中二病でも恋がしたい! について、物語の型

中二病でも恋がしたい!_1
(C)虎虎/京都アニメーション/中二病でも製作委員会

2度目の中二恋を見た

前回見たのはもうずいぶん前で、確か、アニオタになりたてのころだった気がする

そのころからしばらく経ち、僕の見る目も変わった気がしたので改めて見てみた

やはり面白いが、僕は重度の中二病というわけでもないので、共感はしなかった

ただ、終盤の、中二病が六花にとっての何だったのか、そしてそれに決着をつけるという展開は良かった

中二病というのはこの物語では心の闇の結果としてあって、序盤はそれを用いたラブコメとして話が進む

ただ、最後にはそれらの答え合わせのように、中二病自体について語られる

この構成は12話1クールのテレビ放送アニメの一つのテンプレートな気がした

何か、主人公たちの闇や暗い過去がある。それは誰しもに起こりうる欠点として描かれ、ある種の自虐ネタっぽい感じを醸し出しつつ、恋物語が進行する

ただ、それだけだと終始日常アニメで終わってしまうので、その暗い過去、闇の源泉に触れるような展開をしてクライマックスに持っていく。

宇宙より遠い場所も、個性的な女の子がいて、それに準ずる女の子もいて、そういった人たちの個性的な性格からくる日常展開を楽しみつつ、終盤にその個性の源と対峙するお話だ

日常展開というくくりを外せば、さらに多くの物語に当てはまる気がする

Sonny Boyも、angel beats!もそんな感じだった

こじつけに近くはなるが、そういうアニメが結構多い気がする

これはアニメづくりの一つのテンプレなのでは?

必ずしもそういう作り方をする必要があるわけではないが、そういう作り方でアニメシリーズが構成されることがあるということか

たぶんこの辺はヒーローズジャーニー理論とつながってくるのだと思う

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