自主制作メモ:理性と感性と本能

理性と感性と本能はどういう関係にある?

僕は作品のクライマックスのために、命というものを4次元的に表したオブジェを作らないといけない

そこで命というものを表現すべきだ

命というものを素因数分解し、最もシンプルな形状として表現しないといけない

なので今ここで、文章を書きながら考えてみる

まず

人間とはソフトウェアとハードウェアとアカウントによって構成されている

というのが僕が古来から抱く認識だ

ただそれはオブジェで表現するものではない

なぜなら、オブジェがある時点でそれはハードウェアであり、問題となるのはその形状から人々にはあするメッセージ、ソフトウェアだからだ

ソフトウェアとひとくくりで表現される生命体の意図幕を今から記号的オブジェとして具体化したい

ちなみに、アカウントに関しては必要ないと考えている

なぜなら、そのオブジェには個性がないからだ

いうなれば、全生命体の共通項みたいなものだ

その下にすべての個体が分岐しているため、頂点にあるこのオブジェにはアカウントと呼ばれる個性は必要ないわけだ

というわけで、このオブジェに必要なのはソフトウェアだ

じゃあそのソフトウェアってなんだ?

それがこの記事のタイトルになっている、理性と感性と本能じゃないか?

と思っている

ただ、そういう認識は本当に正しいのだろうか

理性と本能というセットで僕は今まで、生き物を認識してきた

ただ、そこに感性という概念も存在するのでは?

と思って書いているこの文章だ

本当はソフトウェアを構成するのはこの3つではないのか?

本能とは運命によって自然発生した挙動だ

そして、理性とは、本能をベースにして初めて成り立つ挙動だ

感性とは、理性と同じく、本能の上に成り立つ挙動だ

そうか。理性と感性は並んでいるが、それらは本能というベースの上に成り立つものなんだ

少しオブジェの形が見えてきた

理性と感性の違いが、その行動の動機の違いではないだろうか

理性は論理的思考の結果生まれる行動だ

そして、感性とは、もっと混とんとした動機によって生まれる行動だ

コスモスとカオスの違いなのか?

情報が入力されて行動が出力される

その過程が複雑か否かによって2つは2分化されているのだろうか

そうとも言える

ただ、もっとかみ砕いて表現できる気がする

理性と感性の違い

利己的か利他的か

いやそれも違うか

というか、この2つは横に並ばないのでは?

例えば、完全に理性的なふるまいをするものがあったとする

それはコンピューターだ

与えられた情報から毎回同じ出力を出す

対して、完全に感性的なふるまいをするものがあったとする

理性的に物事を考えない

いや、それは感性的なふるまいとして結果が見える以上、何かしらの情報に対する認識はあるわけで、

それは理性的な反応と何ら変わらないのでは?

やはり、理性と感性の違いが判らない

何となく認識はできるのだが、その2つの関係性と位置関係。もしくはこの2つ以外に構成要素があるのか、それすらわからない

そもそも本当に、本能の上に成り立つものなのか?

本能と理性の違いは明確なのだろうか

本能も情報に対する反応という点においては理性と同じではないのか?

いや、それは明確に理性とは違うか

法律と憲法みたいな位置関係だ

本能とはデフォルトで備わったOSであって、

大して理性はそれを前提条件としたうえで、後天的に身につくものだ

それは本能というものがないと成立しない

だから理性というのは本能の上にあるのは間違いない

同じく感性もだ

……じゃあ、本能と理性感性の位置関係は決定しているか

もうそれだけでよいのでは?

おそらく、理性と感性の違いについて明確な定義ができないのは、2つに違いがないからだ

まるで、虹の色に明確な境界が無いように

そこに無理に境界を定義するのは僕がやっていいことではない

僕が作ろうとしているのは、自然調和的に極限まで記号化したオブジェをデザインすることだ

でないとこの物語が物語の範疇を超えない

僕はもう一つの世界を作ろうとしている

なので、その要となるオブジェには調和のとれたデザインが必要となる

だから、理性と感性の違いを明確に区切ることは好ましくない

ということは、本能と理性を示す形状をついにして空間に浮遊させることができれば

それは生命を表す象徴になるのではないだろうか

ちなみに、色関係では生命を表現できない

何故なら色というのは情報として、光があって初めて伝わる情報だからだ

つまり、情報を発信するうえでほかの要素に依存している

それは完ぺきではないし、調和もしていない

なので、色という情報は省いたオブジェにしたい

そうすると白なのか? 黒なのか?

はたまた別のシェーディングによって表現した色という概念を感じさせないものなのか?

この世界の色って何だろう

いや、色について考えるのは違うか

なぜならそれはオブジェの要素ではなく、オブジェが存在する環境の要素だからだ

つまり、オブジェは先述しているような生命の要素を伝えられる形状であれば何色でもいいわけだ

しいて言うのであれば、それは観測者の視界をベースに伝わるべきだろう

だから、3D的なシェーディングではなく、2Dもしくは4D的な質感になるはずだ

例えば、オブジェの周りに線画があるような感じだったり、

角度を変えてみても角度が変わったようには見えなかったり、

そういう、物理法則を超越した見え方にすべきだ

それにより、このオブジェが物語の範疇にないことを示すことにつながる

P,S

ちょっと作ってみた

特に黒い部分のシェーダーはこの上なくシンプルだ

0という値のみをカメラに直接描画する

つまり無だ

これによりこのオブジェの質感はblender内の物理法則から逸脱したものとして表現できる

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