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  • クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦

    「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」を見た

    しんちゃんの映画の中ではおそらくとても人気のある一作で、僕も、子供のころに見て記憶に残っていたので、この度改めてDVDを買って見てみた

    この映画は90分ほどの作品だが、体感としてはもっと短いようにも思えた

    しんちゃんがタイムスリップし、野原一家がタイムスリップし、いろいろ頑張って戻ってくる

    という、物語を成立させるうえで最小構成のような展開で構成されている気がする

    あまり話を膨らませず、淡々と展開を重ねて構成されている気がしたので、そこまで長いと感じなかったのかもしれない

    春日部防衛隊っぽい子供たちとのくだり以外に、目立った日常展開がなかったような気がする

    それ以外は、又兵衛の心中だったり、当時の情勢だったり、そういうものを説明するという明確な目的がある展開のみだった

    なので、この作品は比較的、無駄のない展開でぎゅうぎゅうに詰まったストーリーになっている

    例えば君の名はだったら、瀧くんと三葉がイチャイチャする様子が序盤にあるが、あれはあの雰囲気を伝えられればそれでよいので、具体的にこれをしないと物語が進まない。というような仕掛けではなかった

    ただ、このしんちゃんの映画に関しては、これを解禁して、次にこれを解禁して、というような仕掛けが連続し、数珠繋がりにクライマックスまで行ったような印象だ

    だから、割とぎゅうぎゅうに詰まった印象だったのかもしれない

    エンディングについて

    エンディングは二中のファンタジー体育を休んだ女の子篇だ

    もともとノスタルジーな雰囲気の曲だが、そのノスタルジーを加速させるような、BG素材のみでのエンディングになっていた

    定かではないが、この曲の雰囲気を理解してこういう見せ方にしたのかもしれない

    もしそうなのであれば、とてもセンスがあると感じた

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  • Blender Fes 2024に出演します!

    Blender Fes 2024に出演します!

    自分はスタイライズドシェーディング関連と、ジオメトリノード関連、2つのセッションで出演します!

    マテリアルノードに関するテクニックや、自主制作アニメーションでのジオメトリノードの活用事例などを解説予定です

    10/5、10/6開催予定!

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  • 悪役のバックボーン

    悪役にバックボーンがあるか否かはとても大事だ

    バックボーンのある悪役は奥が深いし、話も広がりやすい

    単純で、単なる主人公の挑むべき悪として描かれるだけのキャラクターにはバックボーンがない

    それだとただの悪党になるので、見る人も一緒になってそいつを倒すという目標を追うことができる

    それはとても単純明快なストーリーになるが、単純明快すぎて面白くない

    悪役にはその悪事を働くための動機となるバックボーンが必要だ

    さらに細かく言うと、悪役はバックボーンがなければ本当に悪党にしかならない

    つまり、物語の序盤ではそのバックボーンを伏せ、終盤にバックボーンを開放することにより、悪役だった人が実はそうではないという、物語の変化球を演出できる

    この構図は多くの物語に使われている気がする

    アカメが斬る!でもそういうものの連続だったし、フルメタルジャケットのラストもそんな感じだった

    というか、ほとんどすべての物語にこの、悪役のバックボーンの考え方が適用できる気がする

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  • 人を許すということ

    人を許すということは自分が強くないといけないという言葉を聞いた

    確かに、なんとなくそう思ったが、それに関して僕の中ではまだ整理しきれていないので、ここで考えてみる

    まず、実際問題。人は人を必ずしも許せるというわけではない

    人を許す状態と許していない状態。2種類がある

    その差は何なのか

    その理由の一つとして、許す側の人の強さというのもあり得るのだと感じた

    許すという行為の大切さを知っているか否かの差なのだろうか

    許さない心だけでは世界が回らないことを理解しているから、許すという行為をするのかもしれない

    それは自分のことだけ考えている人には成し得ないことだ

    ある種の自己犠牲によって集団の幸福を実現するという意味において、その人の強さと言える

    だから、人を許すというのはその人の強さによるものなのかもしれない

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  • 昨日、筑波山に行った

    高校の友達と筑波山に行った

    ロープウェーにて山頂に行った後、歩いて下山したが、正直、最初思っていたよりもきつかった

    一応、最近と登山グッズを集めていて、今回の下山も足回りだけは結構よい装備で整えたのだが、それでも結構きつい

    300mほどの高低差があるコースだが、岩場が多く、手を使わないと歩けない部分もある

    実際、一回転んでしまい、手にけがを負った

    次回からは軍手も必要だし、泥などを洗い流すための水も必要だ

    知見としては、

    • 下りは膝に負担がかかる、特に膝小僧が痛い
    • 靴がしっかりしていたからか、足の裏はそこまで痛くならなかった
    • 電解質不足か、エネルギー不足かはわからないが、後半、足に力が入りづらくなった
    • 転んだ時に備えて厚着をしたくなる。が、厚着をすると熱い
    • 雨でぬれた登山道は最悪。岩は滑りやすいし、手に泥もつく。ぬかるんでいるところもある
    • 普段使わない筋肉を使うので、翌日の筋肉痛がすごい
    • 傾いた岩の面に着地するのは危険
    • 周りの人とある程度距離をとった状態で降りる必要がある。というか怖くてほかの人に近づけない
    • 足が疲れてくると下りで止まるのが嫌になる。止まるのにエネルギーを使いたくない

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  • この世の中は苦しみでいっぱいだ

    今、前向きな気持ちだが、そういう時にあえてこの話題について考えてみる

    僕は今日も指が痛くて結局ずっとインプットだけをしていた

    今までCGを頑張ってきた僕に待っていた運命がこれだ

    そう考えると、この世界には幸せなんてないようにも思えてくる

    自分は今、比較的幸せな場所にいると思うが、そんな僕でもそこまで幸せではないのだから、この世界の幸せを信じられなくなる

    そう、文字に書くことで、自分には幸せが訪れないのだという結論を再確認してしまう

    この世は考えれば考えるほど地獄になるシステムだ

    人間なんてしょせん、生殖の連鎖というシステムの中の一個体でしかない

    ウイルスと全く同じだ

    そこに幸せがあるわけがない

    幸せというのはポジティブなホルモンに人間が勝手につけた呼び名だ

    天と地がもとからあり、それに人間がラベリングしてはじめて、天と地が生まれた。というのと同じだ

    なので、ネガティブももちろんある

    考えてみればそれは、株のチャートと同じだ

    上がれば下がるし、下がれば上がる

    スケールの違う波が重なり合って複雑な波になる

    そこで、下げ調子に生まれた魂はかわいそうだ

    運よく上げ調子に生まれればよいものの、そうとも限らないのがこの世の常だ

    そして僕は今、今まで頑張ってきた自分の努力が指の不調によって水の泡になろうとしてる

    どのみち僕は脚本などの方面に行くことを考えていた人間なので、この件で自殺に走るような感じではないが、

    ただ、やはり悲しいし、こういう運命が憎い

    僕なんかは単なる暴走した新陳代謝の一片でしかないのだから、そこに幸せなんてそもそもない

    そういう危ない橋を渡っている魂に安らぎがあるとは思えない

    安らぎがあるとしたら、それは、ずっと変化し続ける何かをただ見続ける視点だ

    だから、どうしようもなく不細工なニートになってゆっくり死んでいくのが一番幸せなのかもしれない

    すべての欲を捨ててただ変化する世界を見るだけの生活だ

    仏教とかではやたらと欲を捨てたがるのはそういうことなのかもしれない

    精神的苦痛は自身の欲が実らないときに発生するものなので、そもそもの欲を捨てて有るがままに世界を享受し続けるのが結局のところ一番幸せだということを言っているのかもしれない

    ただ、食欲や呼吸欲などは生きるうえで必須の欲なので、それが実らない苦しみもまた生きるうえで必ず付いてくる悲しみだ

    だとすると何もしない場合、苦しみがデフォルトであるということでは?

    ならば人間、無理して生きることないのでは、

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  • ソ連時代の音楽

    今自主制作の途中経過をエンコード中でやることがない

    なので、今聞いていた音楽について語る

    一昔前のロシアの音楽、ソ連時代の電子音楽が地味に好きだ

    地味に好きなだけで、ものすごく好きなわけでもないのだが、

    なんだかノスタルジーな感じがするので好きだ

    このノスタルジーはイエメンに感じるそれに似ている

    ソ連の場合は、知らない言語と、曇った空、どこまでも続くフルシチョフカが好きだ

    あとは、最近のようつべの流行かわからないが、殺伐とした画像にアニメキャラを合成した画像もこの音楽の哀愁に拍車をかけている

    なんだかアングラな気分になる

    この気分は、電子念仏機にも通じるものがある

    ビビッドな色合い、サイケデリックさをも感じる怪しい感じがとても好きだ

    行ったことはないが、昔の香港にありそうな雰囲気を感じる

    日本の80年代と言ったらなんだか賑やかで温かい感じがするが、それが遠い異国になると、寂しくなる。

    そういう雰囲気を感じられるのが古いロシアの音楽というわけだ

    ちなみに、実写にアニメキャラを合成するという流行も地味に好きなので一応ここで触れておく

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  • 不健康

    今、指が痛くて作業に集中できないのでこの文章を書く

    指以外にも僕は小さな病気をいくつも持っていて、それらがかわるがわる僕を苦しめるように出てくる

    今は指が痛いし、今朝は手術跡がかゆかった

    最近は抜け毛が多いし、おとといは痔が出血してトイレの水が赤かった

    顎関節症に関しては日ごろの運動もあってか、改善傾向ではあるが、依然として口は開かない。

    というか、顎関節症以前ほど口を開けようとしていないので、事実上、顎関節症に敗北してあきらめた感じだ

    そして今、自主制作の撮影をしていたところだったが、指が痛くなり始めた

    2時間くらいしか作業していない

    これだけ体が弱いのに僕が生きているのは、創作が楽しいからだ

    というよりも、生きる理由を求めて僕は物を作っている

    むしろ、それがないといよいよ生きる意味を失う

    そう考えると、健康な人がうらやましく思えてくる

    一人で暮らせる健康な人を見ると羨ましいし、スタジオに泊まり込みで何かを作れるような人は羨ましい

    ウォシュレット無しのトイレで用を足せる人も羨ましいし、階段を何の心配もせずに登れる人も羨ましい

    そういう気持ちがあるからこその世界観なので、これらがすべて悪いというわけでもないが、

    ただ、先に述べた通り、もともとひどい運命だったものにせめて理由付けをするために、創作活動をしているというのもある

    それに、僕以上に苦しんでいる人も世の中にはたくさんいる

    その苦しみが理解されないのは悲しいことだ。

    何不自由なく生きている人間がとても幸せだということを改めて強調したい

    僕がドロドロした物を作ることにより、生きることの苦しみを訴えかけることができる

    そうでもしないと僕の生きている意味が見いだせないので、また体に鞭打って何かを作る

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  • 単純になりたい

    さっき、歯磨きをしながら鏡を見ていて思った

    僕はおでこが広いことがコンプレックスだ

    別に剥げているわけではないのだが、むしろ、その広いおでこを眺めることで起こるストレスによって禿げそうだ

    おでこを意識すると頭皮がかゆくなるという、無意識的な反応が僕の中に芽生えてしまっているので、それを紛らわすためにアニメを見たりもする

    僕は一度気にするとそれに執着してしまう人間なので、それが何か悪影響のあるものだととても生きづらく感じる

    というようなことを考えつつ、天井を見上げてみると、ハエトリグモがくっついていた

    その姿を見ていて思った

    何も考えないような単純な存在になれば、生きる苦しみもそもそもないのでは?

