先日、セーラームーンを見たので、それ繋がりでエヴァを見ている
テレビ版の方だ
だいぶ前に一回見たきりだったが、先日、ようやくネットフリックスを契約したので、見ている
印象的な画面
印象的な画面は個人的な好みだ
例えば、序盤にケンスケがキャンプしているすすきの草原
すすきの茎の部分は黒ベタで、穂の部分は白塗りだった
2色で強烈なインパクトのある画面に仕上げている
何かを真っ黒にしてシルエットっぽく見せるというのは割とある表現だが、それを上回る、大胆にデフォルメされた画面だ
全体的に、雰囲気を上手く伝える背景が多い
病院の重苦しい感じもとてもよく伝わってくるし、
それが現実的なだけでなく、第三新東京市という、独特な世界観を見る人に伝えてくる
環境音について
例えば、病院にいるときにわずかに聞こえてくるニュース(ラジオ体操?)の音など、
日本人なら誰もが体験したことのある、懐かしい雰囲気を引用し、あたかもその場にいるような感覚を引き起こす
良い背景とはその場の匂いまで感じるものだと僕は考えているが、エヴァの場合は環境音でアプローチしてきている
京アニなども環境音や撮影処理などで臨場感のある風景を作り出しているが、
エヴァの場合。この世にないものまで表現しているという点で、やはりすごいと思った。
肉が嫌い。などの細かい設定について
綾波レイが肉が嫌いというのは、なんとなく頷ける設定だと思った
全体的に、そういう設定が多い。
エントリープラグの中は血の匂いがするだとか、
具体的に説明しなくても何となく伝わるキャラ設定というのはそういう設定がしっかりしている証拠な気がした
お父さんのために自分は頑張っているんだと、ラーメン屋の屋台の中で言葉にしたシンジだが、
そういうシンジはミサトから進路相談のことを仕事だと言われたときに、しょんぼりしていた
そういう細かい演技は、碇シンジが親の愛に憧れているというキャラ設定から自然に出てくるものだろう
設定さえしっかりしていれば方向性も、ディテールも出てくる
それを面白くするためにハプニングを起こすのが脚本家のすべきことだ
17話まで見た。他人の中にいる自分が怖い碇シンジ
他人の中にはいくつも自分がいる
そして、自分の中にも、それを見ている自分がいる
碇シンジは他人の中にいる自分が怖い
自分がどうみられているのか、わからないから怖い
自分に自信を持てない
だから人のことをうかがうようにして生きている
そして、自分の中にもそれを見ている自分がいる
これは、他人の中にいる自分と、他人の中にいる他人。という関係を自分に置き換えて考えた結果。自分の中にももう一人の自分がいるということなのだろうか、
だとしたら、一人目の自分が主観的で、もう一人の自分が客観的だ
主観的な自分はわかる。多くの人が想像する自分だろう
では、客観的な自分とは何だろうか
それは、本音と建て前の関係とも似ているのではないか、
自分の理想、やりたことを正直に考えているのが客観的な自分だ
それに対し、周囲との関係を踏まえたうえでブレーキをかけた後の、実際の自分は主観的な自分だ
それを、客観的な自分はいつも、文句を言いながら見ている
その文句が伝わらないと悟るのが諦めで、大人になるということなのか
この作品は随所で、わりと、心の中の実況中継みたいなことを挟む
後半に連れてそれが増えてくる気がする
抽象的な世界観に磨きがかかっている感じがして個人的には好きだが、
実際のところは、単にスケジュールが消えていった結果の不可避な演出なのかもしれない
25話26話を見た
スケジュールの破綻で他に類を見ないほど抽象的な構成だが、エヴァという世界観もあり、個人的にはこの雰囲気も悪くないと思う。
ちなみに、まだ「まごころを君に」を見ていないので、まだ僕の中で抽象的な感じだ
この抽象的な感じは、庵野監督が碇シンジと対話しているときの会話そのままな気がする
僕がやっている、ブログでの自問自答みたいな感じだ
碇シンジもそうだが、この作品の登場人物は庵野自身だ
エヴァに乗るということを要求されるシンジは、アニメを作ることを要求されている庵野自身だ
プロフェッショナルの最後のインタビューで、庵野は、自分にできるのはこれくらいしかない。みたいなことを言っていたが、
その心をそのままあの世界観に投影したのが碇シンジだと思った
エヴァを制作していた当時はなおさら、その気持ちだったのだろう
真相は定かではないが、当時のアニメキャラに一方的な萌え感情を抱くオタクに対して、庵野監督が嫌悪感を抱いていたという情報もある
実際、このアニメを作った後、庵野監督は病み、自殺も考えていたようだ
その原因になったのが、2ちゃんの書き込み。庵野監督からみたオタクたちの誹謗中傷だというのもプロフェッショナルでやっていた
そんなオタクに仕返しするために、アスカをひどい目に合わせたり、主人公であるシンジをレイともアスカともくっつけなかったり、
そういう気持ちでアニメを作っていたようだ
