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  • 「地獄少女」

    地獄少女 宵伽_1
    ©地獄少女プロジェクト/宵伽製作委員会

    地獄少女は2クールを含む4期までが制作されている結構長いアニメだ

    だいぶ前に3期まで見たあと、しばらく中断していたが、最近、4期を見たので一応、すべて見たということになった

    ストーリーは、ものすごくざっくり言うと、嫌な奴が地獄に落ちる。みたいな感じだが、

    ただ、そこに、地獄に落とした側も地獄に落ちるという条件が付いてくる

    それも、例えば、勘違いで地獄に落としたり、落とされたり、

    いろいろ趣向を凝らし、面白い話に仕上がっている

    後半に行くにつれてカオスになっていく作風も面白かったし、

    後半に行くにつれて強まってくる胸糞感も良かった

    本当は良い人なのに、勘違いから地獄に落とされようとする人も、表情一つ変えることなくあいは地獄に運んでいく

    見る人はおそらく、途中から、閻魔あいたちが本当の悪者なのでは? というような気持になるだろう

    僕もそう思った。

    無実の人を永遠の地獄に閉じ込めるのはあまりにも残酷だと

    ただ、それに対し、最終回付近で地獄少女なりの答えが出てきた

    地獄少女という役職そのものが罪だ

    まるで、絞首による死刑執行時。床を下すためのボタンを押す刑務官のように、

    いや、刑務官は何も罪を犯したわけではないので正確な例えではないかもしれないが

    僕が言いたいのは、人に罰を与える行為自体がすでに罰だという構造だ

    床を下すボタンはなぜ複数個あるのか、

    それは、一人でそのボタンを押したら、そのボタンを押した人が殺人者みたいな風になってしまうからだ

    だから、複数のボタンが存在し、どのボタンによって床が下りたか、死刑執行をしたのかわからないようになっている

    こういうことをしてまで、罰を下す人の精神状態に配慮している

    その点、地獄少女の閻魔あいは、すべてを知り、自分の中でこの人は悪人ではないと判断してしまうような人も、ひとしく地獄に送り出している

    それ自体が罪だ

    人を呪わば穴二つというキーワードがあるが、

    それをシステムとして忠実に運用するためにある地獄少女もまた、罪を償う罪人で、地獄に流すという行為自体も罰になっている

    この構造はテクニカルだと思った

    二重の意味で、人を呪わば穴二つだ。

    ストーリー自体も、割と単発な話が多く、見やすい印象だったし、

    現代に実際に存在する社会問題を取り扱った回も多く、楽しめた

    あとは、地獄少女のタイトルロゴは個人的に、全アニメの中でもトップレベルにかっこいいものだと思う

    OPEDも良い曲が多かったし、

    ちょっと長いアニメだが、面白い作品だった

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  • 「異端の鳥」を見た

    面白い映画だった

    炎628をそのままマイルドにしたような映画だった

    動物について

    異端の鳥にも動物が犠牲になる展開がいくつかある

    僕としては、戦争映画で平和を訴えるくせして、動物は身勝手に殺すのは言っていることが矛盾している気がする

    なので、動物を殺して撮影する映画は真の意味での戦争映画とは呼べない気がする

    その点、炎628では動物を殺して撮影していたので、完璧な作品とは言い難かった

    が、この異端の鳥は、動物が死んでしまう展開はあるものの、おそらく、本当に殺してはいなさそうだった

    逆さづりにされるヤギはかわいそうだったが、さすがにそれ以上のことはしていないと思う

    この映画では動物がかわいそうな感じに見えるが、実際はある程度配慮されて撮影されていた……と信じたい

    タイトルにもなっている鳥だって、VFXっぽかった

    登場人物に重ならないように鳥の群れが飛んでいたのはおそらく、マスクを切るのが面倒だから、人にかぶらないように鳥が飛んでいる感じになったのだろう

    冒頭で焼き殺されるフェレット?も、図ったようにカメラアングルの中を走り回り息絶えていた

    本当にフェレットが逃げるのであればどっかに一直線に逃げるだろうからあのシーンもたぶんVFXだ

    この作品は白黒でものすごいローテクな雰囲気を醸し出してはいるが、随所に最新のデジタル映像技術が見え隠れする感じだった

    なので、動物に優しい環境で撮影されたのだろう、と信じている

    炎628よりは見やすい映画

    衝撃的なシーンはあるものの、動物に優しい映画なので、見やすい映画になっていた

    一人の少年がなぜか辺鄙な村にいて、あるきっかけで家を離れ、一人で彷徨うことになる

    なぜその少年はそこにいるのか、果たして少年は生き残れるのか

    という、一つのテーマに沿って物語が展開する

    その展開というのも、見ごたえがあるものだった

    戦争に疲弊して荒んだ人々の、その十人十色な荒み様をオムニバス形式で見せていく

    その構図自体は炎628と全く同じで、一人の少年がどうなるのかという展開と同時に、戦争の悲惨さを見せている

    炎628と違うのは、動物を殺していないところや、本物の遺体の映像が出てこないところだ

    その点、この作品はあくまで作り物の範疇で、強烈なインパクトを与えている

    構成も、極度に挑戦的な展開もないし、カメラアングルもエンタメ映画の系譜を踏んでいる気がした。

    個人的に気になったところ

    途中、線路を歩くシーンが出てきたが、あの線路がなんだか現代の新しい線路に見えてしまったのが気になった

    おそらく犬釘が新しいものに見えたからだろう

    照り面がすり減っていないレールになっていたという点はリアルで良かった。

    人気のないところで主人公を見逃すという、展開の布石となる良いディテールだ

    ただ、そこまで凝るのだったら、犬釘ももっと古い雰囲気の、本当に釘みたいな粗末な物になっていたら、より没入できた気がする

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  • 「N・H・Kにようこそ!」の感想

    N・H・Kにようこそ!_1
    (C)2006 N・H・Kにようこそ!製作委員会

    被害妄想、幻覚、幻聴。

    そういう闇を抱えた登場人物たちがコミカルに描かれる

    この後詳しく書くが、そういった精神的な症状に関して、驚くほど真正面から描いている

    身の回り全てが自分を馬鹿にしているように妄想してしまう様子や、

    外出することを拒絶するあまり、理由を探して外出しない自分を正当化してしまう様子。

    嘘をついて目先の問題を先送りにしてしまう様子など、

    実際に存在する精神的な問題を脚色することなく、キャラクターにしていた

    おまけに、引きこもり、依存関係、マルチ商法、自殺など、

    とにかく、現代社会に溢れる闇をとことん盛り込んだような展開がとても面白い

    僕はそういう話題については当事者でもあるし、興味も尽きない

    現代社会における代表的な闇をそのまま投影したような登場人物たちが、これまた現代社会における代表的な闇を体験していくような、

    面白すぎるアニメだった

    佐藤くんの性格

    佐藤くんの性格がとてもリアルだ

    ぱっと見アホで、たまにクズな一面も見せる

    すぐに嘘をつき、そのしわ寄せに苦しむ

    幻聴や幻覚に支配され、被害妄想に苦しむ

    そして、陰謀が自分を陥れていると妄想している

    精神病の症例のみで作り出されたようなキャラ設定だ

    そして、それをコメディー調に見せているこのアニメはとてもすごい

    ぼざろにも同じ魅力を感じて衝撃を受けた

    ぼざろのぼっちちゃんは、人づきあいが苦手な陰キャ特有の、すぐにテンパってしまう挙動をそのままコミカルに描くことで、これまでにない本物っぽさを見せている

    面と向かって面白いことは言わないけど、頭の中ではいつも面白い受け答えをして、一人で永遠に脳内でしゃべり続け、楽しんでいるような人間を、キャラクターにしたのがぼっちちゃんだ

    そして、この、N・H・Kにようこそ!の佐藤くんも、同じような雰囲気が感じられた

    いや、このアニメの場合は登場人物のほとんどがそんな感じだ

    岬ちゃんなどに関してはまたこの後書くが、

    この、妄想性障害や幻覚をそのままコメディーにしてしまうという豪快な切り口がボザロよりもずっと前に行われていたことが面白い

    ちなみにだが、

    僕がこのアニメについて共感するのには訳があり、

    大学時代。仲の良い友達がまさに、佐藤くんみたいな感じだった

    彼の場合はNHKによる陰謀ではなく、通信会社大手のNTTが自分を監視しているという妄想に取りつかれていたようで、

    確か、彼が病んでいたころ、僕と彼で学科の成績下位を独占していた頃、

    NTTドコモの社員兼教授みたいな人が講師をしている授業があった

    それを受けてから半年くらい。「俺はNTTに監視されている」みたいな良くわからないことをしきりに言っていた時期があった

    その後彼は僕と同じタイミングで留年し、別の大学に編入していった

    N・H・Kにようこそ!の佐藤くんを見ていると、たまに、編入していった彼のことを思い出す

    その人も、純粋ないい人で、親しみやすく、愛すべきアホみたいな感じだったが、

    たまに、ズルいことをする

    見え見えの嘘をつき、バレていないとでも思っているのかわからないが、指摘する理由もないので、僕はそれ以上追及はしない

    あとになってしわ寄せがきて、本人もつらくなっているのかもしれない

    勝手ながら、僕にもその気持ちはわかる

    小さな嘘をついた後は罪悪感を抱くし、その嘘を本当にするために過度に頑張りすぎて、体を壊す

    僕の場合は嘘をつくのが癖になっているというわけでもないので、そこまで大きな問題になってはいないが、

    佐藤くんのように、無意識のうちに嘘を嘘で固めてしまう人間もいるだろう

    そういう人には見覚えがあり、そこに妙なリアリティがあった

    今思えば、僕も、彼に対して、岬ちゃんみたいに、人を見下すのも手だというアドバイスをした気がする

    大学の食堂で、地方の実家に帰って同級生と自分を比べてみろ。東京の大学に行っているだけですごい奴だぞ。と言うアドバイスをしたのを覚えている。

    東京での水準で自分を測ってはいけないと、東京は全国の猛者たちが集うハイレベルな場所だからだと、

    つまり、遠回しに、他人を見下して自分を保て、というアドバイスをした

    それは、岬ちゃんが佐藤くんにしたアドバイスに似ている

    佐藤くんというキャラ、そして、僕がしたアドバイス。

    このアニメにここまで僕の人生と共通点が多いのはそれがやはり社会問題として世間一般に蔓延していることだからか?

    ストーリーが面白いという点でも、普通に楽しめるアニメだが、

    このアニメはそれ以上に、他のアニメにはない臨場感がある

    マルチ商法と恵の性格について

    マルチ商法にはまっている恵だが、これもまたリアルだ

    恵は兄に依存している

    依存しているため、食事を作り続け、マルチにはまってしまった

    委員長という、まじめで余裕のない性格がこれまたリアルだ

    兄を見捨てることができないという正義感がエスカレートし、最後、兄がいなくなった後、空虚な表情をしている

    あとは、恵がファミレスで勧誘をする様子も。やはりマルチ商法の手口を忠実に再現していると思った

    実は、恵に似たキャラクターも僕は知っている

    大学のころ、高校の同級生から数年ぶりに連絡が来たかと思ったら、マルチ商法の説明会の誘いだった

    僕は、社会に蔓延る闇を観察するため、行ってみることにした

    そこはやはり、ファミレスで、地下の喫煙室がマルチのグループに占拠されていて、異様な雰囲気だった……

    というのは置いといて、

    やはり、その同級生は恵のようなとても真面目な性格だった

    そして恐ろしいのが、その同級生は別に高校のころからガラリと変わったというわけでもなく、高校のころと同じような真面目な話し方で僕を勧誘しようとしているところだった

    これも、「N・H・Kにようこそ!」ではリアルに表現されていた

    アニメでは髪の色が変わってはいたが、

    恵は委員長と呼ばれているだけあって、クラスをまとめていた生徒だった

    ただ、佐藤くんの回想シーンでもある通り、その熱意は伝わらず、空回りからの暴走、ヒステリーを起こしているような感じだった

    マルチ商法に引っかかるのはそういう、まじめで素直な人なのかもしれない

    僕の高校の同級生はそうだった

    これも、このアニメを見ていて心当たりがあるくらいのリアルな展開の一つだ

    岬ちゃんについて

    岬ちゃんは幼少期からの複雑な家庭事情、父親からの暴力などがあり、ああいった性格のキャラクターになった

    手を上げられそうになると過度におびえたり、トラウマを抱えている

    その影響からか、人よりも優位に立ち、支配し、監視することで安心しているのかもしれない

    ただ、そうして保っている自分の平常心の裏に、罪悪感を抱えているのでは

    だから時折、自分のことをクズ人間だとか言って、落ち込んでいる

    自殺も、本当は死にたいのではなく、見てほしかったのでは?

    自分を見てほしいがために自殺をする

    本人にとって命というものにそこまでの価値を感じていたいので、死んで自分を見てくれるのであればそれはとても心地の良い事だったのかもしれない

    そういうことは当の本人もわかっていない

    嫌だから逃げる。というのが自殺の原因だが、その裏には、自分を見てほしい。自分に注目してほしい。という気持ちの表れだと思った

    音楽について

    OPのパズルは、ようつべで聴いたことがある曲だった

    NHKにようこそのアニメを見たきっかけも、この曲が聴いてみたかったからというのがある

    特に、「どこに行けばいいの、そんな顔してる君と」

    という歌詞は、このアニメにもマッチしているし、多くの人に共感される歌詞だと思った

    新しい環境に身を置こうとする人が次にどうすればよいのか弱弱しく周囲をうかがっているような情景が思い浮かぶ

    僕は、中学のころ、進学した学校での初日、教室に行けばいいのか体育館に行けばいいのかわからない自分を思い出し、懐かしい気持ちになった

    あとは、OP中の佐藤くんと岬ちゃんを繋ぐ水玉模様も、草間彌生のようなアプローチで、鬱や幻覚を表しているような気がした

    あと、EDは2曲あるが、そのうちのOP1、踊る赤ちゃん人間も、パンチの効いた曲でよかった

    人は生まれながらにして同じはずなのに、社会で生きていく中で不思議と優劣が決まり、落ちぶれていく

    その不条理を嘆きつつも、それに目を背けていつまでも庇護されたいという人間の欲望を赤ちゃんに例えて全力で歌っている

    この曲も、アニメの登場人物たちに重なるところがあり、とても良かった

    総じて言うと

    ストーリーで言うと、超絶面白いというわけでもなかったが、明らかに、その辺のアニメよりも断然に面白かった

    そして、同時に。社会の病みをここまで正面から描いているというアプローチ自体に感心する

    それは僕がそういう話題に敏感で、かつ、自分もナーバスなタイプの人間なので、勝手に共感しているだけかもしれないが、

    少なくとも、こうしてブログ記事にまとめたくなるほどには感動した

    作画に関しては、古き良きアニメ黎明期というような感じで、最近のアニメにはない、抽象的で憂鬱とした雰囲気が久しぶりに見れた気がした

    音楽も良く、OPEDもそうだが、アンビエント系の劇伴など、独特な雰囲気を持っているのが良かった

    このアニメの監督は山本祐介という人らしい

    ヤマノススメで、ものすごく大々的に監督の名前を出していたので、印象に残っている

    N・H・Kにようこそ!でも、だいぶ印象的に監督の名前を出していた

    個人的には、監督の名前はもう少しさりげなく出すものだと思う

    自分について

    このアニメに共感している自分はどこかで佐藤くんなどと自分を重ねているからかもしれない

    僕も、社会のレールの上を走りたくないという点においては、佐藤くんと同じだ

    僕の場合は3DCGでありがたいことにお仕事を頂けているが、

    実家に籠って生きているという点で、ぼくは踊る赤ちゃん人間みたいなものだと思った

    ほかにも、岬ちゃんのように、人よりも優位に立つことで自分を保ったり、自分を傷つけることで愛してもらおうとしたり

    山崎のように、敷かれたレールに抗おうとしたり、

    運よくうまく回っている僕だが、やはりいろいろと問題を抱えている

    僕は、あのアニメの登場人物として、違和感なく溶け込めるくらいの人間だと思う

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  • 作品作りにおいて大切なこと、潜在的な印象の操作。

    例えば、シャイニングのホテルの間取りには、現実的にはあり得ないものが含まれている

    あの作品はホラー映画の中で一番好きなだけでなく、全映画の中でもトップレベルに好きな映画だ

    最初から最後まで漂う不気味な感じはしょせんは画面の中の出来事だという絶対の安心さえも霞んでくるような不気味さがある

    その違和感の理由に、あり得ない間取りというのがある

    実際は壁にめり込んであり得ない場所にあるトイレや、

    壁の向こうには空間が無いはずなのにたくさん並んでいるドアなど、

    潜在的な違和感の積み重ねで、あの不気味な感じを演出している

    そんなの気づけるはずがない、言われないと気づかれないんだから意味ないよ!

    という考えもあるかもしれないが、それは違う

    というか、言われないでも気づける違和感は単なる作画崩壊や設定崩壊なので避けるべきだ

    大切なのは、言われないと気づかないレベルだけど言われれば確かに変だとなる破綻だ

    確実にそういった違和感は見る人の深層意識に働きかけ、奥深い体験を提供する

    ここで、自分の作品の話になってしまうが……、

    僕の初期の作品。まだフォトバッシュをやっていたころの作品で決まって心がけていたことがある

    それは、頭上に何かを映り込ませることだ

    陸橋や歩道橋、頭上にある建物など、決まって何かを少しだけ映り込ませるように配慮していた

    それをすることにより、これらの街の仰々しい感じを表現している

    画面に占める割合としてはそこまで大きいモチーフではないものの、上に少しだけ物体が映り込んでいるだけで、この空間への没入感が驚くほど変わってくる

    こういうことも、言われないと気づかない表現の一つだ

    ただ、それに気づかなくても、確実に見る人にとっては上に何かあるという、仰々しい空間にいるときと同じ感想を抱かせることができる

    そして、そういう見せ方は今でも行っている

    ↑の例は自主制作の例だ

    先ほどのフォトバッシュのように、直接的にものを映り込ませて上に何かある感を出すのではなく、影を落とすことによって何かある感を醸し出している

    たぶん、この画面を見た人は、何か巨大な塊のような街の中にいるような印象を得ると思う

    ロボが進む通りには巨大な影が落ちているが、それはつまり、この頭上に物があるということを示している

    ただ、この画面には頭上の物なんて映っていないし、影が落ちているというのも、言われない限りはわざわざ意識するようなものでもない

    それでも見る人は確かに、上に何かある感を感じ取ってくれる

    これが、潜在的な情報操作だ

    シャイニングの場合は、わざわざ図面で書き起こしてやっと気づくレベルの間取りの不調和が、言語化できない違和感となって積み重なっていく

    角を右に曲がって、右に曲がって、右に曲がって、右に曲がって……、

    とすると本当は最初の場所に戻ってくるはずなのに戻ってきていないだとか、

    そういう潜在的な違和感は見る人に不気味さとなって作用する

    ある種のデフォルメと同じなのかもしれない

    別に、ホラー映画じゃなくてもこのテクニックは使える

    空間を使ってそういうことを伝えるのは難しくはない

    現にこの記事で扱ったシャイニングの間取りや、僕の自主制作など、

    空間で考えるとわかりやすい

    が、もっと抽象的な、例えばキャラクターの破綻や、ストーリーの論理的な破綻も。潜在的な違和感やその逆の感情も生むかもしれない

    言われてみれば。みたいな共通項を、見る人全員に、誰にも言語化させることなく深層意識に植えつけることができるのが、理想的な演出なのだろう。

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  • 「月がきれい」を見た

    特段語るべき名作というわけでもなかったが、ただ、新しい試みや、展開に他のアニメにはないものを感じたので、備忘録として残す

    月がきれい_1
    ©2017「月がきれい」製作委員会

    当事者意識さえ芽生えるアニメ

    この作品はプレスコ方式らしい

    妙に声が生々しく、リアルだったので、何かしら理由はあると思っていた

    声もそうだが、この作品はなんだか、自分の深層まで伝わってくる感じがした

    アニメを見ていると、どんなに良い話でも、あくまで画面の向こう側の出来事だという安心感と他人事っぽさがあるが、

    このアニメは、まるで自分が当事者に感じられるくらいに、深層まで伝わってきた気がする

    見てるこっちまでテンションが上がってしまうようだった

    これを実現しているのは、現実的なキャラデザや、声のリアルさ、細かなニュアンスを伝える展開、撮影処理などがあるだろう

    セリフも、台本で文字になった文章というよりかは、文字には乗らない、吐息や微妙な相槌など、細かなニュアンスが多いようにも思えた

    展開について

    ↑までのことを考えると、とてもすごいアニメのようだが、展開については惜しいと思うところもあった

    特に序盤は展開が少なく、フリーレンやドラゴンボールくらいの密度しかない

    それはむしろ、ゆったり流れる中学生の日常のような、けだるさも含まれる印象を表現できているのかもしれない

    ただ、脚本が本当に上手な人が作れば、その細かなニュアンスに加え、手に汗握るような展開。先が気になる展開を盛り込めた気がした

    密度の薄いストーリーはそれはそれで、フリーレンのように味を生むこともある

    今回のアニメではむしろ、そのゆっくりさが一つの価値になり得ているので良いとは思う

    が、ここで展開を増やせば、もっとすごいアニメになった気もした

    3DCGについて

    モブが3DCGで行われるというのは、結構いろいろなアニメで行われていることだが、今回の作品は特に、その量が多い気がした

    良い見栄えのカットもある

    が、やはり。歩きのモーションはぎこちないし、影の輪郭も美しくない

    もう少し改善の余地がありそうなモデルだった

    登場人物について

    まず、キャラデザは良かった

    特に派手な髪色でもなく、目立った特徴のない感じは作品のリアリティを高めるのに一役買っている

    ただ、登場人物のチョイスについては若干謎な部分もあった。

    陸上部のリア充っぽい男の子は、主人公とヒロインを奪い合う感じになるのかと勝手に警戒していたが結局そこまで張り合う感じでもなかったし、

    主人公を好きになってしまった女の子も、そこまで大きな展開もなく終わってしまったし、

    僕はむしろ、そこで、余った者同士の関係性や、三角関係、ヒロインの奪い合い的な展開を期待していたのだが、そういう気配もほとんど無いような感じだった

    声の吐息や微妙なニュアンスは良い意味で中途半端だったが、キャラクターの持つ意味の少なさについては普通に中途半端だった気がした

    確かに、それによってこのアニメのはっきりしない抽象的なリアリティみたいなものが表現できているのかもしれない

    むしろ、カメラの中にすべてを収めてきれいにレイアウトせずに、多少はみ出したり、余白が見えていたり。そういうリアリティはあった

    狙って行ったのであればそれはとても高度な見せ方だと思う

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  • 「浅草キッド」を見た

    浅草キッドを見た

    PCが壊れていて本格的な作業ができないので、浅草キッドを見た

    北野監督映画が好きなのと、最近ネットフリックスに入ったということもあり、オリジナルコンテンツということで、前々から気になっていた作品だ

    全体的には楽しい作品で、もちろん、当時を生きていたわけではないが、なんとなくその当時の雰囲気が伝わってくるような作品だった

    カメラワーク、アングルについて

    この作品の監督は劇団ひとりだ

    僕は芸人としての劇団ひとりしか知らなかったが、映画を撮れるのはすごいと思った

    カメラアングルについてまず感じたのが、引きのカットが少ないことだ

    この作品の場合。演者にカメラが比較的近い近い印象が今でも残っている

    それにより、あのフランス座、浅草の下町の狭い感じをうまく表現している

    狭くて息苦しい感じを表現するのには良い手段だ

    ただ、それとは別に、カメラは動かしすぎだった気がする

    カメラをゆっくり動かして画面に動きをつけようとしているのかもしれない

    ドラマなんかはそうなのかもしれないが、お金かけて作る映画なので、カメラをゆっくり動かす以外の手法で見る人を飽きさせないカットを作る工夫をする必要があった気がした

    とはいえ、そもそも映画作りはとても難しい技術で、

    映画と呼べる映像を作れる時点で、才能は十分にある気がした

    やはり、分野によらず、一流の人間はコンテンツを咀嚼できる目があるのかもしれない

    最初、監督が誰だか知らないで見始めたが、

    見終わるまで、ドラマとかを普段撮っている監督の作品だと思っていた

    特殊メイクについて

    特殊メイク感はやはり少し気になってしまった

    映画冒頭や、終盤など、大事なシーンなので、そこで疑いの目があってしまってはいけない

    そもそも、そんな大事なシーンで、特殊メイクの技術に左右されるような作りにしてしまうのもどうなのかな、と思った

    むしろ、北野武に似せるのではなく、全く別の人にするだとか、もしくは本人が登場しても大丈夫なように構成を工夫するだとか、

    特殊メイクで解決しようというのは意外性が全くない手法なので、せっかく多くの人員を割いて映像を作れるのだから、もっと工夫があったほうが良い気がした

    あとは、若かりし頃のたけしさんを演じる役者さんが、面影のあまりない役者さんだったのが良かった

    観客が見たいのは、北野武の昔の話であって、若かりし頃の北野武そっくりさんではない

    作り物である以上その再現度には限界があるので、作り物であるということを認めた構成にすべきだ

    その点、北野武に寄せた役者になっていないところは良かったと思う

    ただ、顔が引きつったような演技がたまにあったが、

    実のところ、あれはバイク事故による後遺症ではないか?

    時系列的に、バイク事故に遭う前から引きつっているのはおかしくはないのか

    最後、タクシーに乗る場面のセリフ

    タクシーに乗る際、お釣りを返して。みたいなセリフがあったが、

    あれはもっとサラッと流す、あるいはあのセリフは無しのほうが良かった

    あれのせいで死亡フラグが立ってしまったのがバレバレだ

    弟子をタクシーに乗せ、そのセリフを言い、酔ったまま家に帰る

    その後死んでしまいそうなオーラが漂いまくっていた

    その後の展開への布石を敷くのは良いが、もっとサラッと言い、告別式でそういえばそんなこと言ってたな、くらいに思い返されるのが最も効果的な気がした

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  • 「ピンポン」を見た

    アニメ、ピンポンを見た

    ユニークな絵柄で見る人を選びそうな感じはあるが、

    個人的には、あの抽象的で揺らぎのある線は好きだったし、卓球というものを表現するための線としてはよくマッチしていて、好きだった。

    漫画風の見せ方

    コマ割り風のレイアウトをアニメで行っている

    その試みはとても良いと思った

    かつて手塚治虫が言っていた、”動く漫画”というアニメの表現から一周回ってたどり着いた境地だ

    表現として漫画に回帰してきた感があった

    こういう見せ方は細かな演出としては昔からやられてきたが、こうやって大々的に世界観として使っている例は思い浮かばない

    そして、その表現のための原作として、ピンポンという漫画をチョイスしたのも良かった

    僕は原作を読んでいないのであまり深いことは言えないが、

    卓球という、動きの激しいスポーツを正直にアニメーションにするのはだいぶ厳しい

    どこかで割り切らないと、ああいったスポーツものは安っぽくなる

    手段としては、3Dでやるか、大胆にデフォルメするか、などの選択肢があると思う

    この、ピンポンは、大胆にデフォルメすることで、アニメという制限のある表現媒体で、卓球をちゃんと描くことに成功している

    作画コストも、とても高くなっているというわけでもなさそうだし、

    漫画風の見せ方をすることで原作の世界観を守っているというのもすごいし、

    同時に、作画コスト的な面でも理にかなっているというのが、うまいな、と思った

    茶化す通行人

    途中、青春っぽいせりふを茶化す通行人が現れるが、

    あの感じはとても良いと思った

    原作でもある表現のようだが、

    あれがあることによって、物語にリアリティが増してくる

    青春は物語の中の話で、実際の現実世界とは分け隔てられたモノだというのは、アニメを見る前から刷り込まれていることだと思うが、

    それを壊すために、青春ではない人たちからのヤジを入れ、青春の外側もこの物語にはあるんだよ。ということを、見る人の深層意識に上書きしている

    これによって、ピンポンに出てくる登場人物たちの展開が、普通の日常の中の一幕だという感じを演出している

    世の中に赤しかなかったら、それは赤ではなく単なる明度になる

    というのは僕の格言の一つだが、

    何かを表現するためにはその何か以外の何かを画面に入れないといけない

    静かな場所を表現したいのであれば無音ではなく、わずかな風音などを入れる必要があるように、

    青春を描きたいのであれば、青春以外のものを描く必要があるわけだ

    その点、主人公たちの青春にヤジを飛ばすあの展開は良いと思った

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  • オッペンハイマーを見た

    少し前に話題になった映画、オッペンハイマーを見た

    原爆という題材なのでそもそも日本人が良い気持ちで見れるものではないというのはそうなのだが、

    それを踏まえても、なんだか、エンタメ題材の一つとされている感じはあった

    とは言ったものの、実際の事件をもとに映画を作るなんてこと、太古の昔から行われてきたことなので、今更どうこう言うべきでもないのかもしれない

    タイタニックだってそうだ

    あの映画は僕も大好きだが、実際に人が大勢亡くなった事故をもとにしているのだから、オッペンハイマーを見た日本人みたいな気持ちになる人はいるのだろう

    ここではあえて、嫌な気持ちというのを赤裸々に語るが、

    同時に、エンタメが売れる時代である以上、すべての人間に配慮した映画なんてものは存在しないので、僕が言うことはナンセンスだというのも自覚している

    戦争映画ではない

    そもそも戦争映画として見ようとしている時点で変かもしれないが、

    僕がここで思い出したのは、炎628という映画だ

    あの映画はナチスによるソ連の村々への虐殺の様子を描いた作品だが、

    映画の終盤に挟まれる実際の戦争の様子、音声、

    そこで知る、敵であるヒトラーの幼少期まで描いている

    あれはソ連の映画なので、被害者側が制作した映画だ

    被害者が作る戦争映画は基本的に本物だ

    僕は別に、大量の映画を見た人間というわけでもないので、炎628しか例に出せないが、

    なんとなく、世の戦争映画は被害者側が制作した物が名作となるケースが多い気配がする

    そう考えると、オッペンハイマーは被害者側の映画ではなく、どちらかというと加害者側の映画だ

    だから、当事者としての映像に込めた思想がない

    どうしても、書かされた反省文みたいになってしまう

    仮に、いくら見せ方が上手でも、どこかで映画にかける思想が無いのではと疑ってしまう

    そう考えると、オッペンハイマーで広島長崎の被害だとかを取り上げるのは間違っている

    それらを変に取り上げても、中途半端な戦争映画の出来損ないにもならないので、そうしなかったのだろう

    世界観として、この映画は原爆を描いたものではなく、オッペンハイマーを描いたものだ

    中途半端な戦争映画にならなかったのは良いとは思うが、エンタメ映画になってしまっているという点で、やはり手放しで喜べる映画ではないと思った

    エンタメ映画として

    エンタメ映画と言っているが、そこまでエンタメ映画でもない気がする

    アラビアのロレンス的みたいな伝記映画だが、アラビアのロレンスほどのアクションもないし、背景の映像美もない

    伝記という大枠に、人間ドラマで物語としてまとめた感じの作りだ

    おそらく、すべて理解できていれば楽しめるものなのだろう

    実際、後半の、仕組まれた簡易裁判みたいな展開は見ていて楽しかった

    英語でのスピーディーな展開なので、あまり理解できなかったし、そもそも人の名前を覚えるのも大変なので結構置いてけぼりにされた

    が、後半の雰囲気はなんとなくだがハラハラドキドキで楽しかった

    たぶん、オッペンハイマーという人物は、太平洋戦争をアメリカ側から学んでいるアメリカ人にとっては、親しみや知識のある人物なのだろう

    そう考えると、オッペンハイマーという、教科書にも載っているような人物の伝記映画としては、アメリカ人から見たら楽しめるものだったのかな、とも思った

    題材としてはやはり、アクションが無かったり、派手なシーンが無かったり、若干単調になりがちなものではあるとは思うが、

    ただ、トリニティ実験の緊迫感などは映画向きのエピソードだと思った

    そういうハラハラドキドキの仕掛けは用意しようと思えばもっと脚色してでも用意できただろう

    が、それをしなかったのはやはり、原爆というセンセーショナルな話題だからなのだろうか

    題材として難しいところはありつつも、見ていて楽しめる映画になっていたという点では、やはりノーラン監督の実力なのかなとも思った

    音が大きい

    音で驚かすのは良くないと思った

    トリニティ実験後の爆発音も、爆発した瞬間にほぼ無音になるという展開は良い

    が、それがしばらく続いた後、いきなり爆発音みたいなのを鳴らすのは心臓に悪い

    これは単なる僕のわがまま文句でしかないのだが、

    例えば、爆発後の無音の中、砂漠にできた水たまりに伝う衝撃波が徐々に登場人物たちの元に近づいてきて、爆発音がする。

    といったような、観客への配慮もある演出にした方が良い気がした

    音を視覚化したほうが、徐々に近づいてくる爆音の不気味さを引き立たせるし、

    雨上がりという状況も印象付けられるし、

    爆発で不気味なのは、迫りくる爆音だ

    衝撃波、来ます! みたいな感じだ

    それを演出するという意味でも、徐々に迫りくる音を画面で伝え、見る人に準備させてから爆音を聴かせるというような風にした方が良かった気がする

    ほかにも、どんどん音が大きくなってから、いきなり静かになる。というような、わかりやすい演出が目立った

    音の大小は大事だが、個人的には、心臓に悪いものはお客さんに出すべきではないと思っている

    いくらおいしくても、体に悪い料理を出しているようでは定食屋失格だと思うのと同じように、

    見る人への刺激を抑えつつ、ハラハラドキドキさせるのが監督の腕の見せ所なのでは、と思った

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  • 新世紀エヴァンゲリオン(テレビ版)

    先日、セーラームーンを見たので、それ繋がりでエヴァを見ている

    テレビ版の方だ

    だいぶ前に一回見たきりだったが、先日、ようやくネットフリックスを契約したので、見ている

    印象的な画面

    印象的な画面は個人的な好みだ

    例えば、序盤にケンスケがキャンプしているすすきの草原

    すすきの茎の部分は黒ベタで、穂の部分は白塗りだった

    2色で強烈なインパクトのある画面に仕上げている

    何かを真っ黒にしてシルエットっぽく見せるというのは割とある表現だが、それを上回る、大胆にデフォルメされた画面だ

    全体的に、雰囲気を上手く伝える背景が多い

    病院の重苦しい感じもとてもよく伝わってくるし、

    それが現実的なだけでなく、第三新東京市という、独特な世界観を見る人に伝えてくる

    環境音について

    例えば、病院にいるときにわずかに聞こえてくるニュース(ラジオ体操?)の音など、

    日本人なら誰もが体験したことのある、懐かしい雰囲気を引用し、あたかもその場にいるような感覚を引き起こす

    良い背景とはその場の匂いまで感じるものだと僕は考えているが、エヴァの場合は環境音でアプローチしてきている

    京アニなども環境音や撮影処理などで臨場感のある風景を作り出しているが、

    エヴァの場合。この世にないものまで表現しているという点で、やはりすごいと思った。

    肉が嫌い。などの細かい設定について

    綾波レイが肉が嫌いというのは、なんとなく頷ける設定だと思った

    全体的に、そういう設定が多い。

    エントリープラグの中は血の匂いがするだとか、

    具体的に説明しなくても何となく伝わるキャラ設定というのはそういう設定がしっかりしている証拠な気がした

    お父さんのために自分は頑張っているんだと、ラーメン屋の屋台の中で言葉にしたシンジだが、

    そういうシンジはミサトから進路相談のことを仕事だと言われたときに、しょんぼりしていた

    そういう細かい演技は、碇シンジが親の愛に憧れているというキャラ設定から自然に出てくるものだろう

    設定さえしっかりしていれば方向性も、ディテールも出てくる

    それを面白くするためにハプニングを起こすのが脚本家のすべきことだ

    17話まで見た。他人の中にいる自分が怖い碇シンジ

    他人の中にはいくつも自分がいる

    そして、自分の中にも、それを見ている自分がいる

    碇シンジは他人の中にいる自分が怖い

    自分がどうみられているのか、わからないから怖い

    自分に自信を持てない

    だから人のことをうかがうようにして生きている

    そして、自分の中にもそれを見ている自分がいる

    これは、他人の中にいる自分と、他人の中にいる他人。という関係を自分に置き換えて考えた結果。自分の中にももう一人の自分がいるということなのだろうか、

    だとしたら、一人目の自分が主観的で、もう一人の自分が客観的だ

    主観的な自分はわかる。多くの人が想像する自分だろう

    では、客観的な自分とは何だろうか

    それは、本音と建て前の関係とも似ているのではないか、

    自分の理想、やりたことを正直に考えているのが客観的な自分だ

    それに対し、周囲との関係を踏まえたうえでブレーキをかけた後の、実際の自分は主観的な自分だ

    それを、客観的な自分はいつも、文句を言いながら見ている

    その文句が伝わらないと悟るのが諦めで、大人になるということなのか

    この作品は随所で、わりと、心の中の実況中継みたいなことを挟む

    後半に連れてそれが増えてくる気がする

    抽象的な世界観に磨きがかかっている感じがして個人的には好きだが、

    実際のところは、単にスケジュールが消えていった結果の不可避な演出なのかもしれない

    25話26話を見た

    スケジュールの破綻で他に類を見ないほど抽象的な構成だが、エヴァという世界観もあり、個人的にはこの雰囲気も悪くないと思う。

    ちなみに、まだ「まごころを君に」を見ていないので、まだ僕の中で抽象的な感じだ

    この抽象的な感じは、庵野監督が碇シンジと対話しているときの会話そのままな気がする

    僕がやっている、ブログでの自問自答みたいな感じだ

    碇シンジもそうだが、この作品の登場人物は庵野自身だ

    エヴァに乗るということを要求されるシンジは、アニメを作ることを要求されている庵野自身だ

    プロフェッショナルの最後のインタビューで、庵野は、自分にできるのはこれくらいしかない。みたいなことを言っていたが、

    その心をそのままあの世界観に投影したのが碇シンジだと思った

    エヴァを制作していた当時はなおさら、その気持ちだったのだろう

    真相は定かではないが、当時のアニメキャラに一方的な萌え感情を抱くオタクに対して、庵野監督が嫌悪感を抱いていたという情報もある

    実際、このアニメを作った後、庵野監督は病み、自殺も考えていたようだ

    その原因になったのが、2ちゃんの書き込み。庵野監督からみたオタクたちの誹謗中傷だというのもプロフェッショナルでやっていた

    そんなオタクに仕返しするために、アスカをひどい目に合わせたり、主人公であるシンジをレイともアスカともくっつけなかったり、

    そういう気持ちでアニメを作っていたようだ

    もはや庵野監督は25話、26話で、エヴァンゲリオンという世界観に自分の意見を成形することを放棄している

    時間的にも精神的にも、成形する力が残されていなかったのではないだろうか

    だから、自問自答みたいな感じの最終話になった

    監督が自分の言いたいことに世界観を与えて物語にして映像化にするものだとしたら、碇シンジは庵野自身だ

    そして最終話付近で、事情もあり、映像化することができなくなった

    アニメ監督としてのプライド、視聴者からの期待。それに応えることのできなかったが故のオタクからの誹謗中傷。

    それが理由で庵野監督は病んだ

    そして、肝心の内容についてだが、

    個人的な解釈になってしまうが、あの最終話は共感できる部分が多かった

    勝手ながら、SNSや家族から期待され、狂ったように作品を作る僕に似ている部分があったからだ

    今も指が痛いが、こうして文章を打ち込むことをやめられない僕は、自分という存在意義を他人に求めているため、その存在意義を強固にできる作品作りをできるという満足感のために仕事をし、文章を書いている