    クモの考える苦痛と人間の考える苦痛。比べることはできないが、不幸の度合いはある気がする

    人間はいろいろ物事を考える分、本来享受すべき苦痛以上の苦痛を感知している

    だったらもう、何も考えないのが良いのでは

    将来の心配だって、将来という概念が人間にあって初めて生まれるものだ

    そういった、知識や概念が人間にはたくさんあり、それによって良いか悪いかの評価基準が生まれる

    それらすべてに気を配って生きる人間なので、生きるのが辛い

    人間は幸せになって当たり前というのがそもそもおかしい

    神様は人間に幸せになってほしいから魂を与えたのではない。単なる繁殖の連鎖によって結果的に発生してしまっただけに過ぎない

    そこに幸せが当たり前にあると思っている時点でおかしい

    物事を考えることによって幸か不幸かの判断が生まれてしまうのであれば、何も考えないほうが幸せでは?

    それに近づくという意味で、単純になりたい

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  • 自主制作メモ:撮影処理1周目がほぼ終わった

    自主制作メモの撮影処理がほぼ、1周終わった

    つまり、映像に関するパイプライン構築が完了したということになる

    ここからは最終品質で書き出し、ブラッシュアップを重ねる作業に入る

    なので、この後もまだ少し撮影の作業が残っていることになるので、まだ完成ではない

    このあと、劇伴の調整、それらすべて終わった後に音響関係、SE関係の作業を行い、公開となる

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  • 企画中のメモ:城の中

    城になるかすわわからないがとりあえず城として書く

    城の内部についてだ

    城の内部

    城は鉄でできていて、それらはさびている

    一部の廊下などにはじゅうたんが敷かれている

    そして、木材も使われている

    壁や手の届く範囲には木材が使われていて、その上にじゅうたんが敷かれていたりする

    木材は長年触れられ、つるつるしている。

    結構汚れていて、遠くから見ると錆びた鉄のようにも見える

    絨毯が敷かれているというのもあり、歩いてもあまり音がしない

    たまに軋んだりはするが

    地下室

    城には地下室もある

    地下室にも鉄や木材が使われているが、地下室にはほかにも、石材が使われている

    スチームパンクのような機械類が並び、そこから各ドームへ配給を行っている

    何百個以上のパイプが放射状に繋がっている様子が特徴的だ

    ここにも子供たちが何人もいて、皆それぞれ警備、清掃、パイプラインで送る物資の梱包などをしている

    それは”役割”

    寸分たがわず、全く個性無く完璧に梱包する様に人間らしさが感じられない

    中央部には高さ280mくらいの塔が建っていて、てっぺんには巨大な時計があるが、それは動いていない

    280mの塔の内部には巨大な振り子がある

    それは動いていないので止まっているが、動くとものすごい迫力になるのだろう

    もしかしたら、周囲のプラントはその振り子によって動くものなのかもしれない

    ただ、今はその多くが動いていない。動いたら何を作りだすのだろうか

    双子について

    双子は城の中で神出鬼没のような感じに表れる

    浮遊するし、瞬間移動する

    いつも一緒に行動していて、離れることはない

    ベッド

    ベッドは城の中では珍しい、白い構造物だ

    それは陶器でできていて、新しい人が現れた時に新しく子供たちの手によって作られる

    繭のような、卵のような、細長い球形の陶器の入れ物の中に、かわいい動物の羽毛を用いて作ったふわふわを入れ、そこで寝る

    これはドームの姿と似ている

    子供たちがこの中で眠ることは、ドームの中で生きる子供たちと同じだ

    城壁

    城の周りには城壁がある

    それはまん丸い形をしている。石と鉄でできた城壁だ

    高さは20mほどかもしれない

    おそらく、数メートルの厚みがある

    大きな門があり、おおむね、そこからのみ出入りできる

    大浴場

    城の地下には大浴場がある

    無駄に広いお風呂で、男女混浴だ

    湯舟が広いのは、お湯が無限に湧いて出てくるからだ

    地下にあるということも相まって、温泉っぽい雰囲気を醸し出している

    地熱によって大地のエネルギーをこの城が享受していることを示唆しているようだ

    庭という庭でもないが、城の中には至る所に野菜が自生している

    びっしり生えているという感じでもない。ところどころ生えている感じだ

    ただ、子供たちはそれを食べようとしない

    というか、それを食べるという発想すらない

    ただ、花と同じように、むしろ花よりも多くの野菜が生えている

    種類もたくさん

    子供たちは今を生きているので、特に理由がない限り、それを食べようとはしない

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  • 自主制作のタイトルそろそろ決めたい

    自主制作アニメーションを作っているが、そのタイトルをそろそろ決めないといけない

    今まで何回かタイトルは変わったが、最近は意味を感じられるタイトルにした方が良い気がしている

    というのも、完成につ近づくにつれ、これが人には理解されないだろうなというのがなんとなく目に見えてきた

    セリフもないし、長いし

    ただ、意味はもちろんあって、そういうのを感じ取ってほしい

    それには、意味があるようなタイトルにする必要がある気がした

    つまり、具体的なタイトルだ

    今、メタフィルムには仮タイトルとして、パントマイムと入れてある

    これは、無言劇、そして真似。いろいろ意味が込められてこのタイトルになっている

    ただ、そういうのは今この時点で伝わらない気がしてきた

    僕は映像に意味を入れるタイプの作家だが、それをまだ知られていない以上、タイトルで意味をチラ見セする必要があるんじゃないか? と思った

    今考えている例としては、鏡とロボット だ

    あとは、鏡の中のロボット、鏡とロボなど、

    そういう、具体的なタイトルにしようかと思っている

    ちなみに、作中に鏡は登場しない

    登場しないのにタイトルにしているのは何か意味があるんだろう。と思わせるのが狙いだ

    鏡の中のロボットというのが一番面白いかもしれない

    この作品は実は映画の中で、それはロボットにとっての鏡だ

    鏡の中をマネすることで魂の第一ステップが満たされ、第二ステップが満たされようとしたところで世界が終わる

    という話だ

    なので、この作品は、いわば、鏡を見た後のロボットの行動を映した作品でもある

    なので、鏡の中のロボットだ。

    映画という鏡、そして鏡を見た後という意味、2つの意味が若干重なって存在している

    ……というところまで考察してくれる人が一人でもいればうれしいが、

    たぶんそういう世界観を世に知らしめるまで、よくわからないものを作り続ける作家みたいに思われたりするのかな

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  • ルックバックを見た

    久しぶりに劇場で映画を見たが、とても良かった

    最初の印象としては、さらさらした印象だった

    1時間という長さもあり、コンパクトにまとめられつつ、無駄な展開がないようで、そういう点からさらさらした印象になったのだと思う

    一瞬、平行世界ものなのかなと思ったが違う。もしもの話をみせるという構成も良かった

    いろいろ調べてみたが、細かなところにたくさんのこだわりがある作品のようだ

    個人的には、創作している人に見てほしい。というようなネットの感想は少し違う気がした

    確かに、作者自身の創作に対する思いが含まれているようではあったが、それをカモフラージュするのが上手すぎて、もはやふつうの物語としても楽しめる出来だった

    なのでこの作品は、作者自身のメッセージと、それを知らない人たちにも見せることができる大衆性、芸術における2つの側面が両方とも成立している作品なのではないだろうか

    その点、この作品はとても良い作品だと感じた

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  • 今考えている企画について語る

    今考えている企画が2つくらいあるが、今回はそのうちの一つについて、誰もいない空虚に向けて語る。

    物語にはドームと城が登場する

    そこに主人公を含めた子供たちがいる

    そこで僕が表現したいのは、人間とは何者か、についてだ

    人間は醜い部分もあれば、そうでない部分もある

    そういう当たり前を、最小単位で表現する作品にしたい

    人間は喧嘩もするし、嘘もつく。

    恥じらいもあり、思いやりもある

    キリスト教ではアダムとイブに関する神話として描かれているが、僕が今考えているものはそれをなぞるようなお話になる気がする

    かといって、エヴァンゲリオンのように、直接的にリンクしているような話では全くない

    キリスト教の聖書と僕が今考えているストーリーの共通点は、その物語が描こうとしているモチーフだ

    両方とも人間の善悪を扱っている

    その起源の役者としてアダムとイブがいる

    僕が今考えているストーリーは、その関係性をこどもたちに置き換え、人間の善悪について自分の考えのもと、展開を作ったものだ

    双子という、自然の象徴は何をするわけでもないが、天気と昼夜を操る

    パイプラインと電線によってつながったドームと城。

    サバンナのように乾燥した平坦な大地に、錆びた城が建つ

    この物語で伝えたいのは先ほど、人間の善悪だと書いたが、今のところはサブテーマとしてもう一つあるのでここでそれにも触れておく

    僕は今24歳だが、これまで一度も正社員として労働したことがない

    そればかりか、クリエイティブ以外の仕事をしたことがない

    1年半。社会勉強も兼ねて会社に属したことはあるが、それもインターンのまま終わった

    そんな僕だが、高校の友達に会ったり、ドキュメンタリーを見ていたりすると、世の中の社会はなんて居心地が悪いのだろう、と思ったりする

    俯瞰してみてみると、誰かが仕事を作って誰かがそれをこなす。ただその一連の流れで生み出されるものはごくわずかで、互いの供給を満たすためにただ時間とお金を回しているだけに思えてくる

