近日中に、自主制作アニメーションの劇伴についてミーティングをすることになったので、今、この記事で今一度、作中の音楽に対する事柄について整理する
まず、
今回の作品は大まかにいうと、
有機物をまとった無機物
命がプリントされた人工物
生命に扮した機械
曲線で装飾した直線
というようなテイストだ
巨大宇宙船の中、全てが人工物の世界で、
人間を慰めるかのように生命を感じさせる意匠がちりばめられている
それはプロダクトデザインだったり、建築デザインだったり、空間デザインだったり、
あらゆる設計においても言えることであって、それは同時に、物語の脚本自体にも同様のことがいえる
偽物の魂を原動力に動く物語で、魂とは何か、魂のふりをしたロボット
そこには確かに魂があるはずだ
そういう超根本的な作品のメッセージにも通ずる
本物に擬態する偽物
だから冒頭のような、生命と無生物を対象に描くのを大前提として、作品を作りたい
そしてそれは、劇半と映像の関係にも当てはまる
僕が作れるのは無機物的な映像だ
カメラの前で発生する現象を観測し、画面に起こすのが僕の役割だ
つまり、そこに生命はない
生命は表現できない人間なので、生命を表現することをあきらめた
だからこそこのアイデアを形にでき、脚本にできた
ただ、このままだと完全に命のこもっていない作品になってしまう
そこで、この作品に既に存在する、生命と無生物の対比構造だ
僕が作るのは無生物だから、生物要素を感じられる音が欲しい
具体的には、EDMのように機械的な音楽ではない音楽だ
クラシック音楽、ピアノの独奏、カントリーミュージック
そういう、生命の息吹を感じられる曲がいい
それが無生物的な映像と重なった時、そのギャップにある種の寂しさを感じると思う
聴いているのは生き生きとしているのに、見ているのは機械だけの世界
カビも雑草も、チリさえも落ちていない
どこまでもドライで変化の無い、最小単位のテンプレートで構成されているような世界だ
そんな世界にクラシック音楽が聞こえたら、そこに生命力を強く感じると思う
そして同時に、映像としての世界の無生物感を強く実感するだろう
なので、曲には軋み、音色、そういうやわらかい。ランダム要素が欲しい
ただ、ここで大切にしているのが、人の声を入れるべきではないということだ
これは、僕がフュージョン系の音楽を好む理由と似ている
曲にキャラクター性があってはならない
フュージョン系の音楽は今見ている景色に寄り添ってくれる
歌詞で上書きすることなく、ただ彩を添えるための舞台装置として僕は聴いている
そして、今回の作品の劇伴にも同じような理由で、歌詞がない曲が良いと思っている
テイストがあっても、キャラクター性がないような曲がいい
歌詞はキャラクター性の最たるものだ
そこに意味を含んでいるので、それがあることにより、映像作品を作るということに対して疎外感を感じてしまう気がする
それが悪いとは思っていないが、今はまだその曲の持つキャラクター性に費やす力はないし、
それを制御できる自信もない
この作品は、僕が考えている世界の形を世に出力するための物なので、歌詞がある音楽ではなく、生命力をつかさどる音としての、音楽を求めている