    僕の場合は親だ

    だから親離れできていない

    親が自分を求めてくれる状況が心地よくて、今もこうして実家に籠っている

    自分の生きる意味を自分以外の誰かに求める。それは間違っていない

    ただ、その求める先が不安定ならば、自分も不安定になる

    なんとなく、エヴァや碇ゲンドウは安定してはいないと思う

    物語のストーリー上、その2つは破綻するので、シンジ自体も破綻に進んだのだろう

    ただ、それを言語化し、自分の価値を決めるのはエヴァでもゲンドウでも他人でもないことに気づいた

    それがクライマックスになったのかもしれない

    こういう、自問自答的な最終話になっているのは、実際のところ、人類補完計画が遂行されたためだ

    人類補完計画が行われると、ATフィールドが消え、自分と他人との境界がなくなる

    その状態を、抽象的な世界ととらえ、碇シンジの本音が自問自答するような最終話になったのではないだろうか

    抽象的ならば描く量も少なくて済むだろうし

    「まごころを、君に」まで見た。ATフィールドと人類補完計画。

    旧テレビ版系列の最後、まごころを君にまで見た

    人類補完計画が遂行されるが、その後、シンジによってまたATフィールドのある世界が選択された

    それは、主人公シンジの成長物語ということで、ハッピーエンドと呼べるかもしれないが、ビジュアルはハッピーエンドからは程遠い

    なんとなく、庵野監督はカウンターカルチャー的なものが好きなタイプな気がしてならない

    自分の欲望を抑圧され続けた結果、碇シンジのようなキャラが登場する物語ができた

    それと同時に、碇シンジのような、おかしくなった自分を見てほしいというような世界観もできた

    ラストのシーンは、半分に割れたレイの顔と、真っ赤な海。十字架にはりつけにされて硬直したエヴァシリーズが2体。それを望む砂浜に寝ているシンジとアスカ。

    あの場面で画面内に収めるモチーフとしてそれをチョイスしてくる間隔が碇シンジっぽくて面白かった

    というのは良いとして、

    碇シンジはあのクライマックスで成長したと思う

    ATフィールドというのは、自と他の境界だ

    これに関しては、僕も自と他の概念が人間の構成として重要だと思っていて、

    それにのっとって自主制作アニメーションを作ってしまうくらいの考え様だ

    なので、僕が勝手に自分と他人の境界と言っているだけかもしれないが、

    とにかく。ATフィールドは自分と他人の境界だと思った

    他人がいるから自分は傷つく

    比較したときのみ傷つくので、比較対象がいなければ傷つかない

    自分と他人というのがエヴァンゲリオンのテーマだと思う

    その2つが溶けあい、ただ生きているという事実だけが情報として存在するだけの世界に行くのが人類補完計画だ

    ただ、碇シンジはそれを選択せず、自分と他人とが存在する世界を選んだ

    そこがシンジの成長だ

    正直、ここでなぜシンジが成長したのかはよくわからなかったし、少なくともわかりづらいという点で、この映画は大衆向けではない

    エヴァのテレビ版序盤のように、何かが起きて何か結果が生まれる。というような因果関係があればエンタメ作品として一般受けするものになったのだろうが、

    もはや庵野秀明とエヴァンゲリオンというネームバリューがあるので、好き勝手出来たのだろう

    まるで、劇場版でヒロインが車に変身する革命少女ウテナのように

    セーラームーンとのつながりについて

    革命少女ウテナといえば、セーラームーンだ

    僕は最近、セーラームーンを見ていて、結構楽しく見ている

    そんなセーラームーンはエヴァとつながりがあるようで、

    ミサトの声優はうさぎと同じだし、

    そもそも、ミサトの前髪のデザインはうさぎをモチーフにしたようだ

    綾波レイや、白き月、黒き月など、月モチーフがエヴァにも出てくる

    カヲルのモデルは幾原監督だ

    そういう繋がりで、エヴァを今回。見てみたという次第だ、

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  • 「美少女戦士セーラームーン」を見た

    美少女戦士セーラームーン_1
    ©武内直子・PNP・東映アニメーション

    言わずとも知れた90年代を代表するアニメだと思う

    今に至るまで見たことが無かったので見てみたが、とても良かった

    色味

    色遣いがとても良かった

    最近ブームのシティーポップの代表格のような色合いだ

    ©武内直子・PNP・東映アニメーション

    紫とピンク、オレンジのような、鮮やかな色彩が特徴的だった

    夕暮れの街を青一色で表現したり、

    そういう大胆な色遣いは印象派の絵のようできれいだった

    アニメは印象を誇張し、それ以外を省略した表現が美しい

    セーラームーンの背景も、そういう印象的な画面がとてもきれいだった

    それでいて、キャラクターと背景が馴染んでいる

    写実的に解釈するのであれば、青い場所にキャラクターがいると、環境光である青でキャラクターの色を調整しないとおかしい見た目になる

    ただ、セーラームーン含め、一部のアニメは背景の色味とキャラの色味を完全に切り分けて考えている気がする

    絵のデフォルメが効いているので、違和感なく溶け込んでいるのだろうか

    ©バードスタジオ/集英社・東映アニメーション

    そういう考え方は特に昔のアニメの特徴の一つかもしれない

    今、ドラゴンボールZを見ているが、

    ドラゴンボールでも、環境光がキャラクターに影響していない

    これにより、絵本のような、良い意味で作りものっぽくなっている

    そもそも、アニメというのは漫画家の手塚治虫が初期にいたから広まった

    最初はアニメは漫画を動かしたものだったので、出発点は絵だ

    それが徐々に、表現を追求するうちに、実写の要素を取り込んでキャラに環境光が影響するようになっていったということなのだろうか

    ストーリー、主に最終回について(ネタバレあり)

    終盤に至るまで、キャピキャピした感じの楽しい感じのアニメだったが、

    第45話と最終回の容赦のなさはすごかった

    エルフェンリートなどと比べると、描写もマイルドだが、

    ただ、これはゴールデンタイムの女児向けアニメだ

    しかも、ここに至るまで44話。平和な楽しい感じのストーリーだった

    それが、終盤2話で登場人物のほとんどが死ぬ

    その死に方も、変に隠して見せるので、余計に不気味さが増した

    氷の穴の中に引き込まれたセーラー戦士。

    次の瞬間、戦士の悲鳴とともに、穴の中が激しく点滅する

    その次に映し出される画面いっぱいの溶岩のような映像、

    確かに、作品の枠的に直接的な描写ができないのはそうだが、

    隠した分、余計に残酷な感じになった

    これは、セーラームーンという少女漫画フォーマットで安心して見ていた視聴者の予想に反することだ

    だから余計、この最終回は伝説になったのだろう

    お話的には、最後、みんな奇跡で生き返るが記憶は失っているという、辛うじてバッドエンドは避けられたという感じになっている

    なので、制作側から見たら、ここで死んでも元に戻るという安定感から、戦士たちが死んでいくという展開になったのだろうが、

    初見の視聴者はそういう結末を知らないし、

    なんだかんだで正義は勝つ。アニメのヒロインたちは死なない。という固定観念があるだろうから、それを裏切られた時のショックは相当なものだったと思う

    信じる人VS叶わなかった人

    恋をしたり、大切な人がいる子供たちVS何かに裏切られた大人

    というような構図が見えてくる気がした

    特に、セーラームーンとメタリアは衛の恋敵という関係で、得た人、得られなかった人という構図で戦っているし、

    最後の決戦時、メタリアとセーラー戦士たちとの会話は、メタリアがなぜ希望を持つのか、なぜ信じるのか、というような問いをしていた気がする。

    セーラー戦士は全員、何かしら打ち込んでいるものがあるようなキャラクターだ

    それがなんであろうと、自分らしくいようとする姿と、それを否定するメタリア

    全体的に、見る人に勇気を持たせるような作りだった

    だからこそキャラに共感しやすいかったし、そんなキャラが死んでしまうという展開もショッキングに感じたのかもしれない

    OPについて

    OPはとてもかっこいい

    特に、OP1が好きだ

    ムーンライト伝説という楽曲自体が良いというのもそうだし、

    映像で少女漫画っぽい、メルヘンでおとぎ話のような、不思議な感じを醸し出しているのはすごかった

    最終回まで見れば、あのメルヘンな建物は月の建物なんだな、というのがなんとなくわかる

    ほかにも、3人が並んで歩く様子を3つのワイプで仕切っているというのもかっこいいし、

    それが移り変わるとき、順に黒いフレームを挟んで移り変わる。というような、細かい演出も凝っていた

    そのあと、3人のセーラー戦士が登場した順に階段から下ってくる

    うさぎの背後には三日月が見える

    そういう細かい演出意図と、その結果出てきた画面の少女漫画っぽさ、

    いくに監督っぽさも感じられる。

    少女革命ウテナにはここから繋がっていくんだな、と思った

    タイトルコール

    毎回、タイトルコールが出されるが、そこの音楽、映像もカッコよかった

    三日月はシルエットがかっこいい

    そのシルエットを象徴的に出しつつ、アップテンポになっていく音楽とともにタイトルを出す

    タイトルコールの前、うさぎが自己紹介的なことを話す時間があるが、

    そこからのつながりも含め、本編での雰囲気づくりという点においてとてもよく働いているなと思った

    うさぎのキャラクター

    僕が普段見るアニメは基本的に深夜アニメが主なので、夕方枠のアニメのキャラクターには慣れていない

    だから感じることなのかもしれないが、うさぎのキャラクターは最近のアニメには見られない設定な気がした

    お転婆で明るい女の子という点では今も昔も設定としてはあるが、

    ただ、それを表現する絵柄が最近のアニメでは、写実的になりつつある

    昔のアニメはまだ漫画の影響を濃く受けていた気がするので、お転婆で明るい女の子をデフォルメの効いた絵で表現して生まれる独特なキャラクターの印象というのは、今のアニメキャラではなかなかいない

    うさぎは14歳。中学生という設定だが、そういう設定に説得力があった

    最近のアニメは、中学生キャラは中学生に見えないし、高校生キャラはおっさんに見えたりもする

    子供らしさを表現する技法が少なくなっているのでは?

    絵柄も撮影技法もすべて写実的に近づいているので、子供らしさを表現するのも難しくなっている気がするし、見る人の解釈の余地が狭まっている気がする

    最近、昔のアニメにあった抽象的な表現がうらやましく思う

    脚本的にも、抽象的な絵柄というのはやりやすいし、良い物語になりやすい気がしている

    例えば、このアニメのように、猫がしゃべるなんて、リアルな絵柄でやってしまったら不気味になってしまうだろう

    セーラームーンでは、猫は口パクなので、不気味さは感じないし、表情もデフォルメされているので、ぬいぐるみの一種のような認識で見ることができる

    おとぎ話のような抽象的な物語というのは、見る人に解釈の余地を生むので、結果として良いものになる気がする

    その点、現代のアニメは表現が具体的過ぎるので、脚本の抽象性も出すのが難しくなっているのでは、

    話をセーラームーンに戻すと、

    うさぎのキャラクターのお転婆な感じは、昔の抽象的な世界観の残る時代のアニメならではな気がした

    中学生という設定がしっくりくる

    泣き虫、お転婆、元気、おっちょこちょい

    そういううさぎのキャラクターと、抽象的な世界観というのが、上手く合致している

    まとめ

    セーラームーンはシリーズもので、ほかにも作品がある

    まだ初見で見ただけでは理解できていない部分も多々あると感じている

    引き続き見てみて、セーラームーンを理解したい

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  • アニメーション映画「Flow」の試写会に行ってきました

    先日、Flowのマスコミ向け試写に行ってきました。

    キャラと背景の溶け込み

    僕はやはり3DCGアーティストなので、最初から最後まで映像表現に注目して見ていた。

    Flowのルックは背景が写実的だが、キャラがトゥーン調寄りだ。

    背景とキャラのルックが違うのは、日本のアニメのような印象を受けた。

    アニメの場合はそもそもアナログ背景とセル作画という、別物を撮影しているというのもあり、そうならざるを得なかったという感じだったが、

    結果として、今日のような、デフォルメの効いたキャラと情報量の多い背景を同じ画面にまとめることができている。

    そして、このFlowに関しても、図らずもという感じではあるが、そういう構成になっていた、

    背景は写実的で情報量の多いルックになっていて、逆に、キャラクターはトゥーン調のデフォルメが効いたルックになっている。

    両者は何も考えなしに同じシーンに配置すると、とってつけたような感じになってしまうが、

    この作品では、色味の調整やデフォルメ具合の感覚が良いからか、違和感は全くない状態で背景とキャラが溶け込んでいた。

    これもeeveeだからこそできる業なのかもしれない。

    全体的な色味についても、やはりeeveeの感じがあり、ゲームのような印象を持つタイミングもいくつかあった。

    それはある種のデフォルメ表現として、この作品の世界観を作り出していた気がする。

    水の表現

    個人的に一番印象に残っているのが、水の表現だ、

    blenderは水や流体シミュレーションが苦手だという認識がある。

    この作品においても、水の粒子感はやはり気になった、

    ただ、それ以外の、船が進んだ時に起こる波や、水面の反射などはとてもきれいに映った。

    この作品は水没した世界が舞台の作品だ。

    なので、現実にある砂浜のように、長い間海岸線がそこにあったような景色ではない。

    草木がいきなり水没していたり、木の上部だけが水面から出ていたり

    というような、非現実的な景色が面白い舞台設定だ。

    そういう水面の反射は、印象的に映るように調整されているからなのか、鏡のようにきれいだった。

    ここで変に写実的にしてしまったら、ここまでの透き通った感じは出ていなかったと思う

    反射を省略しているのはeeveeの弱いところでもあるが、この作品においてはむしろ、キラキラしたプリミティブな反射が水を印象的に見せていたので、良いと思った。

    キャラのデフォルメについて

    主人公の猫の目の表現がとても良かった、

    猫というのは、茶目に当たる部分に色がついている。

    なので本来は黒目が変形し、その周りに茶目があり、その外側に白目があるはずだ

    ただ、Flowの場合は、白目を全く作っていないようだった。

    白目が見えてしまうとリアルになりすぎるので、ない状態で作ったのだろう。

    こういう漫画的な解釈にセンスを感じた。

    ストーリーについて

    一見すると冒険活劇のようで、実は裏に何か伝えたいメッセージがあるような気がした。

    クライマックスも、少し含みのあるような終わり方だった。

    一度助けてくれた存在が最後ああいった終わり方になるのは寂しい、

    そういう結末を、波が立つ水たまりが静まっていくという見せ方で暗示していた。

    あとは、中盤にも見せ場のポイントがあったり。この作品にはいくつかの不思議なポイントがあるが、それらは具体的に表現したいものがないと生まれないものだ。

    一回見ただけではわからないことも多くあるのだろう。

    高いところで安心する猫、キラキラした物を集める猿、

    背景の構造物も、何かをモチーフにしているようなものがいくつか登場していた。

    カメラワークについて

    カットを区切らず、一つのカットで複数のアングルを見せている。

    この見せ方はこの監督の作家性だと思った。

    猫が犬から逃げるシーンは迫力満点だったし、洪水が迫ってくる場面の不気味さもすごかった。

    まるで、ゼログラビティの冒頭のような感じだ。

    長回しのカットにより、他の作品のような漫画アニメの雰囲気ではなく、何かのドキュメンタリーのような、ノンフィクションのような、どこかの世界を切り取っているような印象に仕上がっていた。

    カットをつなげて見せる映像はこれまでもたくさん作られていたが、そういうものはどちらかというと、物語を伝えるための映像。というような立ち位置だ

    ただ、この作品のカメラワークはそうではなく、3DCG空間上で起こったことを実況中継している。それを繋げている。というような印象だった。

    この見せ方が、独特な雰囲気を生んでいるのかもしれない。

    一点惜しかったのが、カメラが動き回るので、結構画面に酔ってしまうところだった。

    上映時間も80分以上と、短くはないので、画面酔いを誘発するかもしれない、

    ここ最近、家でアニメばっかり見ていた僕なので、少し酔った。

    まとめ

    blenderで作られた商業作品ということで、新たな可能性を感じる作品だった。

    環境音や3DCGのルックも相まって、作中の空気感を強く感じられる映画になっていた。

    まだ、一回見ただけではわからない部分も多々ある。

    公開後、見返すなり、他の人の感想を聞くなり、いろいろ考察してみたい。

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  • 王立宇宙軍 オネアミスの翼

    王立宇宙軍 オネアミスの翼_1
    ©BANDAI VISUAL/GAINAX

    以前見たことある映画だが、Dアニメに復活していたので見てみた。

    世界観について

    世界観はとにかくすごかった

    凄すぎて逆に集中できなかったくらいだ

    葬式の様子や、街のデザイン、プロダクトのデザイン、文化など、

    隅々までデザインされている

    途方もない作業量が必要になるな、と思った

    それでいて、ちゃんと現実感のある画面になっているのが凄い

    今、地球上にある文化や意匠をしっかりと観察し、解釈した人でないとできないデザインだ

    この作品のデザインは一人でやっているものではないらしい

    異世界をちゃんと描くために、デザインも複数人で行い、宮崎駿のような、一人ですべてをデザインする。という結果になることを避けているようだ

    個人的にはその手法については、理にかなっているとは思いつつも、それに関して統一をする専用の監督を立てるくらいのことをしないと、本物の異世界というものはできないと思っている

    世界にあるデザインというのは完全に独立して存在しているのではなく、ある程度の系譜を踏んで発展しているものだ

    それを完全に再現するには、その系譜を定義する世界観のデザイナーが必要だと思う

    僕がこの映画の世界観デザインを見ていて思ったのが、その系譜にあたる気配が無かったことだ

    いや、それを察知したというよりかは、本物のファンタジーというのは世界の系譜が必要になるので、果たしてそれを制御する人間をスタッフに立ててこの映画の文化は作られているのかな、という点が気になった

    実際、各々のプロダクトデザインは素晴らしいもので、飛行機やロケットのデザインなどはある種のスチームパンクっぽさも含んだ、唯一無二のデザインになっていたと思う

    ただ、細かいところを見ると、やはり、デザイナーの個性というか、そういう人の気配がしてしまう気がした

    例えば、船が出航するとき、板を叩く風趣があったが、その板が角ばった質素なものだったのは気になった

    切符や、テーブルゲームのカードが装飾されているような文化なのに、あんな無機質な板をあそこにぶら下げるものなのかな、と感じた

    なんとなく、あの世界の人間の感性だったら、あの板も角を取ったり模様を描いたりする気がした

    そしてその模様が剥げていたり。そういうディテールがあったらほかの文化にも違和感なく溶け込んでいた気がする

    個人的には、やはり、異世界を描くなら複数のデザイナーが集まって作るのではなく、宮崎駿のような中心人物を据えて、世界観監督のような形で制御して作ったほうが良い気がした

    ロケットというモチーフ

    ロケットというモチーフは当時20代前半だったスタッフたちの若さの象徴な気がした

    自分たちの境遇を作品の一本の柱としてとらえて、そこにキャラクターをつける作り方だ

    あとは、ロケットや飛行機など、当時の制作スタッフたちの好きそうなものが目白押しだった

    爆発のシーンや、ドッグファイトのシーンも、明らかに飛行機や爆発が好きな人が書いているんだろうなという感じだ

    爆発のシーンや氷のシーンは庵野秀明が作画している

    ロケット打ち上げ時の氷のシーンは伝説的で、今でも話題が絶えないものだが、

    ああいった細かな仕事ができるのも庵野秀明の凄いところだし、そういうのが好きじゃないとできないんだなとも思った

    氷が等速で落ちているのが良い

    それも、氷をたくさん描いたセルを何枚か重ねて違う速さで引くという、ありがちな方法ではなく、一枚一枚手描きで描いている

    あれによってあの場面がしっかり見せ場になっている

    氷が回転し、等速でゆっくり落ちていく様子と、勢いよく噴き出す炎のスピード感のコントラストが美しい

    印象的で、物語の見せ場にも慣れるような、かっこいいシーンだった

    キャラクターの顔

    キャラクターの顔が日本人っぽいのも個人的には好きだ

    あとは、AKIRAのような写実的な顔立ちも良い

    ただ、だからこそ大衆受けしなかったというのもあるのだろう

    そもそも物語の構造的にも、感情曲線の上下がわかりにくいという点で、エンタメ映画にはなっていない

    キャラの顔も、萌えを狙うのではなく、どちらかというとドキュメンタリーに近いような、

    違う世界の出来事を見るという体験自体に価値を置いているようなそんな感じがした

    ストーリーについて

    ストーリーについては、先ほども少し触れたように、エンタメ感は無かった

    そういうところが個人的には好きだ

    何でもエンタメにしようとする風潮もどうかと思っている

    主人公のわかりやすい感情は無かったし、ヒロインも報われるわけではないし、

    特に幸せになった人もいない

    ロケットを打ち上げるというクライマックス自体も、それが好きな人にしか刺さらなそうな展開だ

    ロケットが好きではない大多数の人に、ロケット打ち上げをクライマックスとして認識させるには、また別の何か、感情曲線の高ぶりがロケット打ち上げとリンクできるような前準備が必要だ

    ただ、この作品ではそういうことをしていない

    だから、多くの人にとって、クライマックスがクライマックスになり切れていないので、エンタメ映画っぽくはないのだろう

    この映画を見た後、いろいろ調べて、どこかで見た話だが、

    山賀監督はこの作品をドラマにしていないし、しようともしていなかったらしい

    個人的にはドラマ成分も含んでいる気がしていたが、それもそこまで強くなく、まだやはり、クライマックスとは結び付いていないなという感じだった

    それよりも、この作品はどちらかというと、世界観の設定、メカ、衣装デザインなど、そういうところに価値がある作品な気がする

    なので、どちらかというとこの映画は自主制作映画だ

    自主制作映画のノリで作られた商業映画だ

    そして、それに携わった人がどんどん有名になるにつれて買われていった、回収に長い時間がかかった映画だ

    自主制作映画でもこれだけ成功したのは、庵野秀明や岡田斗司夫という、今となっては有名になった方々が若かりし日に作ったものだからだ

    個人的にはそういうのはすごくうらやましい

    今僕が作っている自主制作が、公開したくはないけど公開したいというのはまさに同じ理由だ

    どうせ今公開しても評価はされない、けど、僕が有名になった後に見てもらえれば、僕のやりたいことが詰まっていたので面白く見てくれるだろう

    だから最近、どう公開しようか悩んでいる


  • 「Just Because!」を見た

    Just Because!_1
    © FOA/Just Because! 製作委員会

    先日会った高校の友達がJust Because好きだと言っていたので、見返してみた

    当時はあまり刺さらなかったアニメだったが、改めて見てみたらとても良かった

    青春を淡々と映している感じ

    青春ラブストーリーだが、変にこてこてしたシーンは無く、さらさらした印象だった

    どちらかと言えば、登場人物にカメラを向けているのではなく、その周囲にカメラを向けているような感じだ

    恋愛がある高校生活終盤を淡々と切り取っている感じが、リアルな青春時代という雰囲気を演出しているのかもしれない

    センター試験、受験、

    そういうものをテーマにして恋愛ストーリーにしているのは意外と少ないんじゃないかという気もした

    恋愛なんかしてる場合じゃないだろ! 勉強しろ!

    みたいな感じになるので、そういう構図の作品は少ないのかもしれない

    この作品がその壁を越えているのは、勉強したり、進路が分かれていったりというのをちゃんと物語の構成に組み込めているからだ

    0か1で決まることは0にも1にもならない法則

    というのは、このアニメを見ていて思ったことだ

    コンクールで賞を取ったら○○

    だとか、

    大学に受かったら○○

    というような展開の時は必ずと言ってよいほど、コンクールの結果はどうでもよくなるし、大学の合否もどうでもよくなる

    これは、君の膵臓を食べたいでも同じ展開だ

    病気が治るのでも、病気で死ぬのでもなく、全く関係ないことで亡くなる

    アニメ、というよりも脚本の鉄則のようなものがあるのかもしれない

    予想を裏切るというのが脚本での一つのテクニックなので、斜め上を行く展開にする場合、0か1。と見せかけておいて実は2だとか3だとか、

    そういう意表を突く展開になりがちだ

    このアニメもそうだった

    このアニメは脚本が花田十輝さんだ

    僕が個人的に推している作家で、ガルクラや、よりもいなども花田さんが脚本を担当している。

    この方は結構テクニカルに作っている印象があるので、そういう脚本の鉄則のようなものを守っている

    これにより、最後まで意表を突く、見る人を飽きさせない物語にすることに成功している

    3DCGについて

    僕はやはり3DCGアーティストなので、どうしてもそっちに目が行ってしまう

    モノレールの支柱に当たる窓の光など、3Dならではの表現は印象的に表現されていてとても良かった

    ただ、全体的に見ると、若干浮いているカットがあった気がした

    少し前の作品なので仕方がないというのもある

    ただ、湘南モノレールのモデルなどは、テクスチャの張り込み感が目立つので改善できたらもっと良いのにな、と思った

    例えば、ガラスなどのつるつるしている面だけでも、撮影処理で反射を足すだけでクオリティが増す

    雰囲気を伝えるのがうまい

    リアリティのある構成、ストーリーだが、それに拍車をかけているのが、リアリティのある映像と音にあったと思う

    映像面では、写真加工で背景を作っている場面も多かった気がするから、リアルな印象になったのかもしれない

    このアニメにおいては、キービジュアルの通り、黒がパっきり出ていて割とスタイリッシュな雰囲気なので、写真加工の背景がマッチしている

    あとは、音も、湘南モノレールのホームの音や、環境音なども印象に残った

    光の色使いも上手だった気がする

    そういう、撮影処理、色味の調整など、臨場感のある仕上がりになっていたので作品に没入できた

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  • 「菊次郎の夏」を見た

    北野監督作品、菊次郎の夏を見た

    ソナチネのような構造をしていた気がする

    お笑いが物語の過程として入っている

    ソナチネでは日常の東京から沖縄に行って遊んでいたが、

    菊次郎の夏では、日常の東京から静岡に行って遊んでいる

    もはや、後半のお笑いパートが本番みたいな雰囲気も感じた

    途中、モザイクが出てきたが、あの表現は完全に映画として見せようとしているのを放棄している

    あんなことができる北野監督のブランドがうらやましい

    北野映画にある独特な雰囲気の正体

    文字にすると当たり前だとは思うが、

    北野監督は芸人としてのキャリアが長く、漫才、落語、演劇など様々なお笑いのスペシャリストだ

    テレビで放映されるお笑いでは、カメラの中に登場人物を陳列するようなレイアウトだったり、

    そこで、今起こっていることをある種記号的に説明するのが、お笑いというものではないだろうか

    だとすれば、北野監督が映画を撮った時、北野映画のような洗練された画面になるのは自然な流れだな、と思った

    ただ、菊次郎の夏については、少しだけ、その魅力が損なわれているカットがある気がした

    クレーンを使ってゆっくり上昇するカメラワークが何回かあった気がするが、あのアプローチは無かった方が良かった

    普通の映画であればああいった撮り方で表現できる心情があるが、菊次郎の夏のような、北野映画でそれをやる必要はない気がした

    個人的には、北野監督の映画の良さは状況説明的なレイアウト、動かないカメラ、陳列するようなレイアウト、

    そういうところにあると思う

    その中で、カメラを動かすというのは、北野監督の映画ではなく、普通の娯楽映画みたいになってしまうのでよくない気がした

    音楽について

    この作品のメインテーマは超有名なsummerだ

    この曲は物心ついた頃から聞いている気がする

    確かにこの映画にうってつけの音楽だ

    菊次郎という名前について

    菊次郎というのは、北野武の父親の名前のようだ

    ただ、この作品を見る前は、菊次郎が男の子の名前だと思っていた

    そういう先入観から見ていたので、ラストの名前を明かすシーンは少し衝撃だった

    菊次郎が父親の名前ということは、この映画の中のおじさんは北野監督の父親のイメージなのか?

    素行の悪い登場人物

    この作品には見習ってはいけないような大人たちが何人も登場する

    いろいろな悪いことをしているが、そんな登場人物を堂々と描ける自信が凄いなと思った

    これは僕が今、脚本のことをいろいろ考えていて思うことだが、

    悪いことをする登場人物を描くと、どうしても悪者になってしまう

    あるいは、悪者にしないようにしようとすると、悪いことができない登場人物になってしまう

    この作品の登場人物は自分勝手で、悪いことをしている。素行の悪い人間がたくさん出てくるが、それは不快な印象ではない、

    むしろ、夏という季節とsummerという音楽も相まって、小学生の夏休みのような純粋さを感じられた

    悪いことをする大人たちをここまで純粋に描けるのはそれだけ、笑いやギャグに対する思い入れが深いからなのか?

    現実の人生でも大胆に振る舞ってきた北野監督だからこそ作れる世界観な気がする

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  • ドラゴンボール

    ドラゴンボール_1
    ©バードスタジオ/集英社・東映アニメーション

    ドラゴンボールを見た

    見たというよりも、見終わったといったほうが良いかもしれない

    150話以上あり、見るのに1か月くらいはかかった気がする

    ただ、その間ずっと面白かった

    というか、伝説的なことが多すぎて、もはや、観光地巡りをしているような気分で見ていた

    プロダクトデザインについて

    作中にはいくつか、魅力的なプロダクトが登場する

    空飛ぶ車などのメカデザインが、なんとなく、鳥山明の機械好きが伝わってくるようで、面白かった

    機械が好きな人がデザインしたメカと、そうでない人がデザインしたメカは全然違うし、

    さらに言えば、機械の何が美しいと思っているかによっても、デザインが変わってくる

    鳥山明は、機械が好きで、かつ、機械の機能が美しいと感じている人なんだな、という印象だった

    旧車が美しいという話と同じだが、

    ドラゴンボールに出てくるプロダクトデザインは、なんとなく、機能が見た目に反映されているという点で、プロのプロダクトデザイナーがするデザインのような美しさがあった

    そういえば、昔、ツイッターで、僕の作った3DCGのメカがドラゴンボールっぽいと、外国人に言われたことがある

    僕はこういうメカが好きなので、ドラゴンボールに登場するメカにも惹かれたのかもしれない

    シルエットもかわいらしく、パースのついた描き方も相まって、まるでおもちゃのようなかわいらしさのあるメカデザインだった

    それに、この作品に出てくる車、飛行機はすべてが小さい

    まるで、交通公園のゴーカートのようなかわいらしさがある

    プロダクトデザインとして成立するデザインのメカがデフォルメの効いたパースによって描かれている

    というのが、ドラゴンボールにおける独特なメカの雰囲気を演出しているのかもしれない

    漫画的な表情

    この作品で印象的だったのが、漫画的な表情だ

    ©バードスタジオ/集英社・東映アニメーション

    記号的な表情ともいえるかもしれない

    笑うときは単純に山なりの線になるし、目を瞑ったりしているときは谷の線になる

    チャオズが死んだときでさえ、そういう、漫画的なかわいらしい表現になっていた

    桃鉄などは影響を受けていそうな感じだった

    このような記号的な表情の表現はドラゴンボールをおとぎ話っぽくするのに一役買っている

    人が死んだり、殴ったり、撃ったり、やっていることは結構過激なアニメだが、こういう、漫画的な表情でそれを表すことにより、これはおとぎ話なんだという、安心感を見る人に与えている

    なので、死んだときも衝撃ではあるが嫌な感じではなかったし、痛がっているシーンでもワンパクな印象になっていたり、

    どこか無敵な雰囲気がこの作品の魅力になっている

    動物がしゃべる

    先ほどのおとぎ話に関する話にもつながるところだが、

    人間と同じように動物が話し、生活している姿はとてもかわいらしくてほのぼのとした

    全体的に、おとぎ話要素の多い作風で、バトルをしているというのがドラゴンボールの持つ独特な雰囲気を作り出しているのかもしれない

    ブルマのキャラクター

    ブルマの破天荒な感じはユニークで面白かったし、だからこその、メカがいじれるというギャップもよかった

    大企業の令嬢という設定も良かった

    しかも、それを最初に明かしてしまうのではなく、徐々に明かしていく感じもうまかった

    エンディングはブルマがたくさん出てくるものだったが、

    そこでも、機械をいじる様子、そして、鳥山明が好きそうなメカの絵

    メカが好きな人が描いたんだなというのも伝わってくる

    そもそも、青い髪のキャラもほかにほとんど出てこなかった気がする

    ブルマのキャラデザはこの作品の中でも結構特異なものになっていた

    ドラゴンボールZ

    ドラゴンボールはまだここで終わらない

    ここからさらに、250話ほどのドラゴンボールZがあるので、続けて見る予定だ

    悟空が強すぎるので途中からいなくなりがち

    悟空のキャラが強すぎるので、途中でいなくなりがちだ

    基本的に、インフレというのは長い作品の脚本で起こりやすい気がする

    ソシャゲもそうだ

    それを回避するために、強い悟空と、ベジータも、物語の中心からいなくなる

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  • 「BECK」を見た

    BECK_1
    © ハロルド作石・講談社/2004 BECK製作委員会

    最近、僕の周りで、このアニメに関する話題が多く出ていた気がする

    どうも、ギターを3Dでやり、キャラを2Dでやっている。という話を聞いた

    確かにこのアニメはそういった見せ方をしていて、2004年の作品とは思えないほど先進的だと思った

    ギターだけでなく、背景や車なども3Dでやっていて、それなのに辺に悪目立ちしているような感じでもない

    特に、OPの最後のほうのカット、飛行機は3Dでやっていたが、2Dと見間違えるような質感表現で驚いた

    見たところ、美術さんに書いてもらった飛行機の絵を3Dに投影しているような感じだった

    そういう表現は今となってはもうありがち表現になってしまったが、2004年の時点で、違和感なくそれを映像化しているという時点ですごい

    むしろ、黎明期だからこそ、研究もかねて本気で手を抜かずにその絵を作っていた感じがしてよかった

    ストーリーについて

    僕は、若者が夢を追う系の物語が好きで、よく見ている

    この作品もそういった感じなので、見ていて楽しかった

    なんだか、いつまでも平凡な日常が続くような、気楽な雰囲気の若者がたくさん出てきていて、良かった

    バンドが結成されるまでも、とんとん拍子に行くのではなく、いろいろな障害を乗り越えて行ったり、最後には一度解散していたり、

    そういうイベントの配分はちょうどよいペースだった気がする

    26話だが、最後まで安定して楽しめた

    キャラクターに関しても、根っこからの悪者はほとんど出てこない

    学校の不良も成長して大人になったらまともな人間になっているし、

    殴り合いも、単なる恨みの晴らし合いではなく、理由があって殴り合っているというような、人間性も垣間見える風に描かれていた

    レイアウト、カット運びについて

    この作品で一番すごいと思ったのが、カット割り、レイアウトなど、絵コンテの領域だ

    カメラを不必要に動かすことなく、淡々と場面をつなげているような作り方がとてもかっこよかった

    暗転を多用しているのも、一見するとレパートリーの少ないつなげ方だと思われがちだが、この作品においては違った

    正直、この結果が監督の意図したものだったのかはよくわからない

    が、暗転を多用して生み出される独特なリズム、淡々としたカメラワークなども相まったこの作品の雰囲気が意図的なものだとしたら、監督の実力は半端ないと思う

    フリクリの影響は受けているかもしれない

    髪などのハイライトが少なく、淡々と場面を見せる説明的なレイアウトはフリクリっぽかった

    マッドハウスについて

    この作品はマッドハウス制作だ。

    マッドハウスはもしかしたら、僕の一番好きなアニメスタジオかもしれない

    サニーボーイ、ブラックラグーン、メトロポリスなど、

    なぜか、僕の好きなアニメはマッドハウスが作っていることが多い

    今敏監督作品もマッドハウスだ

    なんとなく、スタジオの持つ雰囲気のようなものが、僕が求めるものと近しいものがある

    説明的なアングル、ノスタルジックな世界観、ディープな描写などが僕は好きだが、マッドハウスの作品にはそれがたくさんあるのかもしれない

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  • 「蛍火の杜へ」

    蛍火の杜へ_1
    ©緑川ゆき・白泉社/「蛍火の杜へ」製作委員会

    この作品は結構前に見てから、ずっと心に残っているアニメだった

    Dアニメストアから消えてしまったアニメだが、最近になって復活していたので見た。

    普段はネタバレ気にせず記事を書いていますが、この作品に関してはネタバレする前と後で面白さが変わってくるものな気がするので、一応断っておきます。ネタバレありです。

    よいアイデアを最大限楽しめる構成

    この作品は45分ほどの尺しかない

    原作は読み切りの漫画のようだ

    個人的にはそういう短い物語が好きで、ルックバックやメモリーズなどのような、事前知識なしで、単独ですぐに楽しめる物語というのがプロポーションとして美しい気がするので、結構見ている