    もちろんその限りでもないことは理解しつつも、ただ、無駄な仕事をしてお金だけもらってその成果は社会では役に立たないということもある気がする

    それが意図的に行われている気がするのがまた悩ましいところだし、それで周ってしまう社会もどうかと思う

    それは僕の思い込みかもしれない。

    ただ、少なくともこの視点は、物語にして映像にして共有してみる価値くらいはあるのでは? と思った

    ドームと城は需要と供給の関係だ

    そして、この世界にはそれしかない

    永遠に生産し、永遠に消費される

    子供たちは12歳くらいだし、そもそもキャラクターとして自然の子のような感じなので、性欲もない

    なので、子供を作ることもない

    同時に死ぬこともない

    つまり、永遠に需要と供給を繰り返し、完結している世界だ

    その世界をすべてカメラに収めることで、僕が今社会に抱いている感情を見る人に伝えることができる気がした

    最初はそういうつまらない世界だ

    ただ、それを変えるのが主人公とその仲間。

    人としての善悪がない、自然の子として、現象としてただそこで振る舞っている子供たちに、主人公たちの善悪が波及する

    そうして始まる人類の歴史

    その幕開けを具体的な設定を用いて映像にする企画を今考えているところだ

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  • 幸福度は相対値

    幸福度は相対値なので、幸せな生活を送れば幸せに生きられるわけではない

    むしろ、幸せの水準が上がってしまうと些細な幸せを幸せに思うことができなくなるので、不幸になるハードルが下がる

    幸せに暮らせる人間は金銭的に余裕があるので、不幸になることを回避するための選択肢が広がる

    だから、お金持ちは幸せの隣に同じ量の不幸があることに気づかない

    いや、気づく気づかないの話ではなく、不幸があってもそれを封じ込めることができる

    ただ、本当のところは、幸せは相対値なので、幸せになればなるほど、幸せを維持するのは難しくなる

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  • 僕はお酒を飲んだことがない

    僕は今24歳だが、お酒を飲んだことがない

    数cc味見したことが2,3回あるくらいしかお酒を摂取したことがない

    なぜなら僕はお酒が嫌いだから

    お酒という存在が嫌いだ

    理由は、お酒に渦巻いているすべてが嫌いだからだ

    お酒を飲む集団は怖いし、お酒があふれる空間は不気味だし、

    それについての心中を文字にしてみる

    お酒を飲む場所が嫌な理由

    もともと僕は、一人で静かな場所にいるのが好きな人間なので、その正反対。大勢でにぎやかな場所が嫌いになるのは容易に想像できる

    ただ、かといって、同じく大勢の人がワイワイしている街中などは嫌いではない

    ワイワイしている街中では、別に、僕が一人話していなくても何も思われないからだ

    対して、飲み会は楽しく話すための場だ

    そして僕はそういう場は嫌いだ。

    話すのが好きじゃないし、そもそも話す能力もないし、だから飲み会という場にいたら僕は浮く

    仲の良い仲間内と数人で行くとなると楽しく話せるのだが、そうでない限り、飲み会は嫌いだ

    話すことが前提条件という条件が怖くて仕方がない。逃げ場がないからだ

    飲み会という場がトラウマで、そんな嫌いな場だから話したくなくなる、だから飲み会が怖くなる。という悪循環に陥っている

    そして、飲み会という場において、僕とそうでない人との違いはお酒が入っているか否かだ

    いや、お酒が入っていなくてもよくしゃべる人は良くしゃべるが、ただ、お酒が入ったら基本、人はよくしゃべるようになる

    つまり、お酒という飲み物によって人が大胆になる

    そういう人間がわんさかいる飲み会という場が不気味で仕方がないので、それを招くお酒が嫌いだ

    お酒があっても良いと思える例

    お酒が嫌いな僕だが、かといって、お酒という存在自体が嫌いというわけでもないのかもしれない

    例えば、お酒がある場でも、バーなどのおしゃれで静かな場所は嫌に思わない

    その場は話すための場ではなく、雰囲気に浸るための場でもある気がするからだ

    一人で静かにしていても違和感のない場所なので、居心地がよさそうだ

    あとは、神事、祭事で飲まれるお酒も良いと思う

    御奉謝みたいな雰囲気はやはり嫌いだが、そうではなく、もっと静かで神聖なお酒なら嫌には思わない

    なので僕が嫌なのは、先に書いたような、お酒が招く状況なのかもしれない

    先述したような理由で飲み会が怖いというのもあるし、自分がお酒を飲んでその空間に溶け込んでしまうことを考えると恐ろしいというのもある

    自分がお酒を飲んだ場合の話

    精神的なところから話すと、

    僕は生き方で人に何かを伝えるのが好きな人間だ

    自分の存在意義が、自分の生きざまを人に見せることで生まれる人への干渉だと思っている

    だから、僕はそういう武勇伝だとか、エピソードをとても大切にしている

    留年だって、これもまた一つの藤田将のエピソードだと思っていたのでショックには思わなかったし、

    今も痛む顎関節症ですら、このような苦痛を僕という人間に課した運命に対して、いつか映像作品として訴えてやろうと、うずうずしている

    そういうすべての動機は、自分という人間の行動や思想を具体的にすることに喜びを感じているからこそだ

    なので、本心では、お酒は飲めないわけではない

    ただ、僕の生き方として、お酒という存在に反抗するためにも、お酒を飲んだことがないというラベルは守りたい

    そういう、精神的、思想的な事情があるので、お酒は嫌いだし、今後も飲まないだろう

    あとは、身体的なところについても、お酒は飲むべきではないと思う

    僕の父親も、お酒を飲んで2回、家から救急車で運ばれている

    母親もなんだか心拍数が上がってしまう病気を先天的に持っているらしい

    なので、家にお酒がある様子をほとんど見たことがない

    今思えば、そういう家庭環境で育ったからこそ、そういうお酒という文化に対して抵抗があるのだろう

    話を戻すと、

    父親も母親もお酒に弱いので、僕も弱いだろう、

    というだけのことだ

    僕は水をたくさん飲んだだけでも震えてしまう人間なので、おそらく、お酒は飲まないほうがいい

    酔った人を眺めるのは好きだったりする

    お酒を数cc味見したことがあるが、そこまでおいしいとも思わなかった

    おいしいと思わないのにあれを飲んで、いらぬことを話す人間になってしまうのであれば、それをそばから眺めているくらいがちょうどよい気がしている

    そばで眺めるといっても、隣の席から眺めるのではない、5mくらい離れた位置から眺めるくらいだ

    話は変わるが、僕は麻薬依存者の動画を見るのが結構好きだったりする

    少し前に記事にした気がするが、その時は確か、フィラデルフィアのスラム街にあふれる麻薬依存者。ゾンビのような人々を車から撮影した動画について語った

    別に、麻薬が好きなわけでもない。僕が好きなのは、麻薬などの薬物により現象と化した人間の動きだ

    僕はシュルレアリスムが大好きで、それは映画やアニメの好みにも影響するくらいだ

    キューブリック監督や北野監督のような、凄みのある画面にはこの、シュルレアリスム成分が含まれている気がする

    シュルレアリスムはシュールと呼ばれている

    この、シュールをかっこよく取り入れることで、凄みのある映画が生まれると思っている

    シュールとは、一筋縄では理解できない要素全般のことを指している

    その要素が映画の方向性を殺さないような感じで取り込まれていると、それは凄みとなり、作品として一つ上の段階に昇華する

    魂の入った作品になっているような、そういう魅力が生まれる

    というように、僕はシュールというジャンルが好きだし、それを自分でも作りたいと思っているし、人のシュールも観察していたい

    そこで、路上で揺れる麻薬中毒者の動画だ

    歩道でひまわりのように揺れている人間、どこから持ってきたのかよくわからない物体をつかんだまま動かない人間

    その人間がなぜそうなるに至ったかを想像するのも楽しい

    まるで、茹でられてぴんと真っすぐになった芋虫のような、

    あるいは、無重力化で無意識に手足を大の字に広げているカエルのような、

    そういう、長い歴史の中で生まれた共通項が無意識的に発現しているさまを見るのが楽しい

    そこに至るということは、そこに至るための経緯があったということだ

    その場においては、麻薬という存在により、理性が薄まり、経緯と結果が一直線で結ばれ、路上での結果となる

    その様を想像しながら、推理しながら見れるので、興味深い

    話を戻すと、

    程度は違えど、お酒に酔って理性が弱まった人が何をするのか、興味がある

    そこには人間の器だけがあって、鳴門海峡の渦潮のような現象として、肉体が動いて言葉を発している

    それは、経緯が直接出力された光景だ

    その光景は人を見ているというよりも、摩天楼を見ているときの楽しみに近い気もする

    経緯の繰り返しで形成されたビル街を眺めるのと同じように、その人の人生の歩みと数万年の人類の歩みがその人の振る舞いに表れているんだなと思うと、とても興味深い

    とはいえ、お酒という文化は嫌いだ

    なので、唾が飛んだり、匂いが漂ってきたり、話しかけられたりしないくらいの距離。5mくらいの距離でその様子を観察してみたい

    余談

    お酒が嫌いな気持ちは裏返すと、イエメンが好きな気持ちにつながる

    僕はイエメンという国が好きだが、その理由の一つに、お酒が無いからという点が挙げられる

    イエメンは厳格なイスラム教らしく、お酒を国内に持ち込むことすらできないらしい

    ここまでの話を踏まえたうえでそのことを考えると、もはやイエメンは天国のようだ

    今、国内では紛争が続いているようなのでそういうことは一概には言えないが、

    ただ、お酒がないという環境はそれだけで人生を過ごすうえでの理想郷なのでは、とも思える

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  • たぶん次に作る映像の企画

    このアイデアは、集団の一人としての人間が、自分の生きる意味について問い直せる作品にしたい。という気持ちから生まれた

    ここ数日考えている

    ただ、いろいろ考えていくうちに、やはり、魂とは何かとか、そういう根本的なことに傾いていっている

    ひとまずここでは現時点での構想を抽象的に記す

    人は生まれながらにして何かの使命を持っていると思いたいところではあるが、実際にはそうとも限らないし、使命を全うできるわけでもない

    そればかりか。使命が何かすらわからずに死んでいく人も多い

    そういう世の中が悲しいとは思いつつも、仕方がないことだとも思う

    それを見つけるのは難しいし、そもそも見つけないでもなんとなく生きていける社会だ

    なので、そこまでの問題でもないのかもしれない

    ただ、とはいえ、実際問題。自殺してしまう人もたくさんいるし、生きがいを感じていなさそうな人もちらほら見受けられる

    そういう状況にせめて、自分の生まれた意味、人間はなぜこうして自我を持っているのか、自我は我々にどういう苦しみと楽しみを与えるのか、

    というのを自問自答するきっかけになるストーリーを作ろうと思った

    ここからはまだ検討中なので断片的に記す

    ドーム

    ドームは卵だ

    人間の原型がその中にいて、その中で一生を終える場合もある

    ただ、主人公はその中で自分の存在意義について疑問に思い、ある種の信仰を獲得して、卵から出てくる

    自分で殻を破って出てくる

    城はすべてのドームに生きるためのあれこれを送る施設だ

    ドームと城は需要と供給の関係で、これは世界経済を暗示している

    そこで永遠に繰り返される御恩と奉公になんの意味を見出せるのか、

    そこに本当は意味なんてない

    だからこの物語のクライマックスは、その意味の無さに子供たちが気付き、新しい世界を見つけて時間を進めるところにある

    映像を見た人たちはこの世界になんの意味もないことを悟るだろうし、それに打ち勝とうとする子供たちを見て、自分たちの状況と重ねるのでは? と思う

    それこそがこの作品を作る一つ大きな意味になっている

    かわいい動物

    直径30センチくらいのふわふわした浮遊する動物

