生きるとは何か。その本質的な意味を現代人は見失っている
モノにあふれ何不自由なく暮らしている文明人は生き死にの張り合いを失い、生命維持に集中する必要がなくなったため、余裕が出てきた
保証も娯楽も物質も増え、自分が選べる選択肢が増えた
SNS等のメディアから他人の行動を瞬時に確認し、自分と比べることができるようになった
そんな中で現代人は。自分の価値を他人と比べて認知するようになってしまったのではないだろうか
そうして生きづらい社会を作っている
文明人は、自分の人生の目標を将来の夢なんかに見出す
もちろんそれは悪いことではない、夢という目標をもって生きることは素晴らしいことだ
ただどうも、それに執着し、身を滅ぼしてしまう人がいる気がしてならない
夢をかなえて幸せに暮らせるのであれば素晴らしいことだが、全員が全員それを達成できるわけではない
その時の苦しみを、情報伝達が増幅させるのが現代社会だ
だから、他人の人生と、理想の自分と、自分の能力とのギャップに人は苦しむ
ただ、本当に大切なものはもっと手近なところにあるのでは、
他人だとか才能だとかの装飾をそぎ落とした後に残る、命に近しいところにあるのではないだろうか
それは、価値と幸福と労働と満足が重なったようなものだ
それこそが人間が追うべき、健全な夢なのではないだろうか
文明人としての人間を否定するつもりはない
だから僕は、夢のある人を否定しようとも思わない
そもそも僕自身、文明ありきの夢を追っている身だ
そんな僕だから、夢の持つ楽しさと恐ろしさを知っている
なので、そういう夢をもって、それを追うことは間違いではないことも理解している
ただ、どうもこの夢は歪んでいる気がしてならない
夢は依存症だと僕は思っている
幸福を得ることもできるかもしれないが、そうとも限らない
そんなにもカオスな幸福は果たして、本当の幸福と呼べるのだろうか。
もっと直球に、幸福というのは存在するはずだ
人がそれに気づき、等身大の自分を認知することができれば、幸せな人生を送れるはずだ
そして互いに働きかけることができれば、生きやすい社会を作れるはずだ
それに気づく物語を作りたい
東京は文明の象徴だ
情報と比較と評価であふれている
そしてそれらがない島に主人公は行く
東京では何でもかんでもそろっていて、そして主人公は何らかの挫折をする
理想の自分とのギャップに苦しんでいるのか? 生きる意味を見失っているのか?
多感な時期にそれを考え、行き詰まる
主人公はそういうのがない世界を強く望んだ。
そうして島に行く
スマホはないし、統制も取れていない。危険もある。それなのになぜか幸せそうな島だ
そこで触れる日々に、主人公は最初、嫌になるだろう。文明の恩恵を失ったからだ
ただ、しばらく過ごすうちに本当の幸せを感じ、言語化して理解する
そうして、健全な幸せを学んで東京に帰る
おそらく主人公は気づくだろう、
東京にも幸せはあふれているんだと
幸せは見出すことができるのだと
そしてそれを見た観客も同じことに気づくはずだ
これからそういう物語を書きたい
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