特に共感できる作品として”エヴァンゲリオン”と”まどマギ”がある
まず、エヴァに関して
人間が滅びることがなくこのまま技術を発達させることができれば、人類補完計画と同じ通過点を通ることになる
これは通過点であって、最終到達点にはならない
つまり、技術の発達によって一度は人類補完計画のような状態になるが、そこからまた次のフェーズに移行し、別の状態になるということだ
エヴァを知っている人ならわかると思うが、人類補完計画は人の持つ魂が全て一か所に集まり、融合することだ
これにより、他の概念からくる苦しみから解放されるということなのかもしれない
そして、この人類補完計画に近づいている技術がメタバースだ
メタバースではコンピューター内に別の世界を作り出そうとしている
そして、このままの流れでメタバースが進めば、人はいずれ、感覚の入出力も機械につなぎだし、水槽の脳状態になる
つまり、コンピューターと言う媒体で魂を運用している状態。この状態はリリスと言う媒体で魂を運用する人類補完計画に似ている
媒体が違うだけだ
ただ、僕がこの状態を最終到達点ではなく通過点であると考えるには理由がある
人間は自と他の境界。ATフィールドを求めるからだ
少なくとも、人類が自己顕示欲求と性欲を克服しない限り、人間と言うものは他を求める
自己顕示欲求も性欲も相対値であり、他と言う概念が生まれて初めて相対値という概念が生まれるからだ
そして他とは、自分以外。それは自分と外界との境界があって初めて他と言う概念が生まれる
つまり、人間が完全なるメタバース空間を創り出した後にすることは、自と他の境界を作ることだ
これが人類補完計画の次の段階、人間の醜さが生み出す他との境界が新しい世界を創り出す
ゲンドウはその汚さが嫌だから、自と他の境界を排除した世界を作りたかったのかもしれない
ただ、現実世界にはそんな境地に達しつつ、人類全員の魂を別の媒体に移せるような手腕の人は存在しない
だから実際、人類補完計画は人類の通過点であり、最終到達点にはならないということだ
そして2つ目、”まどマギ”について、
僕がまどマギを見て正しいと思ったのは”僕ら人間の魂は単なる養殖された物体に過ぎない”
という点においてだ
ただこれは、正確に言えば、そうであってほしいと願っているだけなのかもしれない
魂とは単なる現象であって、そこにスピリチュアルな価値は存在しない
目や耳から入ってきた情報がニューロンを通過するうえで生じた情報が魂の正体であるが、そんなものはこの世界にあふれている
だから、そもそも魂に特別な価値はないということだ
ただ、僕も一人の人間なわけであって、自分のこの自我が単なる現象だという結論にたどり着いてもなお、価値を見出したくなる
そこで生まれてくるのが神の概念だ
誰かが僕らを作ったという超次元的な考えによって僕ら自身がこの世界で特別なのだと自覚している
世界中の宗教が言っているように、僕ら人間の魂は特別な物であって、宗教によっては人間だけが特別な存在だと言っていたりもする
魂は特別な物であってほしいという願望が人間の中にあるのかもしれない
ただ、それは先ほど言った、魂は単なる現象だという結論と矛盾する
そして、この矛盾を解消する解釈が”超次元的な存在が僕らの魂を養殖している”
と言う考えだ
水が凍結するという現象を利用して人間が氷を作り出しているように、
情報の対流で魂が生まれるという現象を利用し、神が魂を創り出してそれを何かに利用しているとしたら、
それは論理的かつ人道的な理屈ともいえる
これは”まどマギ”の世界観設定そのものであって、これが真の世界の姿なのかはわからないが、少なくとも理にかなっていて、かつ宗教論者にも通じる。
うまい落としどころだと思う
僕個人としても、こういう世界の形は意外と正しいんじゃないかと思う
だからまどマギの設定は、この世界の本当の形ともなりえるし、一人の人間としてそう信じていたい
という。アニメの枠を超え、もはや神話。宗教にも似た考察と解釈ができる作品だった