    ふわふわしているのでかわいい

    このかわいい動物は自然の象徴だ

    自然のメタファーだ

    羽をむしって皮を裂けば外見からは想像つかないほどに真っ赤な血肉があり、それはおいしく食べられる

    水分補給もできる

    子供たちはそれを加工して食べている

    ちなみに、子供が死んだら、このかわいい動物に食わすことで、弔われる

    中国の奥地で行われている鳥葬から着想を得た

    この世界の子供たちも、空に帰りたいのかもしれない

    子供たち

    子供たちはわりとそのまま、人間を示している

    ただ、年齢は12歳ほど、異性を意識する直前くらいの年頃というのはこだわりたい

    そしてその子供たちには時間という概念がないので、いつ生まれたかもわからないし、そもそも生まれるという概念すらない

    主人公以外はそういう子供たちだ

    そこに主人公が現れる

    主人公に芽生えた羞恥心や闘争本能などの人間味はその子供たちに波及し、最終的には自然から生きる意味をとり戻す

    双子

    双子は管理人

    かわいい動物が集まってできているので、双子が消えるとき、かわいい動物になって空へと消えていく

    かわいい動物は自然の象徴、つまり、双子は自然を具現化、奇跡、神。話せる自然。

    言葉を子供から子供に瞬時に移したりする

    基本的には子供たちには干渉しないが、カリスマ性があるので子供たちはそれに従順だ

    それはまさしく自然であり、良くも悪くもルールだ

    この無言のルールに縛られて子供たちが永遠に同じことを繰り返す

    野菜

    野菜はかわいい動物とは対ぐうのような関係にある

    野菜は子供たちが作ったものだ

    つまり、自然から人間が作ったすべてのメタファーだ

    人間が自然を制御し、自らの意思で種をまいて収穫する

    それは現代文明のすべての営みの根本で、そのメタファーだ

    最後に野菜の花束を誰かに送るのは、花のような外見の価値ではなく、食べれる贈り物として、この作品の世界観を物語る仕掛けだ

    その他

    この作品はまだアイデア段階なので、一応細かい構想は伏せておく

    どこで公開するかもわからないし、人が登場するので、だれかメンバーを募るなりしないといけなさそうだ

    どこかに企画を持ち込むなり、お金をもらってくるなり、いろいろ考えているが今のところはどうなるかわからない

    ひとまずは今作っている自主制作を完成させた後、どこかに企画を提案してみたい

    というわけで、とりあえず具体的には伏せておく

    ただ、一つ言えることは、この作品は今のところ、キャラの雰囲気から世界観から色味まで、すべて僕の頭の中で完成している

    特に、作品の持つ雰囲気、アニメで言うところの色はとてもよく、僕の大好きなノスタルジーな雰囲気を強く感じている

    砂漠、子供たち、今思ったが、これはイエメンだ

    イエメンの砂漠の中にあるジバームだ

    僕はイエメンが大好きで、何回かその国について記事を書いた

    詳しくはその記事を見てほしいが、イエメンという国には強烈なノスタルジーを感じる

    いまは渡航禁止なのでいけないが、お金と時間と健康が確保できたら行きたい

    イエメンは宗教上の理由により、女性がほとんど外出していない

    男だけの砂漠の街、僕の嫌う変化がない、時間がゆっくり流れる国な気がする

    そして、僕の嫌いなお酒もない。宗教上の理由でだ。酒屋的などの店はないので、健全でさわやかでさらさらした印象だ

    イエメンについては語ってしまいそうなのでこの辺にしておくが、とにかく、この物語は僕が持つイエメンへの雰囲気をなぞって作られている気がする

    というか、今考えているほかの脚本も、どこか砂漠っぽい気がする

    これは今後の作家性に繋がってくるのか

    今考えている作品も砂漠の中だ

    完全な砂漠でもなく、サバンナみたいな感じだ。砂嵐が吹いていたりする

    そういう寂しい世界で、ドームの中に閉じ込められた子供たちと、双子の存在

    そこからアイデンティティを獲得して自分たちの歩みを進める人間の姿

    そういうものを描きたい

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  • NISAで損した話

    NISAに関しては、成長投資枠はすでに年間上限をすべて埋めていて、毎月の積立も上限の10万円ずつ、入れている

    1か月くらい前まではNISAブームもあり、右肩上がりだったが、ここにきて何を思ったか急落、一気に上がっていた分も吹き飛んで若干のマイナスになった

    下がったということは買いだということなので、むしろまた買い足したいくらいなのだが、あいにく、枠をすべて使ってしまったのでもう買うことができない

    ただ、落ちたら上がるのが自然の摂理だ

    持論だが、投資信託のような分散型のチャートは水の波と同じ理屈で動く

    下がったら上がるし、上がったら下がる

    媒体が水か、お金かの違いだ

    その上がり下がりの波がスケールを変えて幾重にも重なっている

    なのでこのまま持っておけば大丈夫なはずだ

    一つ注意するべきは世界経済が長期的に見て上がりなのか下がりなのかだけだが、

    その点はもうしばらくは上がると思う

    今回失ったのはお金と見せかけて、実は時間だ

    上がるのに要した時間が消えたと言うこともできるし、また上げるために時間という資源が必要になったとも言える

    その点、悲しいとは思う

    ただ、いつかは上がるはずなので、とりあえず持っておく

    あとはこれを機に、資産のいくらかをドルで保管することを試してみた

    株同様に最初は勉強のためにその挙動を当事者の目線から見ることだけを目的に、ひとまず少額でやってみた

    今後、資産が増えた場合を想定して、ドルと円の動きと株との連動に関する感覚も身に着けていきたい

    そのきっかけをくれたという点を鑑みれば、今回の暴落は良い勉強だったのかもしれない

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  • 敗戦と現代日本

    今日が8月6日だからというわけではないが、

    これから蛍の墓を見ようと思う

    昨日届いて、これから見る

    それにあたり、同封されていた冊子を読んでいたところ、鈴木敏夫プロデューサーの言葉が目に留まった

    そこには、日本が戦争に負けてよかったと書いてあった

    もし勝っていたら、ひどい国になっていたと、

    その言葉自体は鈴木プロデューサーの言葉ではなく、彼が伝え聞いた言葉だということは一応断っておく

    僕はこの言葉を見てなんとなく衝撃を受け、共感した

    僕も日本人なりに日本が好きだが、確かに、僕が好きな日本は敗戦国という前提条件のもとに成立している気がした

    原爆の日である今日、こういうことを考えるのもどうかとは思うが、

    これは加害者か被害者かの違いに似ているようだ

    太平洋戦争の場合は真珠湾攻撃から始まったと認識しているので、そうであれば日本にも加害者的な側面があるとは思うが、

    ただ、原爆が落とされるというのは明らかに予想できないもので、その点からみると被害者とも言える

    そんな中、原爆を落とされずに日本がアメリカに勝っていたら、日本は完全な加害者になっていただろう

    アメリカだけでなく、東南アジア諸国に対する加害者にもなり得た

    そういう日本という国の在り方は想像してみても、あまり好きになれない

    そういうことを考えたうえでの、日本は戦争に負けてよかった。という言葉に対する共感だ

    戦争で苦しめられた歴史は変わらないし、そもそも勝つ負ける以前に、戦争をしている時点でよくないことなのは言うまでもない

    なので僕が思ったのは、戦争はしないほうが良いという前提のもと、起こってしまった場合、勝つよりも負けた方がまだ良かった。ということだ

    敗戦と現代日本についての一つの考え方が生まれたので、ここに残しておく

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  • 感動できるストーリーとは何か

    感動できるストーリーとは何か、

    よくわからないのでとりあえず文字にして考えてみる

    僕個人の趣味かもしれないが、感動するストーリーといったらまず、

    宇宙よりも遠い場所、電脳コイル、さくら荘、WUG、

    などが思い浮かぶ

    そして、それらの多くに共通するのが、登場人物の長い間の頑張りが終盤に報われる

    ということだ

    これは僕の完全な個人的趣味なのかもしれないが、そういう要素を含むストーリーは感動できる可能性があるということかもしれない

    かといって、そういう要素を含んでいれば必ずしも感動できるというわけでもない

    それは脚本家の手腕なのだろうが、僕はそういう抽象的な言葉で片づけてはいけない人間だ

    それを言語化して扱えるようにしないとよい物語を作れない

    今この場では特に答えがないのでこれ以上書くことがないのだが、

    ただ、これからやるべきことは、感動する場面を見て、その気持ちが覚めぬうちになぜ自分が感動しているのかを文字にして分析することだ

    複数の感動の共通項がどこかにあるはずで、それを一般化して扱えるように整え、また文字にして備忘録として残す

    P,S,

    あれから少し経っていろいろなものを見た

    今はスクールウォーズを見ているところだ

    あのドラマは感動する展開が多くあった

    それは、僕が好きな頑張りが報われる系の展開がたくさんあるからだろう

    そして、もう一つ。感情曲線の差分が感動のトリガーになっていることを実感した

    この、感情曲線というのはわかりやすく、物語が暗くなる、そこから報われる。という限りでもない

    例えば、宇宙よりも遠い場所で僕が一番感動した、南極のPCにメールが届くシーン

    あれは、別に、直前に絶望的な展開があるわけではないが、感動した

    それは、あの物語自体が最初からいわば、感情曲線の低い状態から始まったからという見方ができる

    そしてまた複雑なのが、この感情曲線は、いくつも重なって一つの物語になるということだ

    つまり、あの物語には複数の人物のいろいろな物語が混ざっているが、それらすべてにそれぞれ感情曲線が存在していると考えられる

    スクールウォーズの場合はその感情曲線の上下がそのままわかりやすい展開になっているので、わかりやすく不幸が起こり、わかりやすくそこから救われる。という感じになっている

    最近の作品ではその感情曲線のカモフラージュがうまいのかもしれない

    いつの間にか感情曲線が下がっていて、そこから裏で感情曲線が不意に上がる。そうして初めて感動の前提条件が整う

    その感動に色を付けるのが共感を呼ぶ設定なのだろう

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  • 近年のロボットアニメ

    ロボットアニメで思い浮かべるのはエヴァンゲリオン(テレビ版)だが、あの頃の作画を思い返すと、安っぽくはなかった

    3DCGが使われていないからというのもあるだろうが、それはクリティカルな答えでもないと思う

    3DCGが普及してきたことにより、レイアウトも特に何も考えずに作ることができてしまうようになった

    例えば、ロボットが歩くシーンで、セル画時代は接地面を映しているカットが少なかった気がする

    ただ、3Dが生まれてからというもの、接地面を映すのは大変だという制約がある程度取り払われたので、そういうレイアウトを描いても特に問題にはならなくなった

    いや、セル画時代もデジタル時代も、例外はあって、接地面を映すか否かはどの時代でもあったりなかったりかもしれない

    ただ、少なくとも、接地面を表現することに関して昔と比べて難易度が下がった気がする

    そして、ロボの接地面を映すカットは個人的には良い風に働かないことがほとんどだと思っている

    ロボに限らず、キャラクター全般に言えることだとは思うが、

    接地面によりつながったロボットと背景はその位置関係が明確になってしまうので、視聴者に想像の余地を与えないことになる

    マスクをしたら美男美女に見えるのと同じだ

    アニメの画面は必要のない情報は徹底的に排除すべきだ

    その点、昔のセル画は取捨選択しないと空間を表現できなかったので、必然的に無駄のないレイアウトになることが多かったのでは

    僕はアニメの現場にいない人間ではないので一概には言えないが、昔は技術的な制約により、洗練されたレイアウトでないと映像化できなかったため、メカが安っぽくなっていなかったのでは

