日本人の感性と災害とエヴァンゲリヲン、そして創作者としての心意気

今日は土曜日だから仕事ができる日だ

それなのに頭が痛い

なので久し振りに昼下がりに薬を飲んで、昼寝をし、今起きて、体をいたわるために何もすることがない

だからこのブログを何となく書いてみる

テーマは、日本人の感性の劣化と、エヴァンゲリオンのすばらしさ、監督としての心意気だ。

まず、僕が映画を作るのであれば災害というものをテーマに書きたい、

という考えは少し前のブログ記事で書いた気がする

日本人と災害とは切っても切り離せない仲だ

東日本大震災もそうだし、阪神淡路大震災、関東大震災、これから南海トラフも起きるかもしれない

災害以外にも、第二次世界大戦に伴う広島長崎の原爆、東京大空襲、毎年来る台風、豪雨、猛暑

日本は災害と災難に見舞われ続ける国だ

その中に日本人の美しさがあるのではないか

そして、その美しさを描くことなく災害を描くことはできないのではないか、

と思う

僕はこのことから、今までで一番。災害と日本というテーマを強く描けている物語として、エヴァンゲリオンを思い浮かべる

エヴァンゲリオンは地震などがテーマではないが、ただ、使途という試練は強大な力を持つ災害と重ねることができる

そう考えたときに、それに立ち向かうために一致団結し、街を作り替える文明の力と住民の精神的な強さに、今僕が一番表現したい日本人と災害との関係性を感じる

完全に独自の解釈だが、

エヴァンゲリオンは過去最高に、日本人と災害というものを描いていると感じる

そして、それを踏まえたうえでここからは日本人の感性の話に移る、

僕は最近の日本人の感性に失望しがちだ

この前、すずめの戸締りが公開された

僕も映画館で見て、そこそこ楽しめた

ただ、災害をテーマにしているとしたら直接的な描写が多すぎたし、登場人物も増やしすぎだという気がしたし、

完璧な作品ではなかった気がした

というのは僕が勝手に分析したことなのでどうでもいいことだが、

ただ、僕の中で引っかかるのは、この映画が議論されることなく評価されていることだ

この映画で災害を描き切れていると僕は思えない

なぜなら日本における災害というのはそれが発生したことに関する街、人間関係、ふるさとの破壊だけではなく、そこからの助け合い、長期間にわたる復興

その一連のストーリーがあってこその災害だと思っている

その点から考えるとあの映画のメッセージは断片的すぎる

破壊を封じ込めるというのは、災害を単なる単発のイベントのように考え、そこから現実逃避しているだけのように思えるからだ

本当に伝えるべきものはそこからの物語だと個人的には思う

タイタニックだって、氷山にぶつかる前後の話がメインだろう

イメージとしては、氷山をよけ続けてニューヨークに無事たどり着いてしまったような、そんな印象がすずめの戸締りにはあった

災害に対するテーマとして、村上春樹の小説に出てくるミミズをモチーフにするところはすごくよかったと思う

なのに、せっかくのそういった比喩も、直接的な描写によって一直線の、単調な作品になってしまっている

と僕は思っているのだが、そういう議論が今、コンテンツを消費する人たちの間でされているとは思えない

先日、高校の友達と飲んだ時も、その人はすずめの戸締りが好きだと言っていた

そもそもの新海誠監督がそういう伝え方を望んでいるのであるからそれは需要と供給が釣り合ったビジネスとして成功しているとは思うが

ただ僕はもっと高度な映画業界であってほしいと思っている

それを阻害するのが日本人の感性の曇りだ

例えば、セカオワの曲に、虹色の戦争という曲がある

僕はセカオワが好きで、あの曲も好きだ

確か最初に聴いたのは高校生だった気がする

環境破壊に対するメッセージが強く感じられ、それを生物たちの虹色の戦争という、間接的なタイトルで伝えている点が素晴らしいと思った

……というような具体的な言語化は当時はできていなかったが、少なくとも。環境破壊に抗議する歌だということくらいは理解できていた

それから長らくは環境破壊に反対する歌として聞いていたが、最近。コメント欄を見て失望した

環境破壊に対する歌だととらえるコメントではなく、反戦を訴える歌だという認識で聞いている人がいることに気付いた

おそらく、タイトルに戦争とついているから反戦の歌だと思ってしまったのだろう

僕は、歌の良し悪しならまだ好みの問題なのでどうとでもいえることだが、歌のメッセージに関しては、誤った受け取り方をするのは明確に悪いことだと思う

作者の創作の結果を誤った受け取り方で受け取られたら、直接的メッセージをあえて隠し、間接的に美しくするという、芸術を盛り上げるアクションを侮辱している気がするからだ

だから本当は、見る人はもっと感性を身に着けてほしい

でないと芸術のレベルが下がってしまう

高度なメッセージを受け取る人がいないのであれば、高度なメッセージを発信する芸術の存在意義が満たされず、それは廃れてしまうからだ

僕は今後、監督になるつもりだが、その時に作る難解な作品のメッセージがもし誤った方向に取られてしまったら、

そう考えるとモチベーションが無くなりそうで嫌だ

だから僕は日本人の曇った感性に失望しているし、それに気づいて改善してほしいとも思う

日本人は識字率は最高潮だが、文の意味を理解できる人は少ない

という、ホリエモン?の話を今、連想した

映画、コンテンツは目がついていればだれでも見れるし、口がついていればだれでも感想を言えてしまう

僕はもっとハイレベルな人たちにハイレベルな感想を言ってもらい、ハイレベルな議論をし、ハイレベルな作品を作っていたい

でないと僕が常日頃あれこれ考えているのがばからしくなってくる

だから、今の日本人にはもっと、身の回りのあらゆるコンテンツに気を配って生きてほしい

P,S,

そういうお前はどうなんだ

もっとコンテンツに気を配れるんじゃないのか?

僕は監督にはなれない

なぜなら映画における大事な何かに気づけていないから

いや、大事な何かに気づいてはいた。ただそれを作品に落とし込もうとしていなかった

そんな状態で作品を作れるわけがないだろう

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