自分の作家性について

例えば、ゲームのレベルデザインだったり、コンセプトアートだったり、

そういうのをやってみたいのだが、

ただ、やってみたいとは言っても、それを仕事にすることはないと思う

日ごろから、コンセプトアーティストとかは本当にすごいと思うのだが、

自分以外の人が描いている世界観をビジュアル化する、その能力は僕にはない気がする

自分の中にあるものを外に発信する意味でのコンセプトアートと、他人の中にあるものを具体化する意味でのコンセプトアート、両者は違う

同じ名前で扱われるから紛らわしいが、それらに必要とされる能力は違うし、

特に自分においては、基本的にはひとの考えていることに興味のない人間なので、

どこかの監督が思い描いた世界観をビジュアル化する。みたいなのは、並の人間程度の能力しかないと思う

どちらかというと、僕の場合は、都市風景やSF風景に強い興味があり、

それに対して幼少期からいろいろ考えてきた人間なので、

頭の中に解像度の高い状態で世界が形成されている

それを3DCGという手段を使ってビジュアル化するというのが、今までのやってきたことだった

根本的には、自分の世界観を人に見せたいという願望から作品を作っているので、今後も都市風景、反文明、砂漠、ローポリゲーム、backルームズてきな物を作っていくと思う

あとは、blenderというソフトと交えて考えてみると、

blenderという3DCGソフトには、マテリアルノード、ジオメトリノード、というような、ノード形式で何かを表現する機能が備わっている

これは、非破壊的に物を作りたいという自分の願いをかなえる超強力なツールだ

僕は何をとっても決断が苦手なので、こういったノード形式、プロシージャル形式のツールでの制作はとても安心する

先日、参加したMVのCG背景を友達に見せたところ、藤田が作りそうな質感だね見たいなことを言われたが、

それは恐らく、先に述べたようなローポリゲーム風の質感+プロシージャルですべてを作るという作風にあると思う

ローポリゲームがなぜ良いかというと、プリミティブだからだ

プリミティブというのは純度が高く、均一で不変な幸福が連なっているような世界観だ

僕はそういう雰囲気が大好きで、安心する

ローポリゲームには余計な情報は無いし、何かを表現するために必要最低限な制御で動いている感じが良い

夕張市みたいだ

昔のアニメが好きで最近のアニメが嫌いなのも、それが理由だ

何かを表現するために必要最低限のことで詩的に説明しているのが昔のアニメの特徴で、

たとえば、キャラの背後にある背景がとても簡素化されて書かれていたり、

カメラの前を横切るなにかはセルをスライドさせるので、当たり前だが、パースが変化していなかったり

そういう、何かを表現するうえで、そこにそれがあるという、当たり前すぎる事実のみで画面が構成されてることに対して、プリミティブさを感じる

シムシティ4が好きだったり、ヴェイパーウェーブが好きだったり、フュージョン音楽が好きだったりするのもそのためで、

特に、小学校をずる休みしてまでシムシティ4をプレイしていた頃から、現実にはない不変な世界観に惹かれていた気持ちはあった

だからこれは自分の作家性なのだと思う

それを表現するのに、マテリアルノードだとかジオメトリノードだとかはうってつけだ

ローポリゲームだって、物理シミュレーションで動かしているのではなく、ループアニメーションやサインコサインで物を動かしている

ループアニメーションというのは個人的に、とても価値のあるものだと思う

backルームズ的な世界観には必要不可欠だが、多くの人がその価値に気づいていないと思う

ループアニメーションは工数削減の一つだと思われるかもしれないが、実はそうではなく、それを行っているという状況を必要最低限の情報で伝えるには必要不可欠な要素だ

例えば、キャラクターが歩く時も、アニメではループアニメーションで表現されるが、これは、キャラが歩いているという状況を説明するために必要最低限の情報で伝えている、ともいえる

