25歳になってしましました!
24歳は自主制作の1年でした
確か、24歳になったくらいから制作を開始し、現在は映像はほとんど終わり、あとは音、公開。という感じです
丸々1年を自主制作に捧げました
とはいえ、別のところでも成し遂げたことは多かった気がします
ミレパのお仕事をいただいたのも24歳からです
だいぶ前からあこがれの方々の作品に参加できてとてもうれしかったです
あとは、フリーランスになったのも24歳からでした
ただ、とはいえ、精力的に仕事をしていたという感じではありませんでした
というのも、今はお仕事をするよりも、自分を高め、引き出しを増やし、インプットアウトプットをたくさんすることが重要だと考えています
大学時代からそんなことを言っているような気もしますが、今も大して変わらず、モラトリアムのアディショナルタイムみたいな気持ちで生きています
なので、お仕事もそこまで取っていませんでした。
ただ、25歳になってからは違う立ち回り方をしたいです
24歳1年をささげて自主制作を作りましたが、それは、今後。僕が映像制作だけでなく、脚本、企画、世界観の設定、絵コンテ、そして監督。
そういう、自分の夢の方向に進むための一つの通過儀礼として作ったものです。
それがないと僕がやりたいことが求められない気がしました。
自分は映像クリエイターになりたいのではなく、脚本を考えたり、そういう、根本的なところからアニメーションを作りたい人なんだという自己紹介ができる作品が必要でした
そのために18分くらいの自主制作アニメーションを作りました
そして、25歳に入る今、自主制作アニメーションは完成しようとしています。
これが完ぺきではないかもしれませんが、少なくともこれを説明することで、自分にあるポテンシャルを伝えることができる気がしています
そうして、映像業界に3DCGアーティストとしての人間ではなく、脚本、絵コンテなどでも参加していきたいです
それにはまだ経験が足りません。
そういった経験を25歳で貯め、自身がついてきたら商業作品の監督、脚本。そういうポジションで価値を提供できる人間になりたいです。
あと、25歳中に、独り暮らしをしたいです
今は実家暮らしで何不自由なく暮らしています
ただ、今後のアニメーション業界への参加、独り暮らしという経験。そういうのを考えると、さすがにもう実家を出た方が良い気がしています
おそらく、中央線沿線に住むことになるかと思います。あの辺りはアニメ関係のあれこれが集まっているからです
あとは、中央線沿線に友達が何人かいます。その人たちと気軽に会える環境に身を置けたら楽しいだろうな、と思っています
24歳は実家暮らしということもあり、お金が貯まりまくりました
新車を2,3台買えるくらい貯まりました
1年くらい前まではお金がないから一人暮らしできないという言い訳ができたのですが、そろそろそれもできなくなってきたので、25歳中に独り立ちするという目標をここに明記しておきます
ほかに、24歳であったことと言えば、数か月前からの指の故障だと思います
右手人差し指が痛く、今もタイピングをするだけで痛い
3DCGを触る機会は大きく減り、そういう事情もあり、脚本方面に本格的に進もうと思っている次第です
3DCGアーティストが指を悪くして3DCGができないというのは、足の骨が折れた競走馬くらいの絶望だと思いますが、僕は3DCGを生業にしたい人間ではなく、監督、物語を作りたい人間です
指が痛いのは悲しいことで、指が健康的であることに越したことはないのですが、ただ、それを専業としていないだけまだましです
この残酷な運命を、ひねくれた物語にして大勢の人間に訴えたい
というような24歳を過ごしました
今見返したら、23歳から24歳になった時のブログ記事は鬱だった
あの頃は顎関節症という地獄を目の当たりにして間もなかったので、絶望していたのかもしれない
顎関節症は今でも治らないし、一生治らないものだが、もはやそれにも慣れた
今はその苦しみを、運命への嘆きとして、世界そのものを批判するような物語にする原動力になっている
巨大な苦しみを注ぎ込む巨大なはけ口が僕にはあるので今のところは問題ない
指だけが気がかりだが、それさえどうにかすればあとは夢に向かって突き進むだけだ
というような、25歳の幕開けです

藤田将
Fujita Sho
1999年10月8日生まれ、千葉県出身、東京電機大学卒。
フリーランスの3DCGアーティスト。メインツールはblender。主にアニメ関係でお仕事をしています。
その他、シェーディングに関する研究の発信や、ジオメトリノードを使ったジェネレーターなども販売中。
趣味は創作活動、一人旅、コンテンツの鑑賞と研究、デバイス集め。
最近はアニメ関連の監督や、脚本のお仕事をするために修行中。