価値が見えない時代

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンを見て感化されたのでこの記事を書く

長らくの間、人類の生み出す価値は目に見える物だった

最も単純な価値は機能だ

石を力強く投げられる道具だったり、雨風を防げる屋根だったり

そういった機能的な事実が価値となって物に宿る

そして、機能の無い物に価値を付加するということも人間はする

互いに担保しあった価値を紙に宿せば紙幣になるし、チケットにもなったりする

この宿すという考え方が長らくの間、価値の最先端だった

そして最近はその物理的実体すらも取っ払い、単なる情報としてそこに価値を宿すことをしている

仮想通貨や株なんかもそうだ

株は昔は証券として実際にモノとしてあったが、今は無い

デジタル上で信用のある証券会社に取引を任せて、その価値があると見せかけて取引をしたりする

信用取引というものを使えば、今持っている金額以上の売買を行うことだってできる

信用というステータスを持つことによって、今持っている価値以上の物を制御してより大きな価値を享受することができるようになってきた

そういった、価値の見えない化に伴う価値のインフレーションについて、僕は、現代社会の生きづらさの一つの要因になっているんじゃないかと考えている

価値が見えないということに限らず、全ての単位を大きくし続けて今の地球は発展し続けている

ただ、どこまで行っても幸福とノルマは相対値で評価されるため、そこから得られる幸せの単位を大きくすることはできない

それなのにできないことに対する蔑みは絶対的には変わらない。

なので、できないという状態からノルマを達成するために必要となる移動距離が伸び続けている

だから現代の社会は生きづらいと言われるのでは

そしてそれを最小単位的な言葉で言い表すのであれば、価値が見えなくなってきている

ということになると思う

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