ここで、1歩進むごとに足取りが変わったりするようなのであれば、特別な演出意図がない限り、それはストーリーテリング的に何の意味もなさないノイズになってしまう

歩きモーションのループ化については、さすがに最近のアニメでもループのママ表現しているが

ただ、こういった、ループアニメーションのようなプリミティブさがアニメからどんどん失われている気がしているので、最近のアニメを取り巻く価値観はあまり好きではない

同じ理由で、セルルックCGも嫌いだ

セルルックCGをとことん突き詰めるならば、先ほどのループアニメーションもそうだし、

エフェクトの表現、水の表現、コマヌキ、そういう、ルック以外のことを考えなければいけない

が、基本的に、今のセルルックCGは見た目だけセルルックにして満足しているような界隈だ

これは完全に趣味の話だが、

ちょうど、今、実験している草むらの表現について話すと、

上のように、抽象的ながら葉っぱがあるという状況を伝えるCGはセルルックと言えると思う

セルルックというのは、抽象的かつ具体的という、絵画的な解釈が必要になる領域で、

ここを描かず、ここだけ描くというような、取捨選択が必ず必要になる

だから、シェーディングを01にして、これでアニメ風の影ですというのはセルルックCGとは言えない

それは、3Dを2D化するフィルター通しただけであって、本質的には3Dとほとんど変わらない

本当にセルルックCGをやるのであれば、まず、法線転写くらいはする必要があるだろうし、

光受けした後の色味まで考えないといけない

セルルックCGを考えるうえで感じたのは、3Dを立体ととらえず、カメラから投影した絵のように考える必要がある、ということだ

なので、3Dオブジェクトが必ず持つ法線はそのまま使ってはいけないし、

光受けをして色が変わってしまうシェーダーは使わないほうが良い

先の背景も、法線は全てZ+方向にそろえてその概念ごとなくし、

光受けするシェーダーは全く使わずに、ノイズの色だけで色を表現する

この2つをやるだけでもセルルック背景は一段と良くなる

セルルック背景と何も考えずに書いていたが、これはセルルックでもなんでもないかもしれない

どちらかというと、プリミティブ背景、ローポリ背景、アニメ風背景、みたいな感じだ

ようするに、これは個人的に背景や世界観に欲しい考え方で、それは、何かがあるというのを伝える必要最低限の情報量、というようなことになる

それを背景では伝えていきたいし、

それを作成するうえでのツールとして、プロシージャルmaterialやジオメトリノードのジェネレーターなどがあり、それを重要視する姿勢は作家性と呼べるのかもしれない

あと、映像表現の話題だと、1つのカットに複数の視点を盛り込むというのが、今後形にしたい表現の一つだ

そういうと、なんだかピカソみたいな映像になりそうだが、そういうわけではない

これはセル画アニメが好きな理由、それ+、映像でプリミティブを表現するための答えとも取れるが、

昔のアニメが良かった理由の一つに、何かがカメラの前を横切る際も、セルをスライドさせるのでパースが変わらないというのがあった

それは、何かが横切るという状況を説明するために必要最低限な作業で行われる表現だ

もちろんそれは技術的制約の元生まれたものだが、

結果としてそれはプリミティブでデフォルメされた映像ということで、価値につながっている

適切な工数削減はデフォルメと等しいというのは僕が感じている一つの法則だが、

そういうのが強く感じられるのがセル画アニメだ

そして、僕はそういったセル画アニメのプリミティブな画面構成を3DCGアニメーションでも行いたい

これにより、セル画アニメの持っていた抽象的な世界観を、パースでがちがちに固められた3DCGで行うことができる

具体的には、1カットに複数のカメラを用いて、対象ごとに異なるangle、画角でレンダリングする

これは、アニメでいうところのbookだ

それを3DCGに取り入れたい

これは、アニメ的世界観によくある、オブジェクト単位では望遠だが、レイアウト単位では広角、という、ちぐはぐな世界観を実現するためにとても有効だと思う

少し前まで、オブジェクト自体をつぶしてレンダリングしてはどうか? というのも考えていて、それは依然として手段の一つとして行いつつ、

よりセル画アニメのようなプリミティブ世界に近づけるために、カメラを複数使うというのを行っていきたい

画面の中に余計な具体的情報を詰め込むのはよくないと思う

例えば、エヴァのサイズもその場その場に応じて変わるらしい

エヴァscaleみたいに言われるが、それはとても良い表現だと思う

エヴァのサイズが1mずれたから怒ってしまう人はいないわけで、

映像において、そのカメラから見た最適な大きさでエヴァを描くというのが、最もみんなが幸せになる判断だと思う

そして、個人的には、逆に、固定化された情報は積極的に崩し、わざと設定破綻を盛り込むくらいのことをするべきだとも思う

例えば、前のカットでは3mだった天井の高さが次のカットでは3.2mになっていたり、

その次には2.6mになっていたり、

というのは、特段意味が無くても行うべきだと思う

これについては僕の直感なのでまだ言語化できていない部分はありつつも、

今パット思うのは、先ほどまでのようなプリミティブ的世界観を表現するため、だと思う

夢の中でもそうだが、

抽象的な世界観というのは、なぜ抽象的かというと、その場その場で物のサイズや空間の構造が絶えず変化するからだ

視界の外では簡単に物が消えたり現れたりする

天井の例で言うならば、

天井の高さを固定してしまうと、その固定した天井の高さの数値に意味が生まれてしまう

意味が生まれてしまうとそれは情報になってしまう

その情報は余分だ

だから、あえて、特に意味を持たない天井の高さをカットごとに変化させることで、天井の高さに観客の集中力を奪われないようにしたい

という考え方があるのかもしれない

そして、ここで、ノードベースが役に立つ

天井の高さをパラメーターでいじる仕組みを最初に作っておけば、カットごとに天井の高さを変えるというのも簡単だ

この記事では作家性の話をするので、テクニカルなことについてはあまり触れないが、

僕がなぜノードという存在が好きなのかというと、それは非破壊的で、かつ、調整が可能だから、というのがあると思う

つまり、ノードというのは具体的なようであって、実は抽象的だ

なぜなら、各部の数値が固定化されていないから

だからぼくはノードというのに惹かれるのかもしれない

最近は、カットごとにその数値を変更できるツールを作成して、お仕事を効率的に進めたりしている

カットごとにノードベースのアセットを各値を変更して映像を作るというのは、僕が好きなプリミティブ世界観を表現するうえでなくてはならない手段で、

現時点で実現しているそれらの手段に加えて、今後行う、1カットに複数のカメラを使うという手法

今後、監督作品とか作れるのであれば、そういう映像を作っていきたい

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