    それに対して今は違う。何も考えなくても画面が作れてしまうので、安っぽい画面が出来上がってしまいがちだ

    もちろんすべてのアニメがそうというわけではないが、見ていると、レイアウトに不必要な情報が混じっているカットが多い

    そういうところもセル画アニメが良かったと言われる一つの要因なのかもしれない

    あとは、細かいところで言うと、

    ベジェ曲線的なアニメーションが多用されることで、動きに重量感がなくなっている

    3DCGとはあまり関係のない話かもしれないが、何かのアクションの最初から最後までを一つのカット、一つのカメラで見せようとしてしまう

    というようなところもあるだろう

    あとは、状況説明的なカットも、本当に状況説明しかしていないようなアングルになってしまていたり、

    近年のロボットアニメの安っぽい感じはそういう、3DCG含め、作画のデジタル化によって起こっている気がした

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  • 今後は脚本で生きていきたい

    脚本で生きていくにはどうすればよいのだろうか

    今、3DCGで仕事をしているが、指が痛く、一生続けられそうにはない

    だから脚本を書きたいというわけではないが、

    脚ほにゃプロットを考えている時間が一番楽しい気がする

    もともとは3DCGも、監督になりたくて始めた趣味だ

    自分の頭の中にある世界を表に出したくて始めた

    今はそれが仕事になり、お金を稼げているので良いのだが、先述したように指も痛いし、脚本もやりたい

    脚本は世界を作るという点において、3DCGの上位互換だ

    3DCGが外側を作る作業だとしたら、脚本やプロットは内側、あるいは内側と外側両方を作る作業だ

    僕が人生をかけてやりたいのは世界を作ることであって、映像を作るということではない

    映像を作るというのは世界を作るという行為を具体的に言い表したものなので、本質的には違う

    おそらく僕は一生映像を作り続けるとは思うが、その裏にあるのは世界を作りたいという欲望だ

    というわけで最近は脚本を作りたい。プロットも作りたい

    というか作っているし、そのためにアニメを毎日10話くらい見ているし、映画も見る

    そして練習としていくつかプロットも書いている

    この原案はいつか作品になるのだろう

    そういう日を夢見て今日もいろいろ考えている

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  • 事実ベースの展開と心情ベースの展開

    いま、ちはやふるを見ていて気づいた

    物語には事実ベースでの展開と心情ベースの展開がある

    そういう分類は別段特筆すべきことでもないが、ただ、僕の場合、事実ベースの展開は得意で、心情ベースの展開は苦手、というような姿が漠然と見えてくる気がする

    blenderのノードだったり、思考実験だったり、そういう、順序だてて事実が連なっていくような構造のものは得意だ

    ただ、それが人の心という媒体になると苦手になる

    いや、苦手ではないのかもしれない。やったことないだけかもしれない、

    ただ少なくとも、今、事実ベースでの展開と、心情ベースでの展開、2つがあり、そのうち事実ベースのものしかやってこなかったということを言語化することができた

    ちなみに、なぜこういうことをちはやふるを見ていて思いついたかというと、

    ちはやふるは、かるたの物語だが、それだけではない。

    かるたをする高校生たちの青春物語でもあるわけだ

    つまり、かるた競技に関する展開。勝ち進む、そうではない。などの事実ベースの展開を軸に、それを行う人たちの心情による展開が繰り広げられている

    これは、事実ベースの展開と心情ベースの展開だ

    僕が今やっているのは、勝ち進むか否か、というような、事実ベースの物語だ

    だから、感情があまりないロボットを主人公にした自主制作を作っている

    ただ、今後は、心情ベースの物語も作る必要があるだろう

    個人的に好きな花田十輝さんも、心情ベースの展開が色濃い気がする

    そういう物語を作りたいので、今後は心情ベースの展開というのをキーワードに、いろいろ研究してみようかと思う

    P,S,

    今、20世紀少年を見ている

    心情ベースの展開はあまりなく、どちらかというと事実ベースの展開がメインだが、面白い

    思い返せば、そういう物語も世の中にはたくさんある

    必ずしも心情ベースの展開が必要というわけでもないのかもしれない

    P,S,

    心情ベースの展開がないのは、主人公に心情ベースの初期設定がないからだ

    今自問自答していて気づいたのは、自分が作る主人公には事実ベースの特徴しかなく、心情ベースの特徴が無いということだ

    それに関しては、事実ベースの特徴によって心情ベースの特徴が生まれるものなのでは、という気もする

    事実ベースの展開をこねくり回して主人公の心情を考えてみよう

    P,S,

    脚本のことをいろいろ調べていくうちに、ここで考えたような事実ベースの展開、心情ベースの展開がやはりあることを確信した

    内面的、外面的、というような扱いをされていたが、僕が考えていたことと同じだ

    そして、それらはクライマックスに必要で、特に外面的な展開(事実ベースの展開)が失敗していると悲劇と呼ばれるようになるようだ

    そしてここで重要なのが、事実ベースでは失敗して悲劇になっていても、心情ベースでは成功しているということになる

    事実ベースでも心情ベースでも失敗している物語は本当の悲劇で目も当てられないようなものなので、あまり評判が良いものにはならないようだ

    それが芸術の形として悪いとは思わないが、人間、事実ベースか心情ベースで報われる物語でないと感動できない

    主人公が本当に成し遂げたいことは何か、その動機となる気持ちは何か。

    その二つが事実ベースか心情ベースかの違いだ

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  • MILLENNIUM PARADE「M4D LUV」一部背景で参加しました

    一部の背景の制作をしました!

    今回もジャパニーズサイケな感じで、良い感じです

    背景で参加した際も、アジアンカオスっぽい感じではなく、昭和期の日本を意識した街並みを意識しました

    横断歩道は昭和とそれ以降では違うようで、そういった部分とかもこだわって作ってみました

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  • 安っぽい作品はなぜ出来上がるか

    安っぽい作品を今までいくつか見てきた

    作画、撮影、背景、そういう絵柄が安っぽいから作品が安く見える。というのも一つあるだろう

    それに関しては誰しも理解できることで、単純にチープな見た目だからチープになるということだ

    ただ、それでは語りつくせない安い作品があるのも事実だ

    例えば、残響のテロルという作品は、面白かったが、安っぽかった

    作画は良いほうだと思うし、レイアウトも良かった

    お話もスケールが大きいし、いろいろなギミックもあって楽しかった

    が、なぜかそのアニメには安っぽさが漂っていた

    それは、展開や脚本面での安っぽさだ

    そしてその理由は、お話を考えた人の引き出しの少なさにあると気づいた

    序盤にテルミット反応を用いた事件があったが、なんとなく、そういうのはググればたどり着きそうなネタだ

    爆弾がどうのこうの、や、天才的な子供たちがどうのこうの、など、

    なんだか昔からこすられ続けてきたような要素だ

    引き出しの数が多いというのは、世の中に対する知識が多いということだ

    並の人間ではたどり着かないような場所にある情報を使って作品を作っていなので、作中の情報として目新しさがない

    だから、どこかで見たことあるような。そうでなくても現実離れしていない、劇的ではない。そういう仕上がりになってしまう

    この記事を書こうと思ったきっかけが、先ほど、君は彼方という映画を見たからだ

    君の名はをもじったような映画だが、君の名はのような具体的なモチーフが出てこなかったので安っぽかった

    君の名はではなぜあの物語が成立したか、それは、今この記事で書いている引き出しの数的な視点から分析するに、具体的なモチーフがたくさん出てきたからだ

    口噛み酒、片割れ時、

    それ以外にも、神社での舞のシーンは、その振り付けにも意味がある

    糸守の美しい地形も、過去の隕石衝突を物語っている

    三葉がつけている紐の髪飾りも、宮水家の家業、映画全体のメッセージとつながっている

    安くない映画。というのはそういうのがしっかりしている映画だ

    君は彼方含め、世の安っぽい作品にはこれらがない

    キャラデザ、メカデザイン、脚本、

    そういうのは本来、互いに密接に影響しあって出来上がるものだ

    ただ、安っぽい作品はそうならないから安っぽい

    君は彼方に出てくる登場人物のデザインにはそういった説得力はなかったし、

    そもそも和なのか洋なのか、それ以外なのかといったような最初に決めるべきことも決まっていなかった気がする

    それらを結びつけるのが、引き出しだ

    新海誠監督は全国の伝統的な祭事が好きなようだ

    だから、口噛み酒や、片割れ時など、説得力のある設定を作ることができたのだろう

    君は彼方の雰囲気自体、悪いとは思わないが、それを補強する具体的な設定がなかったため、安っぽくなってしまった

    そして、ほとんどの作品がそういう安っぽさをはらんでいる気がする

    具体的でないので、作り話としてグラグラしている。

    物語を作る際、大切なのはいくつかあるが、この記事で、その中にもうひとつ、引き出しの多さからくる具体的な設定。というものがあることを知れた

    最近は脚本方面に進むためにいろいろ活動をしているところなので、今後生かしていきたい

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  • 終わりだよ! 地球は終わりだよ!!!

    地球温暖化はもう歯止めがかからないので、そう遠くはないうちに人類は終わる気がする

    僕はまだ24年しかこの世にいない人間なので断じて言えるわけではないが、ただ、24年でこの変わり様なのであれば、24年後の地球がどうなっているのかは想像できない

    人類が終わるといっても一気に終わる感じではないだろうが、

    先進国では特に、少子高齢化も相まって、より一層わかりやすい形で衰退するだろう

    次の世代に渡せる地球はもうない

    東京なんかは、しばらく人口が増えたのち、人口が減りだして過疎化する

    そのころには地方も大して人がいないので、殺伐とした感じのひび割れた道路がただあるだけの土地が広がるのみになる

    猛暑でもはや人が住めなくなる

    わざわざ辺鄙なところに住めるような贅沢な国でもなくなるので、一か所に集まってつつましやかに暮らすことになるだろう

    地方路線は途中駅が廃止され、始発駅と終着駅のみになる

    おんぼろの車両が一日数往復運行されるのみだ

    なぜいきなりこういうことを書き出したか、

    それは、そういう世界観の脚本を作ってみたくなったからだ

    最近は指と手首が痛く、blenderができていない

    というか、もうできないと思う

    というわけで、最近は脚本のことばかり考えている

    今、練習がてらいくつか考えているわけだ

    その一つに、こういう、終わった日本を舞台にした作品を考えている

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  • プロジェクトとしてのアニメの色、雰囲気。トータルコーディネート

    アニメには良い脚本、良い作画、良い音楽。いろいろ必要だが、その中でも割と重要なのが、良い雰囲気。だと思う

    良い雰囲気というと抽象的だが、

    具体的な雰囲気、特色ある雰囲気、アニメというコンテンツ全体のデザイン。性格、色。

    そういうようなものが必要な気がする

    作品が完成した後のことを考え、その雰囲気を想像する

    エヴァみたいな、独創的な作品を作るために、何をすべきか。それを最初に作品の色としてしっかりと決め、それに従って世界観、脚本までもを作る

    そうすることで色のある作品になるのではないだろうか

    ©Sonny Boy Committee

    Sonny Boyでは、そういうカットのオンパレードだった気がする

    この作品で伝えたい雰囲気がそのまま黒背景、影と線の少ないキャラ。アナログ背景。

    そういう絵として表れているので、このアニメには色がある

    映画大好きポンポさん_1
    ©2020 杉谷庄吾【人間プラモ】/KADOKAWA/ 映画大好きポンポさん製作委員会

    あとは、映画大好きポンポさんもそんな感じだった

    カラフルな背景に、漫画っぽいキャラ、アメリカという舞台。

    それらが相まってあの、色のあるアニメ作品が完成していた

    ジョジョの奇妙な冒険_1
    ©荒木飛呂彦/集英社・ジョジョの奇妙な冒険製作委員会

    ジョジョもそういう魅力を含んでいたかもしれない

    あの独特なファッションとジョジョ立ち、渋いオープニングとエンディング

    そういう、色を持った要素が組み合わさって、作品全体の色になっていく

    映像研には手を出すな!_1
    ©2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会

    映像研には手を出すな!もそんな感じだった

    作品を総合的に見て、作品自体のキャラが立っているか否か、

    というようなことで言い表せる

    そういうのが作品の色と言えるが、それが弱い作品も多い

    特に、深夜の量産型萌え日常アニメなんかには、あまり特色のある色を感じられない

    これに関しては、昔のアニメのほうが、特色のある作品が少ない気がする

    昔のスポーツアニメなんて、どれも同じ色だ

    最近のスポーツ系アニメとかだったら、おしゃれ系、さわやか系、熱血系。いろいろあるし、それに応じてOPED、次回予告、マーケティング、そういうのまで工夫してプロジェクトとして色を付けている

