東京の抱える禍々しさの根本的な原因

東京は素晴らしい街だが、そうでない面もある

僕も今、生きづらいと思っている

この原因はどこにあるのだろうか

いろんな悩みを持つ人がいる現代だが、その根本的理由をたどれば、それは一つしかないような気がしている

それがない島に行き、主人公は自分の抱える具体的な問題に打ち勝ち、帰っていく。

そういう物語にすべきだ

じゃあその、東京の抱える根本的な悩みの根源ってなんだ

不安が漂っているような風潮だ

自分の存在意義を見失った人は自分が宙に浮いた感じになる

自分は今、何をしないといけないのか

自分は今、なんでこれをしないといけないのか

自分が進む道が自分のやりたいことと違う。というのを言語化できている人はまだいい

それに気づかずに漠然と人生を送っている人にそういった不安が付きまとうのではないだろうか

それを東京と結びつけるのであれば、選択肢の多さだ

東京はなんでもできる

だから自分はやろうと思えばなんにでもなれる

生きる死ぬのような重大な問題もなく

ただやりたいことを追うことのできる社会だ

それは一見、理想的な社会に見えるかもしれないが、そうとも限らない

選択肢が多いということは、自分で選ぶ必要があるということだ

そして、身の丈に合わない道を選ぶ人もいるかもしれない

失敗したときに、その責任は自分にのしかかるし、

自分で決めるということは本当は残酷なことなのではないだろうか

選択肢が少なければ、自分のできる限りでやったという満足感を簡単に得ることができる

できないことは仕方がないとあきらめることができる世界だ

いや、むしろ。選択肢が少ないということにすら気づかないかもしれない

例えば。どこかアフリカの辺境の地にある、文明との接点がほぼない部族に生まれたとしたら、

映画監督になるという夢なんて抱くことはないだろう

空から降ってこない限り、映画監督という職業を知ることはないのではないだろうか

かといって。その部族に暮らす人々が不幸かと言われれば、そうではない

生きるために狩りをし、子供を作って育てて死んでいく

そういう最小限の幸福を満たすことで人生が満たされるような世界だ

このシンプルさは、世界に選択肢が少ないからこそ生まれるものだ

核と同じだ

人間の持てる選択肢は増える一方だが、人間の処理能力、精神力は変わらない

現代の抱える選択肢の多さは人間のキャパをすでに超えているのではないだろうか

豊かな国に病む人が多いのはそういうことではないだろうか

選択肢が多いから自分がどうすればいいのかわからないし、何もしないだけで選んでいないという事実と向き合うことになる

そういう選択肢に惑わされない人もいる

自分のやりたいことを見つけて打ち込んでいる人

そもそも選択肢にすら気づいていない人

現代社会にもそういう、選択肢の魔の手に引っかかっていない人もいるわけだ

これが東京の抱える不安の、根本的な要因では?

もちろん、別要因の苦しみもたくさんある

人間関係、病気、いろいろある

ただ、今回特筆したいのは今まで書いてきた、選択肢の多さからくる不安だ

じゃあ物語にどう落とし込む

主人公は東京で何か迷っていないといけない

その迷いの具体的な形状は置いといて、

その根本にあるのが先述した、選択肢の多さだ

選択肢が多いから自分で決められない

じゃあ主人公は進路相談の一幕で悩んでいる人なのか?

主人公はまだ、選択肢が多すぎるということにすら気づけていない

そして病む。選択肢の重圧に押しつぶされて

そして願う。漠然と、主人公の生きたい世界に

そうして訪れた島は野蛮で、魅力的だった

最初は文明の無い島にうんざりするが、すぐになれる。

そして、島で成長し、最後は主人公が選択肢を自分で一つ選び、帰っていく

帰った主人公は文明に選択肢があることを実感し、自分で自ら選べるようになる

……という物語だ

じゃあ結局。島で主人公は何を学ぶんだ?

上記のことから考えるに、主人公は島の選択肢の無さに驚き、戸惑い、リラックスする

ということだろう

つまり、選択肢の無い島で生きるという気楽さを学ぶ

その気楽さの訳を少女やら島の人に聞くと、自分を生きるのに精いっぱい。

それで満足している様子を目にする

そして主人公は、東京ではそんな、自分の命なんて考えることはなかったと気づく

生きていけるのは当たり前で、それプラス、いろいろなやるべきこと、できることが用意されている

その選択肢に病んでいたのだと知る

それを言語化して認識するまでが島で主人公がなすことだ

そして、その可能性にあふれた東京という街に戻りたいと思う

やりたいことがあるからだ

ここまでをまとめると……、

主人公は東京で漠然と不安を抱いている

そして島に行く。最初は翻弄され、嫌になるが、次第に島での生活に満足する

ただある日、東京ではなかった災難を目撃する。

その際に主人公は落ち込み、島の人と話す。そして学ぶ。島には、死の近さからくる必死な生への執念がある。なので島の人には大きな目標がある。生きたい。助け合いたいと、

そういうものが主人公には欠けていた。それに気づく。

東京にもたくさんの選択肢がある。それを認識したとき、逃げている自分がなんだかもったいない気がしてきた。選択肢の正体を知った主人公は次に、自分で選びたくなった

そして帰る。主人公は自ら選択をして

ここまででまとまってはいる

ただ、何点か僕が追加していて、宙に浮いたままの要素がある

それをここから考えていく

人のやさしさ

人がやさしいのは、選択肢が少ないからだ

島の人は、自分の幸せではなく、他人の幸せに自分の存在意義を置いている

これは、生きること、という、共通の目標を島の人たちが共有しているからだ

だから互いに共感している

自分の追い求めているものは人の追い求めているものだから、だから相手の気持ちがよくわかる

だとしたら、技術革新に関する批判も同じく、選択肢というキーワードにかかわってくるのではないか?

技術革新に対する批判

今回の物語では、技術革新に対する批判もしたい

技術革新というのは、選択肢を増やした要因だ

医療の発達、娯楽の発展、様々なものが技術によって加速した

そういった営みはもともと、より良い世界を作るための営みだったのではないだろうか

つまり、先人の共通目標としてあったのがこの、技術革新だ

生きることから技術革新の時代へ、そして最後。何もない世界が生まれた

その何もない世界から島に来る。というのが今回の物語だ

最後のシーン、いろんな人が乗っている電車

これは描きたいから書いたシーンだ

ただ、そこに明確な理由はあるのか?

ここで伝えるべきことは、学びではなく、答え合わせな気がする

主人公が間違っていた。それが島でただされた。その流れを肯定する場面になるはずだ

主人公は自分の持つたくさんの選択肢を選べずに、辛さだけにとらわれていた

それが島で変わる。選択肢のない世界を目撃し、選ぶということを学ぶ

自分で自分の生きる道を見つける。それを見せるのが電車内でのカットの意義では

東京でも島でも人は生きていて、それぞれ自分の道を全うしている

島ではそれがストレートに見えた

ただ、東京ではそういったものが見えにくくなっていた

ただ、確かに幸福は存在する

選択肢が多くて見失いがちだが、進むべき道は確かに存在する

それを見つけた幸せな人たちが電車の中にいるんだ

それを主人公は目撃して、やっぱり自分の判断は正しいんだということを悟る

東京に帰っても自分の生きる道を見つけられる

そのことを知ったこと自体が主人公の成長では

それを発見する瞬間を、電車内にいる人たちの姿で描きたい

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