北野監督作品、菊次郎の夏を見た
ソナチネのような構造をしていた気がする
お笑いが物語の過程として入っている
ソナチネでは日常の東京から沖縄に行って遊んでいたが、
菊次郎の夏では、日常の東京から静岡に行って遊んでいる
もはや、後半のお笑いパートが本番みたいな雰囲気も感じた
途中、モザイクが出てきたが、あの表現は完全に映画として見せようとしているのを放棄している
あんなことができる北野監督のブランドがうらやましい
北野映画にある独特な雰囲気の正体
文字にすると当たり前だとは思うが、
北野監督は芸人としてのキャリアが長く、漫才、落語、演劇など様々なお笑いのスペシャリストだ
テレビで放映されるお笑いでは、カメラの中に登場人物を陳列するようなレイアウトだったり、
そこで、今起こっていることをある種記号的に説明するのが、お笑いというものではないだろうか
だとすれば、北野監督が映画を撮った時、北野映画のような洗練された画面になるのは自然な流れだな、と思った
ただ、菊次郎の夏については、少しだけ、その魅力が損なわれているカットがある気がした
クレーンを使ってゆっくり上昇するカメラワークが何回かあった気がするが、あのアプローチは無かった方が良かった
普通の映画であればああいった撮り方で表現できる心情があるが、菊次郎の夏のような、北野映画でそれをやる必要はない気がした
個人的には、北野監督の映画の良さは状況説明的なレイアウト、動かないカメラ、陳列するようなレイアウト、
そういうところにあると思う
その中で、カメラを動かすというのは、北野監督の映画ではなく、普通の娯楽映画みたいになってしまうのでよくない気がした
音楽について
この作品のメインテーマは超有名なsummerだ
この曲は物心ついた頃から聞いている気がする
確かにこの映画にうってつけの音楽だ
菊次郎という名前について
菊次郎というのは、北野武の父親の名前のようだ
ただ、この作品を見る前は、菊次郎が男の子の名前だと思っていた
そういう先入観から見ていたので、ラストの名前を明かすシーンは少し衝撃だった
菊次郎が父親の名前ということは、この映画の中のおじさんは北野監督の父親のイメージなのか?
素行の悪い登場人物
この作品には見習ってはいけないような大人たちが何人も登場する
いろいろな悪いことをしているが、そんな登場人物を堂々と描ける自信が凄いなと思った
これは僕が今、脚本のことをいろいろ考えていて思うことだが、
悪いことをする登場人物を描くと、どうしても悪者になってしまう
あるいは、悪者にしないようにしようとすると、悪いことができない登場人物になってしまう
この作品の登場人物は自分勝手で、悪いことをしている。素行の悪い人間がたくさん出てくるが、それは不快な印象ではない、
むしろ、夏という季節とsummerという音楽も相まって、小学生の夏休みのような純粋さを感じられた
悪いことをする大人たちをここまで純粋に描けるのはそれだけ、笑いやギャグに対する思い入れが深いからなのか?
現実の人生でも大胆に振る舞ってきた北野監督だからこそ作れる世界観な気がする
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