    それは、脚本だとか、キャラデザだとか、世界観だとか、そういう、表面的で単純な話ではない

    それ以外の要素が相まって、全体としての雰囲気が生まれるか否かの話だ

    例えば、エヴァンゲリオンはフォントですら作品の色にしている

    邪神ちゃんとかだと、クラウドファンディングという、作品の外の要素すらも作品の色になっている

    これはトータルコーディネートだ

    トータルコーディネートという言葉がすごくしっくりくる

    アニメを一つのプロジェクトとして考え、それが完成した姿を妄想する

    その雰囲気にたどり着くにはどういう要素を組み合わせればよいか、を考えるべきだ

    でないと、プロジェクトとしての世界観は生まれない

    その点、今作っている自主制作ではあまり実現できなかったので、そこは反省だ

    かといって、次の作品で実践できるかといわれると何とも言えない

    とても難しいことだからだ

    その点、エヴァは本当にすごいと思う

    庵野秀明展で企画書を少し見たが、もうすでに企画書の段階からエヴァンゲリオンだった

    初号機のデザインすらまだ未定の段階でも、庵野監督にはあの雰囲気が見えているようだった

    つまり、企画を作る人が序盤にやるべきなのは、何を伝えるかだけでなく、どういう雰囲気で伝えるかなのではないだろうか

    序盤に。と書いたのは、それらが同時進行で行われる気がするからだ

    つまり、何もないところからエヴァンゲリオンの雰囲気は降ってこないが、脚本や伝えたいテーマがないとエヴァンゲリオンの雰囲気も生まれない

    プロット、脚本、メッセージ。そういうものを考えるのと同時に、作品の色も決めていく必要があるのだろう

    それらを行き来しながらプロジェクト初期は進んでいく気がした。

    そして、今僕が考えている物語はそういう色が重要になってくると思っている

    王立宇宙軍的な、別次元の世界のデザインをしっかりと作る必要がある

    ここに書いた色の話をまたかみ砕いて、企画を考えてみたい

    P,S,

    マインドマップのような、そういう感じで管理するのが適している気がした

    例:エヴァンゲリオンの場合

    クラシック音楽、極太明朝体、高度なテクノロジー、グロテスク、セカイ系、少年少女、ビビッド、白と黒、コントラスト

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  • 立山黒部アルペンルート旅に行ってきた

    夏休みに入ると混雑しそうなので、そうなる前に行ってきた

    特に室堂平の景色が素晴らしく、気温も涼しくて3時間くらい散策していた

    連日のように猛暑となる日々だが、室堂平は涼しく、パーカーを羽織っているのがちょうどよいくらいの涼しさだった

    黒部ダムのトンネルは凍えるような寒さだった

    立山黒部アルペンルート以外にも、その前の日には京都や大阪、奈良などを電車で周る旅をしたりもした

    前回の鳥取旅にて、日没により観察することができなかった新快速の米原から大阪までの街並みを見るために、改めて乗ってきた

    ついでに、大阪から奈良、奈良から京都の車窓も見つつ、サンダーバードから琵琶湖も見た

    僕は街並みや建物を眺めるのが好きで、それが高じて今の仕事に結びついている

    そういうのは今まで、東京近辺の東日本の景色によって形作られたものだったが、今後は積極的に、西日本などのほかの地域の街並みも観察し、インプットしていきたい

    同じような理由で室堂平、黒部ダムにも行った

    特に室堂平で見た景色は僕に、本物の高原、森林限界の雰囲気、雪解けの様子を見させてくれた

    そういうのはいかないとわからない、

    引き続き、各地を旅していきたいと思った。

    最近は指が痛く、パソコン作業からも離れられていないため、強制的に手を休めるためにこうして旅に出た

    今日は疲れからか頭が痛いのでアニメを見るくらいしかできることがないが、明日あたりから自主制作を再開します

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  • 指が痛いので、2日間休んで旅に出る

    指が痛いので2日間休んで旅に出ることにしました

    僕は仕事依存症なので、そうでもしないと仕事から逃れることができません

    1日目は東京から米原に行き、大阪に行き、奈良に行き、京都に行き、敦賀に行って富山に行く

    ただ単に移動するだけの一日だ

    今は外も暑いのでそれくらいがちょうどよいと思ったのと、前回の旅で、米原から姫路までの車窓を見損ねたため、それをもう一回見てくるという目的もある

    その場に行かないとわからない雰囲気、発見はたくさんあるので、それを見つけに行きたい

    あとは、サンダーバードから琵琶湖を見たり、開通したての北陸新幹線に乗ってみたり、いろいろやりたいことがあるため、電車に乗るだけの日程になった

    2日目は富山から立山黒部アルペンルートを通って東京に帰ってくる

    新しいカメラなども買ったので、素材も調達できれば良いなと思っている

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  • セルルックCGについて

    指が痛いので手短に書く

    もののけ姫を見たときに、アニメは動く絵本であるべきだと思った

    映像は現実を模倣するものではなく、デフォルメするものであってほしいので、それを満たすためには映像は動く絵本のようでないといけない

    では、動く絵本を3Dで表現したいとなった時、どうすべきか

    動く絵本というのは印象を抽出した画面という意味で、アニメのことを指すことができる

    その点、今のセルルックCG界隈はまだ始まってすらいない

    なぜなら僕がここまで書いてきた、アニメの本質的価値を言語化できていないから

    それを言語化して初めて、アニメを真の意味で3D化する準備が整ったといえる

    それでもアニメが印象的な画面を実現できているのは、以前ブログ記事に書いた、工数削減とデフォルメに一致する部分があったからだろう

    今後はアニメが蓄積したデフォルメの文化をCGに落とし込まなくてはならない

    僕はもう体が限界に近い。少なくとも今後ハードワークをするような生き方はできなさそうだ

    なのでこうしてブログ記事で文字を書くくらいしかできない

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  • セル画アニメの良さ

    セル画アニメが良いというのはいろいろなところで言われている

    その良さのキーワードに、リニア。というのがある

    カメラワークが直線的だというのがセル画アニメの特徴の一つにあるのではないだろうか

    撮影台で背景を引くとき、基本的にはどっちの方向にどういう速さで、という指示で引かれる

    つまり、等速直線運動、直線運動だ

    だからセル画のカメラワークは直線に、一定速度で動くことが多い

    これにより、何かを伝えるために必要な情報以外の情報を省くことに成功している

    僕が求めるノスタルジーも同じ原理だ

    記号的ともいうが、アニメは印象を見せているものなので、それ以外の情報は省かれている

    その省くという行為をカメラワークに応用すると、直線的なカメラワークとなる

    ちなみに僕も、昔からカメラワークは直線的なものにしようと心掛けていたりする

    子供都市を作っていたころからカメラワークをリニアにしていたし、

    それ以降の作品も基本的に、カメラは移動、回転、それらを直線的にするように心がけている

    これはセル画アニメの魅力の一つ、直線的というキーワードをかみ砕いて、3DCGというフィールドに代入して生まれた見せ方だ

    ちなみに、これを映画に代入すると、僕の大好きなキューブリック監督のような、シンメトリーで凄みのある画面になる

    北野武監督も同じような見せ方をしている気がする

    そして僕もその見せ方が好きで、いままでも追い求めてきた

    カメラに変にキーフレームを打つのは基本的に良くないことだと思っているし、

    最近のアニメなんか動かしすぎだと思う。作画すればよい、カメラを動かせばよいと思い込んでいる

    アニメもなんでもそうだが、カメラもキャラも必要最小限の動きで見せた時。ノスタルジックな世界観が生まれるものなので、基本的に無意味に動かすのはそれに意味を見出していない限り良くない見せ方だ

    ↑は今作っている自主制作の例だ

    エレベーターのゴンドラ、背景、黒い筒、カメラワーク。

    すべて直線的に動かして画面を作っている

    さすがに3Dシーンなので、パースを殺して画面を作るようなことはできなかったが。

    それでも、2Dで作った画面のような景色に少し近づけたカットな気がする

    これを本気でやろうとするならば、背景用のカメラ、ゴンドラ&近景用のカメラ、超遠景用のカメラ、3つくらいのカメラでレンダリングした大判の背景をAEなどで平行移動して見せる必要があるだろう

    本当はそれをやりたいところだったが工数削減のために今回はすべて3Dシーンでやった

    ここで変に動きに緩急をつけてしまうと、個人的にはあまり面白くない画面になってしまう気がする

    見せ方によっては悪くはならないが、それは緩急という余計な情報が画面に含まれることになるので、個人的にはあまり好きではない

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  • HANA-BIを見た

    指が痛く本調子ではないためにHANA-BIを見た

    北野武らしい直線的で図形的なカット、レイアウトに加え、脚本も良かったと思う

    北野監督の作品の中で一番好きなのはソナチネだが、このHANA-BIはその次か、その次か、くらいに面白かった。

    今回この映画を見て気づいたことが、カメラを向けるべき主人公たちとは関係のないところにカメラを向けていることだ

    北野武演じる主人公の周りで物事は進んでいくが、それとは別に、序盤で大けがを負って不自由な身になったおじさんがいた

    そのおじさんが絵を描いている様子も最後までカメラで追ってはいるが、それは脚本としては主人公とはあまり関係なかった気がする

    それなのにあの様子があってよかったと思ったのは、その絵を描く様子を見せることで、映画として切り取った世界を広げることにつながっているからだろう

    これと似た見せ方で、アニメ、日常の見せ方も思い浮かんだ

    日常では、小話と小話の間に妙にフォトリアルテイストな風景アニメーションが挟まれている

    それにより、ゆっこたちの周りにある世界が潜在的に、見る人に植えつけられる

    あとは、あまり関係ないかもしれないが、

    はかせの周りの話と、ゆっこの周りの話。アニメ中盤くらいまで交わりがほとんどなかった

    つまり、あの世界観で2つの独立した物語が進んでいた

    そういう見せ方も、カメラが切り取る世界を広げることにつながっている気がした

    こういう見せ方は今回見たHANA-BIや、北野武特有の見せ方というわけではないだろうが、そういう話の見せ方をすることにより、作品の世界が一段と広くなるということは今回気づいた大切なことだと思うので、ここにメモっておく

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  • ガールズバンドクライを見た

    ガールズバンドクライ_1
    ©東映アニメーション

    3DCGアニメーションで話題だったので見た

    あと、シリーズ構成に花田十輝の名前があったので見た

    ストーリーに関してもとっても良く、宇宙よりも遠い場所のような雰囲気のある、まとまった話だった

    夢に関して負の側面もちゃんと描いているような気がする

    同時期に同じようなテーマで花田さんが参加した、数分間のエールとは対照的な作品だと思った。ここまで対照的な作品に同時に参加することは、きっとやりにくいところもあったんだろうな、と思った。

    あとは、OPEDの見せ方も良かった

    それぞれの糸がつながっていく。過去の自分と今の自分との関係、仲間とともに進むということを映像にして伝えることができていたので良かった

    CGに関しても新しく、セルルックCGとはまた別の見せ方をしているところが特異な感じがした

    シェーディングをトゥーン調にしていないことがすごい

    こういう作品はたいてい、影をぱっきりとさせてしまいがちだが、それをハイライトを除き、一切やっていなかったように思える

    ハイライトはぱっきりやるのが正解だろう。髪のキラキラ感はウマ娘のアニメのようにきれいな感じが出ていた

    僕がやるとしたら、ハイライトの下に同様に暗い色が落ちるようにすると、さらに奥行きが増すので、そういうやり方をやるだろう

    というか、そういうのを今後やっていきたい

    ガルクラについて、ほかに気づいたことは、背景は2Dでやり、カメラワークもそれに合わせて2Dにしているところが多く見られたという点だ

    3Dのキャラではあるが、カメラの動きを最低限にすることで、デフォルメの効いた画面を作りだすことに成功している

    この作品では多少、キャラと背景とが馴染んでいない感じもあったので、そこは課題なのかなとも思った

    途中、ドラムにキャラの姿が映り込んでいるようなカットがあったが、そういう演出をほかのところにもすることで、背景との馴染みも良くなるのでは

    例えば、アニメだとbookという形で扱われる小物系など、そういうのを3Dでやり、背景との緩衝材にする。

    そういう見せ方も考えられると感じた

    あとは、このアニメーションはフルアニメーションだが、それ自体もすでに挑戦的だ

    個人的にはむしろフルアニメーションのほうが簡単だと思っている人間だが、世間一般には、フルアニメーションは大変なものらしい

    確かに、すべてのフレームでアニメーションをつけないといけないので大変かもしれないが、それだって、キーフレーム補完でやっているのだからむしろ楽できている気もする

    問題があるとすれば、ぬるぬる動きすぎるので、3DCG感が出てしまうことだろう

    今回のガルクラでもそういう危険性があったはずなのだが、そこまで気にならなかった

    そういう世界観でやっているというのが最初から明確になっているためだろう

    たぶん、そうしたのは、この作品が音楽を取り扱ったものだからだと思う

    ライブシーンは作画でやると厳しいというのは昔からそうだろうから、そういうところだけを3Dでやるというのは前々からやられてきた

    アニメガタリズのEDだってそうだった

    ガルクラではそういう、音楽を取り上げた作品なので、3Dでやることに適した作品だった

    僕はドラムなので、どうしてもドラムに目が行ってしまうのだが、

    ドラムの演奏シーンはモーションキャプチャーを使ってやっていた

    どこを叩けばどういう音が出るかというのは作中、間違っていなかった

    シンバルの揺れ方もとても自然で、アニメ3Dドラムでよくある、スプラッシュシンバルのような揺れ方をするクラッシュシンバルも出てこなかった点が良かった

    髪やスカートもクロスシミュレーションでやっていたようだし、そういう音をすると安っぽく見えると思いきや、ほかのクオリティが高かったのでそこまで安っぽくなっていなかった気がする