もはや庵野監督は25話、26話で、エヴァンゲリオンという世界観に自分の意見を成形することを放棄している
時間的にも精神的にも、成形する力が残されていなかったのではないだろうか
だから、自問自答みたいな感じの最終話になった
監督が自分の言いたいことに世界観を与えて物語にして映像化にするものだとしたら、碇シンジは庵野自身だ
そして最終話付近で、事情もあり、映像化することができなくなった
アニメ監督としてのプライド、視聴者からの期待。それに応えることのできなかったが故のオタクからの誹謗中傷。
それが理由で庵野監督は病んだ
そして、肝心の内容についてだが、
個人的な解釈になってしまうが、あの最終話は共感できる部分が多かった
勝手ながら、SNSや家族から期待され、狂ったように作品を作る僕に似ている部分があったからだ
今も指が痛いが、こうして文章を打ち込むことをやめられない僕は、自分という存在意義を他人に求めているため、その存在意義を強固にできる作品作りをできるという満足感のために仕事をし、文章を書いている
僕の場合は親だ
だから親離れできていない
親が自分を求めてくれる状況が心地よくて、今もこうして実家に籠っている
自分の生きる意味を自分以外の誰かに求める。それは間違っていない
ただ、その求める先が不安定ならば、自分も不安定になる
なんとなく、エヴァや碇ゲンドウは安定してはいないと思う
物語のストーリー上、その2つは破綻するので、シンジ自体も破綻に進んだのだろう
ただ、それを言語化し、自分の価値を決めるのはエヴァでもゲンドウでも他人でもないことに気づいた
それがクライマックスになったのかもしれない
こういう、自問自答的な最終話になっているのは、実際のところ、人類補完計画が遂行されたためだ
人類補完計画が行われると、ATフィールドが消え、自分と他人との境界がなくなる
その状態を、抽象的な世界ととらえ、碇シンジの本音が自問自答するような最終話になったのではないだろうか
抽象的ならば描く量も少なくて済むだろうし
「まごころを、君に」まで見た。ATフィールドと人類補完計画。
旧テレビ版系列の最後、まごころを君にまで見た
人類補完計画が遂行されるが、その後、シンジによってまたATフィールドのある世界が選択された
それは、主人公シンジの成長物語ということで、ハッピーエンドと呼べるかもしれないが、ビジュアルはハッピーエンドからは程遠い
なんとなく、庵野監督はカウンターカルチャー的なものが好きなタイプな気がしてならない
自分の欲望を抑圧され続けた結果、碇シンジのようなキャラが登場する物語ができた
それと同時に、碇シンジのような、おかしくなった自分を見てほしいというような世界観もできた
ラストのシーンは、半分に割れたレイの顔と、真っ赤な海。十字架にはりつけにされて硬直したエヴァシリーズが2体。それを望む砂浜に寝ているシンジとアスカ。
あの場面で画面内に収めるモチーフとしてそれをチョイスしてくる間隔が碇シンジっぽくて面白かった
というのは良いとして、
碇シンジはあのクライマックスで成長したと思う
ATフィールドというのは、自と他の境界だ
これに関しては、僕も自と他の概念が人間の構成として重要だと思っていて、
それにのっとって自主制作アニメーションを作ってしまうくらいの考え様だ
なので、僕が勝手に自分と他人の境界と言っているだけかもしれないが、
とにかく。ATフィールドは自分と他人の境界だと思った
他人がいるから自分は傷つく
比較したときのみ傷つくので、比較対象がいなければ傷つかない
自分と他人というのがエヴァンゲリオンのテーマだと思う
その2つが溶けあい、ただ生きているという事実だけが情報として存在するだけの世界に行くのが人類補完計画だ
ただ、碇シンジはそれを選択せず、自分と他人とが存在する世界を選んだ
そこがシンジの成長だ
正直、ここでなぜシンジが成長したのかはよくわからなかったし、少なくともわかりづらいという点で、この映画は大衆向けではない
エヴァのテレビ版序盤のように、何かが起きて何か結果が生まれる。というような因果関係があればエンタメ作品として一般受けするものになったのだろうが、
もはや庵野秀明とエヴァンゲリオンというネームバリューがあるので、好き勝手出来たのだろう
まるで、劇場版でヒロインが車に変身する革命少女ウテナのように
セーラームーンとのつながりについて
革命少女ウテナといえば、セーラームーンだ
僕は最近、セーラームーンを見ていて、結構楽しく見ている
そんなセーラームーンはエヴァとつながりがあるようで、
ミサトの声優はうさぎと同じだし、
そもそも、ミサトの前髪のデザインはうさぎをモチーフにしたようだ
綾波レイや、白き月、黒き月など、月モチーフがエヴァにも出てくる
カヲルのモデルは幾原監督だ
そういう繋がりで、エヴァを今回。見てみたという次第だ、
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