    その中でも、特に好きなのがこの、蛍火の杜へだ。

    内容は恋愛系だが、そこに、触れては消えてしまうという制約が設定されている

    近づきたいのに近づけないというジレンマが、2人を切ない結末へと導く

    このアイデアが素晴らしいのは言うまでもないが、この作品は構成によってそのアイデアを効果的に利用している

    45分と短いので、そのアイデアだけで物語が良い感じのペースで終盤まで進んでいく

    なので、余計な要素がない。さっぱりとした印象の作品に仕上がっている

    ここに肉付けをしてしまうと、日常系アニメみたいになりすぎてしまうだろう

    さらに考えられているのが、この作品が主人公の昔話のような形で語られている点だ

    これはタイタニックや、異世界転生ものと同じような効果を生み出しているようにも思える

    現実と陸続きの物語だということにすることで、ファンタジーでありながらリアリティのある雰囲気に仕上げている

    子供のころにあった怖い体験、楽しい体験。今となっては現実だったのか夢だったのかわからない体験

    そのフォーマットにこの作品のストーリーも当てはめている

    これが単なる現在進行形の語り形式だったら、ここまで印象的かつ、リズミカルな作品にはならなかっただろう

    この作品は一見、割と王道な展開のみの作品だと見せかけておいて、じつは気づかないところで細かい演出が働いている作品な気がする

    夏祭りの伏線

    森の中で行われる妖怪だけの夏祭りがこの作品のクライマックスだが、その話はだいぶ前から伏線として出てきていた

    村の人が昔、迷い込んでしまったというような小話が出てくるが、それはクライマックスの伏線になっていた

    クライマックス。ギンが消えてしまうとき、通りすがりの子供たちに触れられていたが、その子供が実は人間だった

    というのは、たまに祭りに迷い込む子供がいるという話が伏線になっている

    クライマックスについて

    クライマックスがまた良い。

    ギンと蛍だけでクライマックスを迎えると思いきや、不意な形で、何の準備もなしに、知らない子供たちによってギンが消える

    満たされて終わる恋愛ではなく、その前に終わってしまう恋愛だ

    ここがまた儚い雰囲気を演出している

    消えてしまうギンを抱きしめる蛍だが、その感情が短時間で喜びから悲しみに代わっていく様子もよい

    この急な感情の変化が感動を呼ぶ

    一瞬でこれだけの感情を動かしてくるクライマックスもなかなかないと思う

    ちょっと惜しいと思ったところ

    尺が44分で、長編というよりも、ショートアニメというような印象の作品だ

    なので、あの最高のクライマックスの後、すぐ、成長した蛍のパートに入ってもよかった気がする

    あの後、妖怪たちが話してきたり、少しだけ展開があった

    今の状態でも十分短い展開にまとまってはいるが、個人的にはそれすらもカットして、あの余韻のままエンディングに入っていくほうがよかった気がする

    これが90分くらいのアニメ映画であれば、きちっと終わらせないと終わった感が出ないが、この作品は印象としてはショートアニメだともとらえられる体感なので、むしろ、クライマックス後すぐに終わりというのでもよかったのでは。

    と思った

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  • 「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た

    せっかくディズニー+に加入しているのに、最近はDアニメストアでドラゴンボールを見るだけだった

    なので何となく、この作品を見てみた

    この作品は、だいぶ前に見たことがあるような気がする

    が、その展開なども忘れていたので改めて見てみた

    カール爺さんの体力が凄い

    まず思ったのは、カール爺さんが元気すぎるということだ

    岩山を移動するだけでもすごいのに、カール爺さんは家を一軒引っ張っていた

    岩山というのは見た目以上にハードな場所で、僕も、筑波山から下山しただけで5日間くらい動けなくなくなった

    他にも、体調3mほどの鳥と、10歳くらいの子供と、中型犬がぶら下がったホースを一人でつなぎ留めていたりもした

    もちろん、そういうことを指摘するのははおとぎ話的解釈の前では無粋なことだということも理解しているが、さすがにカール爺さんは元気すぎる気がした

    絵的な美しさ

    カラフルな風船が煙突から出ている様子は、シルエットですら美しいくらいに絵になる演出だ

    影が太陽光に透けて色づいているのも面白かったし、

    暖炉から繋がった風船の糸を切って上下をコントロールしている様子も、アイデアが面白い

    そもそも、古い家がカラフルな風船によって飛んでいるという様子自体も、物語中のカール爺さんの振る舞いを反映しているようで良かった。

    3DCGのレベルが高い

    ピクサーなので、言うまでもなく3DCGは最強だった

    ただ、ここではあえてその弊害に触れるが、

    カール爺さんが元気すぎたり、暖炉の一点で家が浮いたり、家が都合よく操縦できたり、何十年も前の飛行船がメンテナンス無しで操縦可能だったり、

    そういう、物語の演出上の嘘が気になってしまうのは、3DCGのレベルの高さが招いたことだ

    脚本の解像度と、絵の解像度は合わせる必要がある

    おそらく、このことにあまり配慮していなかったがために、ちょっと違和感を覚える感じになってしまったのではないだろうか

    似たような作品としては、ゴジラ-1.0とかがある

    もう少し、セルルックっぽい質感に3DCGを寄せるなどして、絵としての解像度を下げるなどの工夫が必要な気がした

    風船というタイムリミット

    物語には何かしらのタイムリミットが必要だ

    それがあると、物語が緊迫した物になる

    そして、そのタイムリミットを、そのまま具体的なモチーフとして風船にし、物語に組み込んでいる

    風船はガスが抜けて浮力を失うし、

    一度空に放たれた風船は元には戻らない

    洞窟の壁などに擦れるだけで風船が割れる

    風船が割れるという絵自体が、タイムリミットというものを強く感じさせる

    そう考えると、やはり、主人公がおじいさんというのが良く働いている

    人生のタイムリミットが迫っているおじいさんと、風船が割れ続ける空飛ぶ家は意味合いにおいてリンクしている

    だから、ただ風船が割れるだけでも、カール爺さんの冒険が終わりに近づいているような寂しさを感じる

    ストーリー

    一番良いなと思ったのが、家具を捨てて再び浮き上がるシーンだ

    あの場所にたどり着いたとき、カール爺さんは定住することに決めていた

    が、そこで、改めて室内を見てみると、散乱した家具とボロボロの家に寂しさを覚える

    そして、亡き妻の言葉を目にして、冒険が終わっていないと感じ、家具を捨てる

    家具を捨てるというのが、新しい冒険の始まり。これまで積み上げてきた思い出、あるいは慰めとの決別。

    そういうものをこれまた絵として直接展開にしている点が良かった。

    この映画は、ものすごくメタファー的な考えでモチーフが考えられた作品な気がした

    おじいさんが長年住んだ家が風船で空に浮かび、少しづつ高度を落としていく

    絵的なものと意味的なものがリンクしている

    まとめ

    エンタメ的な面白さもあり、テーマも単純明快で多くの人が共感を感じそうなものだった。

    メタファーの使い方がとても上手で、参考になった

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  • 「3-4X10月」を見た

    「3-4X10月」を見た

    数か月ぶりに北野武監督映画を見た

    シュール

    とにかくシュールなギャグが多い印象だった

    カラオケ喫茶でのシーン、微妙な歌唱力の歌にのせて、たけしが向かいの席のヤクザをビール瓶で殴る

    その間にもたけしの連れのヤクザは黒人の女と踊っている

    あとは、事故を起こして呆然とする様子だったり、事務所に乗り込むシーンで、花束に扮した銃が暴発する展開だったり、

    指を詰めるとき、「忍耐」と書かれた置物で叩いていたり、

    いろんなところでシュールなギャグというものが多い気がした

    謎多き感じ

    タイトルもそうだが、謎多き感じをわざと演出している気がした

    特報も、謎の宗教画から始まり、「3-4X10月」と繰り返し読まれるだけのものだ

    この映画は今となっては成功している気がするが、当時は興行的に振るわなかったようだ

    なんだか、押井守の天使のたまご、を思い出した

    全体として、武監督の自信が感じられる作品だった

    そもそもエンタメにしなくても、北野武という名前だけでも看板になる監督なので、こうした尖った映画を撮ることができるのだろう

    そういうと頃が少しうらやましいと思った

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  • 「アナと雪の女王」

    アナ雪を見た

    2013年の映画で、前回は確か、公開当時に話題になっているころに見た

    なので、10年以上ぶりだ

    今もそうだが、ディズニーアニメをあまり見ない僕だ

    ただ、この作品はさすがに話題になっていたので見た

    その時も楽しく見れたが、悲しいことに、あれから10年くらい経ってまた見方も変わった

    カメラアングルについて、戴冠式後のパーティーのシーン

    エルサとアナが椅子を挟んで向かい合っていて、それをシンメトリーな感じに撮っているカットがあった

    カットの前半はシンメトリーなので、安定したレイアウトだ

    ただ、アナがその場を後にすると、エルサは不安な表情になる

    そして、同時に。シンメトリーだった構図もバランスが悪くなった

    つまり、キャラの心情とレイアウトをリンクさせている

    これが意図されたものなのかはわからないが、とても高度な見せ方だと思った

    全体的なストーリーについて

    岡田斗司夫の解説を少し聞いた後に映画を視聴したので、心してみることができたが、

    ありのままでの歌を歌うシーン。

    あのシーンは確かに、前向きな歌だと漠然と思っていたが、改めて映画を見ていると違うことに気づいた

    どちらかと言えば、闇落ちみたいな感じだ

    歌の冒頭ではまだ不安の残るエルサ。肩には国での責務の象徴であったマントが圧し掛かる

    が、歌が進むにつれて吹っ切れて、自分を縛っていた手袋を捨て、責務であるマントを脱ぎ棄て、魔法を放ち、崖に切り分けられた孤立した土地に氷の城を築く

    そして最後には心を閉ざす

    心を閉ざすというのは自分の世界にこもる。それだけでも満たされると割り切るということだ

    少しも寒くないわ。というのは単なる強がりだろう

    それを溶かすのがこの後しばらくのストーリーの目的として機能している

    ミュージカル仕立てな構成について

    ディズニー映画は基本的にミュージカル仕立てなので、そういう流れを汲んでいるというのは言うまでもないとして、

    この映画におけるミュージカル仕立てというのは、全体の構成的に見ても理にかなっている気がした

    この映画、序盤の30分ほどで、登場人物の説明、世界観の説明だけでなく、幼少期からの話をちゃんと見せている

    もはや、雪だるま作ろうの1曲中で、おそらく10年くらい時が進んでいる

    この作品の序盤30分はとてつもなく早いテンポで進んでいるが、それを感じさせないようにうまく機能しているのが、曲だ

    曲に乗せることで、やっているのはダイジェストなのに、ダイジェストということを隠すことができている

    いや、ダイジェストというのを曲でラッピングして、作品として違和感のない進行を実現している

    そういう手法は他のディズニー映画でもとられているのだろうか、わからないが、

    日本のアニメでもなかなかない表現な気がした

    生まれて初めての終盤。アナとエルサの曲のパート別けが凄い

    「生まれて初めて」は、戴冠式にワクワクするアナの、明るい歌から始まる

    ただ、曲の途中で雰囲気は変わり、エルサの内に秘めた不安の歌になる

    そしてそのあと、最後。アナとエルサ2人のが交互に歌っているようなパート別けになる

    音程も、歌詞の内容でも、一目瞭然だが、表がアナで、裏がエルサ。2人の心情を曲の中のパートに分けて表現していた

    エルサの苦しみを何も知らないアナの無邪気さ、アナを城から見守る闇を抱えるエルサ。

    この関係を曲の歌い訳で表現しているあの演出はとても良かった。

    個人的に気になったところ

    こういう作品にこういうことを言うのは無粋かもしれないが、

    真実の愛。というのが少しご都合主義な気がした

    ただ、クライマックスの真実の愛が、クリストフによるものだと思わせといて、実は姉であるエルサの物だという意外な展開は良かった

    とはいえ、やはりちょっと、真実の愛だと抽象的過ぎる気もした

    これは、ゴジラ-1.0の時も同じようなことを書いた気がするが、

    映像がリアルになると、それ相応の解像度を持つ脚本が必要になってくる

    アナ雪が絵本のような絵柄のアニメだったら真実の愛で良かったかもしれないが、

    あのレベルの3DCGで、真実の愛と言われてしまうと、少し解像度があってない気がした

    時代に合わせて変化するディズニー映画

    僕はほとんどディズニー映画を見ていないが、アラジンは少し前に見た

    そこでは、精神障害患者を揶揄するような展開があって、時代を感じた

    そもそも、ディズニーは昔、太平洋戦争のプロパガンダ映画を作っていたこともあったくらいだ

    ディズニーは結構過激なスタジオなんじゃないかと、個人的には思っている

    そして、アナ雪のテーマもまた、これまでのディズニーとは少し違うものになっていた気がした

    多様性に関してテーマに含め、どちらかと言えば負の物として描かれている魔法を個性と割り切る展開もあり、時代に合っている気がした

    3D作品のデフォルメ

    3D作品はデフォルメが苦手で、情報を取捨選択するのが難しい

    なので、抽象的で魅力的な雰囲気を伝えるのは苦手だ

    ただ、やはりディズニーレベルのスタジオになると、日本のアニメと同じくらいのデフォルメされた世界を、3Dで伝えることができているようだった

    アナが生まれて初めてをうたっている最中、

    ソファを踏んでジャンプして空中で一瞬止まっているようなカットも、文字で書いて絵本のようになってしまう演技だが、それを情報量の多い3D媒体で、違和感なく表現していた

    先ほどの話ではないが、映像がきれいになればなるほど、脚本の解像度が必要だ

    ただ、ソファでジャンプして空中で止まって、みたいな。解像度の低い展開を、写実的なルックで違和感なく表現してしまうディズニーのアニメーターはやはりすごい

    総評

    とても良かった

    ストーリーはわかりやすく、絵的に盛り上がる展開も多いし、ギャグも面白かった。

    そして何より、雪だるま作ろう、ありのままで、生まれて初めてなど、

    魅力的な歌が多かった

    このような形にヒットの理由が揃っている点においては、君の名はも同じようなものなのかもしれない

    時代に沿って変わるディズニー映画を感じるという意味でも、エンタメ映画としても、良いものになっているので、これだけのヒットになっているのでは、

    という気がした

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  • 「フラクタル」を見た

    フラクタル_1
    ©フラクタル製作委員会

    アニメ、フラクタルを見た

    山本監督の作品だ

    山本監督らしい、少女の若干性的な描写が目立ったアニメだった

    世界観

    どうやら、未来のアイルランドの話のようだ

    それに応じてかはわからないが、飛行船のデザインがバイキングっぽかった

    質素で、高い木々があまりない世界観は個人的に好きだった

    ストーリー

    結構難しかった

    いろいろと因果関係が多く、わかりづらかったが、キャラがかわいいのと、世界観、作画も良かったので、十分楽しめた

    たぶん、山本監督は変態だと思う

    その頭角が見え隠れするので、ネットでは叩かれてしまうのだろう

    個人的には、どんな主張でも、それを発信することを許したプロデューサーと、出資者がいて、アニメとして世に放たれたのであれば侮辱することは無粋だと思っている

    ので、山本監督の少女に対する表現は個人的には良いと思った

    あとは、ギャクセンが地味に高かった気がする

    通常ならば入ってこないような中途半端なセリフで、シュールな笑いを誘う場面が結構あった

    山本監督の作品では、WUGの1期がとてもよく、全アニメの中でも上位に入ってくるくらい好きな作品だ

    フラクタルはWUGの5年くらい前の作品だと思うが、この作品には先に述べた少女に関する描きかた以外、そう言う雰囲気はなかった気がする

    絵について

    僕がこのアニメで一番良いと思ったのが、髪の毛にハイライトが入っていないところだ

    新世界よりでもそうだったが、髪にハイライトを入れないというのは、とても良い表現だと思う

    ハイライトのある髪の毛はなんだかテカテカしている気がしてあまり好きではない

    その点、ハイライトをなくすことにより、そのテカテカ感を軽減することができる

    この作品の場合、寂しい雰囲気にハイライトのない髪の毛がマッチしている気がした

    ©フラクタル製作委員会

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  • 「ジョニーは戦場へ行った」を見た

    「ジョニーは戦場へ行った」を見た

    炎628に続き、名作と言われる戦争映画を見た

    戦場で負傷し、肉塊となった若者の物語だ

    カラーとモノクロ、現実世界と脳内世界

    モノクロとカラーの使い分けがうまい

    ここまで大胆に別けて制作、公開できたのは、カラー映画に移行して間もない時期ならではな気もした

    現実はモノクロで、冷たい感じがするのに対し、ジョニーの脳内の世界はカラーで明るい

    ジョニー自体から見た世界の暖かさでもあるし、ジョニーが脳内だけで持つ五感を表現しているのだろう

    ジョニーの脳内の場面は抽象的な描き方をされている

    脳内はいつも抽象的だ

    それは、人間が見る夢のようなもので、脈絡もない妄想のようなものが連続している様子を表現しているようだった

    もはやジョニーの中は精神世界で、いうなれば、新劇場版のエヴァの終盤みたいな感じだ

    ジョニーが感じることが何かに比喩されてシュールな世界となって羅列しているさまは精神世界の抽象的な雰囲気をうまく表現していた

    作品のメッセージ

    この作品は反戦映画だ

    ただ、それを、戦争というものを直接描かずに伝えているので面白い

    トリッキーなようではあるが、実際は、戦争に行ったらこんなひどい目に遭うよ。というようなことを言っているだけにも思える

    ただ、それを、精神世界に取り残された人間の自我という、哲学的な視点から描くことで、2つのテーマを含めている

    単に哲学的テーマだけだと、それだけの映画になってしまうし、戦争で重傷を負った兵士に憐むだけだと、それだけの映画になってしまう

    戦争で重傷を負った兵士の精神世界を描くということにより、初めて、映画として、脚本として面白みが出ている

    何かと何かを合わせる。というのは、脚本の作り方の一つなのかもしれない

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  • 「ベルセルク」を見た

    ベルセルクを見た

    アニメ大好き外国人がようつべでリメイク版を批判している動画を結構前に見た

    それから漠然と気にはなっていて、最近、目に留まったので見てみた

    剣風伝奇 ベルセルク_1
    (C)三浦建太郎/白泉社・バップ・NTV

    こうして記事を書くくらいなので、とても良いアニメだった

    なんだか凄みを感じる

    この凄みというのは、シュールだったり、リニアだったり、規則的だったり、というような感じの雰囲気全般を示す

    ベルセルクでは、劇伴がとても少なかったり、カメラアングルが状況説明的だったりして、とても凄みを感じた

    扱っている物語も重いものだ

    それも相まって、この独特な凄みを生み出しているのだろう

    良い意味でテンポの悪いリズムだった

    敵が登場しても、説明を全部見せるし、カットの最初と最後に余白のような間があったりした

    それは意図的にやっているのかはわからないが、先に述べた凄みと相まって、なんだか断片的な印象に仕上がっていたと思う

    東京物語みたいな感じだ

    ベルセルクはアクション系の作品なので、この、断片的でテンポの悪い雰囲気とのミスマッチが独特な雰囲気を醸し出したのかもしれない、

    あとは、ストーリーについて

    少なくともアニメ化されている範囲では、キャスカに関するジェンダーへの問いに関するストーリー、グリフィスに関する個人の野望と周囲の犠牲に関するストーリー。その両者をつなげる主人公ガッツ。

    という構図なのかもしれない

    ガッツの物語については僕の理解力不足もあり深くはわからなかった

    グリフィス、キャスカという、光と影のあるキャラクターに触れていき、大人になっていくという構図だろうか、

    それくらいしかわからなかったので、キャスカとグリフィスを取り巻くストーリーについて文字にしてみる

    まず、キャスカについて、

    最初は女に生まれたくなかった。というような闇を打ち明け、それに関するストーリーが本格化していく

    このセリフで、最初、戦場という男性優位な場所で活躍を望む女騎士のキャスカ。ただ、体力に劣っていることは仕方のない事実で、それに苦しむ、

    という構図でジェンダーをテーマにストーリーを作っていくと思っていたが、この作品はさらにもう一つのレイヤーがあった

    というのも、キャスカが女騎士になった原因は、昔、貴族に乱暴されそうになったのがきっかけだ

    それ以前のキャスカはアニメで描かれていなかったので、描かれている範囲だけでの感想にはなるが、

    キャスカはあの事件が無ければ、女騎士にはならなかった

    つまり、キャスカを女騎士にしたのは男貴族の乱暴だ

    女だから、ついでに言えば平民だから、貴族の男に搾取されそうになった

    そして騎士にならざるを得なかった。

    さらに、騎士になった先でも、ジェンダーに関する問題で感情が動いていく

    きっかけもそのあとも、同じテーマで同じことを語っている

    ひとつの出来事を通してテーマを語るのは簡単だが、このように、2つの出来事で同じテーマを語るのはトリッキーだと思った

    キャスカは最初から最後まで服が破けたり、性的に搾取されているようなセリフ、描写があった

    そういうものも含めて、一つのテーマを強く伝えることができているストーリーラインな気がした。

    キャスカに関しては、ストーリーの終盤。女になっていく様子も描かれていたので、そこは展開上の着地になっていた気がする

    あとは、グリフィスのストーリーについて、

    何かを成し遂げるためにほかの多くの人を犠牲にしている姿。

    何かを成し遂げるというのを城に比喩して物語にしている

    これはとても直感的でわかりやすい。というか、個人的にはグリフィスのこの気持ちはよくわかる

    僕も、夢を持っていて、そのために多くを犠牲にしている人間だ

    他人を直接犠牲にしているわけではないが、

    ただ、僕が目立つということはその分誰かが目立たなくなるということだし、僕が仕事をするということは誰かがやるはずだったその仕事を奪うということだ

    自分の体も痛めつけ、若い時間もささげて、夢(城)を目指している

    その姿は作中でのグリフィスのようだ

    それに気づき、引き返そうとするとおばあさんに止められる

    そこでは、自分も死体になってしまう。と止められていたが、

    僕はそれよりも、自分のために屍の山となった人たちのことを思うと止まることはできない。というようような気持になった

    ……というのはこの作品のレビュー関係なく、単なる個人的な気持ちなので伏せておく

    とにかく、グリフィスのストーリーはとてもストレートで、裏表ない簡単な物語だった

    そして、そんなグリフィスとキャスカをつなぐ主人公ガッツ

    彼に関する物語は今のところよくわかっていないのでまた今度考えてみる

    人を知らない子供が人を知っていく。というくらいにしかわからなかったので今度考えてみる

    が、機能としては、キャスカを騎士ではなく女にするという点で、役割があるだろう

    そして、最後。寝取られ展開だ

    あの後。劇的で絶望的なまま終わるが、結局キャスカがどうなったのかはアニメの中では描かれていない

    そして、1話の最初と同じく、刀鍛冶のおじいさんの家にシーンが戻る

    だいぶ説明を端折っているが、もはやベルセルクほどの凄みのある作品ならば、そんなのは気にならなかった

    個人的にはそういう作品は大好きだ

    退屈と言われそうだが、そこに凄みがある気がする

    僕は映画やアニメが神聖なもの。その成分を含んでいる必要があると思っているので、それを実現する凄みという概念が含まれたこのベルセルクも。とても良い作品だと思った

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  • 「ベルセルク」を見ている

    ベルセルクを見ている

    このアニメはとても良いので別で記事を書くつもりだが、すでに途中まで見ていて書きたいことがあったので書く

    敵を前に、斬りかかる気配を見せたところでCMに入る

    CMから明けたら敵はもう死んでいた

    この大胆なデフォルメは面白かった

    ガッツが最強で敵を一掃するのがわかっているので、あえてその様子を描かずに、想像に任せる

    しかも、これは工数削減的なメリットも大きい

    作画コストの高いバトルシーンをあえて見せないことにより、描く枚数を減らしているという点だけでなく、もはや波風立てずに敵を倒しているガッツの圧倒的な力を印象的にしている

    あと、わざわざ記事にしたかったはもう一つ、グリフィスのサイコパス感を表現する言動が面白かったからだ

    その敵には直前に、グリフィスが報酬を渡していた

    敵を倒したガッツは死んだ敵からグリフィスが渡した報酬を回収しようとしていたが、それをグリフィスは止めた

    その報酬は彼らの正当な報酬で、実際それに見合う仕事をしてくれたと

    だから敵の死体の傍らに報酬を残した

    これについて僕は、グリフィスの圧倒的サイコパスが感じられて面白かった

    人を殺すという悪事はするくせに、人の手柄を奪うという悪事はやらない

    あたかも正義感満載な感じで言っているが、そんなグリフィスは人を殺している

    悪事の度合いの区別がついていないところが最高にサイコパスだと思った

    むしろ、人の命も報酬の金も、彼にしてみれば両方とも物だ

    いや、もはや人の命は金よりも軽いと思って疑っていない

    しかもそれに当の本人は気づいていないのが面白いし、それでいてまだ自分が正義だと思っているところも良い

    このアニメは最初からグリフィスのサイコパス感が尖っていてすごかったが、ここにきてまたその片鱗を見てしまった気がした

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  • 映画、「炎628」を見た

    「炎628」を見た

    今まで見た中でも特に衝撃的な作品だった

    全体的なストーリー

    ドイツ兵を醜悪に映している作品で、プロパガンダ映画のようだ

    僕はもちろんこの時代の当事者ではないのでわからないが、たくさんの白ロシアの村が焼かれたという事実からも大量虐殺があったのだろう

    そんなことをしたドイツ兵が徹底的に残虐だった

    表立った人間の悪、残虐で容赦ないところも描いていたし、その裏にある裏切り、自分だけ助かろうとする汚さまでも描いていた

    単なる残虐性だけでなく、仲間割れまでも描くというのはやはり、ソ連映画ならではの強い意志を感じた

    ただ、クライマックスではヒトラーを擁護しているともとらえられる気がした

    怒りに身を任せてヒトラーの写真を撃つ主人公だが、そのおおもとには無邪気な子供と母親がいた

    その子供を撃てないというのはどういう意図なのか、それは想像するしかない

    僕が感じたのは、

    最初はみんな子供なのに、大人になるとこんなにも残虐になったり、憎しみあったり、汚れていく

    その結果として戦争がある。

    無邪気な子供を残虐なヒトラーにしてしまったのは戦争だ

    だから、この映画で見せられたすべての悪は戦争というシステムにある

    ということを伝えたかったのでは

    というか、僕はこの映画からそういうものを感じ取った

    最後の森の雪について

    最後、森の中を進むパルチザンだが、森を抜けると少し雪が降ったような感じになっていた

    これはおそらく、ソ連がこの後ドイツを退けたという、勝利を予感させる演出なのだろう

    第二次世界大戦時、ソ連はこのあと、北に退き、停滞したドイツ軍に反撃して国を守ったという事実がある

    確か、昨今のウクライナでも同じようなことが起こっていた気がする

    そういうのは独ソ戦でも起きている

    おそらく最後の演出はそういう、歴史的事実を予感させるものだったのだろう

    北に退いているということを伝えている

    耳鳴りの下り

    序盤に爆弾が投下され、耳鳴りでしばらく音が聞こえない。

    いくつかの戦争映画で何回か見た表現だが、この映画の場合はその表現に費やす時間が長かった

    耳鳴りでキーンとなっているときの、銃声がぼやけたり自分の声が頭の中に反響したりというのはそうだし、

    そこからしばらくは音が少し変な感じになっていて、それが徐々に映画の中から消えて言っているという感じだった

    これは、聴力が回復していった過程を表しているのだろう

    そういうものを長々とやってしまうとエンタメ映画としては成り立たなくなってしまうのでなかなかできたものではない

    悪く言えば観客を置いてけぼりにする表現で、大衆向けではない

    ただ、個人的には大好きな表現だった

    その図々しさと、見ていて楽しい感じを両立できる作品を作ってみたい。

    動物の扱いについて

    いくら映画とはいえ、牛を本物の機関銃で射殺したり、死にゆく牛の眼球の動きをアップで写したり、立ち上がれなくなるほどに馬を痛めつけたり、羽化直前の卵を踏みつけてつぶれた雛の様子を画面に映したり、

    というのは良くないと思った

    個人的に動物が好きというのもあるが、

    そもそも、領土拡大のために人を殺す戦争をテーマに撮るのであれば、それを伝えるために動物を殺して映画を撮ってはいけないのでは?

    戦争の本質に理不尽な暴力があって、それはダメなことだ。

    でも、動物への理不尽な暴力はやります。

    というのは、個人的には少し違う気がした

    これは、人間を殺すのと動物を殺すのは違うことか、

    という問いなので戦争とは関係なく、別問題だが、

    少なくとも、この映画で伝えていることは動物を殺さないと伝えることのできないメッセージではない気がしたし、そうでなくても、小道具とカメラアングルを工夫すれば同じようなものを伝えられる気がした

    ただ、ヨーロッパは動物に対する考え方が日本とは違うようだ

    家畜文化が古くから根付いている地域なので、動物に対する見方が日本人の僕とは違うのかもしれない

    世界大戦もそういう考え方が生んだのかもしれない

    カメラアングルについて

    シンメトリーで表情を印象的に見せるカットが多かった

    カメラを不用意に動かすこともなく、そういうものは個人的にすごく良いと思った

    説明するための画面なような気がして、凄みが出ている

    伝えているものの強度が強いので、そういうテーマとも相まってとてもメッセージ性のある雰囲気になっていた。

    まとめ

    とても良い作品だった

    途中で本物だと思われる死体の映像が出てきたり、耳鳴りの長い下りだったり、

    とても思想を感じる映画だった

    ただ、絵の美しさ、音のリアリティも相まって最後まで目が離せない映画になっていた

    世の中には断片的な映画もたくさんあるくらいなのに、最後までしっかり主人公がいて、ストーリーもある。それでいてこの強度を保っている

    というのがこの映画が評価される所以な気がした

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  • 「“死刑囚”に会い続ける男」を見た

    TBSのドキュメンタリーだ

    僕は昔から、犯罪心理に興味があり、特に、死刑囚の描く絵や言葉は、現在進行形で起こっている文明の問題点のすべての結果なような気がして、興味深く考えていた

    このドキュメンタリーでは何人かの死刑囚との交流を記者が報告するような形で紹介している。

    それらについて、思ったことを整理してみる

    犯罪が悪いということは言うまでもないので、そのうえで、感じたことを言語化してみる

    結果としての犯罪

    世の中の結果として犯罪があるのだと改めて感じだ

    幼少期の家庭環境が劣悪だったり、そういったすさんだ環境で育った人間は犯罪的な思想になりやすいのだと思う

    それについては、社会の責任もあるのでは、と感じた

    世論なんかを見ていると、犯罪者=悪みたいな決めつけが横行している気がする

    そういうのは気軽に発言して良いものでもないし、そういうものを気軽にしてしまう現代だからこその、凶悪犯罪があるんだと思う

    悪いものは退ける。その結果として凶悪犯罪があるのでは、

    凶悪犯罪は社会の結果としても起こりうるのだというのは、ネットリテラシーの一つとして全員知るべきだ

    表現としての犯罪

    表現の手段として犯罪があるケースもある

    自分の主張を受け入れてもらえないから暴力で強制的に受け入れさせる

    その結果はたいてい、犯罪だ

    ただ、自分の主張を受け入れてもらう。というところまでは表現だ

    その点、僕も物語を考えている人間なので、その気持ちは理解できる

    そう考えると、自分と犯罪者の違いが法を犯しているか否かくらいの違いしかないようで、不安になる

    法を犯しているか否かというのは重要なことだが、個人的には、法というのも完璧だとは思っていないし、

    先ほどの話にもあった、結果としての犯罪なのであれば、僕はただ単に運が良かったからこうして善良な市民として生きているだけな気もしてきた

    そういう考えがあるので、僕は犯罪に関して興味がある

    塀の中の犯罪者と塀の外の犯罪者

    塀の中の犯罪者はとても気持ちの整理ができていると思う

    自分のやったことがどういうことかを理解しているので反省している

    反省していない囚人もいるが、そういう囚人は自分の主張が整理され、一貫している

    少なくとも、ドキュメンタリーでは、なぜそういうことをしたのかを説明できない人は出てきていなかった

    刑務所内ではもちろん、娯楽も生活環境も、質素で最低限だ

    だからこそ、自分の気持ちを考える時間が多く、結果として自分の気持ちを整理できるのかもしれない

    ただ、これは刑務所の中だからというだけの話だ

    その囚人がもし、刑務所の外にいたら。反省して涙を流しているようなことはないだろう

    なぜならその気持ちを紛らわすものがたくさんあるから

    犯罪にだって手を染め続けているかもしれない

    逆に、街中で犯罪を犯す犯罪者が刑務所に入ったら、急に反省しだすこともあるだろう

    つまり、環境がその時の人間に反省をさせているだけだ

    それがその人の本性なのかについては何とも言えない気がした

    だから何というわけではないが、

    世の中には刑務所ボケという言葉もあるくらいだ

    刑務所の中だからこその後悔の念だが、外に出たらまた別の人間になってしまうということもあるのでは、と思った

    まとめ

    このドキュメンタリーは一見すると、死刑囚を擁護するような立場から構成されている気がする

    個人的にはそれでよいと思っている

    犯罪に対してバッシングするのは世の中当たり前のことだ

    その当たり前を認めたうえで、こういった死刑囚側にマイクを向ける映像というのは意味があるのではないだろうか

    ただ、同時に考慮しないといけないのは、僕もそういう、犯罪者への理解が必要だという考えを持っているということだ

    そういう考えを持った状態で見ているドキュメンタリーなので、そういうバイアスがかかった状態でこういう文章を書いている可能性もある

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  • 「魔女の宅急便」を見た

    昔、蔦屋でレンタルして以来、久しぶりに見た

    ブルーレイを購入してみた

    全体的なストーリーは、にぎやかで、エンタメとしてよくできていると思った

    ジブリ作品の中でも、エンタメ要素という点においてはとても分かりやすく楽しめる作品だと思う

    クライマックスの飛行船の下りも、特に違和感なく見ていたが、ネットの評価などを見ると、あの展開がいらないという意見も少なからずあった

    確かに、思い返してみると、あの展開が急に起こるので、そこに違和感を覚えて、あの展開に対して疑いから入り、結果。いらないという結論になってしまう人もいるのかもしれない

    個人的には、キキの自信でもある空を飛ぶという機能を代替する飛行船はこの作品にのクライマックスにうってつけのモチーフだと思う

    巨大だし、絵も派手になる

    なので、飛行船の展開は必要だとは思うが、そこに転換するのがいきなりすぎた

    飛行船が不時着したという布石は中盤に行われていたからよいとして、急に風が吹くというのもしっかりと布石として見せるべきだった気がする

    あの風はあの町のあの季節によく吹くようだ

    であれば、街にきてキキが飛んでいるとき、その風にあおられて失敗してしまったり、

    そのわけを地元の人に聞いて、この季節にこういう風が吹く。というのも布石として説明すべきだった

    たしかに。初見で見た時はそこまで気にならなかったが、あの事件が起こる原因2つのうち1つがいきなり出てきた要素なので、とってつけた感はある気がした

    と書いていて思ったが、あの風は、渡り鳥と一緒に飛んでいるときの風が布石になっていたのか?

    もしそうだとしたら、セリフで説明してくれないとわからないよ、

    空を飛ぶトンボ

    トンボはキキから見て、憧れの先みたいなキャラだが、そのキャラの好きなものが空を飛ぶことなので、そこに関してはメッセージがあるのだろう

    トンボがもし空を飛ぶということに対して無関心な人間だったら、

    この作品のストーリーにおける、空を飛ぶというものが、キキとその周辺だけの話になってしまう

    キキも、トンボも、クライマックスも、空を飛ぶということを印象的に見せつつ物語が進んでいくので、トンボも空を飛ぶのが好きでないといけない

    この作品では、空を飛ぶということが、キキとの関係を表すサインになっている

    では、トンボが空を飛ぶのが嫌いな人間だったら?

