どうも、ふじたりあんです
普段はフォトバッシュでお仕事をしつつ、様々な芸術の創作をしています
そんな僕ですが、最近。こんなことを耳にすることが多い気がします
最近の芸術はレベルが低い!
と、
ここで言う”芸術”とは、音楽、絵画、イラスト、文学……全てにおいてです
芸術のオールジャンルにて、昔よりも質が低い! とののしられている気がします
昔のロックは良かった。
昔のアニメは作画が良かった。
昔の物語は質が高かった。
などなど……、
そんな声を耳にすることが多い気がするのですが、
昔のロックはつまらない
昔のアニメは作画が悪い
昔の物語は質が低い
という声をあまり聞きません……
今回はそのことについて、持論を述べます
プロダクトとしての芸術
まず抑えてほしいのは、僕がこのページで話すのは”自己表現としての芸術”ではなく、“プロダクトとしての芸術”だということです
芸術とは本来、自己表現であって、そこに一切の商業的思惑はないはずです
ただ、先に挙げた例。ロックや小説。イラスト、アニメ。
それらすべてはもう、商業的思考無しでは創られないでしょう
予算が組まれ、収益が発生する。そういった営みの中で生まれるコンテンツ
僕はそのコンテンツを“プロダクトとしての芸術”と呼び、このページで取り上げています
ゆえに、このページでの芸術とは、商業志向の無い真の芸術ではなく、商業志向の混じった偽物の芸術だ。
ということを頭の片隅においておいてください
創作者が生まれる場所
創作者とは、プロダクトとしての芸術を生産する者のことです
アニメではアニメーター。イラストではイラストレーター。楽曲では作詞作曲者。編曲者。演奏者。などです
芸術のレベルが下がっているということはそれすなわち、創作者のレベルの低下があると感じられます
ではなぜ、創作者のレベルが下がるのか……、
そもそも創作者とはどこから生まれるものなのか
今と昔を比べたいと思います
例えば、音楽家になるためには
例えば30年前。今から見た昔です
その時期にバンドマンを目指している青年はバンドマンになるためにどうするでしょうか
この文章を書いている僕は現在大学生なので、実体験ではないのですが……、恐らく、レコード会社に楽曲を見せに行ったり聴かせに行ったり
そういった物理的なアプローチを行うことで業界に入ろうとすることでしょう
もちろん。今でもそう言ったアプローチをする人はいます。が、
昔よりは少なくなっているのではないでしょうか
今の時代、Youtubeなんかに自作の楽曲等を簡単にアップロードできます
楽曲の電子化も進みました
今まで以上に簡単に、オンラインで。業界にアプローチできるようになったわけです
例えば、小説家になるには
昔の小説家は原稿を出版社に持ち込んでいたでしょう
そうでもしないと目に留まりません
“小説家になろう”のページなんかもない時代の話です
コンテストや新人賞なんかはあったようですが、
今よりも一般的ではなかったはずです
それに対し、最近の小説家はどうでしょうか、
手のひらサイズの光る薄い板で執筆し、投稿できてしまいます
リゼロも、転スラも、ダンまちも。
全てがなろう系。 手のひらサイズ のインターネットから投稿され、人気が出たそれらをレーベルが出版した作品です
もちろん。リゼロも転スラもダンまちも神作品です。
文学に精通する人間が読んでも同じ意見になるかはわかりませんが、
小説を書き、物語を研究している僕個人としては、十分面白いです
ただ、そうでもない作品もあります
近頃の物語は主人公最強じゃないといけない。転生しないといけない。という縛りのようなものがぼんやりと見える気がしてなりません
インターネットで生まれた物語コンテンツに限る話です
そういった創作物が価値感の乏しい人間の間で悪目立ちして、芸術に精通する人間が”最近の芸術はレベルが低い”と表現するのではないでしょうか
例えば、イラストレーターになるには
僕は自称、イラストレーターです
なので、この章の話が一番信ぴょう性があるかもしれません
まず、昔のイラストレーターは業界に入るとき、(ほぼ)実際にアタックするしかありません
ポートフォリオを印刷し手持ち込んだり、そうしないと目に留まることはありません
今の時代とは違うのです
SNSでバズれば製作者の目に留まり、業界に入れる。そうして創作者になれる
そんな、オンラインでの流れは用意されていません
今と昔の違いです
ここで総括
3つの例を挙げましたが、今と昔、それぞれ何が違うか
その違いこそが近ごろの芸術のレベルを下げている要因なのではないでしょうか
昔よりも簡単に創作者になれるから?
