作中のエレベーターはいろいろと象徴的なものになっている
一つが、昇天、命が終わり、天国に行く。ということに対するメタファーだ
ロボは物語の最後にそういう体験をする
命というものは必ず終わるものであって、魂を得るということは終わりを認めるということになる
有限の中にしか観測というものは生まれない
だから、観測して魂を得た時点で、必ず死、終わりは訪れる
そこに向かう道のりがエレベーターだ
宇宙船内の空にあたる天球ディスプレイを通過する
それはまさしく昇天だ
始まったものが終わるという、命の形そのものだ
そして。もう一つ。このエレベーターと天球ディスプレイのほかに、コントロールルームというものがある
コントロールルームはエレベーターの終着点、天球ディスプレイの向こう側、無重力空間を超えたその先に、居住区とは逆向きの重力に支配されて存在している
そこには人間の骨がある
ここは神の国を表している
宇宙船とはこの世だ
そして何もない空間を漂う塊だ
その中で永遠に苦しんでいるのが魂だ
まるで僕らのように
そんな醜いエコシステムを終えようと一つの救世主が立ち上がる
そして彼はロボたちの住処を抜け、エレベーターに乗り、天球ディスプレイを超えて無重力を体感し、もう人が死に絶えた神の地、コントロールルームにたどり着く
そう。そこは神の国だ
天の向こうに神の国がある
ロボはなぜ存在している?
それは人がそれを作ったからだ
だから彼らは存在しているわけで、人に尽くすために生まれてきた
ただ、そんな愚かな人はもういない
それなのに人の与えた本能によって永遠に労働するロボットたち
彼らの悲壮感は見て取れるはずだ
ただそれは何も彼らだけに限った話ではないのでは?
今の人間を見てどう思う?
僕は悲しいと思う
本能に翻弄され、理性に苦しんでいる
生きていても何も楽しくない。苦しいだけだ
本能という神の賜物がいつしか苦しみの根源になってしまったのではないだろうか
変化というものに苦痛を感じるようになってきている
快楽はどこに行ってしまったのだろうか
生きる意味は? なぜ生まれてきた? 誰のために
その答えを見失ってるんじゃないのか
そんな、所在不明のゴールに向かっているような現代社会の生き方に疑問がある
だから本能に苦しむロボを描いた
神が死んだ世界で何が起こるのか
そして、神の亡骸と住処
そこからは宇宙船の外が見える
何もない
空気すらもない
神が作った箱舟に乗ってただ生かされるだけのロボたち
それは本当は僕ら人間と何ら変わりない
外には人間のフォーマットでは理解できない空間が広がっている
人間に置き換えるならばそこは、連続的な印象だけが漂う無限次元、もしくは0次元の概念上の領域だ
それを作中では宇宙というもので示す
それを目撃して死んでいく世界を描きたい
P,S,
24歳になりたくない
あと、顎が痛い痛い
あと数日で誕生日!
もう24じゃん。やばい
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