    それはそれで、キキが現実逃避するだけの話みたいになってしまう

    空を飛ぶのが嫌いな人間と仲良くするのは、キキが成長していない雰囲気を醸し出してしまうので良くないだろう

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  • 「東京物語」を見た

    70年くらい前の古い映画だ

    戦後日本の家族の変化を描いている

    前々から所々で話題を耳にしていたところで、病み上がりの暇な時間に見てみた

    カメラアングルについて

    個人的には、カメラアングルが一番印象に残っている

    最初は、日本家屋特有の直角でユニット化された構造を生かしたカメラアングルなのかと思ったが、そうでもなかった

    カメラを上にも下にも振っていない

    そして、動かしていない

    これは僕も良くやる手段なのでいち早く気付いたのかもしれないが、カメラを動かさないというのは、無駄な情報をそぎ落とすという点で効果的だと思っている

    だからこそ僕は簡単にカメラを動かせてしまう3Dがあまり好きではないし、隙あらばカメラを動かそうとするアニメーションも、あまり好きではない

    東京物語の話に戻ると、

    画面のレイアウトがこの、真横にカメラを向ける。というような考え方で作っていた気がする

    もちろん、あおりや俯瞰のカメラもあったが、中途半端に上を向いていたり、下を向いていたりするカットが少ないように思えた

    画面を図形として配置しているようで、個人的には好みの雰囲気だった

    あとは、カメラを動かさないというのも良かった

    これも僕好みなだけかもしれないが、動かさないことで生まれる情報の削減も良かったし、この作品の場合は、それによって生まれる独特な雰囲気が良かった

    独特な雰囲気というのは、役者の演技でもそうだが、全体的に漂う怖い、不気味な雰囲気だ

    なんだか魂が抜けたような恐ろしい感じがこの作品の持つ雰囲気な気がした

    そういうのを演出している要因の一つに、この、カメラアングルが規則的。というのがある気がした

    独特の雰囲気について、セリフがカットをまたがない

    役者の演技などがぎこちないというのは見ればわかるが、それ以上に面白かったのが、セリフがカットを跨いでいないということだ

    なので、最初から最後まで一定のリズムで進んでいる感じがした

    カットのタイミングに生命力が感じられない

    淡々と語る役者を淡々と語るカットで作品をつくっているので、これだけの雰囲気を持った作品になるんだろうな、と思った

    これに関しては、確か、メタルスキンパニックというだいぶ前の劇場アニメでも同じようなことが見られた

    こっちの場合はおそらく、絵コンテの力不足で、単なる紙芝居みたいな運びの作品になっていたが、東京物語の場合は違う。そういう演出の効果を理解したうえで利用するという、高度なことをしているのだろう

    1950年ごろの東京

    70年近く前の東京の映像というだけでも、楽しめた

    東京タワーすらない頃の東京だと思う。バスツアーでの下りで確か、皇居の向こう側にもテレビ塔が少し見えていた

    東京タワーが完成した後はそういうテレビ塔も無くなったので、テレビ塔が在りし日の東京の雰囲気を感じられただけでも面白かった

    あとは、冒頭いきなり個人的に興奮したのが、お化け煙突と、そのあとに映された、うしだ の文字だ

    というのも、僕は東京電機大学の北千住キャンバスに通っていたため、近くにかつてあったお化け煙突というのは知っていた

    うしだというのも、牛田駅の前にある京成関屋駅から通学していたので、すぐに分かった

    そういう、見知った場所の70年前というだけでも楽しかった

    たぶん、あの辺りは相当散歩しているので、映画のロケ地も歩いたのだと思う

    見慣れた橋があったり、同潤会アパートの中の様子だったり、そういうものを感じながら見れたので楽しかった

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  • 「何者」を見た。

    先ほど、桐島部活やめるってよを見たので、同じ原作者つながりで何者も見た

    面白い話ではあるが、桐島部活やめるってよ程ではなかった

    桐島のほうが凄すぎたというのもあるが、個人的に気になった点がいくつかあった

    タイトル

    この作品に、何者というタイトルは少し安直すぎる気がした

    桐島部活やめるってよ。というタイトルを生み出した作家がつけたタイトルとは思えない

    この作品は就活生たちが本当の自分に迫る物語だが、それはまさしく、何者かを探す物語だ

    つまり、物語のテーマをそのままタイトルにしている

    別に悪いわけではないが、少しストレートすぎる気がした

    登場人物たちみんな揃いにそろって性格が悪い

    登場人物の性格が悪いので、見る人によっては嫌な気持ちになる気がした

    個人的には、性格の悪い人間を見ているのは嫌いではないので、この作品も楽しめたが、それとは別に、共感もできないし、現実感もない気がした

    性格が悪い人がそろってしまうことを肯定できる設定があると現実感が出たかもしれない

    あとは、なぜ登場人物の性格が悪くなったかも、掘り下げると共感できたかもしれない

    そのあたりは原作では語られているところなのだろうか?

    それとも、あえて掘り下げない感じにしているからだろうか

    なんかギクシャクした人たちを見守るだけの作品になってしまっている

    もちろんそれも面白かったし、この作品の大きな見どころになっている。

    ただ、例えば、デスノートの月のように、警察官の父親に育てられたが故の過度な正義感だとか、

    イケメンで頭が良いが故の他人を尊重していない感だとか、

    そういうバックボーンがあまり描かれていなかったのが気になった

    家がおしゃれ、広い

    就活生にしては良い部屋に住みすぎでは? と思った

    2LDKくらいの部屋だ

    壁のスイッチから察するに、そうとう古い建物のようだが、それでも2LDKは都内在住の大学生にしては広すぎるだろ。と思ってしまった

    一人暮らしを想定しているような設定だったし、

    ちょっとそこで、現実感がなくなってしまう気がした

    総じて言うと

    総じて言うと面白かった

    気になる点はあったが、就活生特有の雰囲気はリアルに表現できていたと思う

    良い実績は語るくせに、悪い知らせは語ろうとしないところとか、リアルだった気がするし、

    そういう、序盤には嫌な奴っぽかった人が最後にはまじめな人間になっているところも面白かった

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  • 「桐島、部活やめるってよ」を見た

    とても良い映画だった

    高校という雰囲気もリアルだったし、構成もユニークだったし、ストーリーも面白かった

    桐島は関係ない

    この映画において、桐島は全く出てこないし、映画のメッセージとしてはほとんど意味をなしていない

    桐島が部活をやめるのはどうでもよく、単なる話のきっかけでしかない

    いや、むしろ、意味を成していないことに意味があるのかもしれない

    直接的に関係のないことで、ここまでの大ごとになってしまうということが大事なところだ

    スクールカーストというものをテーマにしているようだったが、それは宙に浮いたような根拠で形作られる

    それを表現したいのであれば、話のきっかけとなる事件はスクールカーストとは関係あってはならない

    桐島が部活をやめるというのは多くの人にとってどうでも良いことだし、映画部の人たちなんて、桐島という人間を知らない可能性だってあるくらいだ

    そういうどうでも良いきっかけで右往左往する様子を楽しむ映画だ

    楽しみ方がほかの映画とは違う感じがした

    高校の雰囲気について

    どこの高校でもこういう雰囲気なのはわからない

    が、高校特有の、なんとなく流れている時間のような雰囲気が強く伝わってきたので、そこは良かった

    セリフも、台本に書いてあるセリフを読み上げている雰囲気ではなく、本当に会話しているような、そういう雰囲気がしてよかった

    屋上で乱闘するシーン

    あのシーンはこの映画でも一番盛り上がるところで、とても良かったが、反面、良くないと思うところもあった

    あのシーンは途中から、特殊メイクなどが本格的になり、臨場感のあるゾンビ映画風の映像になるが、あれはおそらく、映画部の生徒の妄想なのだろう

    取っ組み合いになった後、乱闘になり、その様子が自分の撮りたいものだと気づいて、無我夢中でカメラを向けた

    本当は特殊メイクも血のりもないのに、あたかもそれがあるような映像がその生徒の目には映っていた

    ただ、それは単なる妄想であって、実際はそんなことはなかったという小さいオチだ

    この見せ方はとても面白かった

    そもそもこの映画は構造自体がユニークだが、このシーンの臨場感は別の意味でユニークだった

    おそらく、抑え込まれていた人間の頭の中の妄想という、抽象的でカメラに映らないものを映像にしているから面白いのだろう

    これが、スクールカースト上位の人間の妄想だと、つまらない

    現実と妄想が乖離しているという、スクールカースト下位の映画部部員だからこそできる見せ方だ

    そういう点は良いと思ったのだが、ここで当てられている音楽に、吹奏楽部の演奏を入れていたのはちょっと意味が分からなかった

    確かに、あの絵で吹奏楽部の音楽はマッチしていた

    ただ、あの場面が映画部員の妄想を形にしている場面なのであれば、少なくとも吹奏楽部の音楽ではないのでは?

    あそこに吹奏楽部の音楽を充てるという発想は、この映画自体の監督をしている人のものだ

    ここがちょっと紛らわしい気がした

    映画の中の監督の脳内妄想を見せる絵に、この映画自身の監督の演出意図を合わせてしまっているので、音と絵で伝えたいものが違って見えた

    確かにあの場面で吹奏楽部の音を使ったのは演出としては正解だろう

    ただ、本当にその展開に沿った音を入れるのであれば、別のものにすべきだ

    ……とは書いてみたものの、確かに。あの吹奏楽部の音よりもあの場面にマッチした音は無いかもしれない

    音楽なしで見せるか、それともあの映画部員が自主制作映画で使ってそうな安い音源にするか、

    どちらにせよあの吹奏楽部の音よりは迫力に欠ける

    本当にアーティスティックな映画ならば、あの場面で吹奏楽部の音を使うことは無いのだろう

    ただ、ユニークではあるが、一応この映画もエンタメ映画だ

    あの見せ方は結局正解なのかもしれない

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  • 初代ゴジラを見た。1954年、東映の映画。

    昨日、39度近い熱を出して、その影響で今日も本調子ではない

    なので、ゴジラを見た

    ゴジラは一大コンテンツではあるが、僕は、シンゴジラと-1.0しか見たことが無かった

    初代は70年くらい前の作品だが、シンゴジラなどと同じような構造の映画だった

    基本的にはパニック映画のような感じで、それに翻弄される人間模様も絡めつつ映画にしたような感じだ

    作品のメッセージについて

    初代ゴジラは明らかに、環境破壊、反テクノロジーのようなものが感じられる

    それに関しては僕も全く同じことを感じている人間なので、それを上手に設定に組み込んでいることについてはすごいと思った

    ゴジラは悪ではなく、反省するべきなのは人間だ

    永久凍土の中に含まれていた未知のウイルスが地球温暖化により溶けだして世界を脅かすというような映画も過去にはあったが、それと同じ構造だ

    作中では直接的にそれについて説教じみたことを言うわけではなく、その設定段階ですでに説経をしているという作りだ

    そうするとなぜだか、映画に説教されている感覚にならないのが不思議だ

    そういう映画は究極的な嫌味、皮肉なのかもしれない

    説教というのは実際に言葉にして伝えるものだが、皮肉や嫌味は結果的に被るものだ

    自らの首を自らで絞める様子を、私情を交えずにカメラを収めるのは説教ではないと人は感じるのだろう

    人が私情によって人に干渉するのは説教だが、人の振る舞いの結果が人に干渉するのは因果応報だ

    説教と因果応報の違いが、映画を作るうえで大事なのかもしれない

    両者ともにメッセージを伝えるという点において変わりはないが、見る人の説教された感は違うものとなるのかもしれない

    映像について

    だいぶ古い映像というのもあり、CGなどは使われず、破壊のシーンは特撮となっていた

    ミニチュアを作り、それを破壊したりしている

    そこに、逃げ惑う人々を合成したりしているようだった

    今と比べても、カメラがそこまで高機能というわけではないので、黒つぶれしている箇所、白つぶれしている箇所が目立った

    ただ、それがむしろ、何があるのかわからない不気味さを醸し出している気がした

    銀魂の映画で、暗闇で斬りあっているシーンがあった

    そのシーンでは、音のみがよく聞こえるが、暗闇で何が起こっているのかはよくわからない

    単に画面の性能が悪かっただけかもしれないが、とにかく。肝心なものを見せずに、音などの一部の要素だけで場面を語ると、見る人に想像の余地が生まれる

    初代ゴジラのような画質の悪い映像では、そういう。想像力の補完が良く効いているのでは? と改めて感じだ

    それに関しては、僕は3DCGをあまり好きになれない理由の一つだ

    説明しすぎるので、見る人に想像の余地を与えない

    抽象的な映像はそれだけ解釈に幅が生まれるので、それを上手につかった映像はレベルの高い映像だと思っている

    初代ゴジラに関しては、図らずもという感じだが、それを満たしているので、楽しく見れたような気がした

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  • 宮崎駿監督作品、「風立ちぬ」を見た

    最近はジブリのブルーレイディスクをそろえている

    風立ちぬも、昔レンタルで見たが、あれからしばらく経ってしっかり見てみたくなったので、ブルーレイを買って見た

    印象としては、もちろんジブリ作品なので、言うまでもなく素晴らしい作品で、

    作画は美しいし、見せ方も面白かった

    ちょっと尺が長いのは疲れたが、それを感じさせないくらい濃い内容で面白かった

    宮崎監督は昔からいろいろなものを映画に込めている人間だと思うが、今回の作品は結構、セリフで説明するカットが多かったな、という印象があった

    セリフに限らず、結構説明してくれる。宮崎監督にしてはサービス精神旺盛な映画な気がした

    ただ、個人的には、わかりにくい宮崎駿の映画が好きだったので、もっと難解で、繰り返し見ないとわからない感じのギミックがちりばめられたもののほうが良い気がした

    あとは、この映画、クライマックスがエンタメ的ではない気がする。

    そこに関しては良かったと思う

    エンタメ映画のための体裁にのっとりすぎると、終盤で分かりやすい見せ場を持ってきたりしがちで、実際、過去のジブリ作品にもそういったものはあった

    それは一般受けしやすい映画になるのかもしれないが、個人的には、謎を残して終わるミステリアスな映画も好きだ

    そして、風立ちぬは、比較的。ジブリ作品の中ではミステリアスな終わり方をしている

    ラストのシーンもたぶん夢の中だったと思う

    パッケージ化されて美しいクライマックスがある作品も面白いが、無理にそれをやってしまうのが一番よくない

    音楽で盛り上がりを強制的に作ったりというのは印象の押し付けでしかないので、それは映画の作り方としてはあまり好きではない

    かといって、本当に上手な監督は押し付けているのを感じさせないくらいに押し付けてくる

    というか、押し付けるのではなく、引き出していると言った方が良いかもしれない

    宮崎監督の場合は、過去の作品だとまだ押し付けっぽいものも感じられた

    そんなところで、この風立ちぬでは、クライマックスを飾ろうとしていない気がした

    その潔さが個人的には、この映画の魅力に感じられた

    ほかにも、地震などのシーンでの人の声を使ったSEなど、一時は最後の作品だと言われていただけあって、ほかの作品にはない空気感があった

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  • 七人の侍を見た

    七人の侍を見た

    実は、黒澤明監督の映画を見るのは初めてだ

    日本映画史上最高傑作ともいわれている作品なので、期待してみた

    感想としては、やはりすごく良い出来で、日本映画最高傑作ともいわれるだけのことはあった

    が、たぶん、今まで日本国内で上映された映画をすべて見たらこれ以上の作品もあるのでは、という感じだった

    今まで見た映画の中で、良いと思ったのは、その男凶暴につき、ソナチネ、シャイニング、タイタニック、君の名は、という感じだろうか

    そのラインナップに七人の侍は十分に加わる。それくらい良かった

    が、気分によってはタイタニックも良いし、君の名はも良いし、北野武監督作品も良いし、という感じだ

    画面のレイアウトについて

    画面のレイアウトに一番感動した

    レイアウトというか、コンテの作り方。音も含めた見せ方の面は本当にすごい

    その点においては今まで見たどの映画よりもすごい気がしたし、それを70年も前に映像にしているのは常軌を逸脱するくらいすごい

    人質を取って立てこもっている盗人が斬られて倒れるシーン。倒れる瞬間だけ無音になって、しかもスローモーションだ

    その見せ方は今となっては無くはない見せ方だが、逆に言えば、70年もたって通用する見せ方を日本の映画でやっていたことはすごいと思った

    現代の映画でやってもすごい演出だと思うのに、やはりそういうところは最高傑作と言えるくらいすごかった

    それ以外にも、あのあたりのシーケンスは川の音で人の声がかき消されているような見せ方だった

    見知らぬ人々が何かを話している。何を話しているんだろう? という、観客の疑問を邪魔しないような音の作り方だ

    それでいて、しっかりとした表現の一つになっている

    この映画は脚本を見せるだけではなく、芸術的な雰囲気をまとった、劇的な見せ方が多くあった

    個人的に思うのは、カメラの画面の中に被写体を収めるのではなく、被写体を陳列する。というような考え方で映画を撮るべきだと思っている

    これは僕の完全な趣味かもしれないが、キューブリック監督など、個人的に凄みを感じる監督の画面は、画面を3Dではなく2Dとして、図形としてとらえている気がする

    そういう見せ方が黒澤明監督の画面にもあった気がした

    村の娘が土壇場で若い侍と交わった後、泣き崩れる父の向こうにこれまた泣き崩れる娘の姿が同じ画面に収まっていた

    あの画面は図形として美しく配置されていた

    今思えば、あの構図では、父さんと娘。結構な距離の差があるだろうからピンボケせずに撮影するのは難しかっただろう

    この作品は望遠レンズの使い方が上手だったのかもしれない

    70年も前に、夜の暗い場所で、あれだけ広範囲にピントを合わせる望遠レンズなんてあったのだろうか。

    なければあの画面にはなっていないからあったんだろうな

    やはり、制作費が普通の映画7本分なだけはある

    脚本について

    脚本についても面白かったが、それに関しては上の中くらいの面白さの脚本だった気がする

    活劇物としては優秀で、今の時代に見ても楽しめる時点ですごいものだというのはわかる

    キャラクターもわかりやすく、敵と味方の戦いという、シンプルな構図もわかりやすい

    エンタメ作品として成功しているし、絵のクオリティも高いので、文句の付け所が無いような脚本だ

    ただ、だからこそ、期待を裏切る感じはなかった気がする

    画面のレイアウトにあった凄みが、脚本にはなかったので、そこは少し残念だ

    とはいえ、凄み=映画の価値というわけでもない気がするので、これは単なる個人的な趣味なのかもしれない

    エンタメ映画としてみるならば最高の脚本ともいえるかもしれない

    映像のクオリティについて

    映像のクオリティに関しては、あまりこういう映画を見る人間ではないのでそこまで断じたことが言えるわけでもないが、少なくとも、大満足できるクオリティだった

    落馬する武士のところなんて、本当に怪我をしていないか心配してしまうくらいの臨場感だ

    というか、古い映画にありがちだが、明らかに怪我をしながら撮影してそうなカットがたまにある

    白鯨という映画も、水が打ち付ける中ぐちゃぐちゃになりながら撮影していたし、

    猿の惑星も。肌が露出しまくった衣装で人の背丈ほどある草むらの中を走るカットがあった。あれはだいぶ、切り傷がついたと思う

    七人の侍も、昔ならではの危険な撮影が多くあり、そのために実現した臨場感なのかもしれない

    実際、調べてみたが、骨折した人も何人もいるし、背中に矢が刺さった人もいたらしい

    今ではそういう場面になると、VFXでやってしまおうというようなことになる

    そうするとやはり、画面が寂しくなってしまいがちだ

    七人の侍では、危険を顧みず撮影しているからなのか、そういう安っぽさは感じられなかった

    一部、刀で斬られる人が作りものっぽかったり、刀の先でつついただけで人が倒れたりというのはあったが……、

    ただ、そういて言うとこの作品の臨場感。セットとしての画面のクオリティはとても良かったと思う

    ラブシーンについて

    先ほど、脚本は上の中くらいと書いたが、ラブシーンの入れ方を考えるとやはり、脚本もすごいポイントがある気がした

    この脚本でラブシーンが無かった場合を考えると、それはもうテンプレみたいな作品になってしまう気がした

    ただ、そこに性的なテーマを加えることによって、それをこの映画の後半の柱にすることができている

    つまり、裏のテーマとして、2人の愛がある

    表はアクション活劇で、裏には愛のテーマ。

    この2本立ては最高というわけではないが、この脚本を一つの美しいプロポーションにしているという点で、割とテクニカルなことだな、と思った

    総じて言うと

    総じて言うと、やはりとても良い作品だ

    映画の凄みも十分感じられる作品だったし、現代に見ても楽しめる作品になっていた

    最も好きな映画の一つともいえる

    ただ、この記事でも書いた通り、70年前でこれはすごい。というような見方でこの映画を見た結果、最高傑作という答えが出るというのもまた事実だ

    つまり、それは映画の凄さではなく、映画の時代背景を踏まえた凄さであって、映画の凄さではない

    単に映画を語りたいだけならばそういう見方でも良いのかもしれないが、それは相対的に映画を見た評価であって、僕のように。映画監督になりたい人が分析するのであれば、絶対的に映画を見るべきだと思った

    そして、絶対的にこの映画を見るならば、最高傑作ではない気がする

    この作品が日本映画の歴史に残るレベルの作品だという事実を踏まえたうえで評価するのであれば、この映画は間違いなく日本映画の最高傑作だろうが、個人的には、映画そのものの出来としては、断じて最高傑作だと言える感じでもない

    とはいえ、そうであってもこの映画は群を抜いて良い映画だ

    今後、ほかの黒澤明監督の作品も収集したい

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  • 風の谷のナウシカを見た

    以前見たことあったが、今回ブルーレイを買い、改めて見てみた。

    備忘録として記事を書く

    環境破壊に対するメッセージが強く出ているが、それを美しく物語にできているので、説教にはなっていない

    環境破壊というのは、人間とオームや腐海との関係だけであって、そこからくる世界観の上で物語を進めることで、このような作品になるのかもしれない

    展開をつなげていくうえで必要となるキャラクターの選択はこの、世界観にのっとって決まっていく

    最初から一つの柱として、人間と自然というテーマがあるので、一貫した物語になっている

    オーディオコメンタリーも見た

    細かい点で、ものすごく参考になった。

    その中でも一つ、改めて思ったことだが、

    やはり、宮崎駿の作品はなんとなくその構成にパターンがあるような気がした

    オームが押し寄せる展開は未来少年コナンの津波だし、終盤に人々が走りまわるのは他の宮崎アニメにありがちな展開だし、

    メカ関係が終盤に壊れるのもありがちだ

    ……というようなことをオーディオコメンタリーで聞いた

    確かにそうだ

    主人公はたいてい、少年少女、それも思春期前になっているし、

    古代兵器や巨大な飛行艇などもよく出てくる

    というか、これに関しては僕も、自主制作と同じ展開を今考えている物語でやっているので、なんだかそれに関して、自信がついた

    藤田将

    Fujita Sho

    1999年10月8日生まれ、千葉県出身、東京電機大学卒。
    フリーランスの3DCGアーティスト。メインツールはblender。主にアニメ関係でお仕事をしています。
    その他、シェーディングに関する研究の発信や、ジオメトリノードを使ったジェネレーターなども販売中。
    趣味は創作活動、一人旅、コンテンツの鑑賞と研究、デバイス集め。
    最近はアニメ関連の監督や、脚本のお仕事をするために修行中。


  • スクール☆ウォーズ

    スクール☆ウォーズを今見ている

    もうすぐ最後まで見終わる頃だ

    僕は、若者が何かに一丸となって取り組む成長物語が好きなので、このドラマもやはり、感動した

    だいぶ昔の作品ということもあり、現代では考えられない場面、学び多き展開もあった

    ここではそれらに関して雑にまとめる

    体罰について

    現代には体罰を理解する心が足りていない気がする

    規制やコンプライアンスによってさまざまなものの肩身が狭くなっている世の中だが、その一環に、体罰に対する考え方がある気がする

    例えば、先日。ようつべの低評価が非表示になった

    僕はその時も嫌で、ブログで記事に書いたほどであった

    僕が危惧したのは、あれによって、ようつべ内での文化の淘汰が一方的なものになってしまう気がしたからだ

    文化というのは消費者が評価をして進化していくものだが、その進化の過程に批判が働かなくなったら、文化の発展が偏るような気がした

    クリエイターを守るという観点で低評価を非表示にしたのかもしれない。その考えに関しては僕もクリエイターの一人なので理解できるし、うれしいと思う気持ちもある

    ただ、その気持ちは規制強化、コンプライアンスによる表現幅の単一化、そして、体罰を嫌だと思う心。つまりは人としての弱さの表れなのでは、と思った

    もちろん、行き過ぎた体罰は良くないし、そもそも体罰ではなく単なる暴力みたいな事例もあるだろう

    ただ、人間も株価も文化も、すべてポジティブとネガティブのせめぎあいで動いている

    そこからネガティブを取り払おうとするのは自分自身すらも制御できる存在であれば必然の流れだ

    ただ、それはもとからあるシステムに手を加えるということになる

    生態系だって、一つを取っ払えば全体が傾く

    人間も同じな気がする。嫌なものを取り払えば幸せになるというのは幸せというものに対する考え方が足らない気がする

    その結果、今の人間社会が出来上がった。目先の苦痛を取り払い続けたら、こういう世界になった

    その一端として、体罰への不信感がある気がする

    不必要な苦痛を与える必要はないが、ただ、多少の体罰は人生経験の一環として認められるべきでは

    ネガティブを取り払った先にあるのは、幸福に溺れる歪んだ世界だ

    人が3人くらい亡くなっている

    物語を通して、3人亡くなっている

    それぞれは感動する展開になってはいるが、ただ、やはり3人はやりすぎな気がした

    そういう、展開のレパートリーの少なさは「家なき子」を見た時も同じことを感じた

    引き出しを増やして、展開の幅を広げたい

    その後の展開を先取りした行為

    花園での決勝戦前、帰りの切符を破り捨てる展開があった

    今夜は先生と飲み明かすという展開を、切符を破るという行為によって表現している

    何かの展開が起こる前、もしくは起こった後でも良いかもしれない。その展開を小さなアクションによって伝える展開はいろいろなところで応用できる気がした

    何か起こることが大事

    これは最低限の話だが、何かが起こるということが大事で、それが起こったという認識が楽しみにつながる

    何かが起こるというのは、何でもよい。がれきが崩れるタイミングに粗密を持たせて意識させるのでも良いし、逃げ惑う野次馬の一人が転ぶだけでも良い

    そういう、何かが起こったという情報を事細かに入れることで、展開の繋がりに面白さが生まれる

    スクールウォーズに限った話ではないが一応メモっておく

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  • クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦

    「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」を見た

    しんちゃんの映画の中ではおそらくとても人気のある一作で、僕も、子供のころに見て記憶に残っていたので、この度改めてDVDを買って見てみた

    この映画は90分ほどの作品だが、体感としてはもっと短いようにも思えた

    しんちゃんがタイムスリップし、野原一家がタイムスリップし、いろいろ頑張って戻ってくる

    という、物語を成立させるうえで最小構成のような展開で構成されている気がする

    あまり話を膨らませず、淡々と展開を重ねて構成されている気がしたので、そこまで長いと感じなかったのかもしれない

    春日部防衛隊っぽい子供たちとのくだり以外に、目立った日常展開がなかったような気がする

    それ以外は、又兵衛の心中だったり、当時の情勢だったり、そういうものを説明するという明確な目的がある展開のみだった

    なので、この作品は比較的、無駄のない展開でぎゅうぎゅうに詰まったストーリーになっている

    例えば君の名はだったら、瀧くんと三葉がイチャイチャする様子が序盤にあるが、あれはあの雰囲気を伝えられればそれでよいので、具体的にこれをしないと物語が進まない。というような仕掛けではなかった

    ただ、このしんちゃんの映画に関しては、これを解禁して、次にこれを解禁して、というような仕掛けが連続し、数珠繋がりにクライマックスまで行ったような印象だ

    だから、割とぎゅうぎゅうに詰まった印象だったのかもしれない

    エンディングについて

    エンディングは二中のファンタジー体育を休んだ女の子篇だ

    もともとノスタルジーな雰囲気の曲だが、そのノスタルジーを加速させるような、BG素材のみでのエンディングになっていた

    定かではないが、この曲の雰囲気を理解してこういう見せ方にしたのかもしれない

    もしそうなのであれば、とてもセンスがあると感じた

    展開のメモ

    しんちゃんが夢を見る

    しんちゃんがタイムスリップ

    しんちゃんが戦国時代でいろいろ

    そのころ、ひろしとみさえは心配し、いろいろ調べたりしてタイムスリップ

    ひろしとみさえの話もあり、戦略結婚は断ることに、ただ、その影響で戦が始まる

    野原一家の活躍などもあり、戦は終わる

    最後、又兵衛が殺される

    野原一家は元の時代に帰る

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  • ダイ・ハード

    少し古い映画なので映像面はそこまで期待はしていなかったが、アクションも映像も派手で面白かった

    上昇するエレベーターや、屋上から飛び降りるシーンなど、舞台を上手に使ってハラハラ展開を作り出しているという点がとてもよかった

    多少無理をするとご都合主義っぽい感じになってしまうが、そういう感じにもなっていない

    かつ、そこで起こる俳優のアクション、行動によって次のストーリーに繋がっていく感じが良かった

    薄いダクトの中を張って逃げる展開で、ライターの火から漏れ出た光によってダクトの中に逃げ込んだことが敵にバレる

    バレた後、薄いダクトを捜索され、銃で穴があけられる

    そういう、舞台装置を使った無理のないハラハラ展開が多く、こういうたぐいの映画にしては現実的で、それでいて面白く作ることができている

    エンタメ作品として、テロリストの目的が政治的な要求ではなく、金銭だという点も、配慮ができている気がした

    必要のないメッセージは省くことでエンタメ要素が強まるのかもしれない

    無線が電話のように使われる展開だったり、金庫の安っぽさだったり、そういう惜しい点はありつつも、総じて言うと面白い映画だった

    おそらく、ダイハード2もそのうち見る

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  • ドラマ「家なき子」を見た

    家なき子を見た

    テレビドラマをおそらく見たことがなかったので見てみた

    同情するなら金をくれ! のセリフを知っていたという理由でこのドラマを見たのだが、面白かった

    そもそも僕はこういう闇が深い系の物語が好きなので、やはり楽しめた

    あとは、ドラマということもあり、人間が演じている。

    惡の華を見た時もそうだったが、リアルな絵柄でドロドロした物をやると、こっちまでハラハラするような居心地の悪さを伝えることができる

    やはり没入感はデフォルメされたアニメにはないものがあるので、そういうポテンシャルをフルに生かすことができるこのジャンルなので面白いのだなと思った

    ストーリー的にも面白かった

    かなりご都合主義なところはありつつも、人間が騙しあい、汚い部分を隠しながら戦っている様子が良かった

    一番良い人なのはアウトローな医者

    この物語で一番良い人は終盤に海外に行ってしまったアウトローな医者だと思う

    猿の惑星で言うところの、博士のような立ち位置だ

    基本的には悪役のような感じで描かれるが、彼の言っていることが個人的には一番正しい気がする

    そして、それを言うに足りる能力もあるし、自分の力を使って有言実行もする

    世界に対して自分の信じる正義をただ淡々と実行しているという点で、あのアウトローな医者が一番正しい人間な気がした

    すず以外の悪い人間

    あとは、悪い人間に関しては、ほとんどの人間が仕方がないことだと思った

    このドラマの登場人物は過去に何かしらの悪いことが起こって、それによって変わってしまった。周りに対して悪事を働くようになってしまったという人間ばかりだ

    そういう人間は善人ではないが、悪人でもない気がする

    悪人というのは結果としてあるだけであり、その人がそうなりたくてなっているということでもないので、皆、普通の醜い人間だ

    主人公のすずについて

    対して、主人公のすずは悪人ではない気がした。が悪人に見えなかったのはなぜだろうか

    それは、自分が受けた痛みを他人に向けることをしないからだ

    誰かから受けた痛みを別の誰かに向けるのは醜悪な人間のすることだ

    ただ、すずは違う。誰かから受けた痛みはその誰かに向けている

    すずにとっての悪事は無差別な八つ当たりではなく、明確に仕返しとして描かれている

    なので、すずが行った行動には根拠が感じられ、結果としてすずというキャラクターは善人のような印象になったのだろう

    すべての元凶はすずの母親

    あと、この物語のすべての元凶はやはり、母親にある気がしてならない

    脚本のメッセージを素直に受け入れるならばの話だが、母親が変にすずと父との関係を隠さなければこうはならなかった

    そもそもすずはいい子なので、いじめられなければいじめない人だ

    父親を変えてしまった絵の評論家がきっかけなのは言うまでもないが、その評論家くらいの悪人はこの物語の世界にはあふれているようだった

    なので、その評論家が生んだ悲しみだけであれば、ここまでの悲劇にはならなかった

    ただ、その後、母が父親に関してすずに隠し事をしたまでにここまでの話の広がりようになってしまった

    結果、著名な芸術評論家も亡くなり、大企業の女社長も、その跡取りも亡くなり、犬も一匹死に、すずも少年院に入り、自身も死んでしまった。

    無自覚とはいえ無神経ではあるこの母が個人的には一番の元凶な気がする

    悪人ではなく元凶なのがまた悩ましいところではあるが、少なくとも一番被害を拡大させたのはあの母親だと思う

    展開が読めてしまう

    あと、脚本的に感じたのは、展開がやはりワンパターンすぎるところだ

    階段から3回くらい人が落ちてるし、犬のリュウも何回か怪我してる

    社長令嬢に関するお見合い話も2回くらいあった気がする。ちょっと前に見たことあるような展開が結構あった気がした

    あとは、カメラワークも劇的ではなかった

    アニメに慣れているからかもしれないが、お見合い話に孤児たちで乗り込むときのカメラアングルは完全にドリフのそれだった

    なのでどこかコメディっぽい雰囲気が漂っていて、なんだか惜しい気がした

    そもそもこれだけ事件が起きても警察に通報することをしないのはリアリティにかける気がした

    それで話が面白くなっているので良いが、ただ、いかに現実的に、話を面白くするかというのが脚本家の見せどころなのでは? とも思った

    まとめ

    昔のドラマはこういう雰囲気が多いのかはわからない。この作品はとてもおもしろい作品だったので、家なき子2や、ほかの名作ドラマも今後見てみようかと思う

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  • 「カリオストロの城」を見た。宮崎監督初期の作品

    オープニングで世界観に引き込む感じがすごく良かった

    音楽の良さもあるかもしれないが、ノスタルジーな雰囲気がよく伝わってきた

    小鳥のさえずりが環境音として入っていた点が良いように働いている気がする

    あの音があることで、そこが静かな場所なんだと理解できる

    そのあとの全体的な展開も、エンタメ感が強くて良かった

    この作品は、エンタメ展開に力が入れられている気がする

    宮崎監督がまだ若手で、かつ、シリーズ物の作品というのもあるのかもしれないが、ほかのジブリ作品にはない切り口のハラハラ展開が用意されているような感じだった

    コメディっぽい雰囲気も持っているので、ジブリ作品とはまた一つ違った宮崎監督の世界観が見れる

    とはいえ、しっかりと作品のメッセージは込められている

    城というロケーション、映画の中では語られない設定も凝っているようで、そういうところはやはり宮崎駿っぽいものを感じた

    この作品は宮崎監督作品の中でも結構好きな部類かもしれない

    僕は雰囲気に浸るためにアニメを見るタイプの人間なので、作品に必ずしも高度なメッセージが入っている必要もないとも思っている

    その点、このカリオストロの城は、世界観、映像の雰囲気がとてもよかった

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  • 「千と千尋の神隠し」を見た

    千と千尋の神隠しを見た

    確かこの映画はまだ一回しか見たことがなかった

    この度、ブルーレイディスクを購入したので、今後は定期的に見たいと思う

    この映画はジブリの中でも特に評判になっている作品だが、その理由の一つに、現実世界とジブリワールドとが陸続きになっている点がある気がした

    これは、異世界転生物語が流行っているのと同じメカニズムだと思うが、

    現実世界と魅力的な世界観が陸続きになっているというのは、見る人が作品に没入するのを容易にする

    ジブリは特に、世界観が魅力的なコンテンツでもあるので、そういう世界に浸りやすいという点で、この作品は話題になったのでは?

