初代ゴジラを見た。1954年、東映の映画。

昨日、39度近い熱を出して、その影響で今日も本調子ではない

なので、ゴジラを見た

ゴジラは一大コンテンツではあるが、僕は、シンゴジラと-1.0しか見たことが無かった

初代は70年くらい前の作品だが、シンゴジラなどと同じような構造の映画だった

基本的にはパニック映画のような感じで、それに翻弄される人間模様も絡めつつ映画にしたような感じだ

作品のメッセージについて

初代ゴジラは明らかに、環境破壊、反テクノロジーのようなものが感じられる

それに関しては僕も全く同じことを感じている人間なので、それを上手に設定に組み込んでいることについてはすごいと思った

ゴジラは悪ではなく、反省するべきなのは人間だ

永久凍土の中に含まれていた未知のウイルスが地球温暖化により溶けだして世界を脅かすというような映画も過去にはあったが、それと同じ構造だ

作中では直接的にそれについて説教じみたことを言うわけではなく、その設定段階ですでに説経をしているという作りだ

そうするとなぜだか、映画に説教されている感覚にならないのが不思議だ

そういう映画は究極的な嫌味、皮肉なのかもしれない

説教というのは実際に言葉にして伝えるものだが、皮肉や嫌味は結果的に被るものだ

自らの首を自らで絞める様子を、私情を交えずにカメラを収めるのは説教ではないと人は感じるのだろう

人が私情によって人に干渉するのは説教だが、人の振る舞いの結果が人に干渉するのは因果応報だ

説教と因果応報の違いが、映画を作るうえで大事なのかもしれない

両者ともにメッセージを伝えるという点において変わりはないが、見る人の説教された感は違うものとなるのかもしれない

映像について

だいぶ古い映像というのもあり、CGなどは使われず、破壊のシーンは特撮となっていた

ミニチュアを作り、それを破壊したりしている

そこに、逃げ惑う人々を合成したりしているようだった

今と比べても、カメラがそこまで高機能というわけではないので、黒つぶれしている箇所、白つぶれしている箇所が目立った

ただ、それがむしろ、何があるのかわからない不気味さを醸し出している気がした

銀魂の映画で、暗闇で斬りあっているシーンがあった

そのシーンでは、音のみがよく聞こえるが、暗闇で何が起こっているのかはよくわからない

単に画面の性能が悪かっただけかもしれないが、とにかく。肝心なものを見せずに、音などの一部の要素だけで場面を語ると、見る人に想像の余地が生まれる

初代ゴジラのような画質の悪い映像では、そういう。想像力の補完が良く効いているのでは? と改めて感じだ

それに関しては、僕は3DCGをあまり好きになれない理由の一つだ

説明しすぎるので、見る人に想像の余地を与えない

抽象的な映像はそれだけ解釈に幅が生まれるので、それを上手につかった映像はレベルの高い映像だと思っている

初代ゴジラに関しては、図らずもという感じだが、それを満たしているので、楽しく見れたような気がした

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