今は競争社会だと思う
僕はこの現代にしか生きたことがないが、そう思う
本当は競争社会というのは現代に限ったことではないのかもしれない
ただ、自殺する人は多い、文明自体に何かしらの問題があることは確かだ
そして、その問題を考えたとき、真っ先に思いつくのがこの、競争社会。というワードだ
人と比べることはいろいろと都合が良い
お金も生まれるし、管理もしやすいし、成長もしてくれる
人々の安らぎと自己主張を燃やして、そういう価値が生まれてくる
表ではよい顔しながら、裏では嫌だと思っている
ただ、表でよい顔をしているので物事はうまく回るし、自分は仕事をすることになる
そうして生まれた価値の分、表ではよい顔をした人のストレスとなって人をむしばむ
SNSで人と比較できるようになったし、成績表にも順位が載っている
自分がどのあたりにいるのかすぐにわかってしまう世の中はお金で回っている
お金という数値によって価値は扱われ、それを使えば何でもすることができてしまう
今の文明は他人との比較によって補強されている
そうして回ってきたストレスというツケは個人個人が隠し通さないといけない
何故なら、病んだ人は労られ、気を使わせてしまうから
人に迷惑をかけてはいけないと思い込んでいる人間はそれが嫌だから、自分が病んでいることを公言することを躊躇う
それが恥ずかしいことだと思っているから、心配をかけたくないから、弱い人だと思われたくないから、病み深い人だと思われて社会から遠慮されそうで嫌だから
いろいろ理由はあるが、そういう理由すらも競争社会の影響だ。本音を言えなくなっている
そうしてこらえきれなくなり人は自殺するわけだ
じゃあどうすればよい?
今の東京にある生きづらさは自分一人で変えられることではない
自分が変わらないといけないのだ
とはいえ、どうしようもない状況というのもある
仕事、スキル面でも。転職できない人もいる
僕のように、顎を含む体のいたるところが痛み、痛みの恐怖におびえながら生きる人だっている
もはや、文明一丸となってのチキンレース状態だ
便利になった行く末にはもう、意味を見出す遊びがなくなってしまった
そういう文明社会だが、核の拡散と比べるとまだ、絶望的ではない
生きる意味とは何かをもう一度見直せばよいだけだ
各々幸せを感じることができれば文明社会はもっと良くなるのではないだろうか
幸せとは自分が決めるものだ
そういう当たり前のことに気づくことが最初にすべきことだ
幸せを人に重ねてはいけない
人と比べて劣等感を覚えるその心意気を変えないといけない
人と違うことは当たり前だ
でないと人間ではない
すごい人がいたら、程よく憧れてすぐにあきらめるくらいがちょうどいい
それに執着し、追い求めると自分に劣等感を感じ、行き止まりに行きつくだけだ
人を助ける、育てる、食べ物を食べる。寝る、
そういう当たり前の営みに真の幸せがあるのではないだろうか
一回文明が滅んでみれば人間もそれに気づくはずだ
何かを得るために努力することに幸福がある
何かを成しえる過程に幸福があるはずだ
多くの場合、結果には幸福は含まれていない
ゲームだってクリアする過程を楽しむものだ
すべてを手に入れてやることがなくなった今の東京人に、そのことを投げかける物語を作りたい
P,S,
言いたいことはあるのにそれを物語にできない
僕には才能がなかった
この文章で書いたのは僕自身のことだ
等身大の自分を見つめられずに大きい夢ばかり追って、自分が監督になることを疑わずに今まで生きてきてしまった
監督になりたくないわけではない
ただ、疑い始めている
僕には思っていた以下の思考しかなかったことに気づいた最近、何を書きたいのかわからなくなった
いや、本当は問題ないくらいに言いたいことはあるのかもしれない
ただ、自信を失った僕は今、何もできない
今までは調子に乗って創作していた人間だ
この状況に順応するためには、良質な作品を分析することと、頭を冷やすこと、
小さなアウトプットから少しづつやっていく必要がある
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