この記事を読んでくれる人は自覚しているのかもしれません
最近の人工知能は、とても上手に絵を描きます
クオリティの高いイラストを、際限なく。瞬時に、安価に。描いてしまいます
そして、これから解説していきますが、今後。何も考えずにただ可愛いだけのイラストを描いている人間が痛い目を見る世の中になる気がします
人工知能という、強すぎる敵が現れたからです
人工知能vs(ただの)絵師
両者は同じ土俵の上にいます
そしてこの戦い。結論を言ってしまえば……絵師にとっては負け戦でしょう
全てにおいて圧倒的に強い人工知能
絵師にはもう、SNSでの拡散力しか残されていません
いや、その拡散力でさえ、絵師に払うはずだった報酬を広告費の足しにすれば……
もはや、生身の絵師に勝ち目はないでしょう
ここでは、これからの絵師。人間がいかに生き残るか。
そのことについて話してみます
じゃあどうすればいいか
策はあります
まず……重要なのは、誰も“人工知能と戦え”とは言っていないということです
つまり、負け戦だと知っているのなら、その戦には望まなければいいのです
「絵師としての土俵を降りるなんて、それは本末転倒では?」
そんな声が聞こえてくる気がしなくもないですが……、大丈夫です。これを書いている自分も絵師のつもりです
他にも土俵が残されています。そして自分はその土俵に何とか乗り移ろうとしているわけです
今回は、個人的に感じている現代の絵師の脆弱さとその対策について、話したいと思います
“現代の絵師”
僕の言う現代の絵師とは、今を生きる絵師。というわけではありません
今を生きる絵師の中で特に、個性を捨てている絵師の事です
個性とは、絵というコンテンツの軸であり、それがなくなることはありえないはずですし、なくそうとすること自体が愚かなことなのですが……、
それをしてしまっているのが僕の言う”現代の絵師”です
形式を言うならば、
(過度な)自己顕示欲求のために可愛いイラストを描く
例を挙げるなら、
かわいい絵を描きたいから評価されている人の絵を模写し、挙句の果てにトレースを始めてしまう
と言った人の事です
ここではそのような人のことを”現代の絵師”と表現しています
ただ、トレースという手段はもちろん悪なのですが、別にそれに至るまでの心情自体に間違ったところはありません
自己顕示欲求は人間の本能の一部であり、 同じ人間である僕はでそれを否定することはきません
突然ですが……自己顕示欲求は性欲と似ている気がします
性欲は本能です。否定できません(まじめな話です)
ただ、否定できないはずの性欲も、過度になると否定しないといけなくなります
性犯罪がその例です。肥大した性欲によって本能は害となります
自己顕示欲求も同じではないでしょうか。本能であって、人間なら当然持ち合わせているもの。しかし、一定のラインを超えると害となり、否定せざるを得なくなる
というものではないでしょうか
……話が逸れましたね
とにかく、一部の絵師には(過度な)自己顕示欲求があり、それによってトレースなどの行為に及んでしまうのです
しかし、自覚しているだけマシですが、僕自身もその”現代の絵師”なのかもしれません
なので、その”現代の絵師”を一途に否定することはできないわけですが……、ただ少なくとも。彼らにはこれから暗い時代が来ます
趣味で描いている分にはいいのですが、仕事にしようと考えている絵師にとっては文字通りの死活問題でしょう
今回はその予測を事前勧告しよう。という次第です
そして、その根拠を以下に記そうかと思います
人間に必要とされるもの
歴史とは、過去の積み重ね、時々繰り返し。です
その上に今があり、その上に未来があります
ゆえに、過去の流れを見れば、大まかではありますがこれからの世界も見えてきます
少し絵とは離れるかもしれませんが……、最後に繋がるので、最後まで読んでみてください
まず、人間に必要とされる能力は、長い歴史の中で変化してきました
大昔は力が必要とされ、そのまま時が進み、産業革命へ。そしてその後は知力が求められる世の中になってきました
そして、その先は……
古い順に見てみましょう
古代~産業革命
古代~産業革命にかけては、人間としての価値は”力”でした
物理的な力です。腕力だったり、体力だったりの力です
どれだけ荷物を運べるか、
どれだけ大きな獲物を狩れるか、
どれだけ長い間労働できるか。
そういった肉体労働をいかにこなすか。その能力がそのまま人間としての価値だったのです
そして、サブ的な価値としては……いかに病気に勝つか、いかに環境に適応できるか、いかに戦うか。
つまり、目に見えて強い”パワー系”ですね
そう言った人間が評価される世の中でした
そして、そのまま長い年月が経ち……イギリスで産業革命が起こります
産業革命~今
蒸気機関が発明され、それまで人間に求められてきた”力”は、機械が賄うようになりました
田畑を耕していた労力は耕運機となり、建設現場で丸太を運ぶのは重機となりました
パワー系の仕事は減り、文句も言わずに人とは比べ物にならないほどの力を発揮する”機械”がパワー系の仕事を奪ったのです
ただ、今の社会。仕事が全て、蒸気機関やモーターやエンジンで賄われているというわけではありませんね
では、パワー系に変わって、どんな人間が働くようになったのか、どんな能力で人間の価値が決まるようになったのか
それは……知性です。
言うなれば、インテリ系です
産業革命時の雰囲気を回想するならば、”今後は、肉体労働ができる人ではなく、それを代わりにする機械を管理設計する人材が必要”
といったところでしょう
そして今はこのフェーズ後にあるため、わかりやすいかもしれません。少し前からずっと、社会で評価されるのは頭の良さです
腕力ではありません。腕力が必要な仕事は機械が行っています
今の人間が仕事をするうえでに必要な力は、せいぜいキーボードを叩く力くらいです
