僕は替え歌CMが大っ嫌いだ!
僕が嫌いなものと言えば、歩行者信号の無視、人種差別、文化差別、お酒、首都高の地下化、いろいろあるが、
その中でも特に嫌いなのが、替え歌CMだ
替え歌CMとは、誰もが知っているような楽曲に歌詞をつけ、あるいは替え歌をし、商品を宣伝する手法だ
まるで、自分の中の芸術が侵されたような気持になる
例えば、クラシック音楽に宣伝用の歌詞がつけられているケース、
あれのせいで、何も関係ないときにそのクラシック音楽を聴いたとき、宣伝用の歌詞が頭に流れてしまうようになってしまった
このことを完全に忘れるまで、その名曲を楽しむ機会を僕は奪われたわけだ
完全に忘れるのはとても難しい
すでに、クラシック楽曲とその宣伝用の歌詞が脳内で結びついてしまっているので、クラシック楽曲を聴いたのをきっかけに思い出してしまう可能性が高い
こんな残酷な宣伝手法は他にない
精神的な拷問だと言われても信じるくらい残酷なことだ
聴きたくもない音声を公共の電波に乗せ、同意も予告もなしに視聴者に届けてしまうのはどうかしている
そして、さらにこの件について僕に嫌悪感を抱かせる理由がある
こういったCMを考えるのは広告に携わるプロのはずだ、
企画する人、替え歌の歌詞を考える人、色々いる
そういった人間は、効果的な手法を用いて視聴者に商品を宣伝するという任務をこなし、お給料をもらっているはずだ
そんなプロフェッショナルが、こんな低レベルなCMを作っても良いのか?
替え歌なんて、小学生でもできる
こんな残酷な手法をやっているだけでも罪深いのに、それが仕事として認められてお給料をもらっている
ほかの手段があるのにだ、
広告は時として芸術と見なされることもある
どう宣伝するかというところが腕の見せ所ではないのか?
プロとしてのプライドは無いのだろうか、
確かに世の中を見回してみると、替え歌CMに対して僕ほど苛立ちを抱えている人間は少ないとは思う
が、事実。先ほど例に挙げたクラシック音楽のCMはとっくに放映は終わったものだ
10年くらい前には終わっている
その時の記憶が今でも消えずに僕の中に残っている
世の中には忘れたくても忘れられないこと、トラウマを抱える人間はたくさんいる
あのCMによって僕は一つのトラウマを抱えた
それは、僕自身が芸術という行為に対して大事なことだと思っていて、そしてそれが替え歌CMによって侵されたと自覚しているからだ、
つまり、自分の中で大切にしていたものが侵された。被害者意識が芽生える
そういう被害者意識がトラウマとなり、限りある脳内容量の一部を占領するわけだ
替え歌CMは大っ嫌いだ
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