都合よく普通の人が湧いて出てくる出てくる

社会には普通の人があふれているように見える

みんな健全で、前向きで、気配りができる

人並みに賢く、人並みに優しい、人並みに静かで人並みに話しが上手い

面接時でも、仕事中でも、いつでも心身ともに健康そうだ

大きな夢を持つわけでもなく、かといって自分の人生に絶望もしない

そういう普通の人たちが社会を回している

……とでも思っているのか?

普通の人はむしろ珍しい

美男美女だってそうそういないだろう

美男美女とは、要は普通の顔だ

世の中の人間の顔の平均を取ると美男美女になる

ただ、世の中、美男美女というのはなかなかいない

普通の人というのは本来、それほどまでに珍しいはずだ

それなのになぜ、こんなにも都合よく普通の人があふれているような社会になっているのか、

それは単純に、普通じゃない人が普通の人のふりをしているからだ

僕から言わせてもらえれば、普通の人なんか一人もいないと思う

ただ、未知のものを退けるという本能が互いに働きあった結果、社会の共通項として、逆説的に、普通であることを美徳とするようになった

これは集団そのものの欠陥だ

そしてその欠陥を言語化せずに改善してこなかった人間の落ち度だ

普通であることを強制していることに気づき、それを集団パニックとして人類みんなで恐れることができれば、社会は良くなる

普通でない人は世の中にはびこる無言の弾圧を払しょくする人材だと皆で認めることができれば、普通である必要がなくなり、生きやすくなる

そこからはどうなるかはわからない

ただ、少なくとも、普通に会社に入り、おとなしく生きることを止めた人間は何かしら好きなことに取り組むはずだ

機械化が進む現代では、そこまで働かなくても経済は回っていくので、空いた時間でもっと各々の好きなことに時間を使えばいい

無くすべきはまず、普通であることを美徳とする同調圧力だ

それがなくなれば、人々は自分がやりたいことを貫き通すことを恐れなくなり、やがてそういう人たちによって、社会が回り始める

まるで、好景気の気配にお金が回り始める経済のように

……ということを原案に、脚本を書ける気がしてきた。

P,S,

もちろんそれが可能かはわからない

才能が必ずしもあるわけではないので、好きなことで生きていける保証はない

ただ、僕が言いたいのは、好きなことで生きていける保証が無いにしても、皆、安全な道を行きすぎているということだ

一度きりの人生がそれでいいのか?

そうせざるを得なくしているのが、社会からの同調圧力だ

みんなが等しく失敗すれば、それは失敗ではなくなるはずだ

極論、今の世界は、互いに足を引っ張りあったまま、底なし沼でもがくようにして時間を消費しているようにしか思えない

自分の好きなことをやることを当たり前に評価できる世の中にすべきだ

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