だから、肉体的な力で評価される時代はもう終わった。今は頭の良さで評価される時代なのです
年収1億円のエリート会社員はいるけど、年収1億円のエリート土方はいない。
というわけです
ただ……、そんな時代は早くも終わりを告げようとしています
暗算が得意で重宝されていた人は、電卓の登場でその価値をはく奪されました
そういった流れで、いままでのような”知性”が評価基準となっていた時代は終わりを告げようとしているのです
前回、産業革命時には蒸気機関をはじめとする動力源によってパワー系の仕事が奪われました
そして今回。インテリ系の仕事を奪う発明……それが、人工知能です
今~これから
ここで、人工知能の話になります
今の激動の世の中は、産業革命時の世の中に似ている気がしてならないのです
これまで必要とされてきた能力は新しい発明によって裏返され、新しい時代に向けて順応しないと稼げない世の中
そんな世界が産業革命時にはあったのではないでしょうか
そして、何度も言いますが、人工知能がこれからの世界を台頭します
再び人間の評価基準をバージョンアップさせ、以前とは違う価値で判断される時代を作ります
以前は知性が人間の価値でしたが……、それはもう過去の話となるかもしれません
電卓のように単純な機械作業的計算だけではなく、データの収集、運行ダイヤの設定、プロダクトデザイン……そして、グラフィカルデザイン。要するにイラスト
そういった、機械が行うことが出来なかった複雑な仕事まで、人工知能という存在がこなしてしまいます
つまり、もう。知性で人間が判断される時代は終わるのです
産業革命時に行き場を失って勉強を始めたパワー系のように
……と、ここでやっとこ本題に戻りますが、
ではこれからの時代。絵師を含む僕らは何を身に付ければいいのでしょうか?
古代では力。そして近代では知性。そしてこれからは……
個性
です。
人工知能に個性はない
産業革命の際。人はなぜ知性で人を評価するようになったのでしょうか?
理由は2つあると僕は考えています
ひとつは、”蒸気機関を操る能力”だからです
蒸気機関という機械を操る。設計監理するのは、力しか取り柄の無い筋力バカではなく、ヒョロガリでも頭のいい、エンジニアだということです
そしてもう一つは”蒸気機関にはない能力”です
産業革命直後、蒸気機関で計算なんてできなかったはずです。だから、それをする人間は今まで通り、もしくはそれ以上に必要とされたわけです
そして、もう一度言いますが、歴史は繰り返されます
産業革命時にこういった2つの理由で人間の判断基準が変わったなら、人工知能がこれから来る時代においても、同じことが起こります
“新しいものを操る能力”と、“新しいものではカバーできない能力”は、たとえその”新しいもの”がなんであろうと、必要になる能力でしょう
では、人工知能が台頭するこれからの時代。次は何を判断基準に人間の価値が決められるか
それが個性です
個性は、人工知能を操る能力です
単純作業は人工知能がやってくれるこれからの時代。それを操る人間性に富んだ個性を持ってる人材。そんな人がこれから必要とされます。
そしてもう一つ。人工知能には個性がありません
例え人工知能が普及しようと、新たな発明が個性を賄うことが出来るようになるのは次のフェーズ。革命時でしょう
このように、産業革命時の混乱を紐解くことで、これからの世界で”個性”が必要だと知ることが出来ました
……はい。そしてやっと、絵の話に戻ります
現代の絵師
現代人は個性を甘く見過ぎています
平気で顔を整形したり、髪を染めたくらいで個性を表現したつもりになってみたり、同じ服を着て就職したり、
十人十色のはずが、十人三色くらいになっている気がします
そして、萌イラストに関してはもはや、十人一色というような感じです
道行くおばちゃんたちに、ツイッターの萌イラストを見せたらどんな反応をするでしょうか
おそらく「おんなじような顔の女の子がいっぱいいる」という感想を持つことでしょう
十人一色です。個性がそぎ落とされた結果、一番人気の色に収束したのです
そして、ここで記したように、これからは個性的な色が大切にされる時代だというのに……、それを塗り潰してまで評価されようとする現代の絵師には何を言っても届かないのかもしれません
そもそも、必要云々の前に。イラストとは芸術です。そして芸術とは個性です
つまり、イラストから個性を取ったらそれはもう、ただの図形な気がするのですが……
それに気づいていないのでしょうか。現代の絵師たちは一心不乱に模写して個性を潰して、上辺だけ上達したがります
そう言った人間はこれからの時代。人工知能に突き落とされてしまうでしょう
人工知能vs絵師
これは負け戦だと僕は言いました。産業革命の時代を想像してみてください
パワー系のマッチョが、蒸気機関に力で勝とうとする。そんな戦いに勝ち目はあるのでしょうか?
断固として無いでしょう
現代でも全く同じです。絵の上手さで人工知能と勝負してはいけません
描く速さも、価格も、クオリティーも。ケタ外れです
ただ、もう一度言いますが、同じ土俵で戦う必要はないのです
蒸気機関に敗れたマッチョたちも。勉強すれば蒸気機関を管理する職に就けるかもしれませんし、それを予知したマッチョは早きに勉強して蒸気機関を開発する人になれたかもしれません
現代の絵師たちも。個性を潰すという”自殺行為”は早急にやめ、芸術面において真摯な上達をする必要があるでしょう
それは、これからの社会で生き残るための術でもありますし、芸術本来の楽しみ方でもあります
個性を潰して描いた絵は誰の絵でもありません。人工知能が描く絵のように
身内で自爆するだけなら良いのですが、個性のない図形をネットの海に放ち、本物の絵を埋めるのはやめてほしい
新しい土俵に上がろうとしている本物たちの邪魔をしないでほしい
と僕は思いつつ、創作しています