生きるということを客観的に見る

僕は、生きるということを客観的に見ているため、そもそも普通の人と見る世界が違うのかもしれない

今も目の奥と頭が少し痛い

そういう、小さな苦しみを意識がある間常に課されながら生きている僕にとって、生きるというのはばかばかしいことだ

自分が生きていると思っている人は命に対して当事者意識をもって取り組むのだろうが、僕はそもそも生きている実感がない

いや、生きている実感はあっても、それが些細な事実だと思っている

偉大だとは思っていないし、命に神聖なイメージも持っていない

渦潮と同じくらいの価値しかない

苦しむ人はいるし、幸せな人もいる。人生は不平等だ

それは当たり前だ。何故なら魂は単なる現象でしかないからだ

そしてそれを本気で信じているので、そもそも命がロマンチックだとは思わない

そういう気持ちで脚本を書いている