物質世界と精神世界
僕らの世界からは2つあるように見えるだろうが実は違う
……という話を続ける前に事前知識として、
お金とは紙切れに仮想的価値を宿したもの
魂とは情報量であるということ
あたりを理解しておいてほしい
そのうえで話すと、
僕は今まで、物質世界と精神世界、2つの世界が相互に作用しあって僕らの世界が僕らに観測されているものだと思っていた
ただ、これでは不十分なので、しっかりと真実を把握しよう
まず、物質世界と精神世界という2つの世界があるとして、それが互いに独立した状態はあり得るのだろうか?
という疑問が起こる
つまり、物質世界も精神世界もない世界、物質世界だけがある世界、精神世界だけがある世界、両方ある世界。
の4つが考えられる
そして言うまでもなく、両方ない世界は無だろう
そして、4つ目の両方ある世界は僕らの世界のような感じだ
ただ、2つ目と3つ目はどうだろうか
これを考えることで人間にも世界の形。魂の正体が理解できる
まず、物質だけがある世界。
想像するのは、宇宙空間のような場所に鉄や金などの物質が浮遊している世界だ
ここには一見、精神が無いようにも思えるかもしれない
ただ、本当は違う
なぜなら、魂は情報量だからだ
魂とは情報の渦のことであって、その渦には定義はないから、情報が存在する場にはもれなく魂が存在することになる
ここまで散々、精神世界といっているが、正確に言えば情報世界だ
人間の本当の形は情報生命体だ。と昔から僕は言っているが、そういうことだ
人間の本質は魂であって肉体ではない
そしてその魂は情報に過ぎない。精神世界に漂う渦のようなものだ
つまり、物質しか漂っていない宇宙空間にも魂、精神世界的要素は存在する
なぜなら、物質が漂っているという情報が存在するからだ
だから、物質世界だけが存在することはあり得ない
そして、3つ目の精神世界だけがある状態について
実はこれが世界の本当の形だったりする
なぜなら、情報だけが存在する場には渦が発生し、その渦が何かを認識すると必ず解釈が生まれるからだ
その解釈は、その渦から見たら物体として映る
例えば、僕を表す精神世界の情報の渦の一つがほかの渦に接したとする
その情報の渦には”壮大”、”自然”、”静岡県(と人間が呼ぶ座標)”、”景色”
というような情報が含まれていたとする
そうしたら僕をつかさどる渦は”富士山”という解釈を得る
ただ、それは単なる解釈に過ぎない
情報世界に富士山が出現するわけでもない
つまり何が言いたいかというと、
情報世界で対流する渦から生まれる情報の対流とそれによる解釈を持って初めて、僕らが物質世界を想像する
に過ぎないということだ
僕ら人間の形は僕という魂が勝手にそれを人間だと思っているだけのことだ
ほかの渦との境界を認識して自と他の概念が生まれ、それを皮切りに世界を勝手に想像して生み出した
いうなれば世界と歴史は人類の総意だ
そのしわ寄せが2重スリット実験だったりもする
精神世界は仕切り値のないあいまいな世界だから、シュレディンガーの猫的なあいまいさが出現しているのかもしれない
一応、4つ目の説明もすると、
精神世界と物質世界、両方ある世界はそれすなわち、精神世界と同値だ
なぜなら物質というものは最初から存在しない
観測があって初めて物質が定義されるだけだからだ
逆に言えば、観測したと心の底から思い込めばそのには物質があるということになる
手で触れたと心の底から思い込めばそこにあると言える。手で触れた物質によってけがをしたと思い込めばそこにあると言える
全ては精神世界から派生して生まれている
魂を形作る情報量の粒が絶えず流れ続ける超次元空間に生まれた渦が僕らの世界の正体だ
死とは渦が消えることなのかもしれない
渦が消えれば物質世界もそれにつ図妻を合わせるようにその個体が死ぬのかもしれない
じゃあその逆は???
永遠に消えない渦があったらそれは永遠に物質世界で生きる存在なのか???