食べ物を食べれなくなりました

医者によると、顎関節症は治らないようで、しかも、治療法もありません

それどころか、将来は悪化して口が開かなくなるため、それを少しでも食い止めるために安静にするほかないようです

また、顎関節症のために歯医者に行った際に、虫歯が見つかりました

その時は麻酔をして削ってもらったのですが、顎関節症が進行すると口が開かなくなります。なので、虫歯になっても治療ができなくなります

そのため、虫歯になったら一大事です。なので歯磨きをしっかりしないといけないのですが、顎を開くと痛くなります

顎関節症で顎が開かない、だから歯磨きが思うようにできない、でも歯磨き不足で虫歯になっても顎関節症のために治療できない

という、解決のしようもない運命です

この顎関節症により、アニメ監督になるという夢を思うように追いかけられません

決断に踏み切れない状況です

夜遅くの作業はできないし、医療費もいつかかるかわからないためです

親知らずも全身麻酔でないと抜けなくなってしまいました

初絵コンテ

2021年7月、創作を始めてから約2年10ヶ月後(1,033日後)

大学の友達が作った楽曲用のボカロPVを作るために初の絵コンテを描きました

完全に見様見真似で、本人にしか解読できない感じの絵コンテですが、作業するのも本人だったため、いろいろ頑張ってなんとか完成させました

期末試験や就職先のリサーチやインターンやポートフォリオづくりと同時進行で行っていたため、作業時間もモチベもほぼ皆無の状況で作り上げました

それと、このPVを作る直前に、ビデオコンテも作ってました

初インターン

2021年8月23日、創作を始めてから約2年11ヶ月後(1,086日後)

ufotableにてインターンをはじめました

アニメ監督になることが目標ですが、いきなりアニメ監督になれるわけではないので、撮影という役職として業界に入ることとしました

作品が見られ始める

2021年10月、創作を始めてから約3年1ヶ月後(1,125日後)

今までバズったとき以外はほぼ作品が見られない感じでしたが、最近になってようやく、見られるようになってきました

サブ垢でしていた製作途中ツイートがtwitterのアルゴリズムに評価されたためです

作品の製作途中をツイートするだけで、作品を発表したときよりも多いインプレッション数を獲得できるようになりました

また、インターンなどで忙しくなったためにツイートの数が劇的に減ったのですが……、その分、少ないツイートに評価が集まるようになりました

そんなわけでSNSが好調になり、その結果、いろいろなお仕事の話が来るようになりました

アニメのエンドロールに名前が載る

2021年10月10日、創作を始めてから約3年1ヶ月後(1,134日後)

アニメ、「鬼滅の刃」の無限列車編にて、撮影協力として初めて名前が出ました

サイバーエージェントのインターンでMVPになる

2021年11月13日

多忙を極めまくる中、サイバーエージェントの、3Dモデリング系のインターンでMVPになりました

個人事業主になる

2022年1月1日

ありがたいことに、大きなお仕事を頂けるようになり、報酬の額も大きくなってきたので、コンセプトアーティストとして個人事業主になりました

名義を本名にし始める

2022年3月ごろ

これまで使っていた”ふじたりあん”と言う名義ではなく、本名の”藤田将”に変え始めました

そもそも、本名以外の名前で作品を作ることが嫌で、ペンネームの”ふじたりあん”も、本名の面影を残しつつ、匿名性も維持。といった理由でつけた名前です

ただ、このころから大きな仕事もいただけるようになり、今後正式なクレジットに並ぶことも考え、本名での活動とすることとしました

十五少女 解禁

2022年4月1日ごろ

“十五少女”のマルチアーティストとして、少しづつ世に名前が出るようになってきました

自主制作アニメ 製作開始

2022年6月6日

初めての自主制作アニメの制作を開始しました

※そのあと、断念しています

クラスター株式会社でインターン開始

2022年7月1日

メタバース系の会社、クラスター株式会社でインターンを開始しました

サブ垢のフォロワーがメイン垢を超える

2022年9月23日

サブ垢に公開している製作途中の様子が伸び、ついにメイン垢のフォロワーを抜きました

CGWORLDのライブ配信に出演、雑誌に掲載

2022年10月

サブ垢のフォロワー1万人突破

2022年11月

VFX-JAPANアワード2023 ショートフィルム部門 優秀賞 受賞

2023年1月

お仕事として製作した「子供都市」が、VFX-JAPANアワード2023 ショートフィルム部門、優秀賞を受賞しました

インターン再開

2023年3月1日

卒論が終わるか怪しくなってきたため数か月間お休みしていましたが、無事卒業できる見込みが立ったため、クラスター株式会社に、CGアーティストとして復帰しました。

大学卒業

2023年3月18日

脚本計画始動

2023年6月8日

日ごろからお世話になっている十五少女の方たちと会食をし、その場での会話から、映像作品の計画が始動することになりました

イラスト調3DCGの道を見つける

2023年9月

ローポリ風3DCGでやってきましたが、イラスト調、アニメ背景風3DCGがバズったのをきっかけに、自分はシェーディングによる表現が得意だということを知り始めました

自主制作アニメーション作品製作開始

2023年9月

脚本のほうが行き詰まっていたので、自主制作アニメーションを作ることにしました

フォロワー2万人

2023年9月20日

退職&フリーランス化

2024年2月1日

1年半、インターンとして参加していたクラスターを退職し、フリーランスとして動くことにしました。

自主制作を完成させたいというのと、もっと柔軟に動きたい、アニメ業界にも飛び込んでいきたい。というところから、フリーランスになりました。

そして……今!!!