を今日こそ言語化してやる
長らく僕は、3Dよりも2Dが好きということをいろいろなところで言ってきた
ただ、それを具体的に説明できたことが少なかった気がする
だから今日はしっかり自問自答し、僕がなぜ3Dよりも2Dのほうが好きか
その理由を言語化してみたいと思う
まず、
僕は3Dアニメーションが好きではない
フォトリアルテイストならまだしも、セルルックをそのまま3Dにしたような作品からあまり価値を感じない
嫌いとまでは言わないが、圧倒的に2Dアニメのほうが好きだ
なぜそう思うか。
それは、萌という要素において言うならば、単純に。萌えないからだ
逆に、萌アニメというのは2D的特性をフルに発揮することができるから、萌えるのではないだろうか
上の画像のざんげちゃんのように
dアニメのサムネの中でもトップレベルにかわいいと思うサムネだ
表情にキャラの絶妙な心情が現れている
その心情を感じることができる時点でこの画面には二つの価値がある
キャラ自体の可愛さと、キャラの心情の持つ生き物感。だ
この2つをこの画面で、必要最低限の情報によって伝達しようとするとおそらく、このざんげちゃんのような感じになる
2Dアニメの絵はもはや萌とかわいさを伝える記号だ
余計なものがない
だから2Dは萌えるのではないだろうか
ただ、そう考えると必ずしも2Dである必要もない
セルルックCGならばルックは2Dだ
見た目が同じなのに萌えないのはなぜだろうか
1つ思い浮かんだのが、セルルックCGは動かさなければ2D作画のように見えるという点だ
つまり、絵が動くという過程において、3Dというのはどこか萌をそぎ落とすような何かを生み出してしまっているのではないだろうか
例えば、2Dアニメではキーフレームとなる原画を原画マンが描く
その絵はもうその時点で記号だ
髪の揺らぎだったら、美しい揺らぎしか描かない
絵として完成されている
そしてその間を補完し、アニメーションになる
つまり、人が潜在的に感じる美が多く含まれているのが2Dアニメーションだ
そして僕は、3Dアニメーションのキャラクターには基本、美しさを感じない
少し前にいおたすとの対談で語ったことだが、
アニメーションはアニメーターの意思のみで作られる
それは言い換えれば、意図しないものは省かれて作られる
というころだ
だから2Dアニメは美しいのではないだろうか
……というここまでのことはキャラのみに当てはまる
では、キャラ以外の作画での3Dについて、僕はどう思うか
結論を言うと、これもやはり好きではない
2D作画のキャラに馴染んでいればよいとは思うが、ただ、馴染んでいない3Dは最悪だ
まるで、写真の上に描かれた絵のようだ
タッチが合っていない
それすなわち、世界として矛盾している
だから、作品として不十分だ
それは、キャラは2Dが好き。だったら背景も2Dでやってくれよ!!!
ということなのか?
そんな単純な話なのか?
例えば、邪心ちゃんドロップキックの背景はものすごくよかった
あれは、キャラと同じタッチで背景が描かれていたから。
キャラと背景がマッチしていた
ディテールのレベルが一致している
だからあのアニメの画面はどれも世界観にどっぷりつかれる、良いものだった
ただ、3Dを使ったそうではないアニメもちらほらある
というかそれは3D以外にも当てはまる
例えば、恋する小惑星などの動画工房の最近の作品は背景に写真加工を使っている気がするが、それも3Dと同じく。好きではない
つまり、今書いている3Dが嫌いという理由と、先ほど書いた2Dキャラが萌えるという話は別なのか?
2つの理由があるから3Dが嫌いということなのだろうか
3Dには具体的な形がある。という共通点がないか?
3Dは具体的すぎてもはや、表現の余地がないようにも思えてしまう
自分を表現するツールとして、制限がありすぎるんだ
その制限を僕はなんとなく感じている
だから、3Dに関して冷めた気持ちがある
いや、そうとも言えないか
なぜなら、3Dにできて2Dにできないことはいくらでもあるからだ
それは僕が一番知っていることだ
表現においてはむしろ、3Dのほうが優勢ではないか?
いやそれは表現の具体性に関する反論ではないか
3Dと2Dは具体性に差があるのは確かだ
では僕は、2Dの持つ抽象的な物に惹かれているのだろうか
その抽象的な物の末に萌というものが生まれるし、豊かな表現が生まれる
そうだ。具体性とは現実の特徴であって、コンテンツにおいて非現実というものを大きな価値とする場合、具体性は単なる現実への縛り付けでしかない
だからぼくは3Dの持つ具体性が嫌いだ
逆に、非現実。創造の世界のもつ抽象性を表現するのにうってつけな2Dに惹かれる
今。言語化できた気がする
僕が3Dよりも2Dが好きな理由は……、
2Dの持つ印象の”あいまいさ”が、創作物というフィールドを強く知覚させるため
ノスタルジーというものを表現するのに2Dの持つ抽象性は都合が良い
萌、かわいさなどの価値を伝える際の無駄のない形状。もはや記号とも言える表現をできる2D作画
だから僕は3Dアーティストでありながら、3Dでは好きではない
キーワードは”あいまいさ”、”不鮮明感”、”抽象的”。
それらは3Dでは表現できない
いや、そうではない
例えば煙はどうだ?
2Dでは線で仕切り。具体的にして表現している
逆に3Dでは、ボリュームという形で抽象的な表現ができる
いや、それは少し違うか
なぜなら、僕が結論を出そうとした具体性と抽象性は、ビジュアルの話ではない。コンセプトの話だ
煙の場合は、その形ではなく、煙という存在自体に2Dの場合。抽象的な価値を見いだせる
3Dでのボリュームも。人が1コマ1コマ形を調整していればおそらく。2Dと同じような美しさを僕も感じるだろうが、そんなことはされないのが3Dアニメーションだ
えんばーじぇんだったり。ふーでぃにだったりを使ってシミュレーションする
それでは美しい形とは呼べないと思っている
物理法則を反映したものが美しいと思っていないからだ
それは同時に。人間は神だという意思の表れでもある
だから人が作りだす美しさ。コンセプト段階から感じ取れる人の気配
そこに美しさを感じる僕という感性は3Dよりも2Dを評価する
まとめると、
僕が2Dを好む理由は、その技法の持つ抽象性にある
ただ、その抽象性は単に形状という単純な話ではなく。そのさらに一段下の、コンセプトという段階に見られる”あいまいさ”
そこに美しさを見出す
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