自主制作メモ:殺すという行為について

僕は今脚本を書いている

と言ってもおそらく10分ちょっとの短いアニメーションなので、細かいところは表現できないのだが……、

僕が日頃思う。命について、いろいろと考えを表現するつもりだ

今は後半の展開を考えている

そこで大事にしたいのが、殺すという行為についてだ

僕は機械に命が宿る過程を描きたい

そして、その結果として考えられる一つの可能性を表現したい

そういうコンセプトがある時点で、僕は必ず、主人公がほかのロボを殺す瞬間を書かないといけない

それは最初、戦いというアウトラインで書こうとしたのだが、それはやめた

なぜなら作画コストがやばいからだ

僕のような時間も気力もない人間がそんなものを作れるはずがないので、やめておいた

それに、殺しを描きたいのであれば、必ずしも戦う必要はない

何か成し遂げたい目標があり、それを満たすための障壁としてほかのロボがいれば、それを破壊することで殺したことになる

その殺されるロボには魂がないといけない

だから特別な存在だ

魂の宿ったものを殺すという行為自体が、魂ならではな気がする

殺すことを書かない物語では生き物のきれいな部分しか書けない

そして僕は、生き物を構成する9割以上は汚いものでできていると思っている

今回の作品も、生きるという苦しみと虚しさについて書くつもりだ

だから殺すという行為を無視することはできない

それは生き物の持つ醜さの結果の一つだからだ

魂を持ったロボが主人公ロボの行く手を阻む

そして戦う。結果として主人公ロボは敵ロボをエレベーターから突き落とし、殺してしまう

故障したジャイロボールによって超高速回転しながら、腕と頭が四方に飛んでいく

それを主人公は目撃するわけだ

そうして観客にも伝わると思う

生きるということ、それ以前に魂というのは他の犠牲ありきで保たれることだと、

他という概念があれば自分というエリアが生まれ、その内外で評価をしだす

そしたら必ず優劣が付き、それを認知する

生きるというのはそういう苦しみを肯定して認めて初めて発生する循環だ

それが僕は嫌いだ

その嫌な感じをあの場面では表現したいのかもしれない

ロボが飛び乗ってきて、ただそのロボが飛び乗ってくるときに腕を故障してしまった

主人公ロボを殺すことができない

それでも彼を止めるために必死に殺しにかかるわけだ

それを主人公ロボは突き落とす、ジャイロボールを破壊して

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