最近はsoraなどの動画生成AIが発展してきている
現時点でもすごい映像を出してきているし、今後もその勢いは衰えないだろう
そうなってくると、むしろ人間が作ったという事実を強く感じられる映像に価値が生まれる
そしてその、人間が作ったという事実は下手なCGから強く感じる
ライティング、環境光、シェーディング、モデリング、
そのほかアニメーションなどなどすべてにおいて、素人臭いCGがむしろ価値を持つのではないだろうか
価値を持つとまではいわないが、そのころの人間味あふれる時代の映像はそれだけで昔の産物として珍しがられるだろう
今でいうところの、白黒フィルムの写真だったり、セル画アニメだったり、
そういうのはおおむね新しい技術によってさらに良い物が生み出されたが、それでもやはり今でも一定数の評価を得ている
例えば、我らの先祖、ポブレイのCGはそのレベルの低さからもうアニメなどでは使われないであろうツールだが、そのツールが生み出す画像はどこかノスタルジーが漂っていて個人的には好きだ
そして考えるのが、人間の手で映像を作る時代が終わるのならば、むしろこれからの時代は手作り感のある映像のほうが価値を持つのでは、ということだ
例えば、今、フォトリアルな3DCGを作ってみたとする
それは技術的に、フォトリアルなCGを作れたということで評価されるだろう
ただ、5年後に果たして同じ評価になるのだろうか、
5年後くらいだったらAIは進化し、少なくともフォトリアルという、明確な答えがある分野であれば完全に補完されるだろう
そしてゆくゆくはそれ以外の分野、アニメ調の表現、スタイライズされた表現、
そういったものもAIがやるようになる
その場合に最後に価値を持つのは、下手なCGではないだろうか
いや、これは先ほど否定した通り、下手なCGは見ていてさほど面白くないので、価値を持つのではなく珍しがられるだけだ
昔に作られたという価値を感じられるという点において、時代によらない価値を担保するというだけであって、それ自体に面白みはないので、ただ単に珍しいだけだ
僕が言いたいのは、今、自主制作をするのであれば、人間が作った3DCG感を残した映像では?
ということだ
例えば、blenderのeeveeでレンダリングした画像は、反射など簡略化されているため、味気ない、3DCG感が出てしまっている
その3DCG感は今でこそ安っぽい印象になるが、それもしばらくしたら過去のノスタルジーとして存在意義をもつ
そして今、僕は自主制作をしている
自主制作の映像のレベルをどうしようか、いろいろ悩んではいるが、今、この記事で書いた通り、あえて3DCG感を消さないような作り方にしようかな、とも思っている
それは僕自身がクオリティの高いCG映像を作れないというのもあるが、それはもともと、映像にクオリティを求める時代は終わるんだと大学時代に悟ったからだ
僕の頭の中に何があるのかを伝えられる技術さえあれば十分だと思ったので、写実的な表現にこだわるのはやめた
というわけで今作る自主制作もその流れを汲み、映像表現で今後も価値を持ち続けられる質感にしようかと思っている
とはいってもやはり僕も映像作家のひとりで、いろんな表現をするのは好きだ
それに、今現時点ではまだAIがそこまで浸透していないため、ちゃんと見てもらうためにも良いルックに仕上げる必要はもちろんある
ただ僕はこの記事で、少し先のことを考えてルックを考えていることをここで断っておく
そして、映像作家の価値が技術ではなく世界観とメッセージとストーリーで評価される時代に備え、今日もアニメを見る
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