王立宇宙軍 オネアミスの翼

王立宇宙軍 オネアミスの翼_1
©BANDAI VISUAL/GAINAX

以前見たことある映画だが、Dアニメに復活していたので見てみた。

世界観について

世界観はとにかくすごかった

凄すぎて逆に集中できなかったくらいだ

葬式の様子や、街のデザイン、プロダクトのデザイン、文化など、

隅々までデザインされている

途方もない作業量が必要になるな、と思った

それでいて、ちゃんと現実感のある画面になっているのが凄い

今、地球上にある文化や意匠をしっかりと観察し、解釈した人でないとできないデザインだ

この作品のデザインは一人でやっているものではないらしい

異世界をちゃんと描くために、デザインも複数人で行い、宮崎駿のような、一人ですべてをデザインする。という結果になることを避けているようだ

個人的にはその手法については、理にかなっているとは思いつつも、それに関して統一をする専用の監督を立てるくらいのことをしないと、本物の異世界というものはできないと思っている

世界にあるデザインというのは完全に独立して存在しているのではなく、ある程度の系譜を踏んで発展しているものだ

それを完全に再現するには、その系譜を定義する世界観のデザイナーが必要だと思う

僕がこの映画の世界観デザインを見ていて思ったのが、その系譜にあたる気配が無かったことだ

いや、それを察知したというよりかは、本物のファンタジーというのは世界の系譜が必要になるので、果たしてそれを制御する人間をスタッフに立ててこの映画の文化は作られているのかな、という点が気になった

実際、各々のプロダクトデザインは素晴らしいもので、飛行機やロケットのデザインなどはある種のスチームパンクっぽさも含んだ、唯一無二のデザインになっていたと思う

ただ、細かいところを見ると、やはり、デザイナーの個性というか、そういう人の気配がしてしまう気がした

例えば、船が出航するとき、板を叩く風趣があったが、その板が角ばった質素なものだったのは気になった

切符や、テーブルゲームのカードが装飾されているような文化なのに、あんな無機質な板をあそこにぶら下げるものなのかな、と感じた

なんとなく、あの世界の人間の感性だったら、あの板も角を取ったり模様を描いたりする気がした

そしてその模様が剥げていたり。そういうディテールがあったらほかの文化にも違和感なく溶け込んでいた気がする

個人的には、やはり、異世界を描くなら複数のデザイナーが集まって作るのではなく、宮崎駿のような中心人物を据えて、世界観監督のような形で制御して作ったほうが良い気がした

ロケットというモチーフ

ロケットというモチーフは当時20代前半だったスタッフたちの若さの象徴な気がした

自分たちの境遇を作品の一本の柱としてとらえて、そこにキャラクターをつける作り方だ

あとは、ロケットや飛行機など、当時の制作スタッフたちの好きそうなものが目白押しだった

爆発のシーンや、ドッグファイトのシーンも、明らかに飛行機や爆発が好きな人が書いているんだろうなという感じだ

爆発のシーンや氷のシーンは庵野秀明が作画している

ロケット打ち上げ時の氷のシーンは伝説的で、今でも話題が絶えないものだが、

ああいった細かな仕事ができるのも庵野秀明の凄いところだし、そういうのが好きじゃないとできないんだなとも思った

氷が等速で落ちているのが良い

それも、氷をたくさん描いたセルを何枚か重ねて違う速さで引くという、ありがちな方法ではなく、一枚一枚手描きで描いている

あれによってあの場面がしっかり見せ場になっている

氷が回転し、等速でゆっくり落ちていく様子と、勢いよく噴き出す炎のスピード感のコントラストが美しい

印象的で、物語の見せ場にも慣れるような、かっこいいシーンだった

キャラクターの顔

キャラクターの顔が日本人っぽいのも個人的には好きだ

あとは、AKIRAのような写実的な顔立ちも良い

ただ、だからこそ大衆受けしなかったというのもあるのだろう

そもそも物語の構造的にも、感情曲線の上下がわかりにくいという点で、エンタメ映画にはなっていない

キャラの顔も、萌えを狙うのではなく、どちらかというとドキュメンタリーに近いような、

違う世界の出来事を見るという体験自体に価値を置いているようなそんな感じがした

ストーリーについて

ストーリーについては、先ほども少し触れたように、エンタメ感は無かった

そういうところが個人的には好きだ

何でもエンタメにしようとする風潮もどうかと思っている

主人公のわかりやすい感情は無かったし、ヒロインも報われるわけではないし、

特に幸せになった人もいない

ロケットを打ち上げるというクライマックス自体も、それが好きな人にしか刺さらなそうな展開だ

ロケットが好きではない大多数の人に、ロケット打ち上げをクライマックスとして認識させるには、また別の何か、感情曲線の高ぶりがロケット打ち上げとリンクできるような前準備が必要だ

ただ、この作品ではそういうことをしていない

だから、多くの人にとって、クライマックスがクライマックスになり切れていないので、エンタメ映画っぽくはないのだろう

この映画を見た後、いろいろ調べて、どこかで見た話だが、

山賀監督はこの作品をドラマにしていないし、しようともしていなかったらしい

個人的にはドラマ成分も含んでいる気がしていたが、それもそこまで強くなく、まだやはり、クライマックスとは結び付いていないなという感じだった

それよりも、この作品はどちらかというと、世界観の設定、メカ、衣装デザインなど、そういうところに価値がある作品な気がする

なので、どちらかというとこの映画は自主制作映画だ

自主制作映画のノリで作られた商業映画だ

そして、それに携わった人がどんどん有名になるにつれて買われていった、回収に長い時間がかかった映画だ

自主制作映画でもこれだけ成功したのは、庵野秀明や岡田斗司夫という、今となっては有名になった方々が若かりし日に作ったものだからだ

個人的にはそういうのはすごくうらやましい

今僕が作っている自主制作が、公開したくはないけど公開したいというのはまさに同じ理由だ

どうせ今公開しても評価はされない、けど、僕が有名になった後に見てもらえれば、僕のやりたいことが詰まっていたので面白く見てくれるだろう

だから最近、どう公開しようか悩んでいる