    と感じた

    個人的には、この作品はジブリの中ではそこまで好きな方でもない

    世界観は特異で、もちろん絵もきれいなので、好きな作品ではあるが、もののけ姫のような凄みは少ないし、火垂るの墓のようなメッセージも弱いと思うので、とても好きというわけではない

    世界観の魅力度で言うならばこの作品はジブリの中でもトップクラスに良いと思うが、それ以外で言うとやはり惜しいところもあった

    例えばクライマックスの盛り上がりなどは、盛り上がったというよりも盛り上げたと言った方が近いような感じになっているのが気になった

    最後、豚を何頭か並べて、お父さんとお母さんを当ててみろという展開があったが、あの展開は本当に必要なのか疑問に思った

    わかりやすいクライマックスなので、音楽もそういう感じのものが使われていたが、あの展開は映画を締まりよく終えるためだけの展開なのではと感じてしまう

    あの場で豚の中から選ばせるということをしないと元の世界に帰れないという設定があるので、あの展開が必要だったのかもしれないが、それでも、あの中に両親はいないのだから、わざわざあの場に行ってあの展開をする意味もよくわからない

    もしくは、あの行動に何か宮崎監督の伝えたいことがあったのだろうか

    であればよいが、それにしても。あのシーンのクライマックス感はなんだか中途半端な気がした

    クライマックスっぽくするならもっとクライマックスっぽくしても良いと思うし、個人的にはあの展開をクライマックスにするのは厳しい気がしたので、むしろもっとあっさりした感じに見せるのも良い気がした

    というよりも、この作品は盛り上がりポイントが多すぎるので、クライマックスっぽい描写がクライマックスっぽい印象になっていない

    聲の形みたいな感じだ。凝った演出を序盤からしてしまっているのでクライマックスが映えない

    千と千尋の神隠しはエンタメ作品として優秀で、見所がいくつもある

    そういう作り方は終わった感を出すのが難しいのかもしれない

    だとしたら、むしろ終わり方はそっけない感じにしてみたり。そういう作戦のもと終盤の展開を考えてみる必要がある気もした

    あとは、終盤のところで言うと、本当に細かいところだが、トンネルから出ていくカットで、千尋たちはトンネルに入ってきたカットと同じ向きに歩いて行ったが、あれは逆のほうが良かった気がする

    入ったというのと出ていったというのは逆の方向に進むという見せ方をした方が、言って帰ってきた感が出るので良い気がした

    とはいえ、やはりジブリ作品らしく、とても良い作品だった

    ほかのジブリ作品のレベルがけた違いだというのもあって些細なところでも考えてしまうが、アニメーション映画の出来としては最高に近い出来だと感じる

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  • 「空の青さを知る人よ」

    空の青さを知る人よ_1
    ©2019 SORAAO PROJECT

    「空の青さを知る人よ」を見ました

    天気を含めたストーリー

    アニメではよく、主人公の心情に合わせて天気が変わるが、僕はあのような演出はあまり好きではない

    そして、この「空の青さを知る人よ」においては一部そういう演出はあったが、この作品の場合は天気の変化がストーリーに深く切り込んでいたのでとてもよかった

    登場人物の心情の沈み込みが雨として演出されているので、とってつけたような雨ではなく、ちゃんと物語に干渉してくる雨になっている

    しかも、その雨が災難を呼び、終盤の山場になっていく

    そういう展開を呼ぶための舞台装置として雨を降らせたのは良かったと思う

    さらに、雨は上がるものだ

    そういう、感情が沈み込んで上がっていく。というのを天気によって表現しているこの作品の終盤は面白いと思った

    絵的にも、雨上がりの秩父を飛んでいく展開は爽やかでよい感じだった

    天気と感情がリンクするのはあまり好きではないが、ここまでしっかり物語に干渉してくると、良いものになるんだな、と思った

    SF設定について

    この作品はサイエンスではないが、若干のSF作品のような嘘もある

    その嘘を最初に見せる見せ方をもう少し工夫すべきだと思った

    見えない壁に阻まれている感じはこの作品の中でも大きな嘘の一つだが、その嘘が最初にあっけなく出すぎていたので、そこが微妙な感じだ

    もっと、キャラクターが驚く、戸惑う。というような、見る人が感じるであろうリアクションを登場人物がとるようにした方が、脚本に踊らされている感が減ってよい気がする

    終盤の空を飛んでいるところについて

    終盤の空を飛ぶ展開だが、あれは自分の中では賛否両論だった

    この映画のタイトルにも含まれる”空”を近くに感じられるという点であの演出は良かったが、果たして空を飛べるまでする必要があるのかは少し疑問だった

    空を飛べるので土砂崩れの中から人を救い出せたという、展開上の都合もあるかもしれないが、それだって、おじさんにはない若さがそれを可能にした。という理屈でも通る気がする。

    あの演出に関してほかに何か意図があるのかもしれないが、少なくとも僕が思った中では、あの場面はあそこまで空を飛ぶ必要がなかった気がする。

    全力疾走しておじさんを置いてけぼりにするような展開でも良かった気がする

    あそこまで割と現実的な話に収まっていたのに、終盤だけ飛躍するのはなんだかもったいない気がした

    まとめ

    この映画は面白かった

    音楽系の作品かと思わせといて、そこに重点を置いていない

    それは中途半端な気がしつつも、実際の作品はそれ以外に見るべきところがある気がしたので楽しめた

    山間の町の雰囲気を感じられる背景、演出も良かった気がする

    エンタメ作品としてよくまとまっていて、ちゃんと需要をついている感じがする。安定して面白い作品だった

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  • 楽園追放 -Expelled from Paradise-

    楽園追放 -Expelled from Paradise-_1
    ©東映アニメーション・ニトロプラス/楽園追放ソサイエティ

    楽園追放 -Expelled from Paradise- を見た

    若干の2D背景が使われていたが、ベースは3DCGで、10年前とは思えないくらいレベルが高かった

    特に終盤のバトルシーンはとてもかっこよかった

    3DCGのロボバトルシーンではトップレベルに良かったかもしれない

    やはりカメラを動かしまくる映像は3Dならではだなと思ったし、煙のタメの感じもカッコよくできていた

    バトルシーンにおいて、煙と爆発は見せ場の一つなのだなと改めて思った

    という感じに基本的には良かった作品だが、空気感が足りなかったり、そういう点は3DCGの課題でもあるのかもしれない

    この作品についてはもう少し撮影処理をした方が良かったと思う

    なんだか、レンダリング動画をそのまま背景に合成しましたみたいな感じだ

    2D背景に2Dキャラを合成するならそれでも良いのだが、今回のように2D風3Dに3Dキャラを合成するのであれば、それらを馴染ませるために多少大目にエフェクトを追加すべきだと思った

    スペキュラーやAOなど、様々なパスで書き出し、それをAeで手間暇かけて色調整するというのが僕の思う今のところの最適解だ

    カメラは動かさなくても良い

    カメラを動かした方が魅力的に映る場面であればゴリゴリ動かすべきだが、そうでない限りは動かすべきではないので、動かさなくても良い

    そういったところは今回の楽園追放はなかなか良かった気がする

    無駄に動かしてしまっている場面もあったが、無意味に動かしている感じはなかったのでそこは個人的に良いと思った

    あとは、カメラをもうちょっと望遠にしたり、被写体の位置で嘘をついたりする必要もある気がした

    個人的には、被写体の位置で嘘を積極的につくべきだと思っている

    でないと、見る人の深層意識がそれを3DCGだと判断してしまう

    今回の作品ではどの程度それをやっているのかはよくわからなかったが、少なくとも、このカットは地平線を無理にでも映した方が絵になるのにな、と思うタイミングがあった

    レイアウトの段階から3Dでやっているのだろうか、画面のレイアウトが3Dベースな気がした

    モデルも贅沢に作っていたし、キャラモデルの質も高かった

    シェーディングだけ、単純なセルルックCGっぽい感じなのが惜しいところだったが、砂漠という世界観で感じられるはっきりとした影の雰囲気を演出しているともとれるので、そこは良い面もあったかもしれない

    ただ、やはり、撮影処理をもう少ししたらさらに良くなる気がした

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  • 中二病でも恋がしたい! について、物語の型

    中二病でも恋がしたい!_1
    (C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会

    2度目の中二恋を見た

    前回見たのはもうずいぶん前で、確か、アニオタになりたてのころだった気がする

    そのころからしばらく経ち、僕の見る目も変わった気がしたので改めて見てみた

    やはり面白いが、僕は重度の中二病というわけでもないので、共感はしなかった

    ただ、終盤の、中二病が六花にとっての何だったのか、そしてそれに決着をつけるという展開は良かった

    中二病というのはこの物語では心の闇の結果としてあって、序盤はそれを用いたラブコメとして話が進む

    ただ、最後にはそれらの答え合わせのように、中二病自体について語られる

    この構成は12話1クールのテレビ放送アニメの一つのテンプレートな気がした

    何か、主人公たちの闇や暗い過去がある。それは誰しもに起こりうる欠点として描かれ、ある種の自虐ネタっぽい感じを醸し出しつつ、恋物語が進行する

    ただ、それだけだと終始日常アニメで終わってしまうので、その暗い過去、闇の源泉に触れるような展開をしてクライマックスに持っていく。

    宇宙より遠い場所も、個性的な女の子がいて、それに準ずる女の子もいて、そういった人たちの個性的な性格からくる日常展開を楽しみつつ、終盤にその個性の源と対峙するお話だ

    日常展開というくくりを外せば、さらに多くの物語に当てはまる気がする

    Sonny Boyも、angel beats!もそんな感じだった

    こじつけに近くはなるが、そういうアニメが結構多い気がする

    これはアニメづくりの一つのテンプレなのでは?

    必ずしもそういう作り方をする必要があるわけではないが、そういう作り方でアニメシリーズが構成されることがあるということか

    たぶんこの辺はヒーローズジャーニー理論とつながってくるのだと思う

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  • パッチギ!について。

    この映画についてはいろいろ言いたいことがたくさんある

    まず、あまり関係ないことだが、

    この映画はおそらく公開当初、テレビで見た

    そのころはまだ幼少期で、最初のライブで観客が2階席から落ちて救急車で運ばれるところと、そのあと乱闘するところのみを覚えていた

    もちろん今のように考えながら見ていたり、そもそも最後まで見ていたかも怪しい

    ただ、冒頭を見てその記憶がよみがえってきてなんだか懐かしい気分になったので一応書き残しておく

    そして本題の映画について、

    映画としての出来は良かった

    ちゃんとエンタメ作品になっていたし、舞台背景もおもしろかった

    物語もシンプルで分かりやすかった気がする。ギャグっぽい見せ方も含まれていて楽しかった

    ただ一つ違和感があるとするならば、子供を産む下りは必要だったのかな? ということだ

    不良少年たちの周りに一本筋が通った話があるが、それとは別に、出産に関する話がある

    もちろんそれによって、話が希望的なものになるというのは理解している。それによってクライマックスも感動的になった

    ただ、その展開が不良少年たちの話とはあまり関係なかったのでは? と思ってしまう

    出産の展開がなくてもこの映画は成立してしまうので、脚本的に、その展開は単なるとってつけたような展開だと感じた

    とはいえ、これだけの賛否両論ある問題をエンタメ作品として十分見れる映画にまとめているという時点ですごい作品な気がした

    賛否両論については火を見るよりも明らかだが、朝鮮と日本という話題なので、やはりそこういう目で見られる映画だ

    僕は、朝鮮とか日本とか関係なく、民族同士違いを認めつつ仲よくすればよいのになという、ヒッピーみたいな考え方なので、朝鮮人と日本人の繋がりをテーマにしたこの映画は良いと思った

    この監督自身、どういう思想でこの映画を撮ったのかはわからないが、僕と同じような思想を持っていると受け取った

    この映画のセリフに、「歌っちゃいけない歌なんてないんだよ!」みたいなセリフがあるが、それがすべてだと思う

    それに、映画の中には、フリーセックスのために外国に行くような人間も描かれていた

    その人は終盤、ヒッピーみたいな恰好をして、平和な壁画を描いていた

    なので、監督は朝鮮とか日本とかではなく、民族同士の友情、愛情をテーマにしたかっただけなのでは?

    もしこの監督がアメリカ人だったら、ロシア人との恋愛映画を作っていた気がする

    その場合、この映画に対して朝鮮人がどうのこうのという批判をするのは筋違いだろう

    さらに言えば、この監督のほかの作品は別に、思想強めの作品というわけでもない

    たまたまモチーフに選んだのが日本と朝鮮。と言うだけな気がした

    こういう、何かしらの具体的なモチーフを取り上げると必ずその界隈の人が盛り上がってしまうので、具体的なモチーフすらも使わない見せ方で思想を伝えるしかないのだろうか

    そう考えると、宮崎駿のような0から世界観を作って思想を伝える作家は、どこにも波風を立てないので改めてすごいなと思った

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  • シティーハンター1期のEDが良い

    シティーハンター_1
    ©北条司/コアミックス・読売テレビ・サンライズ 版権許諾証TA-306

    シティーハンター1期のエンディングが良い

    今、シティーハンターを見ていて中盤くらいまで来た

    このアニメのエンディングがは言わずとも知れた、Get Wildで、その曲自体は以前からもちろん知っていた

    そして本編を見るにあたり、エンディングの映像も見たが、それがとてもよかった

    最初、抽象的な図形、丸、流れる線のようなものから始まる

    そして、それが徐々に、街の灯りと流れるヘッドライトなのだとわかる

    街の灯りは実際のところ、灯りなので白いはずだ

    ただ、それを丸だったり、流れる図形だったり、そういうので表現している

    キャラクターの顔に点滅する街の灯りと、そこにオーバーレイする図形

    この2つのモチーフは夜の街を走る車に映るその景色とキャラの顔を記号化している

    このEDは記号化の最たるものだ

    それは、僕にとってのアニメが好きな理由の最たるもので、そういうものを純度高く含んでいるこのEDは今まで見たEDの中でもトップレベルにかっこいいものな気がした

    サビの部分、地面に何かが落ちるのを最初、白い球体が落ちてめり込むように描かれる

    それが徐々に消えていき、光る蝶だということがあらわになる

    今、文字で書いたことをそのまま映像にしたような映像だ

    というのも、ただ映像にしたのではなく、文字で書いた情報量を保ちながら、映像化したようなものだ

    3DCGなんかでこのシチュエーションを表現しようとすると、どうしても、アスファルトの凸凹や、蝶のディテール、そういう情報量が増えてしまう

    ただ、シティーハンターのエンディングはもはや、文字で書いたような情報量のまま映像化することに成功している

    これは一つのキーワードかもしれない

    文字で書いたくらいの抽象度合いを保ったまま、映像化することに成功している

    セル画時代にはそういうものがあふれていた。デジタル作画の時代になって多少情報量が増えつつも、まだデフォルメが生きている

    最近は考えなしに線を増やして、むしろアニメの持つ抽象性を損なう画面が増えてしまっているようなのでそこは悲しい

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  • キッズ・リターンを見た

    北野監督の作品、キッズリターンを見た

    ストーリー的にはとても面白かった

    主人公が若者で、しかも複数人いる

    それぞれの人生をたどりつつ、成功している人とそうでない人、成功しようとしている人。様々な形の人生を見せている

    北野監督はどういう意図でこの話を考えるに至ったのだろうか

    ただ若者の人生を追っている中で起こる出来事を映画にしているような気がした

    それだけの映画だが、そのリアリティ、具体的な描写が見ていて楽しい

    それでいて北野武監督らしい画面のレイアウト、舞台背景がある

    2000年あたりの何とも言えない冷たい空気が若者の将来に対する不安を物語っているようだった

    個人的な趣味だが、僕は若者が夢を追う姿を取り上げた作品が好きだ

    その点、このキッズリターンに感動するのは当たり前のことなのかもしれない

    北野監督の作品だったら、その男凶暴につき、と、ソナチネが今までのお気に入りだったが、それにこの作品も加わる気がした

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  • ルックバックを見た

    久しぶりに劇場で映画を見たが、とても良かった

    最初の印象としては、さらさらした印象だった

    1時間という長さもあり、コンパクトにまとめられつつ、無駄な展開がないようで、そういう点からさらさらした印象になったのだと思う

    一瞬、平行世界ものなのかなと思ったが違う。もしもの話をみせるという構成も良かった

    いろいろ調べてみたが、細かなところにたくさんのこだわりがある作品のようだ

    個人的には、創作している人に見てほしい。というようなネットの感想は少し違う気がした

    確かに、作者自身の創作に対する思いが含まれているようではあったが、それをカモフラージュするのが上手すぎて、もはやふつうの物語としても楽しめる出来だった

    なのでこの作品は、作者自身のメッセージと、それを知らない人たちにも見せることができる大衆性、芸術における2つの側面が両方とも成立している作品なのではないだろうか

    その点、この作品はとても良い作品だと感じた

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  • 新世界より というアニメを見た

    新世界より_1
    (C)貴志祐介・講談社/「新世界より」製作委員会

    新世界よりというアニメを見た

    話は面白く、世界観も良かった

    このアニメに関しては記事にするほど面白いというわけではなく、日頃見ている数多のアニメのうちの一つに過ぎないのだが、何点か書き残しておきたいことがあったので記事にする

    まず、作品全体の正義について

    基本的に、主人公は正義。というのがほとんどの作品に当てはまることだと思うのだが、この作品においてはそういうわけでもなさそうだった

    終盤まで主人公は葛藤している様子を見せてはいたが、その悪事を止めることはなかった

    最後にその悪事にけじめをつけるようなことをしてはいるが、それがあっけなさすぎるので、主人公が正義を貫き通す。ということを強く伝える物語でもない気がする

    これに関して、主人公自身が最後のほうに、何が正しいのかわからない。というようなセリフを言っていた

    この作品は基本的に、獣を搾取する人間の様子を描き、それを軸に、主人公にして描いているが、その構造はそもそも、搾取する、されるの関係だ

    そして、そのことをないがしろにしていない点はリアルでよいなと思った

    例えば、こういうアニメでは、よく、ゴブリンというような存在で獣を描いている

    そして、ゴブリンが主人公たちと意思疎通をすることは少ない

    これは、獣という存在に共感を生まないための一つの逃げではないだろうか

    言葉を交わした瞬間に、見る人はその存在に人情を感じる

    そうすると、彼らを搾取することに対して疑問を抱くだろう

    他の物語は基本的に、そういった疑問は都合よく排除しているような雰囲気だった

    ただ、この新世界よりは違う気がした

    獣という存在を搾取する残酷さをそのまま描いている。

    エンタメ作品としてはマイナスになる気がしていて、実際。新世界よりを見ていると、最初から、獣を搾取する人間が悪者に見えた

    そして、人間が悪者だということに、ほとんどの人間は気づいていない

    主人公が最後に仁義を通すくらいしか、それに関する表立った展開はなかった

    これは、人間を応援する作品に見せかけた、人間に疑問を投げかける作品だ

    同じような構図の作品に、キューブリック監督のフルメタルジャケットがある

    あの映画では終盤、顔の見えないベトナム兵によって仲間たちが殺され、ベトナム人が悪者のように扱われるが、最後の最後でそれが覆る

    顔を印象的に映すことで、ベトナム兵も人間で、米国から祖国を守る戦いをしていたということを見る人に一気に伝えて衝撃を与える

    顔が見えないから共感はできなかった、だから米兵が主人公の映画で米兵を殺すベトナム兵を悪だと思っていた。ただ、最後に瀕死の状態でカメラ目線のベトナム人少女を映し、相手も人間だとみる人に気づかせる。

    それにより、いつの間にか米国人と同じ心情で映画を見ていた視聴者に自問自答をさせる

    というのがキューブリック監督のやりたいことなのではと僕は受け取った

    顔が見えるか否か、意思疎通ができるか否かはコンテンツにおいてとても重要な要素だ

    艦これのアニメも。敵国を具体的にせず、謎の黒ずくめの人型にすることで、敵に同情をさせないような工夫をしていたし、

    エクソシストも。悪魔と意思疎通をした瞬間に怖くなくなった

    約ネバも、1期は塀の外が謎なのでそのわくわく感があったが、2期ではそれが明らかになってしまって少しげんなりしたし

    という風に、敵キャラの顔が見えるか否か、意思疎通ができるか否かはとても重要な要素だ

    その点、この、新世界よりは、敵とがっつり意思疎通している

    本来だったら主人公たちを絶対の正義にするために、敵に同情させないのが大衆向けコンテンツの鉄則だが、この作品は意図的か否かはわからないが、それを無視している

    これに関しては個人的に良いと思っていて、大衆向けにならないことは心配にはなりつつも、敵に同情させないという一つのご都合主義を無視した作品として楽しめた

    その他、アニメのコンテについて

    アニメを見ていて気になったのは、カメラワークの悪さだった

    カットが断片的過ぎてよくわからなかったし、カメラを無駄に動かしている場面が多く、集中できなかった

    音をブチ切りにするという、ありふれた演出も目立ちすぎていた気がする

    暗転するというトランジションも多用していたが、あれはあれで一つの作家性にもなるのかなと思った

    つながりが立たれてしまう印象があったので個人的にはそこまで好きではなかったが、それは個人の感想でしかないのでここではそこまで書かない

    ただ、それ以外に、全体として集中できないカメラワークだったというのは感じたところだ

    調べたところ、このアニメの監督はアニメのOPEDをたくさん担当されている方のようだ

    そういうスピード感のあるカット割りではあった

    まとめ

    ストーリーに関しては面白いことをしていたと思う

    映像としては作画、絵コンテなどの点でもう少しだなと思った

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  • アニメ、惡の華

    惡の華_1
    ©押見修造・講談社/「惡の華」製作委員会

    惡の華を見た

    ここ最近見た中で一番すごい作品だった

    素直にアニメとは言い切れないような作品だ

    ロトスコープという手法

    惡の華_第一回_2
    ©押見修造・講談社/「惡の華」製作委員会

    ロトスコープという手法で作られているというので、この作品を見だした

    正直、最初、ロトスコープという手法については嫌いだった

    アニメの良さはデフォルメで、それを害してまでアニメーターにトレスをさせるのは監督の自己満足でしかないと思っていたからだ

    ただ、そういう気持ちもすぐに覚めた

    この作品をロトスコープでやろうという判断をした監督?かはわからないが、すごいと思う

    この作品は体操着を盗むという、一見特殊な状況の話だと見せかけておいて、実は、誰しもがやったことのある罪を表している

    別に僕も、体操着を盗んだことがあるような人間ではないが、ただ、これまで生きていくうえで犯してきた罪と、それが罰せられるまでの間に流れる意心地の悪い時間を知っている

    おそらくそれは誰しもにあることだろう

    そしてこのアニメはその時間からくる意心地の悪さが魅力の一つだ

    それを、アニメキャラでやってしまっては安っぽくなってしまう

    中途半端な没入感でただただ謎に不快な作品になっていたのでは

    それを回避する方法として、ロトスコープという手法は最高だと思った

    実写でもない、アニメでもない、その微妙なポジションがこの原作にはあっていると初期に判断したのはすごいことだと思った

    映像表現全般として感じたこと

    物語後半に春日と仲村が走るシーンで、3Dが使われていたような気がする

    惡の華が咲いているお花畑も明らかに3Dだ

    背景は通常のアニメ同様、美術さんが描いたものだ

    一部、写真を加工したものも使われていた

    そして、キャラのロトスコープ

    この作品は映像としての表現手法をものすごく幅広く使っている

    川を流れる水なんて、おそらく動画で撮ったものを加工しているのだろう

    ただ、そういうことをすると、3コマ打ちのアニメだと、ぬるぬる動きすぎて違和感が出てくる

    かといって、コマを抜いて3コマ打ちに合わせても、いかにも動画を加工しました感が出て良くない

    その点、この作品のキャラがロトスコープでぬるぬる動くような映像なので、そういう水の表現をしても大丈夫だと踏み、この表現になったのだろう

    そういう水の表現一つとっても新しく、実験的だった

    この作品の映像に関しては、ほかのアニメには類を見ないほど独創的で、かつ、それが作品全体のベクトルを邪魔していない

    ロトスコープについて一点気になったこと

    作画コスト軽減のために、人物があまり動いていないところではトレスするのをやめていた

    それは良いのだが、いきなりピタっと止まる人物に少し違和感が出ていた

    例えば、画面に手振れをつけてみたりすると、その違和感が少し軽減される気がするし、

    撮影で少し線を揺らがせてみてもいい気がする

    そういう工夫があれば、ちゃんと、キャラと背景が馴染んだまま最後まで映像として成立させられた気がする

    脚本、ストーリーについて

    脚本については、なかなかの鬱展開だった

    まるで、庵野監督の式日を見ているような気分だった

    ただ、おおむね違和感なく見ることができ、最後まで楽しめた

    この物語は、些細なことからどんどんずるずる地獄にはまっていくという、一貫した柱がある

    それを最後まで守り切って作っているので、ここまでどんよりとした雰囲気にすることができているのだろう

    あとは、第十三回最後の見せ方について、

    ものすごく断片的に話を伝えているのも良かった

    あの見せ方ができるのは、この作品がとても前衛的だからだ

    それに気づて、あるいは依存してこの見せ方にしたのだろう

    その真意はわからないが、少なくとも良い感じには収まっていた

    最終話詰め込みが問題視されているシャーロットも、あれくらいやれば表現の一つにでもなれたのにな、と思った

    EDについて

    この作品を見だしたのは、ロトスコープという技法ともう一つ、惡の華のEDがすごいことを以前から知っていたからだ

    このEDはたしか、各話毎回1回は聞けるほど、たくさん流れていたが、それが億劫にならないくらい、良い曲だった

    作品全体としての雰囲気が企画書段階からしっかり決まっていたので、こういうEDを作ることができたのかもしれない

    花が咲いたよ、誰も見たことのない花が、咲くはずのない花が咲いていたよ

    そういう歌詞の歌だが、

    花が咲くという、自然現象は自分の気持ちの外で起こるものだ

    それが惡の華なら、とても不気味に感じる

    惡の華が自分の知らないところで咲いていたよ。というのをサーキットベンディング的な不気味さのある音声で淡々と歌っている

    曲の内容は惡の華が咲いたことを報告するだけのもので、それを何回も繰り返している

    その姿に人間味を感じないので、不気味だ

    誰も見たことがない花が、咲くはずのない花

    自分が前例のない状況に置かれていることをなんとなく醸し出しているので、それもまた不気味だ

    そういう、絶妙な不気味さのトリガーを引くようなこのEDはやはりすごいし、それをこのアニメのEDとして本編にかぶせて見せてくるのはやはり良い見せ方だった

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  • カウボーイビバップ

    カウボーイビバップ_1
    ©サンライズ

    安定した面白さがある作品だった

    世界観の雰囲気が良く、特に、黎明期以前くらいの3DCGが良い味を出していた

    むしろこれくらいの3DCGも良いのではと思った

    おそらく、このころは、まだメカを本格的に3DCGでできる時代ではなかったので、メカは作画、球体などは3DCGというような位置づけだったのだろう

    そういうすみわけはむしろ、良い表現な気がした

    プリミティブで、3DCGでやる意味のある要素のみ3Dでやって、ほかは2Dでやる

    黎明期以前の絶妙な時代だからこそたどり着いた表現なのだろう

    それは偶然にも、3DCGの使い方として質の高いものになっている

    そういう魅力のある作品だった

    世界観についても、サンライズらしい宇宙世紀もの、アジアンカオスさも混ざっていてよい感じだった

    やはり、テクノロジーのレベルが90年代だが、それがそのまま高度になっているのが面白い

    スチームパンクのまま高度な技術レベルになったような世界観が良かった

    それは、仕組みが見えるデザインだからだろう

    手に持つものも、いちいち回したりして操作する

    そういうのは昔のプロダクトにありがちだが、この作品の技術レベルは現代のものを超えている

    昔のプロダクトの特徴を持ったまま、現代以上の技術レベルを持っているので、そのミスマッチ感が良かった

    あとは、キャラも良い

    最近の萌えアニメの女の子キャラも悪くはないが、このころの、90年代の女の子キャラはもはやグラフィックデザイン的な価値すらある気がする

    このカウボーイビバップでは特にそう感じた

    最近のアニメは妙にリアルに寄りつつあるので、表現としては希釈されている

    なんだか、書き込みすぎて逆に悪くなってしまった絵のようだ

    90年代、00年代くらいの絵柄が個人的には一番好きだ

    お話に関しては最近のものが良いと思うが、画面に関しては90年代、00年代のものが好きだ

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  • Wake Up, Girls!を見た。山本寛監督について

    Wake Up,Girls!_1
    © Green Leaves / Wake Up, Girls!製作委員会

    wug1期を見た

    2期もこれから見る予定だが、ひとまず1期がすごかったので、それについて語る

    これは監督の凄さだと思う

    wug1期の監督は山本寛監督で、かんなぎなどの監督でもある

    確かに今思い返してみれば、かんなぎのカット割りもすごかった気がする

    何がすごいかというと、北野武やキューブリック的なすごさだ

    脚本を伝えるために映像というものがあるわけだが、この、wugの場合、その脚本を説明するために必要最低限に近いカットの構成で見せている気がした

    変なカメラワークを入れないし、こてこてに凝った演出もない、

    それでいて、さりげなくパンチを利かすようなカットはところどころ見られた

    事務所のわきで遊ぶ子供の様子を一瞬映したカットがあったが、そういう、一見何の脈絡もないが確実に物語の世界観の構築に寄与するカット、というようなものがバランスよく入っていた印象だ

    これは、並みの監督にはできないものな気がする

    アイドルという、華やかでウェットな題材を、山本監督のドライなコンテによって表現されるwugは、そのミスマッチ感が魅力な気がした

    山本監督は確か、少し前に炎上して叩かれていた気がする

    確か、wugの冒頭のパンツが見えるシーンが引用されて、こんなシーンを入れる監督はおかしい! みたいな感じに批判されていた気もする

    そういう揚げ足取りみたいなことをする人はもはや批判云々以前にアニメにとって害悪な存在だと思いつつ、そのころからかんなぎの監督として地味に好きだった僕は、山本監督も気の毒だなと思っていた

    とはいえ、山本監督は以前、らきすたを序盤で降ろされている経歴があるようで、

    実際。山本監督が担当していたらきすたはそこまで面白くなかったので、その京アニの判断は正しい気がする

    今回のwugを見ていて思ったのが、やはり、監督には得意不得意があるということだ

    wugの日常パート、脚本を説明する系のパートの見せ方が彼は上手な気がする

    逆に、wugが勝ち進んだ時の喜びを表すパート、そういう、感情が一気に動く喜劇的な表現は不得意な気がした

    というのと同時に、日常ギャク系も実は、山本監督苦手なのでは? と思った

    かんなぎも、淡々と物語が進む中にギャクがあるので面白かった

    ある種のハードボイルド的な魅力があったと思う

    だから山本監督は力を発揮できたのでは?

    そしてwugも同じくだ

    ただ、らきすたは違った。山本監督の得意分野ではなかったのではないだろうか

    個人的にはそう思うので、僕は山本監督のほかの作品は好きだ

    というか、僕も同じく、必要最低限の要素でお話を伝えるアニメを作りたいと思っている人なので、そういう点でカメラアングル等に共感できる部分があるのかもしれない

    2期からは監督が変わってしまっているので、そこがどう映るのかは今、逆に気になっている

    1期は監督が良かったというのもありつつ、脚本も割とよかった

    劇場版もあるようなので、これから見る

    P,S,

    3つある劇場版のうち一つが、テレビ放送版よりも前に見るべきだということを知ってしまった

    そんな状況で劇場版を見たが、普通に良かった

    ただ、テレビ版にはあった、説明的なカットは少ない気もした

    劇場版は表現できるものが多いので、演出も豪華になってしまったのだろう

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  • HANA-BIを見た。同時に進む2つの物語。

    指が痛く本調子ではないためにHANA-BIを見た

    北野武らしい直線的で図形的なカット、レイアウトに加え、脚本も良かったと思う

    北野監督の作品の中で一番好きなのはソナチネだが、このHANA-BIはその次か、その次か、くらいに面白かった。

    今回この映画を見て気づいたことが、カメラを向けるべき主人公たちとは関係のないところにカメラを向けていることだ

    北野武演じる主人公の周りで物事は進んでいくが、それとは別に、序盤で大けがを負って不自由な身になったおじさんがいた

    そのおじさんが絵を描いている様子も最後までカメラで追ってはいるが、それは脚本としては主人公とはあまり関係なかった気がする

    それなのにあの様子があってよかったと思ったのは、その絵を描く様子を見せることで、映画として切り取った世界を広げることにつながっているからだろう

    これと似た見せ方で、アニメ、日常の見せ方も思い浮かんだ

    日常では、小話と小話の間に妙にフォトリアルテイストな風景アニメーションが挟まれている

    それにより、ゆっこたちの周りにある世界が潜在的に、見る人に植えつけられる

    あとは、あまり関係ないかもしれないが、

    はかせの周りの話と、ゆっこの周りの話。アニメ中盤くらいまで交わりがほとんどなかった

    つまり、あの世界観で2つの独立した物語が進んでいた

    そういう見せ方も、カメラが切り取る世界を広げることにつながっている気がした

    こういう見せ方は今回見たHANA-BIや、北野武特有の見せ方というわけではないだろうが、そういう話の見せ方をすることにより、作品の世界が一段と広くなるということは今回気づいた大切なことだと思うので、ここにメモっておく

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  • ガールズバンドクライを見た。セルルックCGとはまた少し違う表現。

    ガールズバンドクライ_1
    ©東映アニメーション

    3DCGアニメーションで話題だったので見た

    あと、シリーズ構成に花田十輝の名前があったので見た

    ストーリーに関してもとっても良く、宇宙よりも遠い場所のような雰囲気のある、まとまった話だった

    夢に関して負の側面もちゃんと描いているような気がする

    同時期に同じようなテーマで花田さんが参加した、数分間のエールとは対照的な作品だと思った。ここまで対照的な作品に同時に参加することは、きっとやりにくいところもあったんだろうな、と思った。

    あとは、OPEDの見せ方も良かった

    それぞれの糸がつながっていく。過去の自分と今の自分との関係、仲間とともに進むということを映像にして伝えることができていたので良かった

    CGに関しても新しく、セルルックCGとはまた別の見せ方をしているところが特異な感じがした

    シェーディングをトゥーン調にしていないことがすごい

    こういう作品はたいてい、影をぱっきりとさせてしまいがちだが、それをハイライトを除き、一切やっていなかったように思える

    ハイライトはぱっきりやるのが正解だろう。髪のキラキラ感はウマ娘のアニメのようにきれいな感じが出ていた

    僕がやるとしたら、ハイライトの下に同様に暗い色が落ちるようにすると、さらに奥行きが増すので、そういうやり方をやるだろう

    というか、そういうのを今後やっていきたい

    ガルクラについて、ほかに気づいたことは、背景は2Dでやり、カメラワークもそれに合わせて2Dにしているところが多く見られたという点だ

    3Dのキャラではあるが、カメラの動きを最低限にすることで、デフォルメの効いた画面を作りだすことに成功している

    この作品では多少、キャラと背景とが馴染んでいない感じもあったので、そこは課題なのかなとも思った

    途中、ドラムにキャラの姿が映り込んでいるようなカットがあったが、そういう演出をほかのところにもすることで、背景との馴染みも良くなるのでは

    例えば、アニメだとbookという形で扱われる小物系など、そういうのを3Dでやり、背景との緩衝材にする。

    そういう見せ方も考えられると感じた

    あとは、このアニメーションはフルアニメーションだが、それ自体もすでに挑戦的だ

    個人的にはむしろフルアニメーションのほうが簡単だと思っている人間だが、世間一般には、フルアニメーションは大変なものらしい

    確かに、すべてのフレームでアニメーションをつけないといけないので大変かもしれないが、それだって、キーフレーム補完でやっているのだからむしろ楽できている気もする

    問題があるとすれば、ぬるぬる動きすぎるので、3DCG感が出てしまうことだろう

    今回のガルクラでもそういう危険性があったはずなのだが、そこまで気にならなかった

    そういう世界観でやっているというのが最初から明確になっているためだろう

    たぶん、そうしたのは、この作品が音楽を取り扱ったものだからだと思う

    ライブシーンは作画でやると厳しいというのは昔からそうだろうから、そういうところだけを3Dでやるというのは前々からやられてきた

    アニメガタリズのEDだってそうだった

    ガルクラではそういう、音楽を取り上げた作品なので、3Dでやることに適した作品だった

    あとは、僕はドラムを叩く人なので、どうしてもドラムに目が行ってしまうのだが、

    ドラムの演奏シーンはモーションキャプチャーを使ってやったようだ

    どこを叩けばどういう音が出るかというのは作中、間違っていなかった

    シンバルの揺れ方もとても自然で、アニメ3Dドラムでよくある、スプラッシュシンバルのような揺れ方をするクラッシュシンバルも出てこなかった点が良かった

    髪やスカートもクロスシミュレーションでやっていたようだし、そういうことをすると安っぽく見えると思いきや、ほかのクオリティが高かったのでそこまで安っぽくなっていなかった気がする

    あとは、3Dでキャラをやると問題になる、デフォルメに関しても、2D素材をたくさん使ってやっていたようで、そこまで違和感なく見れた

    おそらく、目の部分に何か張れるような仕組みでモデルを作っているのだろう

    そういう工夫や技法が今後生まれてくる

    それにつれて3Dアニメが普及するのだろうか。

    とりあえず、このガルクラは現時点で最もレベルが高い作品だと感じた

    と同時に、僕もこういう作品のクオリティを上げられるように、新しい見せ方を作っていきたい

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  • インディペンデンスデイを見た

    インディペンデンスデイを見た

    パニック系の映画としてはなかなかの出来だと思う

    最初、この映画が1996年公開ということで、あまり期待はしていなかった

    が、しばらく見ているうちに気にならなくなった

    ライブラリータワーやエンパイアステートビルが破壊されるシーンはすさまじかった

    おそらくミニチュアを爆破してスロー再生しているのだろうが、そのディテールが最高だった

    下手なVFXよりも断然よかった気もする

    お話自体も良く、多少のご都合主義なところはありつつも、そういう点も含めて楽しめた

    というか、この手の映画、この時代の映画にしてはリアリティのあるストーリーだった気がする

    見せ場を作るのもうまいし、ちゃんとハッピーエンドにもしている

    いくつか気になることがあるとすれば、侵略者である異星人に勝利した日をアメリカの独立記念日に重ねるのは少しセンセーショナルな気もした

    先住民を侵略した立場のアメリカ人がこの話の主役となるのはどことなく無神経な気もした

    あとは、相手の異星人が苦しむさまを見せないのは、感動の邪魔になるからだろうが、個人的にはそういう見せ方の映画は不十分だと思っている

    エンタメとは正解だが、そういうところに関してはリアリティにかけるなとも思った

    とはいえ、この作品は最高に面白かった

    エンタメとしてはとても良い作品だと思うし、正当な続編が一つだけあるようだからそれも近々見てみようかと思う

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  • 極黒のブリュンヒルデを見た。切ないヒロインを描くのが好きな作者

