自分のために作品を作るということ

人を喜ばせるために作ろうとしていない時点で藤田将は監督に向いていないとか、生ぬるいことを言われたことがある

そういうのは何も作ったことのない人間が言うことだ

そういうきれいごとで作品ができていると思ったら大間違いだ

いや、実のところ、作品はきれいごとだけでも完成する

でも、その作品はせいぜい、身の回りの人が喜んでくれるくらいの範囲にとどまる

監督と呼べるくらいになる人は、人を喜ばせるためみたいな、もはや、吹いて飛んで行ってしまうような動機で作品を作っていない

自分が楽しいからだとか、お金が稼げるからだとか、自分の思想を世に発信したいからだとか、

そういう、自分が大本にある動機を持つ人じゃないと、どこかで脱落している

世の中には大安売りできるくらいたくさんのクリエイターがいて、事実上の競争関係にある

そうなったとき、人を喜ばせたいからという平和なクリエイターは、自分がやりたいからという自我の強いクリエイターに負ける

そもそも情熱が違う。指が痛くてもなお、「誰かを喜ばせたいから」とか言って物を作る人はいないと思う

クリエイターが体を痛めてまでなにかを作るのは、それしか生きる術がないからだ

人のために自分の体を痛めつけてまでなにかを作る人なんていない

顎、指、腰、目、心、そういうのをすり減らして生きてきた身としては、人のために何かを作れない人は監督になれない。みたいな言葉に無神経さを感じる

と思っていたいけど、違うのかな。