メタバースを考えることはプロシージャルを考えること

今、世間ではメタバースが話題だ

そして、このままメタバースを極める流れになる気がする

人類はいずれにせよ、メタバースを作り始める運命にあるからだ

それが今。この時代なのかは何とも言えない

が、フェイスブックが社名を変更したり、ここ最近はいろいろと大きなムーブメントがあった

なんだかんだでこの熱が収まらずに、このままメタバースが進化していくような気がしてならない

……というわけで僕はメタバース、あるいはVRで生きていこうと思っているわけだ

そして今、これから就職を希望しているメタバース関連の企業の面接をイメトレしていて気づいた

メタバースを考えるということはそれすなわち、プロシージャルを考えるということではないだろうか

メタバースは超越した世界。その最終到達地点は、いかにしてこの世界と同じ世界を再現するか

に帰結すると思う

というのは、この世界の見た目を模写する。再現する。というような単純な話ではない

この世界が出来上がった仕組み、この世界がこの世界たる根本。その摂理、

その段階から再現することがメタバースの最終到達点となるのではないだろうか

言うまでもないが、この世界は誰が作ったわけでもない

いや、この世界自体は神的な存在が作ったともいえるのだが、ただ、それはこの世界という概念を神が作ったというだけの話だ

だから、僕の目の前にあるPCモニターというオブジェクトは神が作った。とは言えない

神が作った世界の中で生まれた人間が、勝手に作り出したオブジェクトだ

そしてこの、勝手に作った。というのがプロシージャルだ

僕はこれをメタバースで再現しない限り、本当のメタバースになることはないと考えている

プロシージャルを考えることがメタバースを考えることだと気づかないうちは、理想の、本当のメタバースにたどり着くことはない

人類が本当に神になることはないだろう

あくまで創作物の域を脱することはできないことになる

それはメタバースに限った話でもないかもしれない

僕が作っているような作品。3DCGでも、映像でも、イラストでも

プロシージャルという概念が存在しないうちはそれは単なる作品でしかない

そこにプロシージャルという名の生命が宿ることにより、メタバース含む芸術作品は本物になるのではないだろうか。

プロシージャルとはすなわち、自然の摂理だ

世界にはこれが必要で、それがない限りは単なる二次創作でしかない

ではメタバースにおけるプロシージャルとはいったいどのようなものを指すのだろうか

例えば、メタバース内にガードレールがあったとする

今の時代だとそれを再現する場合。人間のモデラーがモデリングして、テクスチャ作って、unityとかUEとかでゲームに配置して、配信して……

という段階を踏んで初めて、ガードレールが出現するだろう

ただ、これではメタバースに必要なプロシージャル要素が存在しないことにある

だからこの段階をどこまで突き詰めてもそれはあくまで、人間の創作物という域を脱することができないのだ

本当のメタバース、プロシージャルを取り入れた世界では、そもそもガードレールがそこにあると人間が定義する必要すらない

なぜならガードレールとは、道路わき、歩行者や車が道を逸れるのを防ぐために設置される

という、明確な法則のもとに配置されるものだからだ

つまり、その意義を満たす必要がある場所にはガードレールが存在することとなる

そして、これは別に、人間が指定する必要はない

歩行者がいたり、道路がカーブしていたり、そばに崖があったり、

そういった定量的な特徴を加味し、機械的にガードレールの有無を判断する

それだけでいいはずだ

さらに言えば、このガードレールのテクスチャすらも、人間が作る必要はない

形に関しては、現実を模したものの方がリアリティが増すだろうからインプットする必要はあるかもしれないが、

少なくとも、現実世界のようにいい感じに汚れたガードレールの表面は人間が逐一デザインする必要はない

例えば、ガードレールのへこんでいる部分、よく見ると苔が付着していたりする

ただ、ガードレールのてっぺんには苔はない。きれいな場合が多い

あとは、ボルトから雨が滴ったような汚れがあったり、

逆に、雨の当たらない橋の下にあるガードレールには砂が付着しているかもしれない

ただ、一見そういった複雑な汚れのガードレールだって、すべてを定量的に、手続き的に、プロシージャルな計算によって汚すことが可能だ

街のモデルがあったとき、上を向いた面でかつ、空から遮るものがない部分には雨が当たる。だから周りよりもきれいに保たれる

逆に、下を向いていたり、日が当たらなかったりする面には苔が生える

雨に当たらないで、かつ、日陰、奥まった場所には砂がたまる

こういったように、世にある汚れ成分はすべて日に当たるか否か、面の法線、奥まっているか否かなど、定量的なパラメータの組み合わせのみで決まる

ということだ

そして、これがプロシージャル論の入り口だ

汚れがプロシージャルで再現できるように、街の位置、建物の向き、道路の形、幅。交通量、それに応じて配置される小物類

すべてをプロシージャルに配置できるはずだ

そしてこれはメタバースのコンセプトと一致する

これが今日一番言いたかったことだが、

メタバースはもう一つの世界を作ることを目標にしているが、それはプロシージャルという前提条件があってこそ、成し得ることだ

ただ、今のメタバース界にはそれが不足している

ゲームの延長で考えていてはダメだ

メタバースとはゲームというよりかは天地創生だ

ゲームか天地創生か、これを分ける指標の最たるものがプロシージャルという概念ではないだろうか

だから、それを抜きにしてメタバースを作ろうとしている間はまだ不十分だと思う

とは言いつつも、こんな尖ったことを言っていたら社会に受け入れられないだろうからこの気持ちは封印しておこう

どうせどこかの誰かがプロシージャルの大事さに気づいて、もしくは人類の共通意識がそれに気づき、緩やかな革命となるのだろう

それを見守るしかないのか僕は。自分とは違う他人を拒絶する習性は戒めるべきだ

社会とは実に残酷だ

これもプロシージャルなのかもしれない(適当)

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