これからの表現を考えてみる

これからのクリエイティブ業界はどうなっていくのだろうか

いや、もうこんなこと言っている時点で間違っている

なぜならクリエイティブ業界というのは完全に変革し、もはやクリエイティブでも何でもなくなるからだ

クリエイティブとは何かを作ることだが、その、作るという行為はすべてAIに転嫁される

クリエイティブ領域を人間がやるのはもはや前時代的な営みに過ぎなくなるだろう

それがいつかはわからない

ただ、少なくともいえることは、世界が滅ばない限り、結果は目に見えているということだ

僕は昔から、技術の発達は不便をなくすこと=角を取ること

と、いろんなところで言ってきた

角を取るというのはわかりやすい表現だろう、角を取った後に残るものは球だ

つまり、その過程はよくわからないが、結果的に文明がどうなるかは予想がつく。球になり、もう角を取ることができなくなる。それだけだ

では、球になるとは具体的にはどういうことだろうか

それは、人間の営みの本当に根本、その一点だけに収束するということだ

そして、人間の営みの根本は自然の摂理と一致する。幸福の追求だ

世界のすべては幸福の追求をするようにプログラムされているのだから当然だ

その営みに拍車をかけるだけの技術の発達があっても、終着点は変わらない

だから、文明の終着点は幸福の追求。幸福の生成と幸福の実感。その2つを永遠にループするだけの存在となるだろう

そしていずれかは情報の変化量が無となり、新陳代謝がストップし、意識が解けて無に帰するというわけだ

ただ、それは遠未来の話だ

この記事で言いたいのはそこまで未来の話ではない

今後10年くらいで起こるであろう変化。それを一応予想し、先回りする必要がある

だからブログに残しておく

どうせ今は誰も来ていないブログだからネットの海に放っておく

今後のクリエイティブ業界はAIによって次のフェーズに移行する

そして、先に述べたように、技術の発達とは角を取ることだ

そして、角を取った後に残る球とは、そのフィールドの超根本的な要素だ

では、クリエイティブ業界の超根本的な要素とはいったい何だろうか

それを考えるにはまず、商業作品とファインアートを分けて考える必要がある

まずは商業作品において、その超根本的な要素とは”収益”だろう

現状の商業作品では、アーティストのアイデアをクリエイターが形にする

シンプルに表現するならばそう表現できる

ただ、この構造においてはクリエイターは単なるコストでしかない

商業作品の価値はユーザが決める。そして、ユーザは圧倒的にアーティストの活躍に価値を見出しているからだ

脚本、シナリオ、監督、アーティストの成果物がそのまま価値になるともいえる

アニメータの誰さんの作画が凄い! という。マニアックな視点で見てくれるお客さんがいるかもしれないが、その場合においても、クリエイターを見ているとは言えない。

誰さんの髪の表現が凄いから! という動機なのであればそのお客さんは誰さんをクリエイターではなくアーティストとしてみている

安い給料で働いているクリエイターさんたちの努力の結晶を見ることに幸福を感じる!

というような楽しみ方をするお客さんはそういないだろう

商業作品はプロダクトであり、コストとリターンによって生産、消費される

そして、コストとは製作費や人件費で、リターンとはお客さんからの評価と収益だ

そこから考えると、制作費や人件費をほぼかけずに作れるAIはアーティストとクリエイターを根こそぎ排除することになる

ただ、そこで両者の違いとなるのが、お客さんの求める要素の違いだ

お客さんはクリエイターではなくアーティストを見ている

だから、独自の世界観、ブランド、アイドル性のある作家が今でいうところのクリエイティブ業界に生き残り続けるのではないか、

ということだ

あとは、その生産ラインを動かすプロデューサーもしばらくは生き残るだろう

生産ラインの機械が変わっても工場長が変わらないようなイメージだ

これが商業作品の場合、

そして、商業作品ではなく、ファインアート領域の場合。少し違う結果となる

というのも、ファインアートというのはそれが起こる動機に個人差がある

作品が好きだから作る人や、自己顕示欲求を満たしたい人、自分の技術を高めたい人、自分の頭の中を絵にしたい人、

そのすべてにおいてAIは影響するだろう

ただ、その度合いや活用事例、それが招くその界隈の人たちのモチベーションの変化は様々だ

自分の頭の中を絵にしたい人だったら、最悪、数うちゃ当たるのAIを使えばよいだけのことになる。だからその界隈は完全にAIに支配されることになるだろう

そうなると、自分の手で描くことにこだわりを持っている人たちの活躍の場をむしばむことになる。

見る人も同じく、絵を見る動機は様々だからだ

ただ単に美しい、かわいい女の子、男の子の絵を見たい人達、

知らない世界を目撃したい人達、

もしくは、絵師のファン。人の描いた絵だという価値を感じたい人達、

作る側も見る側も感性で動いているから、この場でマクロ的にAIがどういった影響を及ぼすかはもはや予測できない

比率こそ変わるが、ファインアート界はあまり変化はないのではないだろうか

今から見たら変化していくかもしれないが、それは自然の摂理が決めることであって、それに応じて消費、生産も変貌する

だからそんなに深く考える必要はないのかもしれない

深く考える必要があるのは商業作品における表現だ

AIは確実に業界内の構造を変える

電車のドアが閉まる感じだ

そこに乗り遅れたらもう電車に乗るチャンスは来ない

もしくは難しくなる

と思う

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