いま、ちはやふるを見ていて気づいた
物語には事実ベースでの展開と心情ベースの展開がある
そういう分類は特筆すべきことでもないが、ただ、僕の場合、事実ベースの展開は得意で、心情ベースの展開は苦手、というような姿が漠然と見えてくる気がする
blenderのノードだったり、思考実験だったり、そういう、順序だてて事実が連なっていくような構造のものは得意だ
ただ、それが人の心という媒体になると苦手になる
いや、苦手ではないのかもしれない。やったことないだけかもしれない、
ちなみに、なぜこういうことをちはやふるを見ていて思いついたかというと、
ちはやふるは、かるたの物語だが、それだけではない。
かるたをする高校生たちの青春物語でもあるわけだ
つまり、かるた競技に関する展開。勝ち進む、そうではない。などの事実ベースの展開を軸に、それを行う人たちの心情による展開が繰り広げられている
これは、事実ベースの展開と心情ベースの展開だ
僕が今やっているのは、勝ち進むか否か、というような、事実ベースの物語だ
だから、感情があまりないロボットを主人公にした自主制作を作っている
ただ、今後は、心情ベースの物語も作る必要があるだろう
個人的に好きな花田十輝さんも、心情ベースの展開が色濃い気がする
そういう物語を作りたいので、今後は心情ベースの展開というのをキーワードに、いろいろ研究してみようかと思う
P,S,
今、20世紀少年を見ている
心情ベースの展開はあまりなく、どちらかというと事実ベースの展開がメインだが、面白い
思い返せば、そういう物語も世の中にはたくさんある
必ずしも心情ベースの展開が必要というわけでもないのかもしれない
P,S,
心情ベースの展開がないのは、主人公に心情ベースの初期設定がないからだ
今自問自答していて気づいたのは、自分が作る主人公には事実ベースの特徴しかなく、心情ベースの特徴が無いということだ
それに関しては、事実ベースの特徴によって心情ベースの特徴が生まれるものなのでは、という気もする
事実ベースの展開をこねくり回して主人公の心情を考えてみよう
P,S,
脚本のことをいろいろ調べていくうちに、ここで考えたような事実ベースの展開、心情ベースの展開がやはりあることを確信した
内面的、外面的、というような扱いをされていたが、僕が考えていたことと同じだ
そして、それらはクライマックスに必要で、特に外面的な展開(事実ベースの展開)が失敗していると悲劇と呼ばれるようになるようだ
そしてここで重要なのが、事実ベースでは失敗して悲劇になっていても、心情ベースでは成功しているということになる
事実ベースでも心情ベースでも失敗している物語は本当の悲劇で目も当てられないようなものなので、あまり評判が良いものにはならないようだ
それが芸術の形として悪いとは思わないが、人間、事実ベースか心情ベースで報われる物語でないと感動できない
主人公が本当に成し遂げたいことは何か、その動機となる気持ちは何か。
その二つが事実ベースか心情ベースかの違いだ
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