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本音
本音です
こっち側では、普段は隠している本音を語ります
創作活動に対する姿勢と、現在のイラストに対する指摘です
一番下は闇MAXなので、ご注意ください
イラストの個性について
まず、僕が描きたいイラストというのは「萌え」「個性」「リアリティ」の三拍子がそろっているイラストです
最近はそれに、「絵っぽさ」も追加していますが……、とにかく、
三原色は「萌え」「個性」「リアリティ」です
当然、どれも大切なのですが……、僕が特に大切だと思っているのが、
個性です
簡単に言ってしまえば、個性が無いと自分の絵とは言えません
個性がない物は絵ではなく図ですからね、
自分の手で描けば自分の絵。と言うのは表だけの薄っぺらな考えだと思っています
母親と同じです
産めば母親になれる。というわけではありません
育てて初めて、母親となるのです
本当の絵とは、自分の技術と努力のみで描き上げた、自分から出た要素で作った、自分の分身のはずです
自分の目で見たものを、自分の脳で考え、自分の手で描く
これが本来の芸術における絵であって、本物の絵だと思います
例えるなら、自分の子供です
↑初めてのツイート
タイトルは「娘(嫁)」
自分の遺伝子を受け継いだ。後世に伝わる分身みたいなものです
僕の場合、恋人でもあります
そして、その「自分の技術と努力」「自分から出た要素」というのが個性ではないでしょうか
それを守らず、トレースやら模写やらで捨てようとする現代の絵描きは絵描きと呼べるのか、疑問です
突然ですが、……「個性」というのは、ほかの2つ、「萌え」「リアリティ」とは少し違うところがあります
それは、練習すればするほど消えていく。ということです
そして、一度消えたらそう簡単には元には戻らない。甦ってはくれないものです
現代の絵師は意識が低すぎます。
もともと、絵師。とは、他者の模倣をして絵を上達させた人たちなのでしょうか? 僕は違うと思います
絵師とは、すなわち芸術家です。
そして、芸術家とは……、コピーしていたらなれるようなものなのでしょうか
イラストも同じことです。他者の物マネを描いても、それは自分の個性ではなく他者の個性です
つまり、自分のイラストでも自分の娘でもありません
他者の物です
家系に例えるなら、再婚相手の連れ子。みたいな感じです
プロダクトとしての絵
イラスト講座を見ると、よく。トレースをしたり、模写をしたり。様々な手法が紹介されています
ツイッターを見ても。模写をしている人がちらほらといます
たしかに。芸術としての絵ではなく、プロダクトとして絵なら……
それはそれでいいのかもしれません
ただ、問題なのは、プロダクトとしての絵しか描けない人間が、自分を芸術家だと思い込んでいることです
そして、その思考は時に、真の芸術に対する侮辱へとつながります
侮辱する彼らはそれに気づく術すらありません
芸術を知らないからです
ただ絵を上手く描ければ芸術家。というのは誤りではないでしょうか
模写なんて、上手い人の絵を見て描けば、上手く描けるに決まっています
スキャナーでもできます。それと同じです
機械のように緻密な技術力を人間が持ち合わせていることに関しては、評価できるかもしれませんが……
それを芸術として評価するのは間違いでしょう
電卓のように暗算をこなす天才を人は、「芸術家」と呼ぶのでしょうか?
