人間ドラマを抜いたゴジラだ。

今回の自主制作アニメーションは、人間ドラマを抜いたゴジラだ

ゴジラはアメリカ軍だとか、原子力だとか、いろいろなものをテーマにした作品だ

それらに対する強烈なアンチテーゼでもあるはずだが、ゴジラの映画を見ても、説教されている感じはない

それは、世界観で説教をしているからだ

ゴジラが急にしゃべりだし、お前らが俺を生んだんだ! だとか、アメリカの野郎! だとか言い出すと、特定のグループを敵に回す

説教になってしまうわけだ

ただ、ゴジラの場合は、それらのテーマの結果生まれた設定の下、人間ドラマを展開するという構図なので、説教するのと同じメッセージを、人を不愉快にせずに盛り込むことができている

設定として組み込んでしまえば、結果として生まれた因果応報に立ち向かうキャラクター達という構図になるので、説教臭くならない

そして、それを利用したのが今回の自主制作アニメーションだ

というと、なんだか僕がとても思慮深く模索して自主制作アニメーションを作ったみたいな感じになってしまうが、決してそういうわけでもなく、

正確に言うならば、キャラクターができないからもうそれは割り切って、世界観で伝えるアニメーションにしよう

という感じだ

僕は人が苦手だし、そもそも興味が無い。

リスペクトもない。名前も覚えられないし、会話も苦手だし、一人旅が好きな人間だ

深層意識レベルで、人を人と見ていない気がする

人の体も、コロナ流行中に結局2年くらい描こうと努力はしたが、上手くは描けなかった

最近、脚本の修行中ということもあり、人の心についてはいろいろ考えてはいるが、

当時、この自主制作アニメーションを作り始めたころは今よりもキャラクターというものを避けて生きていた

多くのアニメーションには魅力的なキャラクターが登場する

商業アニメーションにおいてはもはや前提条件みたいなものだ

ただ、インディーアニメでは必ずしもそうではないのでは?

やはり、自主制作アニメーションを作っている人間なので、ようつべに上がっている他者様の自主制作アニメーションを拝見したりもする

そうすると、その作者の好きなものがなんとなく見えてくる

明らかにロボットが好きな人が作った自主制作アニメーションは、ロボをアニメーションというフォーマットに落とし込むためだけに展開を考えたような作品だし、

作画するのが好きな人が作ったアニメーションは、何かと見せ場が多い。もしくは展開すら無いアニメーションもある

何か伝えたいメッセージがある人の作るアニメーションは、絵に凝っているわけでもなく、見た目の良いキャラクターが登場するわけでもない。余韻を残すような終わり方で終わるアニメーションが多い

要するに、自分の好きなものを制約なく表現できる自主制作アニメーション界隈なので、好きなもので他が霞んでいるような構成でも良いということだ

だとしたら、キャラクターというものが存在しなくても良いのでは

だから僕は最初に、キャラクターがいなくても成立する作品にしようと思った

キャラクターがいなくてもお話として成立するというのもそうだし、

作品のコンセプトとしても、キャラクターがいないということ自体をテーマに作品を作ってしまえば、むしろそれは一つのアピールポイントになるということだ

今回の作品の主人公はロボだ

それは、何もないキャラクター。というキャラクターだ

主人公として振る舞う場所にロボットという機械を配置することによって、主人公不在ということ自体が作品のテーマになっている

テーマはずばり、魂の発生過程だ

サブテーマとしてはゴジラと同じように、反文明がある

キャラクターがいない。空っぽの状態というのは、魂が無いロボットと同じだ

そこに魂が宿るその原始過程を僕の解釈で考えて、操り人形のように動かしたのがこの作品の大枠だ

そんなロボットが動く世界というのが、反文明を反映した世界観だ

地球が住めなくなり、人類は次なる星に移住する必要が出てきた

その道中で、人類は、自然淘汰を疎かにしてきたことに対する罰を受ける。パンデミックにより宇宙船は次々に閉鎖。残りの一隻に残った最後の一人も息絶えた

そんな船で動き続けるロボットたち。人間が身勝手に作り出した分身だ

ただ、主である人間はとうの昔に絶滅している

それでも、そのおきてに縛られ続け、働き続ける

それはロボットの不幸だと思わせといて、実は人間の不幸でもある

別に生まれたくて生まれたわけでもないのにな、

という立場をロボットにも背負わせてみた

というのはサブテーマのサブテーマみたいな感じだ

とにかく、主人公をロボットにしてしまえばキャラクターは作らなくて済むし、セリフもなしで良くなる

それを力技で解決してしまった矢先には、作品が安っぽくなってしまう

その点、先日見たピンポンというアニメは見事に安っぽくなるのを回避している

卓球という動きの激しい題材を表現するのに、あの抽象的な線は良く働いている

どこにもそんな情報は無いので、僕の勝手な思い込みかもしれないが、卓球の動きを真正面から作画しようとしたら破綻してしまうのは目に見えていたので、あの絵柄にしたのではないだろうか

作画枚数でごり押しするか、世界観で割り切って美しく見せるか

その2択だ

エヴァのテレビ版最終2話がああいった抽象的な映像になったのも、世界観で割り切ったからだ

キャラクターができないのなら、キャラクターがいない前提のもと企画を作ればよい

ということで、現在作っている自主制作アニメーションは、今年の夏までには絶対に完成させたいと思っています

本当は、どうせ伝わらないので、大々的には公開したくないです

こういう文章をここまで読んでくれる人くらいにしか、僕の考えていることが伝わらない気がするので、広く一般に公開するということはやりたくないです

が、さんざん制作途中と言い張った末にやっぱり公開しないというのはバッシングを受けてしまいそうなので、

また気持ちがふさぎ込んでしまう恐れがありますが、いつかは公開します

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