楽しいってなんだろう
人間は楽しいことをするために生きている
その楽しさは人それぞれで、旅をするのが楽しい人、好きなことをするのが楽しい人、独りでいるのが楽しい人、子孫を増やすのが楽しい人、色々いる
ここではあえて、楽しいことという、超抽象的な言葉で考えてみる
僕はなぜ今、生きているのか
夢があって、脚本を書いたり、自分の思っていることを映像にしたい
それは究極的にかみ砕いて言うと、楽しそうだからだ
じゃあその楽しいという感情はどこからくる?
それは、自分がそう思うという、完全なる自己中心的な感情だ
そんな感情に意味なんてないんじゃないかと思った
道端に落ちている楽しみを拾って楽しめるなら、失うものは無いので楽しんだもの勝ちだ
ただ、夢を追うということは違う。時間も労力も、すべてをかけて挑むものだ
そういうすべてを賭けて挑み、得ることのできた楽しみは自分が認めた、自分の中だけに存在する価値だ
それに価値を見出すのは自分なので、そこに本来の価値なんてないんじゃなないかと思う
だとしたら人間が生まれる意味も、わざわざ生きる意味も無いのでは
単なる現象の結果として生まれてしまった自分がこうして苦しんでいるのは、損な気がしてきた
なぜ世の中、楽しみは苦しまないと得られないのに、苦しみは何もせずに得られるんだ?
そんな世の中を生きる人間たちの当たり前の答えが、生きる。というのが今、理解できない
P,S,
自分が病んでいることを人から隠し、あたかも生きていて楽しいと思うようにしている
本当は生きるのは楽しくないのに、それを隠すために小さな喜びに注目してあたかも生きていて楽しいと自分に言い聞かせている
そういう人間ばかりではないのだろうが、なんだか死ぬことが悪いことみたいに思われる世の中はどうなのだろうか、
本当に人を苦しめているのはその、死ぬことは悪いことだという同調圧力では
だからと言って、死ぬことを肯定するとそれはそれでみんな死んでしまう
つまり、これは矛盾している
その矛盾はこうしてしわ寄せとなり、人の苦しみになっているのでは
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