それと同じです
スキャナーとコピー機のように他人の絵を模写する人間は、芸術家ではありません
そして、恐らく。ツイッターなんかで模写に「いいね」をつける人間はそこまで考えていません
別に、いいねをして品位に欠けた者同士盛り上がるのはいいのですが……、その被害を受けているのが本物の芸術家です
プロの絵を素人が模写した絵と、素人が0から描いた絵
どちらも素人の描いた絵なのに、評価が全然違います
芸術家としての品位が無い前者が描いた絵が、芸術家としての品位を持つ後者の描いた絵よりも評価される
そうして、本物の芸術を埋めてしまっている
これこそが現代の芸術とイラストの抱える問題です
ツイッターの闇
現代のサブカルチャーにはプロダクトとしての絵があふれ、それらを見て、僕らは楽しむわけです
その風潮自体は悪いとは思いません
僕もアニメを見て萌えますし、実際。自分も志を守りつつ、絵を描いています
ただ、問題だと感じることがあります。それは、芸術としての絵とプロダクトとしての絵が重なりつつある。区別できなくなりつつあることです
先に述べた通り、簡単に言えば区別できる人間が少なすぎるということです
さらに簡単に言うならば……、センスがない。ということです
とは言ったものの、ただ単にセンスがない人間が、センスのない絵を見て楽しむ。という流れに関しては問題ありません
問題なのは、センスのない人間がセンスのない絵を評価してしまうことで、センスのある絵が埋もれてしまう。ということです
傾向が顕著に出ているのがツイッターです
ツイッター民は価値のある絵に「いいね」をするのではなく、「いいね」が付いている絵に「いいね」をします
イワシの群れと同じです。周りを見て動くだけの、単純なシステムです
そして、その「いいね」の数は、巡り巡って、フォロワーの増加につながるでしょう
フォロワーが増えれば……、イラストレーターならわかるかもしれません。仕事が来ます。
そして、有名になって仕事が増えて……という構図です
つまり、絵描きをイラストレーターに仕立て上げるのは、イラストレーターでも審査員でも評論家でも専門家でもなく、一般人です
そして、その一般人たちは先述したとおり、イワシの群れと同じです。既に評価されている物を評価します
さらに言えば、その一般人にはセンスがありません
プランクトンの塊と、国産和牛の違いは判らないのです
一般人は個性の有無がわからない。評価をしようとしないのです
こうして、本物の芸術家は埋もれていきます
評価されるべき人が評価されないのです
もしくは、間違った評価基準を満たすために、素人好みの絵を描いてしまいます
ツイッターによって芸術家の芽が摘み取られてしまうのです
こうして、ツイッターは芸術家を殺し続けるわけです
……ここで、あまりディスると勘違いされそうなので、注釈を入れますが、
僕をフォローしてくれる方は、センスがいいと思っています
先述したとおり、僕は個性を守って絵を描いています
他の絵師とは比べ物にならないほどの情熱を絵に注ぎ込んでいますし、芸術としての価値が高い作品を出しているつもりです
その価値に気づいてくれているかはわかりませんが、とにかく
僕の作品を評価してくれる人間はそれだけで、センスのある人間だと思っています
芸術という学問の闇
僕は芸術系の大学にはあえて行きませんでした
↑高校の頃の絵
独学です
昔から絵を描くのが好きでした
なので、高校卒業後、芸術系の大学に進むかどうか悩んだのですが……、結局、機械工業系の大学に行きました
その大学はやりたいことと違うため、今でも地獄のような大学生活を送っているのですが……、それに関しては別の章にて話すとします
なぜ、僕が芸大に進まなかったのか
もちろん。将来の安定。という、つまらない理由もあるのですが……他にも理由はありました
芸術を学ぶ大学。ということ自体が理解できなかったのです
そもそも、芸術とは、個性の塊のはずです
それを学ぶ。とはいったいどういうことなのか。本当に意味が分かりませんでした
”学ぶ”という言葉は”真似る”という言葉がもとになっているそうです
