鏡には特別なパワーがあるというのは昔から人類の中での共通認識としてあったのだろう

三種の神器だったり、怪談などでも登場する

先日、僕はブログで鏡とロボットに関していろいろ書いていたが、それ関連で今後、脚本を作る気がしてきたのでそれに関して語る

鏡を見るというのは自分を獲得するということではないだろうか

それを儀式にしたら面白くなりそうだ

自分を認識して初めてその存在は自然の所有物から個々の自我を持った人間へと変わる

それまでの間は自然の一部だ

自分というものを知らないので、単なる現象だと言える

こだまみたいなものだ

なので、まだ生を受けていないともいえる

そういう存在、いや、概念が鏡を見て初めて自分を得る

これにより自分という器の外見を知り、恥じらいや攻撃が生まれ、人間になる

それを儀式として描くと面白い作品になるのでは、

観客にはその儀式まで主人公の顔を明かさないのも面白い

何となく今の雰囲気的に、このスタートから面白い物語が自然と生まれてきそうな気がする

というのを、浜坂の駅で特急を待っている間に思いついたので今のうちにブログに残しておく

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