自分を分析して気づいたこと

どうも、ふじたりあんです

この文章を書いているのは3DCGアニメーション作品「TOBASHIYA」を発表して何日か経った日のことです

この作品はすべてオリジナル。自分の個性を存分に詰め込んだ、初の3DCGアニメーション作品です

いうなれば自分の分身、自分の嗜好、創作物、センスだけで作り出した1分弱の映像作品です

ただ、ツイッターでは依然としてあいにくの評価でした

いいねは60くらい。フォロワーは5人くらい減りました

この結果にいつもながら、深く落ち込んだ僕ですが……、僕は毎回、疑問に思っていました

というのも、僕は別に、ツイッターで評価されたりするのを求めているわけではないのです

いうなれば、一部絵師のように、自己顕示欲求を満たすために作品を作っているということではないということです

僕も、自己顕示欲求がないといえばうそになりますが、そのためだけに創作しているわけではないということです

別に媚びてまでいいねが欲しいわけでも、才能を見せびらかすためにフォロワーを増やしたいというわけでもなく……ただ、描きたいから描いているつもりです

ただ、だとしたらここに矛盾が生じています。評価されるために創作していないのなら、評価されなくても落ち込まないはずです

でも実際、作品が評価されずに悲しんでいる自分がいます

この矛盾は何だろうか……と考え、分析した結果。

自分が悲しむ心理的プロセスを解明しました

作品は自分の子供

太古の昔から言っていることです

僕は作品を子供だと思って創作しています

初めて公開した作品。タイトルは「娘(嫁)」です

自分以外の個性が交わるのは嫌なので、トレースも模写もしません

資料無しで描いたりもします

今回の「TOBASHIYA」においても、プロダクトのデザインは資料を見ずに自分でモデリングし、ふじたりあんのイメージカラーのオレンジでカラーリングし、自分の大好きな雰囲気の町を自分で撮影した写真を加工して作たテクスチャを交えてモデリングし、オリジナルデザインの看板を飾って表現しました

音に関しても、半分くらいはこの作品のために東京で収録したオリジナル音源です

そして、今回の作品に限らず、僕の作品は“個性”を大切にし、自分で作った素材、写真、技法のみで作っています

それは、僕が作品を子供だと思っているからです

自分の個性を受け継いで生まれてくる、自分が死んだ後も世界をさまよい続ける、生きた証。

作品とは子供、創作活動とは無性生殖。個性とは遺伝子。

だから模写をして他人の遺伝子を混ぜるのを避けているわけです

そんな理由もあって、模写もトレースも嫌いですし、個性を潰して上手になった気でいるツイッターの絵師も、美大に行って個性を潰している美大生も、隙あらば茶髪に染めてしまう人間も嫌いです

個性とは生まれ持ったものです

それを持ち合わせていない絵など、絵ではなく図形だと、僕は思います

なぜ、作品が評価されないと悲しむのか

前置きが長くなりましたが……ここまでに書いた通りです

自己顕示欲求のない僕が、なぜツイッターで作品にいいねが来なくて悲しんでいる理由

それは……、作品を子供だと思っているからではないでしょうか

僕は現在大学生で、子供はおろか結婚すらしていないために断じていえるわけではないのですが、

この心は子供をいじめられた時の親のような気持ちなのだと思います

それも、尋常じゃない度合いです

毎週2人分くらい、実の子供がいじめられている。もしくは無視されているのを見ているようなものです

ただの絵師なら、作品が評価されなくても”まぁ、いっか”くらいの心境なのですが、僕はそのたびに心に傷を負ってきました

作品が子供であると同時に、作品は僕の分身です

僕の個性だけをつぎ込んで生まれた作品たちがネットで無視され続ける……僕からしたら作品が無視されるのと同時に、自分が無視されている気がしてならないのです

そして、タイムラインを見れば、評価される必要のないような絵が僕の作品の何百倍もいいねをもらっています

どこかで見たような構図に、どこかで見たような絵柄。どこかで見たような技法、タイトル、2次創作

そういう、他人の個性をコピーしたクローンのような何かに、僕の作品もとい、子供が負けていることが許せないのです

そして、個性を追い続けて留年したという事実と、個性を追い続けて創作するあまり起こってしまった運動不足とそれに付随する体の不調。高血圧、痔、蛋白尿、ドライアイ、顎関節症

それでも評価されない僕の作品たちと、大した個性もないのに評価されている誰かの作品

そのギャップがこの悲しさを生んでいるのかもしれません

と、僕は気づいたのです

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