原発問題に対する無関心の訳

僕は昔から、テクノロジーや文明の発達についてはあまりよく思っていない

というと、いかにも原発反対派みたいな印象になるかもしれないが、実際のところはそうでもない

原発に関しては良い面もあれば悪い面もあって、両方知っているので、決めることができないでいた

ただ、世の中には原発反対派と推進派が確かにいる

なぜこういうことになっているのか謎だったが、チャットGPTと話し合って、なんとなく理由が分かってきた気がした

原発反対か推進かについて、文章化してみる

まず、原発の生むメリットデメリットは確かにあって、それを僕は知っている。が、そのメリットデメリットの尺度が違うので、比べることはできない

メリットデメリットそもそも比べること自体が間違っていると思っている

原発推進派のメインな意見としては、CO2が少ないクリーンなエネルギーという点を挙げるだろうし、

反対派のメインな意見としては、災害時や放射性廃棄物のリスクがあげられるだろう

どちらもメリットデメリットだと理解しているが、それらを比べることはできなくないか? と思う

クリーンなエネルギーというパラメーターと、放射性廃棄物のリスクというパラメーター。

この2つは尺度のベクトルとして全く違うものなので、それを比べること自体になんの意味も無いと思っている

それでも比べようとするならば、その2つの尺度に個人的な価値を見出して比べているということなのだろうが、

それは結局のところ、原発というテーマをまとったエゴでしかない

僕はそういう気がするので、なんとなく、エゴが主力にある議論に参加する気にならない

となると、僕は原発に対してそういうエゴすらない無関心な人間になってしまうのだが、そういうわけでもない

ただ、多分、僕は原発という小さなテーマではなく、もっと大きなテーマ。そもそも原発を生み出すような中途半端なテクノロジー自体に罪があると思っている

だから、原発は正直どうでも良い。それは世の中に無限にある問題のうち、原子力が絡んだ問題の1つでしかない

その根本にあるのはテクノロジーの進化で、地球温暖化、少子化、差別、自殺、

全ての問題はテクノロジーが中途半端に進化しているからだという結論が僕の中にある

だから、僕が熱くなるのは、原発でも差別でもなく、テクノロジーの中途半端な進化だ

それに色を付けたような各種問題は実際のところ、そこまで重要ではないと思っている

この、重要ではないと思っているというのが、原発問題に対する無関心さに繋がっている気がした

原発に関しては、

・原発だけに反対するのは広い視野で問題を見れていない気がするので、あまり賢明な意見だとは思っていない。そこにはエゴが含まれているだろうから単なるヤジの飛ばしあいが続くだけ

・反文明という広い視野を持って原発に反対するのは、理にかなっている気がするので信ぴょう性がある意見だと思う。反文明の一つの形として反原発があるという、一貫性がある。

・原発賛成意見については、実際問題。原発を使わないと環境も破壊するし、文明も発展しない。中途半端な文明が一番よくないと思っているので、原発に賛成してすべての問題を解決できるくらいの文明レベルを目指すというのも良いと思っている。

つまり、これから先。すべての問題を解決できるくらい高度なレベルのテクノロジーを人間が得ることができるのであれば、結果的に原発賛成

ただ、そうでないのであれば、原発含めすべてのテクノロジーを捨てた方が人間幸せに生きれるので、結果的に原発反対

どちらも今後どうなるかという、ギャンブル的な要素を含んでいて、自分にはどちらが正しいかわからない。神のみぞ知ると思っているので、そもそもそれに対して熱くなるのは無意味

と感じているので、あまり強い意見を現時点では持っていないのだろう。

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