    極黒のブリュンヒルデ_1
    ©岡本倫/集英社・「極黒のブリュンヒルデ」製作委員会

    エルフェンリートと同じ作者の作品だというので見たら、とても面白かった

    2日で見切ってしまったアニメは久しぶりだ

    とは言いつつも、特段ブログ記事にするほどではなかったが、

    このアニメは良いところと悪いところが両方とも強く、結果。むしろものすごく良くなったという、少し面白い感じのアニメなのでメモっておく

    エルフェンリートもそうだったが、この作者の作品は切ないヒロインを描くのが上手すぎる

    エログロ+典型的な展開。というのが日本のアニメ黎明期独特の安っぽさを醸し出している

    それは悪いものだと思わせといて、一周回って懐かしく感じた

    このアニメは展開が典型的で、演出も安っぽく、引き出しも少ない

    設定もありきたりで、もはやどこから持ってきたのかわからないけど既視感しかないような。テンプレの寄せ集めみたいなアニメだ

    あまりにも既視感のある展開が多すぎたので、この後の展開がなんとなく見えてしまっているくらいだった

    ただ、それなのにすごく面白く見れたのは、この原作者の才能なのだろと思った

    この作者に足りないのは引き出しの数だ

    引き出しの数が少ないので、テンプレの中で作品を作っているような気がした

    この人が引き出しを増やしたらどんな作品を作るのか、ものすごく気になる

    そして同時に、この作品を見て気づいたのが、アニメ黎明期特有のあの安っぽい独特な雰囲気は、引き出しの少なさが招いていたのでは? ということだ

    なんだか、ラノベの新人賞に応募された素人の作品のような、そういう安っぽさはむしろ懐かしささえ覚える

    最近の僕は解像度の高いものを見すぎている

    そんなときに見たこのアニメの、懐かしい感じはとても楽しめた

    なんだかオタクの初心に戻った気がした

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  • 「この世界の片隅に」を見た。片淵監督作品

    久しぶりに見た

    今回は長いほう、3時間近くあるほうだ

    片淵監督は僕の中では結構好きな監督だ

    好きなアニメ上位に位置するブラックラグーンも、片淵監督だ

    この世界の片隅には戦争映画というジャンルにはなるのかもしれないが、そういう戦争に対する描き方としては間接的だったと思う

    戦争が落とす影の中にいる人間模様にカメラを向けているような感じだ

    原爆投下後の広島すらも出てこない

    戦争を描こうとして描いているのではなく、人間模様を描く過程で戦争を描くことをいとわないというような感じだった

    そういう間接的な描き方が一ひねりされていて、良かった

    あとは、全体的にかわいらしい絵柄で描かれている

    まどマギと同じ意図なのかもしれないが、もし、例えば、リアルなデザインのキャラクターであの物語をやっていたら、それはそれで腑抜けた感じになってしまってしまう

    先に書いた、戦争を間接的に描くというこの映画の見せ方でやるとするならば、キャラは戦争に関係ないような感じに描く必要がある気がする

    でないと、間接的に描けない。キャラも戦争しそうな顔をしていたら、それは間接的というよりかは、戦争を避けているような印象になってしまっただろう

    あのキャラデザだからこそ、この映画のこういう雰囲気が成り立っているのだろう

    あとは、そもそも、昔の日本人が子供っぽい見た目をしているというのもあるだろうし、そもそも結婚する年齢も若い

    そういう事実関係上の都合もあったりするのかもしれない

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  • 聲の形を見た

    映画「聲の形」_1
    ©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

    聲の形を見た

    障害について考えさせられる展開が多く、かつそれがちゃんと物語になっている

    実際に起こっている問題を取り上げた映画なので、意義がある

    そしてそれをしっかりとした脚本で、京アニの美しい絵で見せていた

    考えさせられるという表現をとったが、まさにその通りで、健常者と障害者とのギャップからくる展開により、その問題を投げかけている

    さらに、いじめという、誰しもに起こりうる問題も扱っている

    きっかけは障害者だが、そこから付随するいじめ問題も取り扱っていた

    そしてこの重い二つのテーマを作品としてまとめられている

    少し残念だったのが、話の展開がリズミカルすぎるのと、カットと時系列が細かく前後するので、把握しづらい作品になっていた気もする

    最初から展開がリズミカルすぎたので、クライマックスが埋もれてしまっている気がした

    それさえなければ最高の作品だった

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  • ブラックラグーンについて

    BLACK LAGOON_1
    ©2006,2010 広江礼威/小学館・BLACK LAGOON製作委員会

    もう何回ブラックラグーンを見たか覚えていない

    それくらい好きなアニメだ

    指を痛めていてあまりハードワークできないので、このタイミングでまたブラックラグーンを見た

    もちろん楽しめたが、今回新しく何個か感じたことがあったのでここに記す

    まず、3DCGの使い方が結構上手だなと思った

    というのは別に、シェーディングなどで工夫しているという感じではなさそうだった

    例えば、教会の前で車が爆発してひっくり返るシーン、あそこは3Dが使われていた

    その3DCGも3DCG感満載のルックで、カメラワークでの工夫もなさそうだった

    ただ、それがあのアニメではなぜかしっくりきている

    なぜだろうか

    一つ思ったのが、あのアニメのレイアウトだ

    遠近感の生かされる構図がカギを握っている

    3Dを使わないカットでも、3D上で考えられたようなレイアウトがされていた

    だからあの機動力あふれるアクションシーンが描けている

    3Dを強く感じるレイアウトはそれだけで躍動的だ

    それによってあのハチャメチャな雰囲気が出ている

    そして、その3D思考のレイアウトは3DCGとの融和性を高めた

    その結果の3DCGのマッチ度合いだ

    あとは、撮影処理を結構たくさんしていて、かつ、光沢の描き方が丁寧だ

    つるつるした印象を持ちつつ、ダイナミックレンジの広い絵だ

    その特徴が3DCGとマッチしているのかもしれない

    つまり、絵柄という強いフィルターがあるので、その下にあるものが2Dだろうが3Dだろうが、いい感じになるのだろう

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  • 「数分間のエールを」メディア向け試写会に行ってきました

    先日、「数分間のエールを」のメディア向け試写会に行ってきました

    絵について

    映画の中にもblenderを使っていると思われる画面が何回か出てきた

    そしてこの映画自体もblenderで作られているようだ

    ただ、そういうblender感を感じるような場面はなかったように思える

    少なくとも、安っぽいとは思わなかった

    blenderはフリーソフトだが、それでも劇場映画を作れるのだなと思った

    おそらく、シェーディングをのっぺりにしているのはそういう事情があるのだろう

    影や光沢を表に出さないことで、絵としての統一感を出すのと同時に、ちらつきなど、そういうトラブルも回避しているような印象を得た

    あとは、ところどころ手描きのテクスチャを使った効果を使ったり、画面内のアクセントとなる部分に2Dでのタッチを残しているようだ

    キャラに落ちる影も、影とそうでない部分との境界に筆のタッチが入っていた

    全体として絵っぽく仕上げることを目標にしているのだろう

    脚本について

    僕がこの映画に興味を持ったのは、脚本が花田十輝さんだったからだ

    僕はあまり脚本家の名前を知っているような人ではないのだが、それでも花田さんの名前は知っていた

    脚本についてはネタバレしてはいけないのであまり書けないが、クリエイターの在り方として考えさせられる内容になっていた

    夢を追うというのは華やかに見えて実はそうではない。

    体を壊すかもしれないし、挫折するかもしれない

    そんな中夢を追い続けてそれをかなえた人は幸せだろうが、そんなに世の中は甘くない

    それに関して未熟な人物を主人公とすることで、クリエイターとそうでない人との間にある認識のずれのようなものを具体化することに成功している

    そのギャップから生まれる話だ

    個人的な感想だが、この物語は本当にハッピーエンドなのか? と思った

    夢は叶えば万々歳だが、そうならないのがほとんどなわけで、それをあきらめるというのはある種の大人になるということかもしれない

    それが大人になるという、なんだかよさげな表現をしてしまうのが人間の悪いところでもある

    大人になるというのは何も悪いことではないが、同時に、その必要もないのも事実だ

    この映画のこの結末では、大人になるということを拒否したとみなせる結末だった

    それ自体は夢を追う人にとっては文字通り夢のあるお話で、よい結末なのかなとも思った

    ただ、逆に、夢に破れるというのもそれはそれでありな気がした

    むしろ、そこをひとひねりしたら、悲しくも美しいお話になっていた気がする

    この映画は続編があるならそこで本当に終われるような映画だと思った

    それはそれでよいのかもしれないが、やはりクリエイターとして、夢を追うということについてはいろいろと思いを巡らすところがある

    それについての疑問を投げかけるこの映画のストーリーはよいと思った

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  • フルメタルジャケット

    今日も指が痛くて作業ができないので、フルメタルジャケットを見た

    キューブリック監督の作品だということで見て、やはり良かった

    が、キューブリック感はまだ薄い方だと思う

    途中、猟奇的な展開にキューブリック感を漂わせつつも、なんだか具体的なものを描いている気がして、そういう意味で、キューブリックっぽくなかった

    依然として指が痛いのと、キューブック成分に飢えているので、今夜はアイズ ワイド シャットを見て寝ることにする

    ラストについて

    終盤。狙撃兵と戦うとき、遠くの建物から身を隠して狙撃するベトナム人と米兵の戦いの展開で、最初は米軍を応援する気持ちだった

    これまでの米兵のストーリーを見続けた後に仲間が死んでいく様を見ると、やはり狙撃兵が敵だと思い込んでしまう。僕も無意識にそう思っていた

    ただ、攻城戦の末、狙撃兵は米兵によって倒される

    そこで狙撃兵の顔が初めてちゃんと見えるわけだが、そこで初めてベトナム人に同情する気持ちが芽生えた

    これはおそらく、キューブリックの表現したかったことなのだろう

    顔が見えて初めて同情が生まれる

    逆に言えば、顔が見えないからこその争いと憎しみで、そういう気持ちを基に米兵も動いていた

    だから、カウボーイが殺されたとき、あの戦場カメラマンみたいな兵士は復讐を否定せずに乗り気で狙撃兵のところに向かうわけだ

    ただ、そんな戦場カメラマンみたいな兵士が狙撃兵と対峙し、手間取ったとき、顔をまじまじと見た

    その後、仲間に助けられた後、とどめを刺すときに躊躇している

    この躊躇は本来の人間のやさしさだろう

    そして、顔が見えない場面での残酷さは人間の愚かさだろう

    あの場面ではその2つのギャップを描きたかったのだろう

    この描き方は映画を見る人を米兵と同じ立場にしている

    ベトナム兵の顔が映るまで、おそらく多くの観客は米兵を応援しているだろう

    3人も殺したベトナム人を許さないという復讐の心に燃えるだろうが、それは人間の過ちの元なのだと、ベトナム人の顔が写されてから知ることになる

    そうして自分たちも戦争を否定できない、戦争の一部になりえるということを実感するわけだ

    これは考えすぎかもしれないが、少なくとも僕はこのラストに関してそう受けとった

    ちなみにこれは僕が今、自主制作でやろうとしていることと同じだ

    いや、正直、もちろん。キューブリック監督のように上手に表現できているとは思っていないが、

    ただ少なくとも。この映画で監督がやろうとしていることを、ぼくも自主制作でやろうとしている

    そういう共通点があったからこそ、この映画のラストに関してそういう見方ができたのかもしれない

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  • ポケモンの映画を2つ見た

    ミューツーの逆襲

    ものすごく久しぶりにミューツーの逆襲を見た

    やはりご都合主義的なところはありつつも、それがまた絵本っぽさを出していてよかった

    これは放課後ていぼう日誌にも当てはまることだが、

    ポケモンを戦わせるという、根本的な問題を最初に扱っているような映画だと思った

    これが家畜とは違う扱いなのだということを宣言するための映画で、その点、命を扱う放課後ていぼう日誌と同じ物語の丁寧さがあった

    あとは、城のデザインはやはり良かった

    僕がこの映画を見返したのは城のデザインがやけにカッコよかった記憶があったからだ

    というか、ポケモンの建築、プロダクトのデザインはなかなかレベルが高い気がする

    ガウディの建築のようだ

    ガウディの建築は芸術作品として評価されているレベルですごいものだが、それに似た物だという印象を与えているだけでもすごいと思う

    あと、城の周りを嵐が覆っているというのも良い

    閉鎖的な空間だというのを見る人に印象付けたまま物語が進むので、臨場感が違う

    ラピュタみたいな感じだ

    嵐の中にある静けさによって、そこがまるで演劇の舞台のようになっている

    水の都の護神ラティアスとラティオス

    ミューツーの逆襲の後に、この映画を見た

    単純明快なストーリーが良い

    僕のように、何か言いたいことがあって作品を作っているのとは違う作り方な気がする

    それでいてこういう良い出来になるのはなぜだろうか、今のところ分からない

    この作品はとにかく雰囲気が良かった

    音楽、背景、それらがマッチして本当にこの世界に入り込んだかのような没入感だった

    背景の生活感、撮影処理、脚本のリアリティも相まっての世界観だと思った

    あとは、最後の方のボートのシーン。あれを作画でやるのは昔の古き良きアニメなんだなと思った

    あれを3Dでやったら味気がなくなってしまうのは、ぬるぬる動きすぎて味気なくなってしまうのと、現実的すぎる造形になってしまい印象的ではなくなってしまうからだろう

    だとすると、形を何かの法則に従って変形させるようなジオメトリノードでも組めばよいのか?

    というのを少し考えたりもした

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  • 戦場のメリークリスマスを見た

    ここ一週間くらいは右に指が痛く、作業できていない

    というわけで戦場のメリークリスマスを見た

    まず、カットの運び、カメラワークなど、僕が個人的に好きな雰囲気が出ていて面白かった

    遊び心があるようで、カメラワークが直線的で、レイアウトが図形的だ

    この3つの特徴は僕が好きなキューブリック監督の特徴な気がしていて、そういうものを感じさせるこの映画の映像は良かった

    淡々と見せる感じが昔の映画っぽくてかっこよかった

    ストーリーについては難しかった

    全体像と表面的なところはわかったが、それ以外の細かい部分は理解が追い付かない場所がいくつかあった

    全体的にすごいなと思ったのは、日本兵が分かりやすい悪役として描かれていたことだ

    そしてそれについて嫌な感じがしなかったのは何か表現したいものが一貫しているので、そういうものがある主張として、日本兵の悪役が必要だと感じ取ることができたからだろう

    この映画に関するレビューを少し読んだが、やはりよくわからなかった

    これに関しては今後じっくり考えるにせよ、何かしら言いたいことがありさえすれば映画は撮れるのだなと思った

    それをどう思うかは見る人の勝手で、むしろ、それが伝わらなくても映画の面白さには特に影響はない

    何かを受信しているという体験が映画において一番楽しい所なのでは?

    だから、それが何を受信したのかというのは、そこまで問題ではない

    もちろん、何を受信したのか理解できて、それを解釈できればまた面白いのだろう

    理想的な映画はそういう楽しみ方ができる映画なのだろうが、何も映画の楽しみ方はその限りでもないということだ

    世の名作が理解できなくても楽しいのは、そういう楽しみ方ができるからだろう

    そういうことを実感できた映画だった

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  • BLOOD THE LAST VAMPIREを見て気づいたこと

    BLOOD THE LAST VAMPIRE_1
    ©2000 Production I.G/ANX・SCEI・IPA

    このアニメは序盤、英語だ

    そういう場面を見ていた時に思った、アニメはやはり日本の文化なのだと

    洋画を見ていると、外国人はしゃべるときも良く動く

    日本人の3倍くらい動いている気もする

    口の動きもそうだし、身振り手振りも含めてコミュニケーションをしている感がある

    そういう外国人がアニメで表現されているのを見て、違和感があった

    アニメというのは最小限の線で最大のものを伝えようとする媒体だ

    そういう特性は外国語とはマッチしていないのだと気づいた

    日本でアニメが発展した理由として、今までは、線で物事をとらえる民族性だったり、平べったい顔だったり、というのがある気がしていたが、

    BLOOD THE LAST VAMPIREを見てまた一つ理由が明らかになった

    日本語という言語は口の動きも少ないし、それを話す日本人も身振り手振りが少ない

    この特徴はアニメで表現しやすかったのではないだろうか

    僕が目の手術を受けて目を傷めていた時も、アニメはとても見やすかった

    なぜなら、背景はあまり動かないし、そもそもキャラも、口元くらいしか動かないからだ

    つまり、動きが少ない

    実写と比べれば圧倒的だし、海外のアニメーションと比べても動きが少ないと思う

    それは質が低いという話では全くなく、むしろ高い。その少ない動きで多くのことを伝えるための工夫が日本のアニメにはあるので、美しく見える

    そういう、記号的なアニメにおいて、日本語という言語が相性が良かったのだろう

    ということを改めて言語化することができた

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  • もののけ姫

    もののけ姫を見た

    宮崎監督の作品はレベルが違う

    なのでブルーレイディスクを買った

    今後はスタジオジブリの作品をすべて揃えたいと思う

    もののけ姫については前に一回見てその時の印象を忘れられないので今回購入してみてみた

    日本の原風景のようなものを感じた

    その感じるというのは他の作品とは桁外れだ

    その時の印象を的確に背景で伝えている

    何を見せれば人がそれを感じることができるのか熟知しているのでそういう映像が作れるのだろう

    監督自身が世界の中に入り込んでいるのかもしれない

    そしてそれを見せることに成功している

    アニメは動く絵本であるべき

    アニメに関して、最近だといろいろな絵柄があるが、もののけ姫を見て思ったのが、アニメは動く絵本であるべきだということだ

    これは半分僕の趣味だが、アニメの醍醐味は抽象的な世界だと思う

    それは印象を抽出したというアニメの持つ本来の価値を存分に感じられるので、そう思う

    これを表す新しい言葉が、動く絵本だ

    監督は世界に行くことができる

    僕が監督になりたい理由を改めて言語化できた気がした

    もののけ姫の世界に浸って映像を作れたとなると宮崎監督がうらやましくなった

    僕はそのうらやましさに人生をささげたいので監督になりたいと思っている

    そしてそれは、知らない土地を散策しているときの楽しさと同じことだと気づいた

    僕が知らない土地を歩くのが好きなのはその世界観に浸れるためだ

    その時に感じている楽しさと作品を作っているときの楽しさは同じもの由来の楽しさだ

    だから僕は監督になりたいのだと改めて感じた

    霧が美しい

    もののけ姫の空気感を出すものの一つに、霧がある気がした

    いたるところで霧が出ていてしかもそれが動いている

    動くというのも2Dでだ

    なので、先に話した動く絵本っぽさも出している

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  • ミストを見た

    とても面白かった

    特に、最後の展開が救われないところは、ほかの映画には無い面白さを含んでいると思う

    そして僕が一番気になったのが、この映画に対する評価だ

    ここまで主人公が失敗し、近しい人が死に、何もしていないモブみたいな人が助かる物語は個人的にはリアルで好きだが、これがどう世間からとらえられるのか気になった

    少なくともアマゾンのレビューを見る限りだと評価が高い

    ネットの評価を見ると半々くらいだ

    この作品は胸糞映画として名高い

    それが好きな人には受け、好きじゃない人には受けない作品、というだけの話か

    あと、この作品を見て思ったことは、

    霧の中に潜む未知の存在は、道であるときが一番怖かった

    今までで一番怖かったと思われる映画、ヘレディタリーや、名作、シャイニングはこの、未知というのを最後までキープしていたから怖かったのだと改めて思った

    触手が出てきたとたん、その正体がわかってしまったような気がしてふと正気に戻った

    やはり、どういうものかわからないものが一番怖い

    そういうのをうまく表現することで、最高のホラーが完成するのでは?

    と思った。

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  • 借りぐらしのアリエッティを見た

    とても良かった

    というのは、物語の構造がだ

    動物と、それを追いやる人間という、宮崎駿が好きそうなメッセージをそのまま人間と小人に落とし込んでストーリーにしている

    本当に美しい物語の作り方で、そういうところから物語を紡いでいくのが一番無理のない、理想的な作り方なのだろうと改めて強く感じた

    今回の作品には原作があるようで、僕はそれを読んだことはないが、おそらく。宮崎駿がそれを独自の解釈で読み、物語にしたのだろう

    元の原作者が伝えたかったこととは別のことを宮崎駿は受け取ったので、今回のストーリーの原案が生まれたのだと思う

    監督は米林監督だが、脚本が宮崎駿だった気がする

    だからこそ、あの、美しくシンプルで理想的な構造の作品になっているのだろう

    映像に関してはやはり、宮崎監督ほどではないなと思った

    タイトルを出すタイミングも少し惜しい気がする

    借りぐらしのアリエッティと出すのであれば、そのアリエッティを視聴者に紹介した後にするべきでは?

    あとは、細かい所でも、惜しいなと思うカットがいくつかあった気がする

    ただ、水の表現など、良い部分もあった

    小さいということを生かした表現で、日常の中にある非日常、スケール感が変わるだけで面白くなるという、単純明快な世界観はこの作品の魅力だ

    総じて言うと、ジブリの中でも上位に思えるほどよく、ここまでわかりやすく宮崎監督の言いたいことが伝わる作品はなかなか無い気がした

    それは冒頭にも書いた、作りたかのシンプルさにあるのだろう

    言いたいことを何かに例えてそれを貫いたまま自然に物語を創る

    そこに面白い展開、ハラハラドキドキ、感動、恋愛、バトル、推理、等々、

    何かしらの価値がある展開を違和感なく付け加える脚本が揃えば、こういう自然なふるまいの作品になるのだろうと思った

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  • ゴジラ-1.0を見た

    ネタバレ注意です

    昨日、IMAXでゴジラを見た

    アカデミー賞のVFX賞を取ったらしいので見にいった

    やはり評判になっているだけあって映像はきれいで、IMAXの表現力も相まって、音、臨場感含め最高だった

    総じていうととてもよく、海外映画と引けを取らないレベルになっている時点でこの作品は、日本エンタメ映画界の一つのターニングポイントになりえる作品だった

    ただ同時に、今後の課題としてとらえるべき点もあった気がする

    この記事でそれを残す

    舞台設定

    舞台設定が戦後日本というのはとても良かった

    タイタニックのように、人々が物語を動かしている感がすごく伝わってきた

    最新技術によって画が味気ないものになっている現代ではなく、戦後日本という、物の仕組みがまだ見えた時代にこういうゴジラに立ち向かうことで、ちゃんと戦っている感が出ていた

    放射線に反応するブイによってゴジラを探知しているシーン、あのシーンで探知したものを双眼鏡を使って船員が確認している

    この何気ない動作により、人間とゴジラの近さ、見えないけどその影だけを人間が目撃している不気味さ、それを目視しに行かないといけない不便さ、そういうものを描ける時代設定はやはり強いと思った

    多少の不便でドラマが生まれるし、かといって不便すぎてもスケール感に欠ける

    その点、ゴジラ、戦後日本という2つの組み合わせはやはり強かった

    脚本について

    ドラマ、メッセージに関しても良く描けていた

    戦争を終えた日本と主人公の背負った過去がリンクし、それをゴジラとの戦いに重ねて描いていた点は良かったと思う

    ゴジラの成長と共にスケールが大きくなっていく破壊描写も良い

    面白い作品にしつつ、ストーリー的にも破綻なく描けていた

    ただ、細かいところでいうと、多少ご都合主義なところもあったり、時代の描き方としてもっと良い描き方があったと思うシーン、違和感を覚えてしまう展開もあった気がする

    後半の、船がたくさん駆けつけるシーンあたりから少し違和感があった

    あのたくさんの船を駆逐艦にひもで括り付けるのはものすごく時間がかかることでは?

    全てつけ終わるころには2時間ほど経っている気がする

    強度的にも、むやみやたらに手すりなどに付ければよいというわけでもないだろうし、

    だったらむしろ、まだ全部つけ終わってないけどゴジラが浮上してきた。という感じにしたほうが現実的だった気がする

    作戦自体の実現可能性にも少し違和感を覚えた

    あのサイズのガスボンベはどこから持ってきた? 推定二万トンのゴジラを浮かせるのにあの数のヘリウム風船で足りるのか? 

    もちろん、これはエンタメ映画であって、ノンフィクション映画ではない

    こういうことを言うのはエンターテイメント性に欠けることはわかってはいて、むしろ、これくらいの手に汗握る展開が逆に漫画感を出し、大衆受けしやすいコンテンツになることは僕も理解している

    ただ、良くも悪くも、今回の映画は画が緻密すぎた

    なのでご都合主義的な脚本にも、写真の上から絵を描いたときのような違和感があった

    アニメの絵柄でこれくらいのご都合主義は許されたであろうが、今回のような高レベルのCG映画でやってしまうと、途端に絵と脚本の矛盾が際立ってしまうのではないだろうか

    これは僕個人の意見で、このご都合主義に関してはむしろこの映画の見どころだとも思う

    ただ、個人的にはあのCGの解像度を作るのだったら、脚本レベルでもそれに合わせ、ち密にしたほうが違和感のない、名作になったのではとも思う

    あとは、ちょっと残念だったのは、ゴジラが徐々に東京に迫ってくる緊迫のシーンが描けていなかったことだ

    ゴジラの存在自体秘密にされていたのでいきなり現れたということなのかもしれないが、

    それでも例えば、地元の漁師が朝早く、沖合で最初に目撃して恐怖するだったり、ゴジラを知っている一部の人がその影を目撃して恐怖する、というような展開があってもよかったのではと思う

    少なくとも、陸に上がるシーンは入れるべきだ

    海から上がって水を大量に滴り落としながら上陸する様はそれこそまさにVFXで描くべき見どころな気がする

    パト2の戦闘機が首都圏に迫ってくる展開の時のような名シーンを創れたのに、それをやらないのは本当にもったいなかった

    映画において展開を端折ることは想像の余地を残すという点においても必要なことだが、それでもあそこはちゃんと見せるべきだと思う

    あとは細かいところでも少し気になる点はあった

    被害の割に死者数が少ない点などは少し気になったし、

    遺族の家の札が一回も映っていないのも、もったいないと思った

    あとは、ラストシーンも、アキコを映さずに終わったのは本当にそれでよかったのか、と今でも思う

    見てない人があのラストシーンだけ見れば、この作品が恋愛映画だと思うだろう

    もちろん今回の映画はそれ以外のことも描けているので、実際に見た人からしたら単なる恋愛ではないのは確かだが、

    それならやはり、最後は三人で抱き合わないといけない気がする

    あの作品で勝ち取ったのは若い少女ではなく、戦争への決別と、次の世代の日本では?

    それを示すのであれば最後は3人でないといけない

    いや、あのラストシーンでも主人公にとっては戦争の決別ができているのだろう

    別に次の世代の新しい日本は大きなテーマというわけでもないか

    だからこそ、あのラストシーンもこのままで良い物だとは思う

    ただ、全体的に、アキコの扱いが少しかわいそうな感じもした

    主人公の見る次の世代の日本にアキコがいないというのを肯定するラストシーンになってしまっている気がする

    それはこの作品で伝えたいものとして、本当に正解なのか、よくわからない

    こういうのは監督など制作者と話さないと本当に理解できないことはわかっている

    ただ、もし僕がこの作品に携われるとしたら、そういうことをやってみたいな、というだけだ

    VFXについて

    2023VFXjapan優秀賞を受賞した人なので、やはり画面を食い入るように見てしまった

    日本映画でここまでの迫力を出したVFXは初めてでは?

    東京に立ち上る巨大な煙のスケール間には圧巻された

    あれを生かすカメラワークをできるのも、VFXアーティストの監督だからこそできるのだろうと思った

    VFXの手法が分かっているからこそ、それをどこからどう撮れば美しく見えるのかが最初から分かっているかのような構成だ

    それでいてちゃんと、実現できる画面になっている

    VFXで表現しやすいカメラアングルのみを視野に入れて作っているので、現在の日本のVFXのパワーで実現できる最適解のみで、作品を創れたのではないだろうか

    そういわれてみれば、今回の映画ではVFXが映える展開が多かった気もする

    船も、戦闘機も、カッコよく描けていたし、もちろんゴジラも、そしてそれが破壊する姿も、水しぶきも、質量感がすごかった

    今までの日本のVFXはどうしても合成っぽさが目立ち、現実と見間違えるレベルとは程遠い感じだった

    それでも特に話題に上がらなかったのは、それで成り立っている邦画でもはや、VFXを見るのではなくストーリーを見る文化が強いからではないだろうか

    きさらぎ駅なんか、エフェクトがひどかったが、それでも普通に面白いのはハラハラドキドキする展開のおかげだろう

    そういう具合に日本のVFXはあまり良い評価を得ていなかったのがこれまでだった

    ただ、今回の作品は違う、VFX後進国の日本の映画が、アカデミー賞の視覚効果を受賞した

    これはツールの普及によって、個人でも安価にVFXに触れることができるようになったおかげだろう

    エフェクトに触れるタイミングが圧倒的に増えた

    スタジオ自体もトライ&エラーが今まで以上にできるようになったのだろう

    そういうこともあり、今回の美しい表現につながっているのだと思う

    ただ、本当に細かいところを見ると、まだ日本と海外のVFXのレベルは違うのだなとも思えるシーンもあるにはあった

    特に水しぶきの表現に関しては、シミュレーション特有の粒子っぽさが目立った

    ゴジラが海を泳いでいるシーンを見ると、ゴジラのくぼみに溜まった水が消滅しているのが気になった

    あとは、水が少しゴジラの表面を滑るように移動しているのも気になった

    もちろん、そのレベルまで目を凝らさないと破綻してるところを見つけることができないという時点で、今までの日本の作品とは比べ物にならないクオリティーでとてもすごいことだが、やはりまだ海外レベルではないと思った