それも理由の一つかもしれません
ただ、それとは別に。3つの例で共通していることがあります
それは……、
最近の審査員は少数のプロフェッショナルではなく多数の素人。
だということです
素人の間で評価されてから、プロの前に出る
今、創作者になるためには、次のようなことが一般的ではないでしょうか
イラストをSNSに挙げて、フォロワーが増えたから仕事をもらうようになった
なろうにアップしたら人気が出て、出版社から声がかかった
Youtubeに自作楽曲をアップしたら人気が出て、レーベルから声がかかった
いずれの場合も、プロフェッショナルが関わっていないのです
関わるとしても最後のひと時だけでしょう
もちろん、全ての創作者がそう言った経歴で上に上がるというわけでは無いかもしれません
ただ、SNSで評価されたから商業作家になる。という流れは一般化するばかりです
そして、SNSを使うのは大量の素人です
SNSでは芸術に理解の無い人間と、毎週美術館に通い詰める人間。SNS上では両者とも1アカウントなのです
いいねの数も同じです
昔はその道のプロがいる場に直接赴くことで審査を受けていた訳ですから、世に出る物はその業界に精通する人間が吟味し、認めたものです
それに比べて今は……、素人が品評し、素人が認めた物だけをプロが見ます
“結局プロが見るんだからいいじゃないか!”
という声が聞こえてきそうですが……、良くないのが現代です
まず一つ目の理由、素人目を納得させないとプロには会えないことになります。
センスのある人が、センスのない素人に同調しないと目立てないのです
故に、個性のある絵。命の宿った絵がどんどんと消えていくわけです
コンペ、コンテストなどもあります。本当の実力者はそっちから業界に入るかもしれません
しかし、SNSと言う道がある以上、それを利用しないでプロになるのは、厳しいものがあります
プロになった後も、SNSは強力なツールだからです
故に、SNSからの評価を追及してしまうのです
そしてもう一つの理由。創作者の評価項目に、昔にはなかったもの……フォロワー数が現代にはあります
現代っ子のわたしたちにはわかるでしょう。小説や音楽などのマーケティングはSNS無しでは成り立ちません
今時、SNSの公式アカウントがない人気バンドがいるでしょうか? たぶんいないと思います
つまり何が言いたいかというと……、
現代の創作者は”SNSの ” フォロワー数”で評価される
ということです
SNSが欠かせない現代のコンテンツ各界において、フォロワー数ほどわかりやすい攻撃力はありません
まぁ確かに、マーケティングとしては間違っていないません。ある種アイドル的な価値を絵師に求めているのでしょう。その真意はわかります
が、僕は思います
”そんなことを続けていると、本物は消えていく”
本物の芸術を追う人たちは、偽物が評価されて仕事をもらっている様を見てどう思うのでしょうか
本物の芸術を追う人たちは、偽物と本物の評価を比べてどう思うのでしょうか
人類は様々な芸術を残してきました
ダヴィンチ、ピカソ、ゴッホ、ダリ。
彼らの独創性は、少数の本物が評価してくれる環境。洗練された環境があったからこそ、生まれたのではないでしょうか
彼らの時代にツイッターはありませんでした。そしてSNSが普及したこれからの人類史において、数百年前のような独創性あふれる芸術は踏みつぶされることなく育つことが出来るのでしょうか
偽物を押しのけてまで、日の目を見ることが出来るのでしょうか
近年の芸術はレベルが低い
タイトル回収です
これこそが、近年の芸術レベルの低下のからくりなのではないでしょうか
SNSの台頭により、素人がプロフェッショナルを超える権限を持ち始めた
大衆が芸術に参加することはいいことです。個人的には良い風潮だと感じます
が……参加しすぎです
プロフェッショナルとアマチュア
両者の境界線があいまいになり過ぎていることが全ての要因なのではないでしょうか
そして、そのサイクルに拍車をかけているのがツイッター。
なのではないでしょうか
じゃあどうする?
どうすれば芸術を守れるか
その答えは……ない。と思います
創作者を探すプロはSNSを使わずに探す。ということをすれば解決するのでしょうが、それでは現代の電脳コンテンツに強いクリエイターが集まりません
それか、SNSの人たちが全員。高い品位と肥えた目を持っていれば解決しますが、それも無理でしょう
ツイッター自体をなくすことが一番根本的かつ迅速な解決法でしょうが、そんなことをしたらSNSに依存する現代のコンテンツが壊滅します。現実的ではありません
結論
ここまで散々に渡って警鐘を鳴らしましたが、結論としては……
個性を捨てたふりをしろ
ということです
個性を捨てたフリをし、一度。死んだ人間のふりをして、死んだ絵を公開する
という方法しかないのかもしれません
そうしてSNSで評価され、プロフェッショナルから声をかけられた後、個性を復活させればいい
という方法です
監督になりたい新人アニメーターと同じです
監督になるにはアニメーターとして活躍しなければいけませんが、
アニメーターは個性を封じて描く職業です
でないと、カットごとにキャラの顔が変わってしまいます
なので個性を封じないといけないわけですが……その先にいる監督は真逆です
どちらかと言えば、監督の持つ持ち味、個性が評価される世界です
個性を殺して上に上がらないと個性を発揮できない業界……
現代の芸術界はもしかしたら、そういうものなのかもしれません
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