素で性格が悪い人に関する感想

素で性格が悪い人に嫌な思いをされたので、その気持ちを忘れないうちに残しておこうと思う

素で性格が悪い人が世の中にはいるんだなぁ、と今思っている

最初は気づかなかったが、あとになってあれは僕を虐げる言葉なんだろうと気づいたとき、そして僕は落ち込んだ

僕という人間が気にしているところを言われてへこんだ

なんだか僕を否定されているような

それを文章で具体的に言われて、自分が攻撃されたような気がした

攻撃されているという事実が辛い

そして、それが前々から僕が気にしていること、自分にうそをついて人にうそをつくという一連の動作に当てはまっていたので、凹んだ

もう僕は生きている価値なんてないのでは、と思った

そしてその次に、怒った

一人の人間に自殺願望の一片を見せてしまう発言をする大人に対して、素直に怒りがわいてきた

よくもそんな無神経なことを言えたものだ

それで人が死んでしまったらどう責任を取るんだ?

それで会社を辞めてしまったらどう責任を取るんだ?

ただ、その人には悪気はないようだ

つまり、素で性格が悪いということだ

自分が何を言っているのか気づけない人間なのかもしれない

もしくは、相手が心の中に隠したコンプレックスを察知し、それに気づいた自分の賢さを示したくて、相槌代わりにそのコンプレックスをえぐって自分が気づいているというのをアピールしたいのかもしれない

人の内面を見抜ける自分がかっこいいと思っているのかもしれない

ただ、それは安易に口にすべきではない

そもそも、人の真意を見抜くことができるのは社会的な動物の一種である人間なら誰しもが持つ平凡な能力だからそれで人よりも優位に立てるということはないし、

むしろ。社会性があるのであれば、そういうものに気づいてもいちいちコンプレックスをえぐるようなことはしないのが通常だろう

人の真意を見抜けるのは知能とは関係ないし、それを基に自己満足するのは人として無責任すぎる

今はそうやって僕は怒っている

なので僕はもう彼に対する一連のやり取りで凹むことはないだろう

なぜなら、僕が攻撃を受けたと認識したとき、僕が悪いのか相手が悪いのかわからなかったから、

もし僕が悪いのであれば自分を責めて辛くなっていただろう

当初は自分が悪くないという事実を見つけられていなかったので僕は凹んだ

ただ、今こうして文章に書いている通り、一連の出来事に対して怒り、不当な相手の心情を分析して優位に立ったと思い込むことができた

つまり、概念的に言い表すならば、これに対して自分には非がないと自覚することができた

それにより自分を責める必要性がないことを知ったので、凹むことがなくなった

ということだ

……ということを文章に残して今後の物語づくりに役立てたいと思う

そいつが人に対して敬意を払わないのであれば、僕もそいつに敬意を払う必要はない

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