    あとは、3Dでキャラをやると問題になる、デフォルメに関しても、2D素材をたくさん使ってやっていたようで、そこまで違和感なく見れた

    おそらく、目の部分に何か張れるような仕組みでモデルを作っているのだろう

    そういう工夫や技法が今後生まれてくる

    それにつれて3Dアニメが普及するのだろうか。

    とりあえず、このガルクラは現時点で最もレベルが高い作品だと感じた

    と同時に、僕もこういうジャンルの作品のクオリティを挙げられるように、新しい見せ方を作っていきたい

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  • 自主製作メモ:今一度、言いたいことを整理しなおす

    まず、この作品を作った動機について、

    言いたいことを言うために作品を作っているわけではない

    それは過程であって結果ではない

    僕が求めた結果は、言いたいことを言うということではなく、自主制作を作ったという事実そのものだ

    つまり、これは儀式みたいなもので、僕がこの映像を作ることは、僕が次のステップに進むために必要なことだった

    それは、自分という存在を証明するための作品でもあるし、自分がスキル的にも成長するためのものでもある

    それを実現するために、言いたいことを言う映像というのを作ろうとした

    では、その言いたいことについて、

    僕が言いたかったのはおおざっぱにい言うと、反文明、魂のメカニズム。その2つだ

    まずは反文明について、

    人類が地球上でやってきたことは総じて言うと悪でしかないが、それは人類が加害者ということとは少し違う気がする

    人類が道具やらを発明して生産し、捨てることで地球は傷つけられてきた

    いくつもの種を絶滅に追いやり、遺伝子もいじり始めている。

    そういうのを聞くと人類は悪い存在かとも思えるが、それは人類が望んでやったことではないことを考えると、必ずしも悪とも言い切れない気がする

    人類が生きるうえでの共通項を実践してきた結果、地球を破壊してしまったということに過ぎない

    つまり、本当に悪いのは人類に課せられた運命では?

    犯罪者だって、幼少期の劣悪な環境の結果、犯罪者として扱われてしまったともいえる

    裁判でも減刑されたりしている

    それは、犯罪者自身の悪の心だけで犯罪が起こっているのではなく、その悪の心を戒めるように育てることができなかった大人の責任もあり、周りの環境による結果としての被害者ともいえるからだろう

    人類はそうしないと生き残れなかったし、だれも地球を悪くしようと技術を発達させたわけではないだろう

    ただ、身の回りの生活を良くしようと心掛け続けた結果、こうなってしまっただけだ

    あとは、似て非なる問題に、自殺。人間社会の生きづらさの問題もある

    人間は知能が発達した動物なので、生きるのに関係のない苦しみも認識してしまう

    頭がよくなればなるほど、知らなくてもいい事実に苦しむことになるし、ありもしない事実に苦しむというようなことすらも人間にはある

    そういう苦しみを認識できる知能はいろいろなことを生み出せる反面、苦しむ必要のないところで苦しむような、生き地獄を生む可能性もはらんでいる

    反出生主義という考え方もあるが、それに近いかもしれない

    人間は生まれたくて生まれてきたわけではなく、ただ気づいたら生まれていただけだ

    そんな人生で苦しむ人がいるのなら、これほど残酷な話はない

    その点において、人間は運命の被害者ともいえるのでは?

    というのが長い長い前置きだ

    人類はいろんなものを生み出した悪の根源のようであって、ただ同時に。人間は運命の被害者でもある

    では、物語の主人公に、人間が生み出した道具であるロボットを選んだら、面白い物語になるのでは?

    ロボットから見たら人間は生みの親であって、同時に、永遠の労働を課した悪の根源でもある。

    ただ、そんな人間も同時に、運命に苦しめられた存在だった

    この2つをカメラに収めるだけで物語は生まれると思ったので、今回はそれを伝える物語にしたわけだ

    そして、2つ目、魂のメカニズムについて、

    僕は魂についていろいろ考える人間だ

    僕自身が体が弱く、魂に対して疑問視しているような人間なので、日ごろから考えている

    今も、右の指と左の肘が痛い

    そんな人間なので、魂という存在にスピリチュアルなことを感じることもない。完全に現象の一つとしてみている

    魂は単なる認識が生んだ事実でしかなく。それは構造としては鳴門海峡の渦潮と同じようなものだ

    という話は別でしているのでここでは割愛する

    魂が生まれるメカニズムをこの作品では伝えたかった

    魂(自我)が成立するためには2つの段階、条件が必要になる

    一つが、自という概念の認識、

    そして次に、他という概念の認識だ。

    世界が観測できたとき、初めに、自分と世界との境界が生まれる

    鏡を見て自分という存在を見て理解するのかもしれないし、自分の体が世界に干渉している様子を見て、自分という器を知るかもしれない

    そういうことを経て単なる情報の漂う場でしかなたっか世界に、情報の渦とそうでない部分という、2つのエリアができる

    それは初期の魂で、嘘をつくこともない。騙すこともない。他を欺くという行為を知らない

    そもそも他という概念がないので当然だ

    そこに、第二段階、他という概念が生まれると、魂はもう一つ次の次元に行く

    自分が世界に干渉しても、その干渉が反射ではなく、屈折によって帰ってくるような存在に出くわす

    そうすると、世界には自分以外の魂の領域があるということになるので、欺く、騙すのようなことが生まれる

    これが今の人間だと思う

    ちなみに、今回の作品で描いた魂は第一段階の魂だ

    第二段階に移行しようというところで物語が終わる

    この、魂のメカニズムに関して、今回の作品では大まかに描いた

    そういうのを人類が滅んだあとの宇宙船。という舞台で、映画館の警備ロボという主人公をもとに描いたのが今回の作品だ

    これをどう言った形で公開するのかはまだ未定で、正直、見せるのも恥ずかしくなってきたのでどうしようか悩んでいるところだ

    少なくとも誰にも見せないのは悲しいので、ひっそりとどこかで静かに公開するか、限定公開で見てもらうか、もしくはホームページのみで見れるようにするか、

    あと、直近の話だと、すでに別の作品のアイデアが固まりつつあるので、そっちも頑張っている

    指も痛く、顎も痛く、文字を打つのさえも痛い感じです

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  • 忙しいので更新できていません

    7月に入って忙しさが落ち着くと思いきや、落ち着かなかった

    先月は2つの大きなお仕事に1つの小さなお仕事+自主制作の追い込みでだいぶ忙しかった

    それくらい忙しいかというと、指が痛くなるほどだ

    ちなみに今もまだ完全には治っていないので、今後どうしようかは対策が必要な気がする

    今もその忙しさはまだ続いていて、締め切りがもう少しである感じだと思われる

    自主制作は近々、いったん脚本の会社の方々に見せることになっている

    それに向けて追い込み中だ

    というわけでTwitterは更新できていないし、ブログも更新できていない

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  • blenderにて、テクスチャをリピート感なく敷き詰める方法

    タイリングテクスチャをリピート感なく敷き詰める方法はいくつかあるだろうが、この度、またひとつ面白い手法を思いついたので共有する

    例えばこのようなテクスチャを平面に張る場合を考える

    何も考えなしに張り付けてこんな感じになるだろう

    1つの画像だけであればこの通り問題ないわけだが、これが何個もリピートされるとなると、話が変わってくる

    UV展開をし直し、リピートさせた

    このテクスチャはシームレステクスチャのため、リピートはできる

    が、見ての通り、リピート感が目立ち、使えたものじゃない

    これを解決するにはいくつか方法はあるだろうが、こういう時に有効な手段を今回思いついた

    テクスチャはシームレスで、かつ、四隅がタイルの区切りになっている

    だとすれば、そのテクスチャをランラムに回転させればいい感じにリピート感がなくなるのでは?

    ということで、これをノードにより実現してみる

    ノードは現在こんな感じだ

    UVから出てきたベクトル情報をもとにテクスチャがマッピングされている

    まずはここにスナップを追加してみる

    すると、ベクトルの増分がスナップにより段階的になる

    ここではXYZそれぞれに1を設定しているため、1増えるごとに次の数、というような増え方になった

    これはUVの画像の範囲と一致する

    UVは0-1で一区切りのため、この正方形の四角の隅はこの時、テクスチャの隅と一致する

    そしてここに、ホワイトノイズをつなげた

    これにより、先ほどの段階的に増えるUV座標が0-1のランダムな数に変換される

    さらに、ホワイトノイズから出てきた値を再びスナップする

    数値は0.25だ

    これにより、0、0.25、0.5、0.75の数値を持ったUV展開と一致する領域が平面上にマッピングされた

    これをもとにテクスチャを回転させてやればいいわけだ

    テクスチャを回転させるために、ベクトル回転を追加した

    これにより、テクスチャを回転することができる

    その回転度合いを、先ほどの四角の領域で、90度ずつ回転するようにすればよい

    つまりこういうことだ

    スナップから出てきた数値は0、0.25、0.5、0.75なので、それに360を乗算して最大で270度回転するようにする

    それをラジアンに変換し、テクスチャの入力を回転させる

    ちなみに、乗算に中途半端な値を入れるとこうなる

    先ほどの四角の領域ごとにテクスチャが回転しているのがわかる

    ついでに、これらのノードをノードグループにまとめてみた

    場合にもよるが、これを通せば、リピート感を大きく減らすことができる

    入力はベクトルならなんでも大丈夫なので、ジオメトリの位置でも同じく入力にすることができる

    あとは、テクスチャの補完を近接に変えると、よりきれいにテクスチャが張られる

    厳密にいえば、この方法はシームレスではなく、たまたまテクスチャの端が要素の端になるときのみに使える

    ただ、テクスチャによっては今回の紹介のように、十分使える技術だと思うので、なんとなく、ここで静かに公開しておく

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  • 現在構想中の脚本

    今、脚本を考えていた

    今のところという感じではあるが、おそらく。復讐をテーマに取り扱う作品になる気がする

    復讐の連鎖は悲しい歴史を生む

    どこかでそれをやめる人たちがいれば終わることなのに、そう簡単にはいかない

    集団としての人間はそこまで賢明ではないので、戦争も終わらない

    という現実世界の嫌な部分を物語に落とし込み、心のきれいな人たちが復讐の連鎖を断ち切る様子を描きたい

    今のところはそこそこ物語のアウトラインができつつある

    それはもちろん、今後作り替えていくものではあるだろうからここではあまり明かさないが、

    今のところは面白そうな作品になる気がする

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  • 工数削減とデフォルメの関係

    アニメはデフォルメの連続で、それが結果的に、抽象的な魅力となっている

    これは偶然なのか?

