人と神とデジタルとアナログ

今まで僕の中では人と神は完全に二分化していた

人はデジタルのみを作り、神はアナログのみを作ると思い込んでいた

だから、数えられるものはすべて人が創り出したもので、数えられないものは神が創り出したものだと思っていた

例えば、リンゴを1個2個と数えるのは、リンゴという神が創り出した量に、人間が仕切り値を設けて数で扱っているとみなせる

万物はそうだ、人間は何かを扱ううえで必ず数で管理する

それが、人間が創り出したもの、全て数で数える

対して、神が創り出したものはすべて量だ

例えば時間。1秒2秒とかの人間が作った単位は時間の本質を表しているわけではないので、時間は連続して変化するアナログ量と言える

以上のことから、僕は、人は数のみを作り、神は量のみを作る。

というような分類をして考えていたが、それは少し不正確なのでは? と思ったのでここでメモっておく

まず、人が数を作っているのではなく、人は神の作った量に仕切り値を設けているので、数で扱わざるを得ない。という風な言い方が正しい

そして、量は概念として人の中に確かに存在する

数字とは自然に手を加える道具なだけであって、それは別に、人と神との分別に対応したものではない

というのが一点、

そしてもう一点、神は量のみを作ると考えていたが、あながちそうでもないらしい

考えてみれば、量子力学には最小単位として数があるではないか

そしてこの最小単位の数というのは、僕の考える可能性に関する理論に直結できると気づいた

可能性はいつも、0か1のどちらかだ

シュレディンガーの猫的な解釈だと、0.5もあるじゃないか! と、僕の中の他人が一瞬反論してきたが、それも違う

箱の中には0か1かのどちらかが入っていて、その確率が50%というだけの話なので、可能性はやはり、0か1だ

そうすると、神は可能性の有無を作ることができるということか、そして量というのはまた別の話題なのか、見方が変わっただけなのか?

物理法則とは物体の法則ではなく、可能性の法則

たとえば、「ここにある可能性」というようなことについて考えて見る

「ここ」というのは位置情報なので、アナログ量だ

全く同じ位置というのは存在しない

ただ、「可能性」というのはあるかないかの2通りなので、01、デジタル量だ

この場合、ここにある可能性は無限通りある

なぜなら、「ここ」というものは無限通りあるから、無限*2で無限だ

世界とはそういうものなのではないだろうか

無限に連続的に広がる世界にある特定のモノがあるかないかの01の確率が広がっている

その広がりはまさしく模様のようで、それを2重スリット実験では波として扱っている

存在の状態01を可能性として扱っている世界で、かつ、それが自然の摂理にのっとって干渉し、影響しあう

物理法則によって物質が動くのではなく、物理法則によって可能性が決定し、その可能性を基に物質が存在する

そのため、物理法則とは物体の法則ではなく、可能性の法則と言える

なので、2重スリットでは縞模様ができた

ビッグバンとは、神がサイコロを振った瞬間のこと

ここ最近、ビッグバンが可能性の爆発だという考えにたどり着いた

物質の進む速さは有限なので、ビッグバンが起こった次の瞬間に藤田将が生成されてこうして文章を書いている可能性は、0に等しい

が、何十億年か経った後ということであれば別だ、依然として可能性は低いが、ビッグバンが起こってから時間が経過している分、可能性としては高い

この、可能性の分岐がビッグバンから広がった世界平面だ

と、ここまでは今まで散々考えていたことだが、

ここにきて、ビッグバンからの広がり方に2つの考え方があることに気が付いた

一つが、ビッグバンの次の瞬間から世界は無限通りに分岐しているという考え方

そしてもう一つが、ビッグバンの後に世界が枝分かれして増えていく考え方

後者は一般的な多世界解釈だ。

シュレディンガーの猫的なシチュエーションにおいて、あらゆる可能性が交差しているので、その瞬間にその可能性分、世界が分岐するという考え方だ

つまり、そのシュレディンガーの猫的な分岐以前の世界は完全に同じで、その分岐の瞬間になって初めて世界が分岐することになる

……と書いていて、途中だが、少し答えが降ってきた気がするので文字にする

前者と後者の違いは見方の違いで、どちらかというと前者。つまり僕が前から考えていた方の考え方の方がシンプルでは?

後者は世界が絶えず分岐し続けるような解釈だが、それは連続的に起こるので、無限に分岐すると言えるだろう

そしてその無限に分岐するのはある瞬間にのみ起こる。ビッグバンの瞬間だ

神はサイコロを振らないと言うが、それは半分正解半分間違いだ

神はサイコロを振っているが、それはビッグバンの瞬間にだけ振るものだ

そこで振った後はもう何もしない。万物が均等になって可能性が0になるまで神はただ見ているだけだ

ビッグバンの瞬間に可能性のレパートリーが少ないのは事実だが、可能性の数(ここではあえて数という言葉を使う)は最初から最後まで同じだ

多世界解釈の説明をこの考え方で説明するならば、

仮に、シュレディンガーの猫的な分岐がある瞬間に発生しているとして、それ以前の世界は全く同じだったと仮定する

その場合はそもそも全く同じなので全く同じ運命を辿るので、分岐は起こらないし

仮にこの考えが誤りで、分岐が起こったとしても、それは最初から別の世界線として発生しているとみなせるので、やはり、ビッグバンの瞬間にサイコロが既に振られているともいえる

要するにこれは説明の仕方の問題で、両者は本質的には同じだ

それを踏まえても、僕が考えている。ビッグバンの瞬間にサイコロが降られるという考え方はシンプルな考え方なのでそっちのほうが良い気がする

ここまでの課題

・不確定性原理を僕はまだあまり知らない

それは、本当にランダムなのか?

仮に、完璧に同じ状態の世界があったとして、そこから分岐するとしても、可能性は不確定なのか?

もしそうだとしても、ビッグバンの瞬間にサイコロが降られているという事実には変わりないが、底はまだ僕の未知の領域なので気になる

・位置と運動量を同時に観測することはできない

ぱっと見だと、位置に時間的変化量を取り入れたものが運動量なので、それを同時となると、そもそも時間的概念が無いのが同時という条件なので、それは観測できないのは当たり前では? と思う

ただ、ここになぜかラプラスの悪魔が絡んでくるのがまだよくわからない

この2点に関してはちょっと調べてみる

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