さっき、歯磨きをしながら鏡を見ていて思った
僕はおでこが広いことがコンプレックスだ
別に剥げているわけではないのだが、むしろ、その広いおでこを眺めることで起こるストレスによって禿げそうだ
おでこを意識すると頭皮がかゆくなるという、無意識的な反応が僕の中に芽生えてしまっているので、それを紛らわすためにアニメを見たりもする
僕は一度気にするとそれに執着してしまう人間なので、それが何か悪影響のあるものだととても生きづらく感じる
というようなことを考えつつ、天井を見上げてみると、ハエトリグモがくっついていた
その姿を見ていて思った
何も考えないような単純な存在になれば、生きる苦しみもそもそもないのでは?
クモの考える苦痛と人間の考える苦痛。比べることはできないが、不幸の度合いはある気がする
人間はいろいろ物事を考える分、本来享受すべき苦痛以上の苦痛を感知している
だったらもう、何も考えないのが良いのでは
将来の心配だって、将来という概念が人間にあって初めて生まれるものだ
そういった、知識や概念が人間にはたくさんあり、それによって良いか悪いかの評価基準が生まれる
それらすべてに気を配って生きる人間なので、生きるのが辛い
人間は幸せになって当たり前というのがそもそもおかしい
神様は人間に幸せになってほしいから魂を与えたのではない。単なる繁殖の連鎖によって結果的に発生してしまっただけに過ぎない
そこに幸せが当たり前にあると思っている時点でおかしい
物事を考えることによって幸か不幸かの判断が生まれてしまうのであれば、何も考えないほうが幸せでは?
それに近づくという意味で、単純になりたい
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