    デフォルメというのは工数削減という、営利的な原理で説明できる

    では、アニメという媒体で徹底的に工数削減をすると、デフォルメになるとでもいうのだろうか

    これについてはなぜアニメが今のアニメという形になったのか、という、大きな問いの答えだと思う

    デフォルメと工数削減はもともと、大まかに似たような方向への進化だった

    これは、デフォルメも、工数削減も。ディテールを削減するという意味ではイコールで結ばれるからではないだろうか

    ディテールを削減するというのをビジネスとして評価するならば工数削減になるし、

    芸術的に評価するならば、デフォルメとなる

    なのでその両者は似たような方向の進化と呼べるのだろう

    ただ、それは完全に一致するわけではない

    ディテールの削減という、根本的なアクションは一致しているが、芸術とビジネスでは評価対象が違う

    デフォルメと工数削減の違いは、そっくりそのまま。芸術とビジネスの評価対象の違いになるわけだ

    つまり、

    アニメのデフォルメ表現は工数削減と一部重なる部分があり、その結果。今の抽象的な作風が需要と供給の均衡点を良いポジションまで押し上げ、ここまで発展した

    ということだろう

    では、そのデフォルメと工数削減は3Dが媒体になっても成り立つものなのだろうか

    僕は最近、アニメの世界を3Dで再現したいと考えているが、それは2Dを擬態すればよいというわけではない

    先に述べた通り、2Dで魅力的な画面は2Dの進化系統の結果生まれたものである

    芸術的な評価基準は変わらないが、ビジネス的な評価基準は2Dと3Dでは異なるためだ

    だとすると、デフォルメをするために3Dで2Dをまねることは本来の流れに背くことになるのでは?

    とはいっても、流れに背くことは悪くはない

    ただ、今後、この両者は区別してノウハウを構築していくべきだろう

    進化系統の流れに背く→デフォルメが効いた2Dの良いところを真似る

    進化系統の流れに従う→3Dならではの表現を追求する

    それは同時に、自然淘汰として、2Dの悪いところを改善するということになる

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  • 5年くらい前に作っていたフォトバッシュの下地が出てきたので公開します

    5年くらい前、2019~2021ごろにかけて作っていたフォトバッシュたちの、下地の画像が出てきたので公開しておきます。

    ここにグリザイユ画法の要領で手描きの着色をして作品にしていました

    この後、blenderに出会って、作品を3Dで作るようになります

    ただ、今見ても、これらの作品は見ごたえがあってよい感じだ

    3Dでは何かと作るのが面倒なので凝った形状をすることができないが、こういうフォトバッシュだと、写真を切って張るだけなので、簡単にいろんなものを詰め込むことができる

    今後、自分が手を動かさない時代が来た時には、こういうフォトバッシュの世界観を映像で表現したい

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  • メカデザインと脚本の共通点

    メカデザインの良しあしを考えると、脚本にも通じる知見を得ることができる

    まず、メカデザインの話をすると、

    僕は一応留年したとはいえ、プロダクトデザインの研究室を出た

    機能が見せる美しさというのはプロダクトデザインの醍醐味だと思っている

    そしてその醍醐味は脚本においても同じだということは少し前の記事でも書いたことなので端折る。

    この記事で言いたいのは、全体のプロポーションが悪いと、全体的にバランスの悪い印象の作品になってしまうということだ

    これはメカデザインに例えるとわかりやすい

    アニメ、ゲーム、映画を見ていると、たまに、プロポーションが悪いデザインが出てくる

    特に、車、戦闘機、ロボット、宇宙船のなどの、指向性のあるメカに当てはまる

    明文化するならば、先頭の形の割には後部が短い、小さい。もしくは大きい。

    というような感じだ

    この先頭の形ならもっと全体が長いほうがいいだろ

    と思ったりするのは大体。全体のバランスが悪いからだ

    つまり、先頭の形というのは一見全体には関係ないように見えて、実は全体のサイズ感などを総括する重要な部分だということだ

    そしてこのことは脚本にも当てはまる

    始まりがなんとなく壮大な物語が10分くらいで終わってしまったら、なんだかバランスが悪い

    逆もまたしかり、2時間の長編映画の終わり方があっけないとそれはおかしな印象になる

    これは抽象的な感想などではない。バランスの悪いメカデザインと同じように、図形として具体的にな裏付けのある違和感だ

    だから、土台からしっかりと考えて作らないといけない

    10分のショートアニメならばそれを踏まえて見せるべきだし、2時間の長編映画ならそれを踏まえて見せるべきだ

    個人的には、今のアニメ映画のほとんどが、ショートアニメと同じような始まり方をするのでなんか物足りないなと思っている

    始まり方は映画本編の長さを潜在的に観客に伝えるものなので、終わりまで考えて作らないといけない

    タイトルコールを出すタイミングには気を配るべきだ

    メカデザインに例えて考えるとわかりやすいことに気が付いたのでメモしておく

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  • 自主制作メモ:2D的カメラワーク

    仕事が行き詰まって手につかない。

    なので、気分転換に自主制作について語る

    例えばこのカット、カメラは望遠の固定になっている

    あらかじめフルHD*1.5の画質でレンダリングし、Aeで平行移動させるつもりだ

    こういう工夫により、カメラワークが2D的になる

    そして、カメラワークが2D的になるということは、画面に余計な情報が載らないということだ

    わずかな手振れでも、画面が一気に立体的になってしまい、印象が3D的になってしまう

    そして、その3D的というのは、安っぽさに直結してしまう

    デフォルメがされていないということになるからだ

    エンタメというのは現実のデフォルメで、僕はそのデフォルメは多いほうが良いと思っている

    時間軸をデフォルメすればカットになるし、

    パースをデフォルメすれば2Dの絵になるし、

    人間をデフォルメすればアニメキャラになる、

    そして、カメラワークを2D的にすることもまた、デフォルメの一種だ

    手振れというのは、パースのデフォルメを破壊する

    動いたとたんに形状が決定してしまうので、世界観として面白くなくなる

    なので、僕が作品を作るならば、極力カメラは動かさないようにすると思う

    もちろん、見せ方によってはその限りではないが、基本的には、カメラの動きは必要最低限にとどめるべきだ

    こういう2D的な動かし方で画面に動きを与えるべきだ

    こういうアクロバティックな動きはアクションシーンなどではよいが、見る人に想像の余地を与えない

    なので、情報量としては不必要なものが含まれているということになる

    このカットについては起こっていることがそもそも3D的なので、3D的カメラワークが正解だろう

    手振れも3Dでつけるべきだ

    ただ、今回の作品ではそこまでアクションが登場するわけでもない

    なので、2D的なカメラワークを中心に作っている

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  • キャラクターと脚本について、キャラの性格から逆算して物語を作る

    ブルーサーマルというアニメ映画を見た

    すがすがしい作品で、若干の詰め込み感はあったものの、むしろそれも時間軸のデフォルメとしてみれば楽しめる作品だった

    最後の展開も面白かった

    良い作品だった

    というのはここで書きたいことではなく、この映画を見ているときに一つ感じたことがあるので、それをメモっておく

    何か物語を書きたいと思ったとき、何もないところから物語を紡いでいくのは難しい

    何か起点となるものからひも解くように物語というのはできるものでは?

    その起点というのはいろいろあるのかもしれないが、今回思ったのが、キャラクターの性格からひも解いていくと簡単なのでは? ということだ

    例えば、人に心を開かないキャラクターがいたとする

    そのキャラクターは初対面の人には良く話すくせして、人と深い仲になりたがろうとはしない

    そういう性格のキャラクターがいたとする

    そして、そのキャラがそうなったには何か理由があるのだろう

    その理由こそが脚本だ

    例えば昔、何かトラウマになる出来事があって人と深い仲になるのを避けるようになってしまったとか、

    そういうきっかけがあるかもしれない

    それを膨らませて物語が出来上がるのではないだろうか

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  • 忙しい

    忙C

    忙P

    3つくらい仕事が重なっているので今月は忙しい

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  • ブラックラグーンについて

    BLACK LAGOON_1
    ©2006,2010 広江礼威/小学館・BLACK LAGOON製作委員会

    もう何回ブラックラグーンを見たか覚えていない

    それくらい好きなアニメだ

    指を痛めていてあまりハードワークできないので、このタイミングでまたブラックラグーンを見た

    もちろん楽しめたが、今回新しく何個か感じたことがあったのでここに記す

    まず、3DCGの使い方が結構上手だなと思った

    というのは別に、シェーディングなどで工夫しているという感じではなさそうだった

    例えば、教会の前で車が爆発してひっくり返るシーン、あそこは3Dが使われていた

    その3DCGも3DCG感満載のルックで、カメラワークでの工夫もなさそうだった

    ただ、それがあのアニメではなぜかしっくりきている

    なぜだろうか

    一つ思ったのが、あのアニメのレイアウトだ

    遠近感の生かされる構図がカギを握っている

    3Dを使わないカットでも、3D上で考えられたようなレイアウトがされていた

    だからあの機動力あふれるアクションシーンが描けている

    3Dを強く感じるレイアウトはそれだけで躍動的だ

    それによってあのハチャメチャな雰囲気が出ている

    そして、その3D思考のレイアウトは3DCGとの融和性を高めた

    その結果の3DCGのマッチ度合いだ

    あとは、撮影処理を結構たくさんしていて、かつ、光沢の描き方が丁寧だ

    つるつるした印象を持ちつつ、ダイナミックレンジの広い絵だ

    その特徴が3DCGとマッチしているのかもしれない

    つまり、絵柄という強いフィルターがあるので、その下にあるものが2Dだろうが3Dだろうが、いい感じになるのだろう

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  • 「数分間のエールを」メディア向け試写会に行ってきました

    先日、「数分間のエールを」のメディア向け試写会に行ってきました

    絵について

    映画の中にもblenderを使っていると思われる画面が何回か出てきた

    そしてこの映画自体もblenderで作られているようだ

    ただ、そういうblender感を感じるような場面はなかったように思える

    少なくとも、安っぽいとは思わなかった

    blenderはフリーソフトだが、それでも劇場映画を作れるのだなと思った

    おそらく、シェーディングをのっぺりにしているのはそういう事情があるのだろう

    影や光沢を表に出さないことで、絵としての統一感を出すのと同時に、ちらつきなど、そういうトラブルも回避しているような印象を得た

    あとは、ところどころ手描きのテクスチャを使った効果を使ったり、画面内のアクセントとなる部分に2Dでのタッチを残しているようだ

    キャラに落ちる影も、影とそうでない部分との境界に筆のタッチが入っていた

    全体として絵っぽく仕上げることを目標にしているのだろう

    脚本について

    僕がこの映画に興味を持ったのは、脚本が花田十輝さんだったからだ

    僕はあまり脚本家の名前を知っているような人ではないのだが、それでも花田さんの名前は知っていた

    脚本についてはネタバレしてはいけないのであまり書けないが、クリエイターの在り方として考えさせられる内容になっていた

    夢を追うというのは華やかに見えて実はそうではない。

    体を壊すかもしれないし、挫折するかもしれない

    そんな中夢を追い続けてそれをかなえた人は幸せだろうが、そんなに世の中は甘くない

    それに関して未熟な人物を主人公とすることで、クリエイターとそうでない人との間にある認識のずれのようなものを具体化することに成功している

    そのギャップから生まれる話だ

    個人的な感想だが、この物語は本当にハッピーエンドなのか? と思った

    夢は叶えば万々歳だが、そうならないのがほとんどなわけで、それをあきらめるというのはある種の大人になるということかもしれない