    その他、総じて言うと

    ゴジラ-1.0はエンタメ作品として最高だった

    迫力も、舞台設定も、展開も見ていて飽きない

    僕はゴジラをたくさん見るような人間ではないが、それでも十分に楽しめた点で、この作品は良い作品だと思う

    それでいて、戦艦、駆逐艦、戦闘機、バイク。その道のマニアにしかわからないエピソード的な魅力もあった

    アメリカに抑圧される日本、戦艦にプリントされたローマ字、そういう細かい所でも良く表現できていたと思う

    それでも僕がご都合主義だと言ったのは、良い意味でリアルすぎるCGの影響だろう

    アニメのようなご都合主義を浮き立たせてしまうち密な画は良くも悪くもこの映画に影響した

    なので次の邦画がやるべきことは、緻密なCG,VFXに対応できる緻密で現実的かつ手に汗握る脚本ではないだろうか

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  • ジュディマリについて

    JUDY AND MARYは以前から好きだったが、1年くらい前から、邦楽の中でもトップクラスに好きなバンドになった

    最近もよく聴いている

    今のところのお気に入りの曲は、小さな頃から、ラッキープール、くじら12号、BLUE TEARS

    だ、

    ジュディマリは世界観がぶれていないので好きだ

    国内だと、椎名林檎と事変、ミレパ、radwinms、ポルカなど、

    海外だと、アストリッドエングバーグ、スカーロード、スーサイ、システムオブアダウン、マイケルジャクソン、ダフトパンクなど、

    そういうバンドたちにも当てはまる

    僕がフュージョン系の音楽が好きだという記事を少し前に書いた気がするが、僕が音楽に求めるのは雰囲気だ

    その雰囲気を持つアーティストの音楽は、聴いているその場を違う場に変えてくれるようだ

    僕の中では、そういう音楽が本物だと思っている

    ジュディマリの音楽は誰が聞いてもすがすがしくなるような楽器、メロディ、そして歌い声だ

    コーラスとハモリが無いのが特徴に挙げられると思う

    楽曲の多くは、何かしらさびになるとコーラスやらハモリが入ってくる

    必ずしもそういうわけではないが、ジュディマリの曲にはほかの曲と比べても、そういうハモリなどが少ない気がする

    まるで野外ライブのような、インディーズのような、そういう瑞々しさがある

    あとは、歌声にエコーがかかったようなエフェクトが多い気がする

    トンネルの中で歌っている感じだ

    ただ、音の粒の輪郭が消えているわけではなく、反響によるウェットな音と、元のドライな音が両立している

    これによるノスタルジーが良い、

    リッチな音を突き詰めるのではなく、これでよいと割り切っている

    先日も考えていたが、作品にとって一番大事なのはどういう世界を伝えるかだと思う

    その点、ジュディマリの曲は純粋にさわやかさを伝えてくれるので好きだ

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  • 四畳半神話大系

    四畳半神話大系_1
    ©四畳半主義者の会

    四畳半神話大系を見た

    普段使っている耳掛けスピーカーが壊れ、現在修理中だ

    故に今日はヘッドホンを代わりに使っている

    ただ、自分は顎関節症なのであまり長時間は使えない

    ということで、アニメを見た感想を書く

    四畳半神話大系はなかなか攻めたアニメだった

    総じていうと、結構楽しめた作品で、その魅力が良くわからなかった前半は単調な感じだったが、後半の種明かし的なエピソードは良かった

    ただ、やはり前半の単調さで見る人をふるいにかけてしまうような気がした

    前半も前半で、後半の展開の布石のような描写を意味ありげに混ぜ、謎を予告するような工夫をした用が良かったのでは、と思った

    あとこのアニメで感じたことが、やはり、見せ方を割り切ったアニメは強いということだ

    この作品では背景に写真が使われていたり、作画もカクカクな部分が多々あった

    それだけを聞くと手抜きの用にも思えるが、ただ、このアニメに関してはそれが正解だ

    アニメを楽しむのにきれいな背景というのは魅力のうちの一つでしかない

    並みの表現者は絵をきれいにしがちだが、そこに対した意味は無く、ゆくゆくはその表現に行き詰まる

    アニメにとっての背景とは必ずしも必要なものではなく、アニメというものを支えるためには、その場がどういう場なのかを伝えることができれば、なんでもいい

    極論、背景など書かずに登場人物にしゃべらせるだけでオッケーだ

    それを可能にするのが、それを割り切ることができる世界観だと思う

    フリクリやサニーボーイもそういう世界観が良かった

    あのアニメであればいきなり突拍子もない演出が交えられても何とも思わない

    ©四畳半主義者の会

    四畳半神話大系も、写真が背景に使われても何とも思わない

    浦和の調ちゃんみたいな感じだ

    写真を使っていると割り切ってしまえばそれはもはや手抜きではなくなる

    それ込みで作品なんですよと絵で宣言すればよいだけなのに、変にごまかしたりすると、恋するアステロイドのようになってしまう

    その点、四畳半神話大系では背景に関する破綻をもはやお話の一部にしていた

    もちろん工数削減にもなっているだろうし、世界観的にも面白いものになっていた

    今僕が作っている作品でも取り入れたいと思いつつも、やはり、そういう割り切った世界観というのは作るのが面倒くさい

    いや、商業アニメならむしろ簡単なのかもしれないが、自主制作となると、重要なのはパイプラインだ

    定石から外れる見せ方はその都度手間がかかるものだ

    僕の場合はむしろ3Dだけで表現しきるような感じが良いのかもしれない

    という感じで脱線してしまったが、

    このアニメは世界観の割り切り方でよい感じだった

    話も楽しめた

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  • ブラックスワンを見た

    僕はサイコホラーが大好きな人間なので、もちろん楽しめた

    昨日あたりからアマプラで配信が始まったので早速見た

    パーフェクトBlueに似ているというようなことをどこかで聞いた気がするので、気になっていた

    実際見てみたところ、確かにそんな感じで、個人的にはパーフェクトBlueの方が好きだが、ただ、ブラックスワンも普通に面白かった

    ただ、唯一個人的に気になっている点として挙げられるのが、CG、VFXを使って幻覚として見ている世界を表現している点だ

    perfectBlueのような幻覚を見ている系の作品は、VFXでは表現できないと断言できる

    パーフェクトブルーが良かった理由は、それがアニメという媒体だからだ

    アニメはすべてが作りものなので、幻想と現実の区別はその構造段階から差分がない

    夢も現実も同じ紙に、同じ色で、同じレイヤーで作業できる

    なので、幻を見ているという作品のテーマを100パーセント表現できるのでは

    その点、パーフェクトブルーは幻覚の世界を最後まで真実の世界として描き切ることができている

    ただ、ブラックスワンは実写なので、幻覚を表現するのはVFXでないといけない

    いや、全ての幻覚の表現をVFXで表現する必要はないので、ブラックスワンのような作品も作れるはずだ

    ただ、ブラックスワンの場合はXFVをバリバリ使って幻の世界を具体的にしていた

    それは幻覚幻聴、妄想性障害の表現としては適していない気がする

    例えば、最高の映画の一つ、シャイニングなんかは、完璧に現実と同じフィールドで、幻覚を上手に表現していた

    赤い液体が流れてくるイメージを、実際に赤い液体を流して表現していた

    これにより、映画の登場人物が見ている恐怖、もしくは監督が表現したい映画世界内の恐怖、を、完全に登場人物と同じレイヤーで表現することができていた

    ブラックスワンの惜しい所は、幻覚というものを表現するのにVFXという手段をとってしまったことだろう

    それ以外の表現はおおむね良かった

    特に、殺害したと思わせておいて違ったというのは良かった

    幻覚を見せるためにはあのような、現実的な方法でそれを表現しないといけない

    幻覚と現実

    両者を同じレイヤーで作らないと、幻覚は途端に作り物っぽくなる

    ということだ

    というのを踏まえてもブラックスワンは良かった

    ただ、サイコホラー大好きな僕からしたら、もう一歩引き、幻覚を具体化することなく描き切る方法を考えたほうが良かったのでは、とも思う

    というかそもそも、最後の黒い鳥になるVFX丸々いらないのでは

    あれは一種の答え合わせであって、あれにより終わった感は出るが、ただ、答え合わせされたことにより、彼女の狂気が薄まった気がする

    なんだか、観客にやさしすぎる映画になっている

    最後くらいは興奮状態の彼女自身の視点で映画を締めくくりたいという気持ちもわからなくはない

    いや、それが一番良い終わり方なのはこの映画の監督も理解しているのだろう

    ただ、それを表現するのにVFXという手段は完ぺきではない

    とはいっても、僕がもっと良い案を出せるわけではないのでこれ以上は言えないが、別のクライマックスもあった気がしてならない

    とにかく、

    ブラックスワンは、パーフェクトブルーとセッションを混ぜ合わせたような映画で、総じていうと、とてもおもしろかった

    僕が映画を振り返るのはごくごく一部の最低の映画と、最高の映画のみなので、ブラックスワンも最高の映画の一つだった

    早く僕も映画を作れる人間になりたい

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  • 攻殻機動隊を見た

    二度目の攻殻機動隊を見た

    伝説的な作品だが、実はまだ1回しか見ていなかったことに気づいた

    テレビの方ではなく、劇場版の方、INNOCENCEでもない方だ

    久しぶりに見たので改めて、新鮮に見ることができた

    そして、それと同時に、共感することも多かった

    魂や人格に関しては僕もいろいろ考える人間で、たぶん、士郎正宗よりも広い意味で捉えている

    電脳的な場においても人格というのは抽象的だ

    電脳的というのは媒体の性質を示すだけの物であって、それによって生じる情報の集合も本質的には魂と何ら変わりはない

    その魂を電子的なデータとして扱うということをこれだけ昔に想像して、それを漫画にしたのはすごいと思った

    そして、押井守監督の、独特な作品の作り方で、名作になっていた

    ワクワクする感じを残しつつ、あそこまで芸術的な絵作りができていることはすごい

    今僕が作っている作品よりは大衆向けだ

    それでいてあの難しい内容、

    やはり、作品には2つの側面が必要なのだと再認識した

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  • 北野武監督の作品を2つ見た

    昨日、その男凶暴につき、を見て、今日。ソナチネを見た

    感想

    北野監督はお笑い芸人としてすでにセンスがあり、それを高めた後、映画を監督し、その男凶暴につきを撮った

    そういう経歴を感じられる作品だと思った

    カットや物語などはなんだかベテランの映画監督が作る物とは少し違う気がする

    というのは、今までの人生を映画以外の芸術にささげてきたからこそ、普遍的な見せ方に漬かることなく、映画に必要な表現だけを含んだ映像になっているのかもしれない

    お笑い芸人でなく、映画監督としても成功できる人間だったのだろうが、お笑い芸人に進んだことで、より一層、ユニークな作風になった

    ユーモアある映像だが、ゲラゲラ笑わせるものではなく、とんちがきいたような画だ

    これは、笑うということに対して考え続けた結果生まれた、シュールな笑いであって、そういったものはやはりお笑いをやっている人じゃないと作れないものだとも思った

    そのお笑い芸人としての才能を感じられたのが、ソナチネだ

    暴力と笑いという、武監督の得意なものがたくさん詰まった作品だった

    昭和のバラエティーをもっと危険にしたような感じだ

    それに加え、沖縄というロケーションもよかった

    東京から離れている、日常ではない世界として絵になっていたし、海外受けもよさそうだと思った

    その男凶暴につきと、ソナチネだったら、両方面白いと思った

    その男凶暴につきは、最後が特によかった

    オチをちゃんと残しつつ、クライマックスを淡々と見せて、終わる感じが良かった

    あの画面はやはり、先天的なセンスがある人が、その集団に入ることなく別分野で活躍した、北野武ならではの画面だ

    素人は一生映画を撮らないし、センスのある人はそれを生業にする

    その2つに当てはまらなかった北野武にしか作れない作品だと思う

    ソナチネは、最初から最後まで安定した印象だったが、クライマックスはちょっと唐突すぎた気もするので、その辺が惜しいなと思った

    ただ、中盤の、砂浜での場面は最高に良く、北野武にしか作れない雰囲気が漂っていた

    これも、アイデアの勝利だと思う

    砂浜で、やくざが暇を持て余しているというだけで、何が起こっても絵になる

    こういうアイデア、企画、シチュエーション、それらに関して良い物が生まれた瞬間に作品は決まる

    良いアイデアはどう転んでも良い作品になる気がした

    そういう、コンテンツの鉄則と、北野武という才能がうまくマッチした作品がソナチネだ

    P,S,

    ソナチネについては、改めて考えていて思ったことがある

    東京で暴力に明け暮れるヤクザが何もない沖縄の砂浜に来た時、どうなるのか

    ヤクザという明らかに異質なモチーフだが、その中にぽっかりと大きな穴が開いたとき、ヤクザはどういうことを始めるのか

    そういう、人間観察的な魅力がこの映画には含まれているのでは、と、言語化できた。


  • サマータイムレンダを見た感想

    サマータイムレンダ_1
    ©田中靖規/集英社・サマータイムレンダ製作委員会

    めちゃめちゃ面白かった

    手術後で安静なので、去年の流行りのアニメを見た

    やはり流行っているだけある。ものすごく面白い

    僕は基本、2クールのアニメを見ることは少ない人間なのだが、それでも、最初から最後まで安定して楽しめた

    デスノートを彷彿とさせるような、中身の詰まった物語だった

    それでいて、志倉千代丸っぽさのある、論理的な展開が楽しかった

    脚本について

    脚本、話関係について、

    最初から最後まで安定した内容で、見ていて飽きないとはこのことだろうと思った

    最初は身の回りの異変から始まり、徐々に大きくなる

    こういう何かと戦う系のアニメは、いかにしてそのスケール感を段階的に開放していくか、そこに話の面白さがあると思う

    ソシャゲでもそうだ

    ゲーム内通貨がサービス開始数年経つと、インフレを起こす

    バトル系のアニメも同じで、何かと戦う場合、その強さを段階的にアップしていかないといけない

    その点に関して、サマータイムレンダはその段階の踏み方が理想的だ

    最初は身の回りの小さなところから始まり、最初の結末の披露。

    それでも大きなものだったが、それを上回る。宇宙スケールでの新事実

    そして最後には、さらにそれをも上回る。もはや概念というフィールドでのバトル。

    次はもうないだろうと思わせておいて、また次がある

    そういった、スケール間の開放タイミングが2クール内でバランスよく配置されていた

    それによってこの、安定した面白さを実現しているのではないだろうか。

    というような具合に完成度の高い脚本だが、一つだけ気になった点があった

    いや、気になるというか気づいただけで、別にアニメを楽しめなくなるほどのことではないが、今回は勉強の意味も兼ねて文章として具体化してみる

    それは、今起こっていることを登場人物がセリフで解説してしまっているということだ

    もちろん、それが必要だというのもわかる

    死に戻り系はやはり、事実の上下関係が話の根幹をなすため、その上下関係とそれによる効果を把握しないと、物語に置いてかれてしまう

    僕も、シュタゲの頃はついていけず、不完全燃焼な感じで見てしまった

    僕は今回、この話についてこれた

    ただ、この2クールのアニメを最初から最後まで、仕事のことも忘れてみっちり見ることができるのは、手術後でやることがない人くらいだろう

    話の流れに視聴者がついてこれなくなってしまっては、脚本の魅力を享受できないので、それを解説する必要があったのかもしれない

    ただ、その解説が少し多すぎた気もした

    もっと、なんでこうなるの? くらいの疑問を視聴者に抱かせる場面があってもよかったのでは

    極論。起こっていることをすべて説明してしまうアニメは、企画書のプレゼン資料になってしまう

    ゲームは制限があるからこそ面白くなるものだが、アニメにおいても。わからない部分があって初めて面白くなるものでは?

    その点、今回のアニメは少しだけ説明しすぎていた

    難しいお話なので、ついてこれないということを避けるために不可避なことかもしれない

    ただ、であれば、キャラに話させるだけではなく、絵で伝える。もしくは脚本を工夫し、単純明快にする

    ということが必要な気がした

    シュタゲの時もそうだったが、脚本が矛盾していないと伝えるためだけが目的のセリフも含まれていた

    それは、矛盾していないということを伝える効果はあるかもしれないが、ただ、その情報は物語進行上必要のないものだ

    矛盾していないのは素晴らしいことだが、それにわざわざ触れる必要があったのか疑問に思った

    というのが、今回の物語関係で気になったことだが、総じていうと、最高の出来だ

    上で書いたのは、この最高の話があった上で、さらに高みに到達するため、さらに多くの人に見てもらえる作品にするために。僕だったらこうするというだけのことであって、それは正解ではない

    完成度としてはものすごく高かった。

    ED1について

    2クール作品のため、エンディングが二つある

    そのうちの最初のほうのエンディングについて、思うところがあるので書き記す

    僕はエンディングはほとんど飛ばす主義なのであまり深くは見ていないが、ただ、それでも印象に残っていたのが、島を船から撮影した実写の映像だ

    EDで伝えるのはノスタルジーが良い

    船から撮影した実写の映像を白黒に加工し、曲を流す

    白黒に加工してノスタルジーを誘っているのはその時点で素晴らしいのだが、それに加え、この、船から撮影した島。というモチーフがこの上なくすごかった

    僕もたぶんそうする。

    この作品は島で起こる出来事を描いた作品なので、島が登場するのは割と当たり前だ

    ただ、それを、島の写真ではなく、島を周囲から撮った映像。というのがすごかった

    なぜならその視点は視聴者と同じ視点だからだ

    島という閉鎖空間は海によって隔たれている

    そしてこのアニメは、その閉鎖空間を画面越しに観測する作品だ

    つまり、島という閉鎖空間を俯瞰している

    アニメを見る僕らとアニメの中の島の物語。

    この僕らとアニメの関係性はそっくりそのまま、船上と島との関係性と一致する

    その一致がすごく良いと思った

    ラベルは違えど、本質的には同じ意味の映像をエンディングにしているということだ

    凄惨なことが起こっている島の様子を俯瞰する安心感が僕らにはあって、その安心感に拍車をかけるような、船からの視点

    ひどい現実を目撃しつつも、自分らは他人事でいられる絶妙なポジションが、船上だ。

    このことを意図してエンディングが作られているのかは定かではないが、このアプローチは僕の好みだ

    こういうものを具体的な映像として生み出せる人間になりたい

    その他

    海から流れ着いた物を焚き上げるという文化。

    本当にあっても良いその文化の存在価値が脚本によって種明かしされたとき、この物語は本物だと思った

    あとは、一見スピリチュアルな現象だが、そこにはしっかりとしたSF要素がある

    この運びはひぐらしのようだ

    島特有の隔離された社会

    島特有の民族的な不気味さ

    僕はもともと島が好きで、それは絵でも、ゲームでも、あらゆるところで島に似たロケーションを作ってきた

    今作っている自主制作も、宇宙船だ

    それは、そもそもこの世界自体が隔離された空間だと思っているからだ

    その境界を見える範囲に収めようとすると、島、宇宙船、になる。

    川、山、概念上の境界

    そういったものに囲われた中に魅力的な物語が生まれると思っている

    なので僕はそもそも島が舞台の作品が好きなのかもしれない

    総評

    とても面白い作品だった

    そして、学ぶことも多かった

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  • ぼざろを見ているメモ

    明日、目の手術のため、あまりハードワークをしたくない

    なので、今。レンダリング中だ、

    そして、その時間を使ってぼっちざろっくを見ている

    今2話くらいまで見ていて、思ったことがあるのでいくつか書き記す

    やはり2Dアニメの良さはデフォルメができることだ

    カットごとに作風を変えることすらできる

    つまり、表現を変える際のハードルが低い

    これにより、作品が柔軟に、面白くなるだけでなく、制作にかかるコストを下げることもできる

    口を映さない、もしくは無くしてしまうことによって、口を動かすことすらしなくてもよくなるし、

    線をぐちゃぐちゃにしたり、コマを抜いたりしてデフォルメしても、良い感じになる

    これらは基本的に、工数削減になる

    そういう、2Dアニメの良さをしっかりとっている印象があった

    あとは、環境音に対する考え方が、良い

    僕も昔から思っていることだが、やはり、アニメにおいて環境音というのは重要だ

    ハルヒもそうだし、アニメの没入感に直結してくる

    多くのアニメが環境音をうまく使えていない中、ぼざろの環境音はまだ2話目だが、良い感じだった

    あとは、ライティングが上手い、

    これは今、初めて言語化した価値だが、

    アニメにおける没入感の有無は、環境光の室によって変わる気がした

    特に、非日常的な場所にいるときのキャラにあたるライトは、その場の雰囲気を強く演出する

    ぼざろの場合はライブハウスという、非日常的なライティングの場所が印象に残るため、そういった場所のライティングをうまく表現し、没入感を演出している気がした


  • 何度目かの涼宮ハルヒを見た。主に28話について

    28はサムデイインザレインというタイトルだった

    文化祭のことについて描かれる

    このエピおs-度はおそらく最終話にあたるエピソードだ

    この回について、カメラワークの独特な感じがとても面白かったのでこの記事に記す

    最初見たときは独特な感じだなくらいしか思わなかったが、あれから成長し、さらに具体的に言語化できるようになった

    あの回のカメラワークはドキュメンタリーあるいは監視カメラあるいはニュース映像のカメラワークだ

    何が言いたいかというと、カメラをドラマチックにしていない

    ただ単に情報を伝達する画面としてカメラを配置している

    その試みについて、すごく良かった

    あの、青春の1ページ感のある、けだるい、だけど時間は着実に進んでいるという印象を見る人に与えている

    雰囲気を伝えるに特化した構成だ

    あのようなことができるのは京アニという、評価された土壌だからこそできるのだろう

    挑戦的なアプローチで、ほかのアニメ会社はそうそうまねできない

    何故なら、ほかのアニメ会社に求められるのは、楽しいアニメ、だからだ

    対して、京アニはある種の作家性、アイドル性を持っている

    なので、その挑戦的な表現を許すことができる

    エンドレスエイトは少し失敗しているが、そういう挑戦をしやすいアニメ会社だと思う

    特に、長門が部室で一人でいるときのあのカット、

    たぶん2分くらいあった気がする

    あのカットが最たるものだろう

    その2分間という画面を、わずかな環境音と共に感じることによって、環境音からくる想像力を楽しむことができる

    幸福は相対値なので、印象も相対値だ

    情報量の少ないかっとなので、環境音という少ない情報ですらその場の雰囲気を感じるための材料になりえる

    そこまで計算し、意図的にコンテを描き、映像化までしてしまったのが28話だ

    あの有名な、god knowsも出てくる

    ハルヒの中で、一番好きな回だ

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  • 二度目のサニーボーイを見た

    Sonny Boy_1
    ©Sonny Boy Committee

    やはり最高のアニメだ

    体調が悪いのですることなく見たアニメだったが、一気見してしまった

    最初に見たときからそうだったが、このアニメには僕が追い求めている要素がたくさん盛り込まれている

    永遠に不変な世界

    それを青春時代の少年少女が送る

    変化が激しい思春期の男女が不変の世界にいるというギャップがいい

    イエメンのようにどこまでも変化の無い、静かな世界

    日ごろ、顎関節症を主とする連続的な苦しみを感じている僕にとってはこの上なく理想に近い世界観だ

    この記事ではその魅力についてとにかく書いてみる

    背景について

    今回見て、新たに気づいたことが、背景の優秀さだ

    情報量の少ない背景だということは前回から言語化して評価していたが、今回見てみて、さらに、違和感のある背景。という価値を新たに発見した

    あの世界は絵本の中の世界のような感じだ

    主人公たちが本来いる可能性とは別の、選ばれなかった可能性

    そこにはもはや時間というものすら必要とされていない

    完全に事実関係のみで構成された、既成事実のみの世界だ

    つまりこれは、絵の中だ

    すでに描かれた決定済みの世界の中で、未確定の物語が進むという、矛盾が構造にある

    その矛盾を、動くキャラと動かない背景で表現している

    その両者をしっかり区別するために、背景は筆の質感を残した、アナログ感のある印象になっている

    これにより、変化があるのかないのか、背景かキャラか、進んでいるか静止しているか、

    そういう2つの側面を直感的に表現している

    良い違和感とはそういうものだ

    キャラが背景から浮いている

    それは、この世界とキャラが違うレイヤーに位置していることを見る人に印象付けている

    どこまで行ってもキャラはキャラ、背景は背景、という風に住み分けされている

    10話くらいで、深く続く大地の裂け目のところで感じたことだ

    あのパートでは、明らかにキャラたちが背景となじんでいなかった

    いや、なじんではいるのだが、コンセプトとして同じレイヤーにはいなかった

    あの崖はおそらく、概念上の崖だと思う

    つまり、物理的な頂上も底もなく、ただ崖が存在しているというその事実だけで描画されている空間だと思う

    つまり、具体的なキャラとは全く異なる、抽象的な空間だ

    その2つのギャップを、背景のタッチによって表現している

    その場にいるんだけどその場にいない。という、可能性と実体との微妙な関係性をうまく表現した背景になっていた

    背景の使い方として、ここまで高度な表現は他のアニメでは見たことがない

    まどマギのバトルシーンなんかだとそういう表現はされていたが、ここまで違和感なく、違和感を作り出しているという点において、僕が知りえる中で最高の背景だと思った

    少年少女について

    EDは銀杏ボーイズの少年少女だ

    この歌もまた素晴らしく良い

    それは、曲自体もそうだし、少年少女というタイトルも最高だ

    少年少女というタイトルは単なる名詞であって、その説明としては必要最低限で、かつ、このアニメの多くの部分を示していると思う

    少年少女という単語から連想される青春成分と、その青春成分の中にあるディストピア感、単なる恋愛物語ではなく、どこか意味ありげな雰囲気がサニーボーイにあっている

    不遇な運命を背負わされた少年少女、を略して、少年少女、と言っているような気がする

    あと、曲自体も最高だ

    銀杏ボーイズという、叫びながら歌っているようなバンドは個人的に好きだし、

    このアニメで印象に残るであろう、真っ白な砂浜と、雲一つない青空。それを隔てる一直線の水平線が目に浮かぶ

    それをそのまま音に直したような曲だ

    そんな曲が毎回、アニメの最後に真っ暗なスタッフロールと共に流れる

    映画っぽい演出なんだけど、そうとも限らない

    まるで、連続したノンフィクションのドキュメンタリーを見てしまったかのような気分になる

    これまであったことがアニメという枠組みの中ではなく、本気で伝えたいことなんだよ感がにじみ出るので、良いEDの流し方だと思った

    惜しい所

    ここまで褒めていて、もちろんこのアニメはこうして記事を書くほどに最高のアニメなのだが、

    ただ、惜しいと思うところもある

    とはいえ、物語やその他演出には本当に非の打ちどころのないような完成度の作品で、これ以上求めるものはない

    ただ、ひとつ気になるのが。尺だ

    12話の1クールアニメだが、ちょっと長すぎる気がした

    おそらく、理想を言うならば、8話くらいがちょうどよいだろう

    それくらいにカットしたほうがスピード感を維持したまま最後まで行けたはずだ

    途中、世界観を肯定するだけの展開が何個かあった

    それは世界観を壊すことはなく、ただ、物語を進めるわけでもない。小話的なエピソードだ

    その数はおそらく大きいもので5個ほどあった気がする

    この5個というのは、1クールのアニメにしては中途半端な数だ

    小話を楽しむアニメにするのであれば5個は少ないし、

    世界観や推理、展開を楽しむ系のアニメであれば、この小話は少なければ少ないほどがいい

    物語を進めない小話はの話だ

    この小話がいくつかあって、それはちゃんとぴいたいこともはっきりしていたし、相変わらずの最強背景で楽しかった

    ただ、今回のサニーボーイに関しては、脱線して小話をするのは視聴者の求めていることではないだろう

    旅をしている気分で、寄り道をしていることになるからだ

    その割合が多すぎたかなとも感じた

    これに関しては別に悪いというわけでもないし、むしろ、小話をたくさん挟んでもっと長くしてもっとあの世界観を楽しみたいというのもある

    ただ、ここで思い切ってその小話をカットすれば、フリクリのようなまとまった作品になっていた気がする

    総評

    総じていうと、僕の好きなアニメの中で、5本の指には入るだろう

    フリクリと似ているという理由で見たアニメだが、フリクリとはまた違うさばさばした感じでよかったし、

    世界観や設定などはフリクリ以上に共感できる作品だ

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  • 時計じかけのオレンジを見て思ったこと

    2度目の時計仕掛けのオレンジを見た

    難解だが、それを作品として認識できる時点で不思議だと思った

    この映画の評判の良さを知ったうえで見ているので、そういう感覚に陥るということもあるだろう

    ただ、冒頭のシーンから、普通ではない何かを感じることができる作品だった

    難解な表現をすることに対して、信ぴょう性がある気がする

    そういう信頼を勝ち取ったうえで難解な表現をしているのでこの作品は面白い

    あとは、写実的な表現を放棄している点も改めて良いと思った

    映画というのは事実を伝えるものではない

    何かを伝えるうえで、演劇のようなフォーマットでもよい

    変に現実的なカメラワークではなく、ある程度の創作物感が出ていてよかった

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  • アニメレビューのカテゴリー名を変更します

    いままで、アニメレビューという名前で特によかったアニメのレビューをしてきましたが、

    ただ、最近。実写映画に関しても熱心に見るようになったため、前からあったアニメレビューをコンテンツレビューという名前に変え、映画も含めて記事を書いていきます

    これはたぶん批評ではありません

    僕がコンテンツに触れて感じた価値を分析し、自分の言葉で残しただけの記事になる予定です

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  • シャイニングから学ぶ、本能に訴えかける映画

    シャイニングを見て怖いと思った

    あれほどの怖さはヘレディタリー以来だ

    途中、眼鏡をはずして見たりしていた

    初めて目が悪くてよかったと思ってしまったくらいだ

    そんな僕が思ったのは、画面の前にいる人にそれほどのことをさせてしまうほどの映画はなぜ、ここまでのことができるのか

    ということだ

    ただ、それに関しては少し考えればすぐにわかることであって……、

    怖いという感情はほかのどの感情よりも強く出る

    これは本能に直接訴えかけるからだ

    人の温かい物語、感動ドラマはほっこりはするが、本能にはさほど強くは訴えかけない

    人が感動しようと、家族の愛に気づこと、自分の生死には何のかかわりもないから、他人事の範疇を超えることはない

    だから、感情の変化量としては小さい映画になるのではないだろうか

    対して、ホラー映画は違う。

    シャイニングなんかは特にそうだが、登場人物の生き死にがかかわってくるものを見ると、その行く末に自分を重ね、強く感情移入する

    なぜならそれは生き死にという、人間が抱える最も大きなモチーフを扱う映画だからだ

    同じような映画に、ポルノ映画がある

    性欲に訴えかける映画はそれこそ本能に直接作用する

    この、ホラー映画とポルノ映画というのはほかのジャンルの映画作品とはそもそも根本的に違うと思う

    その良さを認知する部分が理性ではなく本能だ

    そして、本能は理性よりも大本をつかさどる部分だ

    だから、ホラー映画とポルノ映画はほかの映画と違う魅力があるのかもしれない

    そして、僕は監督志望なので、そこから一歩踏み出す必要がある

    ホラーとポルノが他とは違う魅力を含んでいることはわかった

    なので、それを、これから作るかもしれない僕の映画に落とし込むべきだ

    好奇心、睡眠欲、食欲、性欲、生存本能、母性本能

    人には様々な分野の本能があるだろう

    そういうものに訴えかける作品というのを今後、考えていきたい

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  • インディ・ジョーンズから学ぶ、映画のウソ

    インディ・ジョーンズを見た、

    見るまで、単なる冒険アドベンチャーだと思っていたが、最後の現実味のある展開ですべてがちゃんとしたSFのような感じにまとまっていたのですごかった

    ……というのが全体としての感想だ

    ただ、この記事ではそこから見た映画のウソについて、僕が感じたことをまとめる

    映画の途中で、大きなアリが出てきた

    敵の一味を食べたり、つぶされたり、その時に変な声を上げたり。いろいろと凶暴な昆虫だった、

    僕はそれを最初見たとき。これは嘘だな。良くないな

    と思った

    というのも、そこまでのストーリーで若干のコメディ、漫画的要素を感じつつも、

    現実には起こりえないことは起こらない。リアリティのある物語だと思っていた

    そこであの大きなアリ。鳴き声を発しながらアリ塚から出てくる

    その大きさと、人を食べる。鳴き声を発する。という描写から一気に物語のリアリティが崩れ、やりすぎだな。と思った

    ただ、その後しばらく経ち、アリの騒動の後半になってから、クリスタルスカイをアリたちが避ける描写を見てからは一気に物語のデフォルメ感が修復された気がした

    この物語における一番のウソはクリスタルスカイだ

    そして、その嘘の塊であるクリスタルスカイの影響を受けるアリたちは同じく、映画においてウソであってもよい存在になった

    それを僕は察知したとき、アリたちが鳴き声を発していようが、人を食べようが、気にならなくなった

    つまり

    SF映画においてのウソは一つだけだ

    二つ以上になったらそれはSFというよりも単なる宙ぶらりんの空想物語になるし、

    嘘が無ければそもそもSFと呼ぶのは難しい

    だからSF映画には嘘が一つだけだ

    この映画のアリのくだりでは、最初。嘘が2つに増えたような気がしたので、やりすぎだ。と思ったわけだ

    ただ、後半にそれがクリスタルスカイを含む一連の大きなウソの一つに過ぎないとわかった時、

    その展開が物語にあってもおかしくないと思えた

    この2つの感情が、SFにおけるウソの個数の大切さを教えてくれる

    嘘がたくさんある物語はアリが突拍子もなくしゃべりだすような違和感を含んでいるということになる

    僕が物語を創るうえで注意すべきは嘘の数だ

    それは、インディジョーンズでいうところの、クリスタルスカイとその一連のモチーフ。UFO、宇宙人などにあたる

    それに関連していれば一つのウソと見出すことができる

    そしてそれに関連しない嘘はつくべきではない。

    ということを定量的にでも意識すべきだ

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  • レディ・プレイヤー

    面白い作品だった

    サブカル好きにはたまらない映画で、僕も楽しく見れた

    バーチャル世界の持つ可能性、未来的な雰囲気をうまく表現できていたと思う

    僕は、空気感を伝えてくれる映画が好きで、自分もそれを追い求めたいと思っているが、この作品にはそれがあった

    SAO的な臨場感のある作品でよかった

    映像表現に関しても素晴らしい

    序盤のレースシーンなんかは、フル3DCGだろうがものすごくよかった

    ただ少し惜しい部分もある

    背景、プロダクトデザインに関して、ルック面ではないところの作りの甘さが目立った

    ビルの屋上のシーン。落書きが壁に描かれているが、違和感が強く、気になってしまった

    あんな凹凸のある所に落書きされることはないはずだ

    まるで、DCCツールで落書きのtextureを投影したかのような不自然さがあった

    そういう不自然さが一つならばまだ許容できたが、全編を通してちらほら、不自然な背景、プロダクトデザインがあった

    冒頭から出てくるスラムの街並み、貧しい人たちがなぜあんなスカスカで非効率な建築方式に行きついた? あの町並みにはストーリーが感じられない

    スラムには人があふれている。VRに酔いしれるはずの世界でなぜあんなに活気がある? VRに活気があるのか、現実に活気があるのか、印象としてよくわからない

    作中に何度も出てくる透明なディスプレイは未来的ではあるが、外でも使う端末としては不都合ではないか?

    強制労働用のポッドの中になぜ非常レバーがある? あのレバーはどういう使用用途であそこにある?

    非常用ならば中の人がもっと簡単に触れるようにしてあるはずだし、外から操作するものならば扉の外についているはずだ

    ……というのはリアリティを極限まで求めた場合の意見であって、それを真に追い求めると、その先に待っているのはたいてい、退屈な映画だ

    だからこういうところはある程度うそをついてもいいと思っている

    ただ、背景の落書きなどに関しては、建物のグランジに愛があれば気づける違和感のはずだ

    そこに落書きがあるという結果にのみフォーカスして落書きを描画してしまった結果だろう

    大事なのは落書きがあるという結果ではなく、落書きがあるに至った経緯では?

    作りこみとしてもうひと工夫できたであろう所

    悪徳巨大企業のお偉いさんのおじさんがバーチャル世界を現実世界だと思い込んで拘束されるシーンがある

    そこでそのおじいさんは、ポッドの反射に本来では見えない景色が映り込んでいることで、そこがバーチャル世界であることに気づく

    そのくだりは良かったのだが、ただ、もう一工夫できないか?

    と思った

    あそこはバーチャル世界だ

    それならば、金属に反射した景色を見てしまう。という、現実世界であり得る違和感で物語を進めるのはもったいない気がした

    例えば、現実世界にはないノイズが走っているだとか、

    自分の体。服の下をめくると肌のtextureがおかしかっただとか、

    とにかく、バーチャル世界ならではの違和感に気づくことで物語が進んだ方が、コンセプト的にあってはいないだろうか

    僕ならそうする

    総評

    なんか途中から面倒くさい意見ばかりになってしまったが……、

    総じていうと素晴らしい作品だった

    僕がここまで熱くなるのは、監督がスピルバーグだからだ

    彼ならもっとパーフェクトに作れるはずだ

    ネタ的な要素も楽しかったし、何より。雰囲気が最高だった

    高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかなくなる

    ……という言葉があったような気がするが、

    今回の作品ではそういったSFの醍醐味を強く感じられた

    ストーリー、テーマに関しても面白く、良い意味で、頭を空っぽにして見れる作品だった

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  • 2度目のインターステラーを見た

    インターステラーは最も好きな映画のうちの一つだ

    というわけでもう一度見てみたが、おそらく。今までで5本の指に入るかもしれない

    それを再確認したくらいに良かった

    4次元5次元について日ごろから考えている僕なので、インターステラーのような映画には共感できる

    とはいえ、5次元空間を4次元で表現するというアイデア、それに基づいた脚本

    突き詰めれば突き詰めるほど難解になるSF作品が多い中で、インターステラーはとことん突き詰めつつ、それをわかりやすく説明している

    そして、すべてを保ったうえで脚本として感動できるものにしている

    あれだけ絶望に立たされても最後には再会を果たしハッピーエンドになる

    その点で素晴らしい映画だと思った

    P,S,

    良かったと思うのはスケール感だ

    僕はスケール感の大きな物語が大好きだ

    そしてそれは多くの人に当てはまるのではないだろうか

    今書いている脚本も結構スケール感が大きなものになっている

    今感じているスケール感に関する感動を脳裏に焼き付け、

    この印象を結果として得るためにはどういった公式を編み出し、

    それに何を代入すればいいのか、

    今一度考えてみる

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  • “涼宮ハルヒの憂鬱”はなぜ面白かったのか

    最近、面白い物語とは何か、というのをたくさん考えている

    テーマやメッセージなど、作者のやりたいことが一貫していないと、それをまとめ上げることができない

    それは見る人に直接は伝わらずとも、一貫性という価値となって間接的に伝わる

    という考えに今は落ち着いている

    なのでテーマやメッセージが大切なのだが……、涼宮ハルヒにはそれがない

    それなのに面白いのはなぜだろうか

    一つ理由として感じたのが、一貫性。というキーワードだ

    メッセージやテーマは一貫性を断固たるものにするためにあるのであれば、一貫性さえ保てればそれらは必ずしも必要というわけではないのでは?

    AKIRAもその類な気がする。

    最初から最後まで作者の書きたい世界があって、それを見せるというだけで成立しているのがAKIRAだ

    ハルヒも同じでは?

    ハルヒの周りに起こる不可解な出来事を、京アニの神作画、神演出により、強い没入感とともに見せる

    そこに価値が生まれているということでは?

    ということを最近考えている

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  • 宇宙よりも遠い場所のエンディング

    宇宙よりも遠い場所を再び見ている

    今、脚本を書いていてふと、脚本が良いアニメを見たくなった

    それでまず思い浮かんだのが、宇宙よりも遠い場所だった

    なので今、心して見ている。

    本編が良いのはしばらくしてまた記事にする気がするので今回はひとまず、エンディングについて感じたことを文字にして残してみる

    エンディングの歌が良いというのは前提として、

    あのエンディングを見て僕がすごいと思ったところが、キャラが止め絵だということだ

    キャラは止め絵だがペンギンや花の線画が動いている

    ビジュアルとしてノスタルジーを感じる。エンディングが本来持っているベクトルと絵柄のベクトルが合致し、統一感のあるエンディングになっていた

    アニメにおいて、動きというのは具体的感想を伝えるものだ

    その点から考えると、止まっているアニメというのはノスタルジーの塊だ

    抽象的であり、その作品から伝えられるメッセージに集中することができる

    キャラ4人の頭から芽生えた花は彼女たちの夢を示しているのではないだろうか

    なんか操られているような印象を受ける。もちろん良い意味で

    夢というものに引っ張られる。南極という場所に引き寄せられる熱意をあの花で示している気がする

    そういうメッセージ性からもあのエンディングは素晴らしいものだった

    P,S,

    一つの星を中心に、周りの星が回りだす

    南極を印象付ける演出だ

    これを映像に取り入れている点もよいと思った

    P,S,

    南極のノートパソコンにメールが一気に届くシーンが確かあった、

    あのシーンはとても感動的だ

    感情曲線で言うところの、下がって上がる部分だと思う

    ただ、その下がっているというのは、あの場面になって初めて実感したことだ

    つまり、予想だにしない展開だったということだ

    予想できる感情曲線の下がりは大きな感動を生まない

    最高なのは、予想だにしない感情曲線の下がりと上がりだ

    上がって初めて気づくような感情が最も感動を生む

    だから、予想を裏切るというのは感動において結構重要なことだと思う

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  • 「秒速5センチメートル」

    僕はあの作品から、恋愛関係の尊さと儚さ感じた

    2つの物語両方とも思いは実らないし、単なる一方通行で終わる

    ただそうなるのが当たり前の世の中だ

    だからこそ共感できるしリアリティがある

    単なるきれないものにしないというところに、新海監督のこだわりを感じた

    背景、光の動かし方、配置のしかたもやはり素晴らしく、3Dをうまく使ったカット、光の表現も見どころだった

    ラストシーンに関しても同じく良かった

    ただ、あのシーンの感動は、純粋にストーリーの物ではなく音楽によるものでは?

    とも思ったりもした

    だからあの演出は手放しで喜べるものではない気もする

    ただ、それにしても良い作品だった

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  • とある映画を見た、その感想

    Fukushima 50という映画を見た、

    ぜひ一度見てほしい映画だ。

    僕は普段。というか過去の作品すべてにおいて、批判することには責任が伴うと思っているから批判しない

    身内の会話程度ならまだしも、不特定多数の人が見る可能性のある場での批判はしなかった

    作品すべてに作った人々がいて、そしてそれは芸術作品だ

    ゆえに作品の批判は個性を否定する事に繋がるからからあまり批判したくないし、しようとも思わない人間だ

    ただ、今回、おそらく生まれて初めて、作品を明確に批判する

    そうせざるを得ないくらいにひどい作品だった

    さすがにこの作品は日本人として、許せない

    ・この映画は脚色されている

    僕は途中から本気で、フィクション映画なのだと勘違いしてしまった。

    多少の脚色なら許されるが、これはやりすぎだ。

    ノンフィクション映画と呼べないほどに色を付けている気がする

    ・日本の政府の無能さを訴えたいだけにしか思えない

    それを伝えたいのかもしれないが、そのための題材として災害を使うのは無神経だと思う

    自衛隊よりも米軍、日本政府よりも米国を頼もしく描く構成にも疑問しかなかった

    日本が嫌いなのか?

    だったらこの映画を作る資格はないし、そう感じさせてしまうことを避けられていないのであればこれは単なる監督の能力不足だと思う

    ・カメラワーク、カットの作り方も惜しい

    例えば昼食をとるシーン。

    変にテンションが変わったのもおかしかったし、そのあとに津波の映像を経て体育館での避難民の食事のシーンに入る

    そこでなぜ津波のシーンを入れた?

    死というものを身近に感じさせて家族への連絡の伏線としたかったのか?

    その考えはよいとは思うが、ただ、間に津波のシーンを入れたことで、昼食と昼食。

    同じ空の下で頑張る職員と避難民の姿を対比させることができたのに、

    別に津波のシーンは昼という場じゃなくてもできることだろう

    そういう発想がないというのも惜しいと思う

    他にも惜しいカットが何個かあった気がする

    これに関しては個人の趣向のためにあまり強くは言えないが、少なくとも僕は、もっと良い見せ方があったのではないか、と思う

    ・突っ込みどころが多すぎる。リアリティがない

    なぜ高濃度に汚染された場所に行った作業員が指令室?にそのまま入ってくる?

    なぜあれだけ臭いと言われていたトイレで、何事もなかったかのようにタバコを吸っている?

    なぜ総理の報告前に、立派な資料が机に用意されている? しかも広げられずに丸めてある?

    いろいろとリアリティを損ねる演出が多かった

    監督含め制作陣は映画の世界に入り込めていないんだと思う。

    ・なぜ普通にしゃべれない?