つまり、学ぶことは真似ること。先生のやっていることをまねて、自分のものにするのです
たしかに、数学や物理ならそれでいいかもしれません
個性という要素がないからです
テストで、式の書き方が個性的だから加点。なんてことはありえません
答えは1つ、決まっています。1+1=2しかありえません
そして、そう言う物を”学ぶ”のです
ただ、何度も言う通り、芸術は個性です
1+1=2。のような単純な物ではありません
それを学ぶということは、芸術に対する侮辱にも感じられるわけです
芸大の存在意義はわかります
先述したように、芸術としての絵ではなく、プロダクトとしての絵を習得したい人は行くべきでしょう
ただ、それは純粋な芸術ではありません
芸術がわからない人向けの子供だまし、
もしくは、装飾としてのイラスト、素材を創って生きたい人
そんな人たちのための場所です
つまり、芸大とはもはや、産業の一部でとなっていて、そこに芸術要素は希薄です
そんな大学が、”芸術”という言葉を冠するのことを疑問に思います
芸術と美術は違うのです
これが、僕が芸大にはいかなかった理由です
個性を守り、画力を上達させる
世に本物の芸術家がいることも確かです
その人たちはおそらく、意識的にも無意識的にも、個性を守り続けているのだと思います
そして、もちろん。僕も本物の芸術家になるために、練習方法には気を配っています
模写もしません
トレースは論外です
2次創作も、ほぼやってません
絵を描くときは資料を見ないで描きます
流行に逆らう作品になるように心がけています
徹底的に、自分以外の個性を排除した状態で描き、自分の個性だけでできた絵を描き上げます
それの繰り返しによって上達した技術は紛れもなく、僕が0から積み上げたものです
将来、イラストレーターになった時に、自分のイラストだと胸を張って言えなくなるのが嫌だから、
今のうちから個性を失わずに、量産絵師という感覚ゾンビに成り下がらないために、
個性を大切に創作しています
ただ……、
個性は全て守る。というのも考えようなのかもしれません
例えば、ある人間の"すぐに嘘をつく癖"は個性と言ってしまえば個性かもしれません
ただ、そこには、人間としてダメなのでは? という疑問が残ります
つまり、生かすべき個性と殺すべき個性。2種類ある。ということです
そしてそれは、絵においても同じことが言えます
その2つを区別し、守るべき個性のみを守るという方がいいのかもしれません
P.S.
最近気が付いたのですが、「萌え」「個性」「リアリティ」にはそれぞれ、元となっている構成要素があります
例えば、「リアリティ」をつかさどるのは、”塗り”です
アニメ塗りイラストをリアル寄りにしたい。となった時に、線画でリアリティを表現する人は少ないと思います
おそらく、塗り方を改め、厚塗り風にしてみたり、グリザイユ画法を使ったり、
塗りによってリアルを表現するかと思います
そしてそれは他の要素も同じです
「萌え」をつかさどるのは線画、顔のパーツの位置。形など、
「個性」をつかさどるのは線画や塗り、パーツの形や位置。全ての要素です
……つまり、何が言いたいかというと、
「萌え」「個性」「リアリティ」。全てを追求したいのなら、萌えは形で、個性は塗りと雰囲気で、リアリティは塗りでなど……、
パートを分けて追及しないといけない。ということです
そうすることで、多くの要素が共存し合う、素晴らしいイラストができる。気がします
ラノベで言うと、”涼宮ハルヒの憂鬱”や、”さくら荘のペットな彼女”
みたいな感じです
……執筆活動にも生かそうかと思います
最後に
僕は、本気で創作をしています
大学を留年してしまうほどに、です
120人くらいいる学科で、下から5番目くらいです
おそらく、下から3人くらいは大学に来ていないでしょう
つまり……、ほぼビリです
※ちなみに、いつもつるんでいる友達は僕よりも成績が悪かったのですが、彼は大学を辞めることになったので、僕がビリです
また、物理的に大学に行っていた頃には、夜。過労で金縛りにあい、呼吸困難になっていました。
夜遅くまで絵を描き、翌朝。大学に行く
その生活で疲労がたまっていたのです
