なぜ今の社会はこんなにも生きづらいのか
それは、働くという状態が当たり前になっているからでは
さらに言えば、たくさん働くこと、ずっと働いていることが良いという共通意識があるため、だと思う
正規雇用されていないと怠け者の烙印が押される
なぜなら、正規雇用されている。もしくはその履歴こそが保証だから
ただ、そこには何の根拠もない
正規雇用というポジションは非正規雇用から見た相対的なポジションというだけのことであって、その名称にもポジションにも何の意味がない
非正規雇用よりも良いという点において意味があるが、そもそもその非正規雇用という水準自体も人間の共通意識の上で出来上がった幻に過ぎない
絶対的な意味を持たないポジションに相対的な意味を持たせる正規雇用という言葉なので、結果としては意味が無いということだ
前々から言っているように、今の社会はチキンレースだ
人より上を行くというのの繰り返しですべての水準が上がり、互いに互いをけん制しあいながら、貴重な時間を使っていく
それが美徳だから
潜在的なチキンレースによって回り続けるエコシステムだ
もう少ししたら、技術の発展によりほとんどの人たちが働かなくてもよい世界になるだろう
ただ、それでも人類は働くことを止めない
ここに書いたようなチキンレースに気づいて、それを意識的に抑制することをしない限りは、労働と生きづらさは無くならない
労働にやりがいを感じるので、働く。自分が働きたいから働く。というのもわかる
僕も現に、3DCGが好きで今の仕事をしている
僕に限って言うならば、3DCGが心底好きで、今の仕事にやりがいを感じている
ただ、皆が皆そういうわけではないだろう
そのやりがいは必ずしも、労働でしか果たせないものなのか、疑問に思う
やりがいを果たすことについて、お金としてその成果を目撃することだけがゴールではないはずだ
これだけ頭がいい人類なのに、自らの幸福という最終目標に向かって進んでいない
そこに至る、お金、経歴、権利、資格。そういう間接的な要素によって生きているからこんなことになってしまっているのではないだろうか
そして、こういうことを言うと社会から認められないから、皆こういうことを言わない
僕のような客観的立場の出来損ないが、ここのような誰も来ない場所でひっそりと語ることしかできない
人の営みがヒートアップしていることを自覚し、それを互いに制御しあうことができれば人類は幸せになるだろうに、
そこに至る思想がまだ人類に浸透していない