今、二度目のサニーボーイを見ている
低気圧ゆえの頭痛から今日はあまり元気ではない
なので、二度目のサニーボーイを見た
あのアニメは僕にとって、最強の日常アニメだ
少年少女のまま永遠に変わらない概念の中で物語が進む
この件に関してはまた記事を書くつもりだが、とにかくあのアニメは僕の作っている世界観に似ている
まるでイエメンのようだ
というのは話が脱線してしまいそうなのでこれくらいにしておいて、
あのアニメを見る中で、僕は、永遠の命について考えていた
そもそも、永遠の命という言葉自体、矛盾しているのではないだろうか
仮に、命を、”情報に対する解釈が連続的に発生している現象”と定義し、
永遠を、永久に続く時間とする
すると、永遠の命というものが成り立つ可能性が出てくる
何故なら、情報に対する解釈というのは、情報が時間的に無限に連なる場合、その解釈というのも無限に連なることができるからだ
解釈とは情報の変化量のみから生まれる
なので、永遠に続く時間の中でその変化量が0に収束することも考えられる
ただ、逆に、永遠に異なる状況が続く場合、無限に解釈が生まれるので、先の定義上では、無限の命があり得るということになる
問題は、この、先の定義が本当に命という状態を指しているかどうかだ
今自主制作でも突き詰めている話題だが、
大多数の人が命と聞いて想像する、”生物的で感情的なふるまいをする有機物”には必ず、他の概念がある
他の概念こそが感情的で複雑な魂を形成しているからだ
その点、先の定義上には他の概念について触れられていない
ゆえに、先の定義のみを守って生まれる現象の連続は、文字通り、現象の連続でしかない
プログラムと同じだ
反射的に鏡のようにふるまう魂のようなものではあるが、それは大抵の場合、命とは呼ばれないだろう
だからわざわざ命について定義してから文章を書いている
では、この命というものの定義として、先の定義に加え、他の概念を用意したらどうなるだろうか
他の概念からくる羞恥心や隠ぺい、攻撃などはすべて、時間的要因から来るものではないだろうか
永遠の時間という、リスクもしくはリターンが発散した状態において、この、羞恥心、隠ぺい等の他の概念に干渉する感情はすべて意味を持たなくなるのではないだろうか
つまり、時間的制約がなくなったとたんに、他の概念は破綻する
他の概念が破綻すると、その場にいる命と定義しようとしたものは先に述べたような現象の連続になる
それは命とは呼べないのでは?
以上のことから、永遠の命という、その言葉自体が矛盾している気がする
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