最近は自宅謹慎で家にいながら大学の講義を受けられるため、生命に危機に瀕してはいませんが、
脚力の衰え、不思議のアリス症候群、
最近でも体の不調は絶えません
なぜ、僕がそんなに死に物狂いで創作を続けるか
その訳はいくつかあるのですが……
一番大きな理由が、このページに書いたメッセージを発信したいからです
例えば、不細工な男が「イケメンは心が不細工」と言っていると、単なる妬みに聞こえます
が、
それを言うのが不細工な人間ではなく、イケメンな男だったらどうでしょうか
おそらく、多くの人は、言葉の印象が変わって聞こえるはずです
少なくとも。妬みには聞こえないでしょう
それと同じです
絵に関してあれこれ言う人間の描く絵が下手だったら。言葉に説得力がありません
これが、僕が芸術に没頭する理由です
説得力を持ち、言葉に重みを創れるような
存在自体が社会風刺
歩く社会風刺
そんな人間になりたいのです
武勇伝
ここで、武勇伝を語ってみようかと思います
闇深エピソードもあるので、表のページでは書くことが出来ません
故に、このページでひっそりと語ってみようかと思います
某マルチ商法の勧誘に潜入
これに関してはマジな闇を感じたので詳しくは話しませんが、
某JR線沿いの、某レストランチェーンの、某地下室で、マルチ商法の勧誘がありました
昔の友達が洗脳されていて、その人に誘われました、
なので、マルチ商法に詳しい友達を連れて潜入したのですが……、
ヤバかったです
普通のレストランのはずなのにその地下は占領されていて、仲間(?)的な人がいっぱいいました
何かヤバそうなので、僕も変人のふりをして何とか誤魔化して逃げてきましたが、
マジでヤバかったです
某国立大に絵と工作で合格
こんな書き方をすると凄そうに見えますが、実際はそうもありません
某国立大とは……、関東地方にある有名国立大学です
そこの工学系の学部学科の試験がありました
恐らく、80人くらい受験した試験でしたが、合格者は20人でした
そんな試験に、ノー勉で、塾にも通わずに、一発で臨み、合格しました
ただ……
面白い入試をやってくれたとはいえ、国立は国立です
センターの点数が悪かった僕は入学を許可されず、今の工業系大学に送り込まれました
学祭で野外ライブ
大学1年のとき、野外のステージでドラムを叩きました
曲は「GO!!!」と「ハム太郎とっとこうた」です
500人ほどいる前で、ハム太郎を叩きました
留年してしまう
創作活動に打ち込み過ぎて、留年してしましました
留年前は学科でほぼビリでしたが……
ただ、留年が決定した後、本気を出したら成績が良くなりました
3年間で1個も取ったことなかったS評価を、半期で4つも取りましたw
ちなみに、そのうちの2つはプロダクトデザイン系の授業です
山手線沿いの某駅前で、宗教勧誘者とバトル
ある日、僕は、山手線の某駅前で、靴をドラムスティックで叩いて遊んでました
ギターを持った友達と一緒です
そしたらそばにいた宗教勧誘者が話しかけてきたので、いろいろと話しました
1時間くらい自分たちの夢を語っていたら、パンフレットみたいなものを渡してどっかに行ってしまいました
そしたら、そばにいたおじいさんに「感動した!」と言われました
……いい思い出です
高校で追試を受けてしまう
昔から、意味のないことは意地でもやらない人間でした
なので、高校では受験で使わない化学は一切やりませんでした
そしたら案の定。赤点を取りまくって追試となったのです
定期テストでは、2回連続で9点を取ったこともあります
100点満点です。ひどいですね
しかも、その追試というのがセンター試験の直前で……、
つまり、センター直前に、受験と関係ない強化をやらされたわけです
そうして国立に落ちた。のかもしれませんね
ちなみに、今は化学が大嫌いです
中学は部活で科学部に入るくらい、好きでしたが、
今は大嫌いです
追試での嫌な思い出と、大学1年での実験とのダブルパンチで、大嫌いになりました
ついでに、大学も大嫌いになりました
相対性理論を編み出す
相対性理論を知らない状態で、相対性理論の考えを導き出しました
