命に対する無責任、映像企画

スーパーにはパックとなって販売されている肉が並んでいるし、野菜もカットされている。

生き物から出てきたあらゆるものが加工され、陳列されている

生きるためには何かを食べる必要があるので仕方ないにせよ、それは無責任だとも思う

生きるために殺すのは生命の根本にある当たり前だが、それに対するカモフラージュが横行している

だから気軽に自殺するし、いじめるし、殺すし、

どんどん文明社会が生の実感から離れて行っている気がする

全体的に、死ぬことに対して無責任だと思うし、それに気づきすらしない社会はどうかとも思う

その気持ちを原動力に、映像作品を構想中だ

物語を構想中なのではなく、映像作品の見せ方として、死ぬことをカモフラージュする無責任さを皮肉った演出ができるのではないかと考えている

ドームと城の物語だ

例えば、

かわいい動物は命の象徴で、それを食べないと子供たちは生きていけない

そのためかわいい動物を加工し、皿に盛りつけるが、その工程は機械が行う

子供たちは機械から出てくるおいしそうな料理を食べるだけだ

かわいい動物はラッパみたいな形をしたカワイイ造形の入り口から吸い込まれる

カワイイ音を立てて管の中に入っていく

その中では何が行われているのだろうか、

その様子は全く外からは見えないし、子供たちはそれを知ろうとも思わない

が、いろいろ展開があり、子供たちはそこで何が行われているのか疑問に思い、真相を知り、食べることができなくなり、飢餓に陥る

そうして飢餓に陥って命の尊さと自らの自然界での位置関係を痛感し、涙ながらに料理を食べる

というのを本当は描きたいが、それをそのまま脚本にしてしまうと見え見えなので、カモフラージュする

ここでもカモフラージュだ

嫌なことはすべてカモフラージュ。それで誰も悲しまない世界が運営されている

そんな、みんな大好きカモフラージュによって、生き物を食べる様子は徹底的にデフォルメされ、かわいい感じの映像になる

僕はこの作品で、生き物に関する弱肉強食をかわいく無責任に見せたい

まるで絵本のようなかわいい絵柄の向こうには、血肉が引き裂かれてペースト状になって料理に変身してしまうようなリアリティがある

それをカモフラージュすることで、文明社会を回りくどく皮肉る作品を考えています

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