    やたらと叫ぶ。

    かと思えばささやき声に代わってうまく聞き取れない

    洋画の悪いところをピックアップしたような印象を受けた。

    多少の緩急は必要かもしれないが、やりすぎだ。

    ・その他

    他にもたくさんあった気がする、

    メモを取りながら見直せばたくさん挙がるだろう

    ・評価できる点

    ただ批判をするだけでは僕の単なる面倒くさい文句になってしまうので、この映画を見てよいと感じた部分を挙げる

    まずは、題材にこれを選んだこと自体は評価したい

    この作品はひどいものだし、本気でそれを伝えたいのか疑問ではあるが、その着眼点は評価できる

    あと、後半は結構良かった。

    僕はこの映画の冒頭、この題材にどう落とし前を付けるんだろうかと気になっていた

    実際の終わらせ方はネタバレになりそうなので伏せるが、

    終わりを彷彿とさせるイベントに、映画を締めくくる言葉を弔辞として言わせる自然さ。

    あの演出はよいと思った。

    自然をなめていた。という言葉で原子力と津波。2つの自然を写しつつ、桜という自然で締めくくる。という流れもよかったと思う

    そして、エンディングで原発の建設途中の映像を流した点もよかった。

    あれにより、何も知らない昔の人とこれを知った自分を比べることができる

    そこで観客は、映画を見た意味を見出すのではないだろうか

    それを誇張するあのエンディングは本当に良かったと思う

    そして、最後に昇る太陽

    未来への希望、復興への希望を感じさせる演出でなかなか良かった

    原子力を彷彿とさせる演出というのは何かメッセージがあるのだろうか

    とにかく、後半はなかなかよかったと思う

    ……とはいっても、こうして記事を書かせてしまうほどに嫌な映画だった

    これであの事故を描けたと思っているのか

    ノンフィクションならばもっと現実に忠実にするべきだ

    フィクションならもっと、要素を絞って復興にカメラを向けるべきだ

    婚約相手の話だとか、米軍の偉い人と原発の偉い人が謎につながっているという伏線

    事故のことを伝えたいのであれば、ここまで余計なものを交えるという発想は起こらないはずだ

    それなのにそういう余計な要素を入れてしまうあたり、この映画の制作人、監督はこの題材を単なるエンタメにしかとらえていないんだと思う

    そして、この映画を見て感化されてしまう日本人がいることも、危険だと思った

    映画は古くからプロパガンダとして使われてきた

    その有用性を改めて、アマプラのレビュー欄を見て実感した

    そういう風潮に、映画監督志望として危険と憤りを感じたので、今回はこうして記事を書いてまで批判する

    もちろん、こんなのは単なるつまらない出来損ないの意見でしかない

    だからこの記事をここまで読んでくれた人にはこの映画をぜひ、中立的な立場で見てほしい

    僕が批判しているから悪いというわけではないこともここで断っておく

    映画という媒体が芸術である以上、僕ができることは、この映画の視聴を見る人に中立的な立場での視聴を促すということだけだ

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  • 最近のアニメは説明しすぎている

    もう寝たいので手短に書きます

    最近のアニメ含めコンテンツは説明しすぎだと思う

    謎にすることで考察する余白を視聴者に与えることができるのに、それをしないのはもったいない

    箱に詰め込んでしまっている印象だ

    箱の外にはみ出すくらいがちょうどいいし、はみ出すことのできる作品ばかりだ

    なのに起こったことを説明しようとして、箱にすべて詰め込んでしまう

    それでは放送が終わったら作品が終わってしまうではないか

    それではいけない

    余韻と謎を残す作品こそ本当の作品だ

    それとも、今の人間にはすべてを箱に詰め込んだ作品のほうが受けがいいのか?

    よくわからないがそろそろ眠いので寝る!!!!!!!!

    !!!!!!!!!!!!!!

    P,S,

    そうなってしまうのは消費者の責任な気がしてきた

    いや、時代背景がそうなので仕方がないのかもしれない

    説明しないと受け取ってくれない視聴者が増えた

    なぜなら、時代とともに、説明不要で快楽を享受できるコンテンツが増えたから

    インスタントな快楽と僕は呼んでいるが、

    そういう快楽コンテンツに慣れた視聴者はもはや、説明あるいは考察しないと理解できない価値を含む作品では満足できなくなった

    いや、満足できなくなったのではないか、

    その瞬間に受け取れる快楽が十分にある現代において、わざわざ考察までして快楽を得るという行為はコスパが悪くなってしまった

    だから、視聴者は、頭を使ってコンテンツを解読することをやめた

    そういう視聴者のために、すべてを説明してしまうコンテンツが生産されているのかもしれない

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  • シンエヴァを見ています。

    休日らしい休日を過ごさないと鬱になり何もできなくなりそうなので、今日はとりあえず、休日らしい休日を過ごせるように心がけた

    それでも半日は仕事だったが、もう半日は休日らしい休日を送れた気がする

    今日はシンエヴァを見た

    ちなみに、シンエヴァは2度目、テレビシリーズも確か2回見たような気がする

    ただ、内容は半分くらい忘れていたし、見たのも結構前のことだ

    あれからいろいろあってまた自分という人間は変化した

    なので感じ方も変わり、また新しい解釈を生むことができた気がする

    序について

    一部変な印象を受けるカットはあったが、それ以外はやはり、最高に良かった

    とはいえ、まだシンエヴァの最初の作品だ

    何か目新しいこともなく、ただ旧劇をなぞるような作品だった

    作画に関してもとびぬけて良いというわけでもなく、新エヴァの幕開けとしてそれ相応。というような作品だった

    もちろんそれでも超ハイレベルではあると思う

    破について

    序よりも良かった

    作画や3DCGなどもよかった気がする

    アニメにクラシック音楽をこれほど大胆に使っている時点で結構独特な世界観ではあったが、そこに童謡が加わった

    もはやその雰囲気は悪趣味と呼べる域で、なんだか新しい文化そのものを見ているような、別の世界のスタンダードを見ているような印象を受けた

    あの世界観をまた新しく作れるところ見るに、当たり前ではあるが庵野監督はやはり天才なのだと思った

    後、なんだか最近。妙に僕は碇シンジを勝手に解釈してしまいがちだ

    才能と期待と自分の能力と精神力の摩擦に擦り切れそうになっている魂だ

    そんな碇シンジはもしかしたら庵野秀明の過去の心情を映した登場人物なのではないだろうか

    過去の庵野監督の苦労や辛さと、碇シンジの心情に共通点が多い気がする

    庵野監督の経験から要素を抽出し、それを満たす設定を脚本と世界観でドレスアップした作品がエヴァンゲリオンなのではないだろうか、

    と感じた。

    Qについて

    これまでのエヴァから急に変わった一幕だった

    最初はわからずで、実は今もよくわからいので何とも言えない

    14年も経っているのだから理解するのは難しい局面なのだろう

    なのでまたしばらくしたら見返すと思う

    最後のシンエヴァについて

    本当に良い作品だった

    あんなにも泥沼化した作品をあんなに美しい形で終えることが出来るのはやはりすごい

    終わらせ方としてはチートのような無理やり感だったが、ただ。それをもしっくりこさせて終わらせるところに庵野監督の凄みを感じた

    そして、ここからは監督が望んでいない感想なのかもしれないが、

    同時に思ったのは、僕自身に対するアップグレードだ

    なんだか、僕の中にあった表現の天井を押し上げてくれる作品だった

    ここ最近の僕は映像制作に向けて具体的に動いている

    表現とは何か、メッセージとは何か、テーマとは何か、

    そういった当たり前のことを言語化し、培っている

    そういう日々に見たこの映画は、映画というものがここまで表現するものなのだということを僕に教えてくれた

    そこに至るまでの長い道のりは楽しさと苦しさの連続だろうが、なんだかここ数か月忘れかけていた生きた心地を思い出させてくれるような気がしてならない

    僕という人間そのものを底上げするという意味においても、この作品は素晴らしく良いものだと思った

    あとは、改めて、この作品は庵野監督のやりたいことをやっているだけの作品なのだとも思った

    今、僕という人間を鏡写しにした、分身のような作品を作りたい

    そういう目標を見いだせただけでも、最近の近況を含め、この作品は素晴らしいものだった

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  • 日本人の感性と災害とエヴァンゲリヲン、そして創作者としての心意気

    今日は土曜日だから仕事ができる日だ

    それなのに頭が痛い

    なので久し振りに昼下がりに薬を飲んで、昼寝をし、今起きて、体をいたわるために何もすることがない

    だからこのブログを何となく書いてみる

    テーマは、日本人の感性の劣化と、エヴァンゲリオンのすばらしさ、監督としての心意気だ。

    まず、僕が映画を作るのであれば災害というものをテーマに書きたい、

    という考えは少し前のブログ記事で書いた気がする

    日本人と災害とは切っても切り離せない仲だ

    東日本大震災もそうだし、阪神淡路大震災、関東大震災、これから南海トラフも起きるかもしれない

    災害以外にも、第二次世界大戦に伴う広島長崎の原爆、東京大空襲、毎年来る台風、豪雨、猛暑

    日本は災害と災難に見舞われ続ける国だ

    その中に日本人の美しさがあるのではないか

    そして、その美しさを描くことなく災害を描くことはできないのではないか、

    と思う

    僕はこのことから、今までで一番。災害と日本というテーマを強く描けている物語として、エヴァンゲリオンを思い浮かべる

    エヴァンゲリオンは地震などがテーマではないが、ただ、使途という試練は強大な力を持つ災害と重ねることができる

    そう考えたときに、それに立ち向かうために一致団結し、街を作り替える文明の力と住民の精神的な強さに、今僕が一番表現したい日本人と災害との関係性を感じる

    完全に独自の解釈だが、

    エヴァンゲリオンは過去最高に、日本人と災害というものを描いていると感じる

    そして、それを踏まえたうえでここからは日本人の感性の話に移る、

    僕は最近の日本人の感性に失望しがちだ

    この前、すずめの戸締りが公開された

    僕も映画館で見て、そこそこ楽しめた

    ただ、災害をテーマにしているとしたら直接的な描写が多すぎたし、登場人物も増やしすぎだという気がしたし、

    完璧な作品ではなかった気がした

    というのは僕が勝手に分析したことなのでどうでもいいことだが、

    ただ、僕の中で引っかかるのは、この映画が議論されることなく評価されていることだ

    この映画で災害を描き切れていると僕は思えない

    なぜなら日本における災害というのはそれが発生したことに関する街、人間関係、ふるさとの破壊だけではなく、そこからの助け合い、長期間にわたる復興

    その一連のストーリーがあってこその災害だと思っている

    その点から考えるとあの映画のメッセージは断片的すぎる

    破壊を封じ込めるというのは、災害を単なる単発のイベントのように考え、そこから現実逃避しているだけのように思えるからだ

    本当に伝えるべきものはそこからの物語だと個人的には思う

    タイタニックだって、氷山にぶつかる前後の話がメインだろう

    イメージとしては、氷山をよけ続けてニューヨークに無事たどり着いてしまったような、そんな印象がすずめの戸締りにはあった

    災害に対するテーマとして、村上春樹の小説に出てくるミミズをモチーフにするところはすごくよかったと思う

    なのに、せっかくのそういった比喩も、直接的な描写によって一直線の、単調な作品になってしまっている

    と僕は思っているのだが、そういう議論が今、コンテンツを消費する人たちの間でされているとは思えない

    先日、高校の友達と飲んだ時も、その人はすずめの戸締りが好きだと言っていた

    そもそもの新海誠監督がそういう伝え方を望んでいるのであるからそれは需要と供給が釣り合ったビジネスとして成功しているとは思うが

    ただ僕はもっと高度な映画業界であってほしいと思っている

    それを阻害するのが日本人の感性の曇りだ

    例えば、セカオワの曲に、虹色の戦争という曲がある

    僕はセカオワが好きで、あの曲も好きだ

    確か最初に聴いたのは高校生だった気がする

    環境破壊に対するメッセージが強く感じられ、それを生物たちの虹色の戦争という、間接的なタイトルで伝えている点が素晴らしいと思った

    ……というような具体的な言語化は当時はできていなかったが、少なくとも。環境破壊に抗議する歌だということくらいは理解できていた

    それから長らくは環境破壊に反対する歌として聞いていたが、最近。コメント欄を見て失望した

    環境破壊に対する歌だととらえるコメントではなく、反戦を訴える歌だという認識で聞いている人がいることに気付いた

    おそらく、タイトルに戦争とついているから反戦の歌だと思ってしまったのだろう

    僕は、歌の良し悪しならまだ好みの問題なのでどうとでもいえることだが、歌のメッセージに関しては、誤った受け取り方をするのは明確に悪いことだと思う

    作者の創作の結果を誤った受け取り方で受け取られたら、直接的メッセージをあえて隠し、間接的に美しくするという、芸術を盛り上げるアクションを侮辱している気がするからだ

    だから本当は、見る人はもっと感性を身に着けてほしい

    でないと芸術のレベルが下がってしまう

    高度なメッセージを受け取る人がいないのであれば、高度なメッセージを発信する芸術の存在意義が満たされず、それは廃れてしまうからだ

    僕は今後、監督になるつもりだが、その時に作る難解な作品のメッセージがもし誤った方向に取られてしまったら、

    そう考えるとモチベーションが無くなりそうで嫌だ

    だから僕は日本人の曇った感性に失望しているし、それに気づいて改善してほしいとも思う

    日本人は識字率は最高潮だが、文の意味を理解できる人は少ない

    という、ホリエモン?の話を今、連想した

    映画、コンテンツは目がついていればだれでも見れるし、口がついていればだれでも感想を言えてしまう

    僕はもっとハイレベルな人たちにハイレベルな感想を言ってもらい、ハイレベルな議論をし、ハイレベルな作品を作っていたい

    でないと僕が常日頃あれこれ考えているのがばからしくなってくる

    だから、今の日本人にはもっと、身の回りのあらゆるコンテンツに気を配って生きてほしい

    P,S,

    そういうお前はどうなんだ

    もっとコンテンツに気を配れるんじゃないのか?

    僕は監督にはなれない

    なぜなら映画における大事な何かに気づけていないから

    いや、大事な何かに気づいてはいた。ただそれを作品に落とし込もうとしていなかった

    そんな状態で作品を作れるわけがないだろう

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  • サニーボーイについて

    改めて、あの作品は素晴らしいと思う

    先日、サニーボーイを一日で見た

    普通によかったのだが、あの後もその余韻が色あせない

    銀杏ボーイズの「少年少女」がよい歌だというのもあると思う

    この歌のタイトル、少年少女というのがこのアニメの脚本、作画までも巻き込んで一つの大きなベクトルとなっている気がする

    永遠、不変、これは僕が望んでいるものだ

    それを含んだこのアニメだから、ここまで共感できたのかもしれない

    共感、というのは大切だ

    おそらくこのアニメがささるのは、頭が良い人、不健康な人、病んでいる人、

    だと思う

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  • 「Sonny Boy」

    Sonny Boy_1
    ©Sonny Boy Committee

    僕がアニメを作るとしたら、こういうアニメになるかもしれない

    というセリフを、フリクリのレビューの時にも言った気がする

    このアニメを見る前、フリクリっぽいアニメという印象があり、見始めた当初も同じ、今も同じだ

    控えめにした影と、いつでも晴れ渡っているかのようなライティング、

    ビビッドな色使いと、シンプルなレイアウト

    それらにフリクリと重なる部分があったのかもしれない

    ただ、内容としてはフリクリよりも僕好みで、素晴らしく作りこまれた作品だと思った

    この作品の監督、夏目真悟監督の作品はほぼチェックしていなかったが、今後、チェックしたいと思う

    そう思えるくらいによかった

    具体的には、高校生という、多感で変化にとんだ年代を、変化の全くない世界に落とし込んだ点が、この作品の一番の成功だと思う

    物理法則など基本的に逸脱できる世界だから、画面の美しさにすべてを全振りできる

    そして、その特性を存分に生かして作られたアニメだと思った

    中盤、少し寄り道のような印象を得たのでそこが残念だったが、それを入れてもなおこのアニメは僕の今まで見た中でも5本の指に入るくらいの作品だ

    中盤もペースと流れを保っていれば、史上最高のアニメになっていてもおかしくなかった

    というのも、この作品のテーマである可能性、時空、コピーなど、超科学的なテーマは僕も好きで、いつも同じことを考えていたりする

    このブログにもよく書いているようなことだ

    それをそのままエンターテイメント作品にしたような感じだ

    カット割りに関しても独特な世界観が出ていてすごくよかった

    BGMが少なく、環境音が多めで、ただ、無音の時間もある

    強烈なノスタルジーを感じられるアニメだった

    まるで、バックルームズみたいな感じだ

    この世界にできたバグ空間に迷い込んだような、

    そんな抽象的テーマでありながら、具体的な描写が多く、没入感がある

    おすすめです!

    P,S,

    このアニメづくりに対する情熱をどこにぶつければいい

    サニーボーイを見て改めて、僕は2Dアニメを作りたいのだと自覚した

    3Dアニメーションは手軽に情報量を増やせるからよい

    ただそれでいいのか?

    情報量を詰め込むことが絶対の正義だとは思わない

    ということはイエメンの記事でも触れたと思う

    情報量での勝負ではなく、ほかの分野での勝負

    僕はそこに惹かれるし、ノスタルジーを感じる

    だから僕は3Dではなく2Dの仕事をしたいと思う

    お仕事お待ちしています

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  • 「電脳コイル デンノウコイル」

    電脳コイル デンノウコイル_1
    (C)磯 光雄/徳間書店・電脳コイル製作委員会

    電脳コイルはメタバース感を漂わせるアニメで、すごくおもしろかった

    物語は複雑なのにもかかわらず、理解しやすい構成で、デスノートを見ている時と似た感覚がありました

    おそらく、なぜこうなっている。ということを理解しなくても楽しめる物語の運びだったから、だと思います

    テーマに関しても先進的で、今見ても色あせないほど最新技術が盛り込まれ、しかもそれらが社会現象、社会問題になっているという、

    技術に関して深い理解が無いと作れないようなストーリーになっていました

    細かな設定もリアルで、3DCGに詳しい僕から見ても、本当にあってもおかしくないようなバグや仕様がたくさんありました

    メタバースにサイバーパンクでも、大人の汚い世界でもなく。どこにでもあるような街の小学生を題材に描いている点についても、独特な雰囲気を醸し出していて素晴らしいと思いました

    おすすめです!

    P,S,

    この作品を見て思ったことがあるので一応残しておく、

    視聴者にとって大事なのは難しい話か簡単な話かではない

    わかりやすい話か否か

    つまり、こうなっているからこうなってこうなる。というような辻褄が見る人に一体感を及ぼす

    他にも、「わかる」と「わからない」は混在する方が良い、

    すべてわかってしまう物語はなんだか面白みがない

    かといって全くわからない物語ももちろん。面白みがない

    どちらも完全につまらないというわけではないが、

    少なくとも、わかるとわからない。両社が共存する物語が一番楽しい物語なのではないだろうか、

    比率とかはわからないが、1:1とかそんなものだろうか

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  • 猿の惑星を見た

    単純明快なストーリーが面白かった

    最近は変に難解な作品が多い

    長い歴史の中であらゆる映画が生み出され、それによってあらゆるジャンルは開拓された

    だからもう、難解にするしかないのかもしれない

    新しい物は過去にはない物。だからどんどん肩身が狭くなっているのかもしれない

    というのはさておき、

    やはり昔の作品は単純明快で楽しい

    絵本を見ているかのようだ

    今回見た猿の惑星は単純明快なストーリー、

    ネタバレになるのであまり触れないが、SFとかの知識が無くても楽しめる作品だと感じた

    最後の種明かしも面白い

    最近の映画だったらあんなにわかりやすい種明かしは用意していないだろう

    それと、映画の主要登場人物の一人である長官?のような猿がいた

    なんだか悪者っぽい演出で登場しているが、僕は彼がこの映画の中で一番のヒーローだと思う

    ここからは若干ネタバレになるが……、

    人が滅んだ理由が技術の追求による破綻だと理解している

    そして、そこに猿の文明が向かうのを阻止しようとしていたのではないだろうか

    中途半端に知識を付けた猿たちは知識の追求=幸福の追求だと思っている

    ただ、長官だけは違った

    それは知識の制限で、文明にとっての悪と思わせておいて実は違う

    メッセージから察するに、あの映画で人が滅んだ理由というのは核戦争だろう

    知識の追求の末に人が見た結末を理解し、それを回避するためにあえて高度な文明を否定する

    そこまで考えての隠蔽だとしたら、あの長官こそが一番正しいことをしているのではないだろうか

    と思った

    あとは、アダムとイブを連想させる2人、

    人類史における聖書の役割

    空から落ちてきた宇宙船

    ……とにかく、あんなに単純明快なストーリーに仕上げておきながらここまで考えることができる映画はなかなかない

    気づいた人もそうでない人も同じように楽しめる。コンテンツの見本のような作品だった

    見習いたい

    あと、おすすめです!

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  • 個人的に共感できるアニメの設定

    特に共感できる作品として”エヴァンゲリオン”と”まどマギ”がある

    まず、エヴァに関して

    人間が滅びることがなくこのまま技術を発達させることができれば、人類補完計画と同じ通過点を通ることになる

    これは通過点であって、最終到達点にはならない

    つまり、技術の発達によって一度は人類補完計画のような状態になるが、そこからまた次のフェーズに移行し、別の状態になるということだ

    エヴァを知っている人ならわかると思うが、人類補完計画は人の持つ魂が全て一か所に集まり、融合することだ

    これにより、他の概念からくる苦しみから解放されるということなのかもしれない

    そして、この人類補完計画に近づいている技術がメタバースだ

    メタバースではコンピューター内に別の世界を作り出そうとしている

    そして、このままの流れでメタバースが進めば、人はいずれ、感覚の入出力も機械につなぎだし、水槽の脳状態になる

    つまり、コンピューターと言う媒体で魂を運用している状態。この状態はリリスと言う媒体で魂を運用する人類補完計画に似ている

    媒体が違うだけだ

    ただ、僕がこの状態を最終到達点ではなく通過点であると考えるには理由がある

    人間は自と他の境界。ATフィールドを求めるからだ

    少なくとも、人類が自己顕示欲求と性欲を克服しない限り、人間と言うものは他を求める

    自己顕示欲求も性欲も相対値であり、他と言う概念が生まれて初めて相対値という概念が生まれるからだ

    そして他とは、自分以外。それは自分と外界との境界があって初めて他と言う概念が生まれる

    つまり、人間が完全なるメタバース空間を創り出した後にすることは、自と他の境界を作ることだ

    これが人類補完計画の次の段階、人間の醜さが生み出す他との境界が新しい世界を創り出す

    ゲンドウはその汚さが嫌だから、自と他の境界を排除した世界を作りたかったのかもしれない

    ただ、現実世界にはそんな境地に達しつつ、人類全員の魂を別の媒体に移せるような手腕の人は存在しない

    だから実際、人類補完計画は人類の通過点であり、最終到達点にはならないということだ

    そして2つ目、”まどマギ”について、

    僕がまどマギを見て正しいと思ったのは”僕ら人間の魂は単なる養殖された物体に過ぎない”

    という点においてだ

    ただこれは、正確に言えば、そうであってほしいと願っているだけなのかもしれない

    魂とは単なる現象であって、そこにスピリチュアルな価値は存在しない

    目や耳から入ってきた情報がニューロンを通過するうえで生じた情報が魂の正体であるが、そんなものはこの世界にあふれている

    だから、そもそも魂に特別な価値はないということだ

    ただ、僕も一人の人間なわけであって、自分のこの自我が単なる現象だという結論にたどり着いてもなお、価値を見出したくなる

    そこで生まれてくるのが神の概念だ

    誰かが僕らを作ったという超次元的な考えによって僕ら自身がこの世界で特別なのだと自覚している

    世界中の宗教が言っているように、僕ら人間の魂は特別な物であって、宗教によっては人間だけが特別な存在だと言っていたりもする

    魂は特別な物であってほしいという願望が人間の中にあるのかもしれない

    ただ、それは先ほど言った、魂は単なる現象だという結論と矛盾する

    そして、この矛盾を解消する解釈が”超次元的な存在が僕らの魂を養殖している”

    と言う考えだ

    水が凍結するという現象を利用して人間が氷を作り出しているように、

    情報の対流で魂が生まれるという現象を利用し、神が魂を創り出してそれを何かに利用しているとしたら、

    それは論理的かつ人道的な理屈ともいえる

    これは”まどマギ”の世界観設定そのものであって、これが真の世界の姿なのかはわからないが、少なくとも理にかなっていて、かつ宗教論者にも通じる。

    うまい落としどころだと思う

    僕個人としても、こういう世界の形は意外と正しいんじゃないかと思う

    だからまどマギの設定は、この世界の本当の形ともなりえるし、一人の人間としてそう信じていたい

    という。アニメの枠を超え、もはや神話。宗教にも似た考察と解釈ができる作品だった


  • みなみけ2期について思うこと

    (C)桜場コハル・講談社/みなみけ おかわり製作委員会 画像引用元 dアニメストア

    みなみけ2期は大失敗アニメとして有名だ。

    しばらくは語り継がれるだろう

    要因としては、1期の出来が良かったこと、そして2期が酷かったことだ

    それゆえに1期と比べられて史上最悪とも言える評判になってしまったのだろう

    宮崎駿と比べられた宮崎吾郎みたいな感じの不憫さもある

    まず初めに

    この失敗の要因となった人物は誰だかわからない

    ただ、この路線で制作を進め、放送してしまう段階までスタッフ全員が疑問を持たなかったのかに対して疑問に思う

    もちろん、日本は誰もがみんな発言できるようなきれいな社会ではないから、大多数の人間はこれに意見することはできなかったのだろう

    ただ、少なくとも上層部。監督やプロデューサー、演出、絵コンテ、脚本は意見してやっても良かったのではないだろうか

    少なくとも路線変更がなかった時点で、責任は個人ではなく集団にあるのではないか、と感じる

    ……それともう一つ、

    この作品は”みなみけ”だったからここまでの惨状になってしまったわけであって、決してクリエイターが無能だということではない

    原作へのリスペクトや1期の雰囲気に合わせようとする努力が無いという点では無能に近い物もあるのかもしれないが、ただ、例えばこの作品の監督のほかの作品。”SHUFFLE”などは普通に良かった

    今やヤンデレヒロインの代表格ともなった楓ちゃんを表現したのもこの監督のようだ

    少なくとも監督には配慮がなかったかもしれないが、実力はあると思っている

    ただ一つ不幸なことは、みなみけが日常系アニメだったことだ

    それ故に、自分の持ち味を発揮できなかった

    不得意なジャンルの作品に挑戦してしまい、結果こうなってしまった

    と言うことではないだろうか

    不評の理由

    不評の理由はいくつかある

    ネット上でもいろいろ言われていることだが、それについて触れつつ、思いついた順に、自分の考えを書き留めようと思う

    まず、基本的に天気が悪いことについて

    これが今作の憂鬱な雰囲気を醸し出している

    季節が冬と言うのも助け、より憂鬱な雰囲気に仕上がっている

    “冬=寒い”から曇りの寒そうな空をたくさん登場させてしまったのかもしれない

    もちろん。この作品が”Another”とかだったらその認識でもよかったのだろう

    (C)2012 綾辻行人・角川書店/「Another」製作委員会  画像引用元 dアニメストア

    ただ、みなみけは思いっきり日常系のアニメだ

    せめて、”冬=寒い=雲一つない寒空”みたいな認識で、雲一つない、寒い風が吹く季節。寒さはキャラの服装や効果音、セリフ、落ち葉、凍った水面などで表現したり。いろいろとやり様はあった気がする

    寒さの表現を安直に考えすぎたことが曇り空の要因ではないだろうか

    加えて、モブの顔が黒いことについて

    これに関しては完全に誰かの趣味だろう

    そして、その趣味が絶望的に日常系アニメにあっていなかった

    それに気づけなかったのは単に失態だと思う

    作画を節約したかったにしても、バカテスのようにせめて黒ではなく白にしてほしかった

    ……というか、いらぬところで変に作画しているシ-ンが多いようにも思えた

    効果的に作画枚数を使うことができれば、コストはそのままに、モブキャラの顔も描くことが可能だったのではないだろうか

    それと、鬼畜長女春香について、

    春香は1期では優しいキャラだったはずが、2期ではヒステリックなキャラに変貌している

    また、それにつられてかはわからないが、千秋の素行が少し悪くなっているのも気になる

    これは、単純に考えればキャラの設定を理解しないまま製作を進めてしまったことによるものという見方ができる

    ただ、僕はそれだけが理由だとは思っていない

    というのも、最近絵コンテについて考えていて思うことだが、自分の絵では表現できない感情は自分の作品のキャラが表現できない。という事情がある気がある気がする

    つまり、軽く冗談で怒るような場面でも、軽く冗談で怒っている顔を描けない監督が絵コンテを書くと、キャラが本気で怒っているような場面になってしまうということだ

    そして、今回のみなみけ2期の監督は憂鬱な雰囲気が持ち味の監督に思える

    監督も頭の中では、キャラが本気で怒っていことがわかっていても、絵では怒ってしまう。だからキャラの怒りが闇深い印象になってしまう

    こうして、鬼畜長女春香は誕生したのではないだろうか

    それと、謎のオリキャラ冬樹について、

    ネットのどこかで、”冬樹は視聴者が南家に入り込むためのキャラ”という情報を見つけた

    これが本当だったらその考え方は間違っていないと思う

    むしろ感心した

    僕も今後、作品を作る際には参考にしたいと思う

    ただ、それはそうとして、冬樹のキャラはどうしようもなく暗くて重い

    結局一度も笑っていなかったようにも思えるし、謎に方言を使うというのも謎だ

    そしてなぜか南家の隣の部屋と言う、一番出番が多くできる好ポジションに引っ越してきた

    しかも、千秋と同じ学校に通っている

    南家三姉妹に囲まれて寝るというけしからん暴挙も犯した

    これは、現実との不干渉を前提とし、ただ単純にかわいい女の子たちが戯れる姿をメインに楽しむ日常系アニメというジャンルにとってはもはやタブーともいえる

    これにより傍観者である視聴者の神経を逆なでしてしまったことは紛れもない事実ではないだろうか

    視聴者を映したキャラクターというコンセプト自体は大いに良いものだと思う

    ただ、それにしてもキャラが暗すぎたし、それ以上に、南家にやさしくされすぎていた

    南家にたまにくるおじさん(?)も同じように暗い人だが、あの人は特にうらやましい思いをしているような描写もなく、謙虚で、あくまで視聴者のような傍観者としてのポジションを保っている

    だから許されていた

    ただ、冬樹はすこし違う

    そもそも1期から登場していた”冬馬”と名前のコンセプトもかぶっている

    美しくまとまっていたキャラの相関図をもこのキャラが崩してしまっている

    それに気づけなかったという点から考えると、これを決定した人物は配慮に欠けていると感じる

    その他

    あとは、1期では印象的だった口の形が2期ではほぼなくなっていたり、夏奈と千秋の部屋にパソコンがあったり、家の電話が謎に古いデザインで違和感があったり、マンション廊下から見える景色のデフォルメ感が足りていなかったり、春香の高校の教室が大きく変わっていたり、

    失敗要因が尽きない作品だった

    まとめ

    みなみけ2期は仕事を断れなかった誰かが請けてしまい、その魅力を十分に知らないまま企画を進めてしまったのではないだろうか、

    それとも、原作は自分を表現する媒体でしかないと考えているのだろうか、

    僕も、作品を作るときは気を付けたいと思う

    P,S,

    みなみけ3期、12話を今見ていくつか感じたことがある

    まず、作画やカメラワークの失敗原因は監督な気がしてきた

    12話は冒頭から前の話までとは明らかに違う絵で、2期に見られた作画の無駄遣いも目立つ

    調べてみたら、やはり2期の監督が絵コンテや演出などをしていた

    ついでに言うと、Bパートはまた別の監督がやっているようだ

    なぜ12話にこの人選になったのか、

    名誉挽回の機会だったのか、それともスケジュールが押していたのか、よくわからない

    ただ、相変わらず、脚本を自分の表現の媒体としてみているような気がする

    そういうことは1期でやるべきことであって2期3期でやるべきではない

    ついでに言えば、基本は引き算でできている日常系アニメに、無駄な情報はいらない

    だから、意味ありげなカットも必要ない

    印象としては、みなみけへのリスペクトが足りない。改善姿勢はあるが問題はそこではない。と感じた

    ……ただ、同時に思ったのが、なんとなくこの監督は僕と同じタイプの人間な気がする

    個性と自我が強い

    こういった監督が輝けるのは新たに世界観を構築する1期のアニメや、単発のOVA、劇場版などではないだろうか

    事実、この監督が手掛けた未来日記は人気アニメで僕も好きだ

    あのアニメは1期のみで、若干重苦しい雰囲気のストーリーだ

    この監督は輝ける作風では輝ける人なのかもしれない

    ただ、この監督自身も周りの人も、そのことに気づけていないようだ

    打ち上げ花火の制作会社にシャフトを選んでしまった時の失敗を思い出す

    実力以上に、適材適所が重要なのかもしれない

    とにかく、僕も気を付けようと思う

    P,S,

    みなみけは神作品だから見るべし

    (C)桜場コハル・講談社/みなみけ製作委員会  画像引用元 dアニメストア

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  • ゲド戦記を見た

    ゲド戦記を見た

    普通に良かった

    宮崎駿の息子、宮崎吾郎監督の初監督作品で、スタジオジブリ制作のアニメ映画だ

    全体的な印象としては”理想的ではないが無難なカット”と言う印象で、ほとんど違和感なく見れた点を考えると、映画作品としては成功していたと思う

    もちろん、スタジオジブリの精鋭たちという手助けもあったかもしれないが、これを初めての監督作品で作ってしまったという点で、宮崎吾郎には才能があるのだと感じた

    ウィキペディアなんかを読むと、各所で酷評となったと書いてあるこの作品だが、僕はそこまでのひどい出来ではないと思う

    もちろん、宮崎駿と比べると及んでいないことは確かだが、それとこれとは別で、そもそも比べる必要もない

    ただ、どうしても宮崎駿の息子というレッテルが張られてしまう宮崎吾郎監督は気の毒だと思った

    それと同時に、世間話レベルでならともかく、雑誌や映画祭などで大々的に映画を批評するのはもはや何の意味もなしていない、批評家の自己満足、あるいは騒々しい独り言でしかないのだと感じた

    まるで、ありもしない正解を模索して、張りぼての実績を根拠に布教しているような、そんな虚しさを感じる

    P,S,

    健康になりたい

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  • 「パーフェクトブルー」

    この作品は今敏監督が初めて監督を務めた作品で、今監督らしい、現実と虚構のはざまのような雰囲気が軸にあるアニメーション映画です

    全体的な雰囲気は終始憂鬱とした感じで、式日やserial experiments lain、エルフェンリートのようなトラウマ成分がありました

    ただ、この作品の特異なところは、アイドルという、一見華やかなテーマに沿っていることや、完全なファンタジーではなく、僕らの日常と陸続きになっていてもおかしくないシナリオだということなど、単なるトラウマアニメの枠には収まらない作品になっていました

    それぞれのカット、構図の選び方についても、登場人物の心情を極限まで誇張して猟奇的に展開し、現実と夢とが混ざり合った、どこまでが本当の話なのかが分からないような、つかみどころのない展開でした

    それでいて絵として美しく、今監督の作家性が強く出ている作品です

    おすすめです

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  • 「耳をすませば」

    引用 https://www.ghibli.jp/works/mimi/#frame

    耳をすませば」は、スタジオジブリ製作のアニメーション映画で、原作があったり、監督も宮崎駿監督ではなかったり、舞台が現代の日本だったりなど、ジブリとしては珍しい雰囲気の作品になっています

    監督は近藤善文監督で、最初で最後の監督作品となりました

    スタジオジブリの次期メイン監督として期待されていたということもあり、場面の見せ方が美しく、特に、後半、坂を上っているシーンの描写は2人の関係の変曲点をわかりやすく表現した、全ジブリ作品の全カットの中でも一番いいシーンだったと思いました

    また、EDも印象的で、主人公だけではなく、周りの人物、街の住民たちにもそれぞれドラマがあるような、本物の世界を見ている印象を受けました

    ジブリ作品としてはあまり注目されていないような感じの作品に感じますが、個人的にはジブリで1位2位を争うくらいの良い作品だったと思います

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  • 「てーきゅう」

    ©ルーツ / Piyo / アース・スター エンターテイメント / 亀井戸高校テニス部
    dアニメストアより引用

    「てーきゅう」は漫画原作のショートアニメで、ついていくのが大変なくらいテンポよく物語が進んでいきます

    ほとんど原画だけみたいなアニメーションで見た目がまるでビデオコンテです

    ただ、その絵柄がショートアニメというフォーマットとうまくマッチして、独特の雰囲気を醸し出しています

    また、声優陣が地味に豪華なのもおすすめポイントです

    曲に関してもよく、作画でお金を使わない分、曲にお金をかけている感があります

    このアニメはスピンオフ含めると11期分くらいまである長いショートアニメですが、

    製作事業が無くなってしまった影響で続編が放送される見込みがないようです

    個人的にはショートアニメで1位2位を争うくらい好きなので、続編来てほしいです

    放送の半分以上を宣伝に使ったり、本編中でも唐突に宣伝を入れてきたり、公式ツイッターがbotだったり、いろいろカオスなアニメですが、おすすめです!

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  • 「CLANNAD」

    (C)VisualArt’s/Key/光坂高校演劇部 dアニメストアより引用

    超泣ける作品です

    登場人物もれなく全員のストーリーがよく、感動しました

    今まですべてのアニメを集計している僕ですが、このアニメが今まで1位だった「さくら荘のペットな彼女」を2年ぶりくらいに更新し、1位となりました

    原作はKeyで、製作が京都アニメーションです

    京アニと言うこともあり、作画は終始安定していて、背景の書き込み具合もストーリー展開にあっていて、さすが京アニと言うような作品でした

    また、伏線や設定も細かく作り込まれており、それらが複雑になり過ぎずに、かつ考察しがいのある、絶妙な塩梅でした

    2期の中盤はバッドエンドっぽくなっていましたが、結局はハッピーエンドとなります。その点に関しても非の打ちどころのない、最強の感動アニメです

    家族、友人、恋人、親。人と人の絆がこれでもかと詰め込まれ、登場人物の思いやりとやさしさがあふれる反面、不憫な運命や境遇などの暗い展開が続きます

    しかし、それらを協力して乗り越えたり、時にはすれ違いが起こったり。「CLANNADは人生」と言う言葉がありますが、その通りだと思いました。登場人物全員の人生を体感しているような没入感がありました

    僕がこの作品を通して感じたことは“ささやかな幸せが一番の幸せ”だということと、“血のつながりだけが家族じゃない”ということです

    単なる恋愛やコメディでは終わらせない。そしてそういった物語を1つのアニメ作品として実体化してしまうところに、Keyと京アニのすばらしさを感じました

    超おすすめです!

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