「世界点」など、自分の理論と同じ単語が相対性理論でも使われていました
エーテルを編み出す
過去の理論ではありますが……、
エーテルを知らない状態で、エーテルの存在を予想してました
他にも……
加藤清正の弟の子孫
生活に不便なほどに味に敏感
家系図がいろいろおかしい
おばあちゃんが占い師
企業からスカウトを受ける
身長170cm、体重43kg
ヒョロガリなのに、ドラムが趣味、自転車もやってた
異世界転生した時のために童貞を守ってる
教授と喧嘩して単位を落とされる
大学の入学式に、100年前のスーツを着ていく
世界の形を悟る
普通じゃないっすねw
教育の闇と病み社会
次の話題は社会についてです。
あらかじめ言っておきますが、絵とは全く関係ありません
後世まで遺るよう、ネットの海に放流しておきます
義務教育
そもそも、教育という言葉に”義務”という冠が付いている時点でおかしいはずです
教育とは本来、楽しいもののはずでした
江戸時代には寺子屋に任意で行き、庶民の楽しみに数学もありました
今でも、貧しい国々には教育を望む子供たちがあふれています
教育とは、将来の自分の道を創るための前準備のはずです
夢の塊です
つまらないわけがない。はずなのですが……、
いつもまにか、変わってしまいました
教育を効率的に進めるために”成績”という概念を取り入れたのですが、
いつもまにか、”教育をするための成績”ではなく、”成績を取るための教育”になり果ててしまいました
教育のための授業ではありません。授業のための教育です
教育のための大学ではありません。大学のための教育です
目的と手段が逆転してしまっているのです
いつのまにか、教育者の目的も変わってしまいました
特に、日本の大学の教授に見られる傾向です
教育することが目的なのではなく、講義に出席させることが目的になってしまいました
講義は教育の場ではなく、教授の自慢大会です
好きな研究分野を、使えもしない知識と共に押し付けます
単位というアメを使って学生に勉強させます
大学では、単位が通貨のように扱われています
卒業に必要な通貨です
教授のみが発行できます
インフレをさせないために、必要最低限、発行しています
学生は皆。プライドと時間を捨て、その通貨を狂ったように求めます
授業中に手を上げればもらえたりします
講義のための単位が、単位のための講義になっているのです
これのどこに教育があるのか、
疑問です
そうして、教育は”義務”の一種になり果ててしまいました
納税の義務と同じです。徴兵の義務と同じです
なぜだか、大人たちが強制するものになってしまいました
しかも、そんな悲惨な状況に疑問を持つ人はいません
物心ついてすぐに小学校に入れられ、自我が芽生え始めたころには既に、教育という箱に入れられて育てられているからです
僕のように社会から外れ、箱を壊して出てきた人にしか、そのおかしさに気づけないのです
そして、そのおかしさに気づかないまま。箱の中の人は箱の中で生涯を終えるのです
同じリクルートスーツを着て就職し、奴隷船のような満員電車に揺られて出社する
そのおかしさに気づいている人はたまにいるのですが……、
駅のホームで並んで電車を待つ。計画的に作られた住宅街に住む
こういった、根本的な違和感に気づける人はほとんどいません
人は生まれながらにして色を持っています
十人十色というやつです
同じ色は絶対にありません
それが皆、物心ついた時には同じ色に塗りつぶされています
死ぬときは皆、同じ色で死ぬのです
箱は神が作ったのでしょうか?
出てはいけないものなのでしょうか?
もう少し、親からもらった色を大切にした方がいいと思います
スペシャルサンクス
お気づきの方もいるかもしれませんが、このページのサイドバーには頭のおかしなイラストが使われています
ある友達が相当頭のおかしいイラストを描くので、使わせてもらいました
この通り、彼はヤバい絵を描きます
この絵は、彼にipadを与えたところ、何の前触れもなく描き始め、その後に出来上がった作品です
こういう絵こそ、個性の塊だと僕は思います
量産型絵師の描いた絵よりも、芸術的価値は高いです
以上です