どうせみんな死んでしまうし、自分が何をしようが消えてしまうのであれば、なぜみんな生きる?

何かをするために生まれてきたということは無いのに、なぜ生きているのか

僕はかろうじて今生きているのが楽しいが、そうでない人もいるのに、なぜそういう人たちは生きているのか、

死んだら誰かが悲しむから? 誰かを悲しませたくないから生きるというのもつらくはないか

そもそも、生きることが楽しいことだという奇跡みたいなことはほぼほぼ存在しない

楽しいことは大抵、結果的に自分が楽しくなっているだけだ

麻薬みたいな快楽を摂取しやすい仕組みに自分を置くことで幸せを享受する

それだったらもう麻薬でもよいのではとも思う

結局、人間が幸せを追い求めたその先には、麻薬があると思う

それは麻薬という形ではないだろう、もっと健全で害のない形を最後に人間が発明して終わるはずだ

生きることに意味なんて無いし、自分が生まれてきた意味なんてそもそも無い

そして、人間が幸せに感じるのは生き物として組み込まれた幸福を享受している間だけ

だとしたら、人が最後に行きつくのは麻薬みたいなものだ

それでも人として生きるというのはとても良いことだ

少し自分のことを話すと、

誰かのために生きる、だとかは自分を慰めるための言い訳に過ぎない

僕は親や周りの人のために頑張るが、それも、自分の意味を取り繕って言い聞かせているだけに過ぎない

本当に僕がやりたいことは、映像や文字で世間を少しでも動かすことだが、それだって、宇宙が拡散して変化しなくなるころには完全になくなってしまうので意味がない

意味がないことをひたすらやり続けているという事実を重く見すぎてしまうと本当に生きる意味がなくなってしまうので、あまり考えすぎないようにしている

サルでもできることをやるための人生が嫌なので、創作活動をする

創作活動は人間だけができる特権だと思う

求愛以外で自分を表現するというのは、人間にだけしかできないことだろう

高度に発達した知能を持ってすることが麻薬だというのは寂しいので、そういう人間から少しでも離れるために何かを作っている

でもそれは本質的には意味がないことで……という話になると、先に戻る

これには答えは無い、生きる意味なんてないのだから、正解も無い

僕はここに生まれるべくして生まれたのではなく、結果的に生まれたのだから仕方がないというだけの話だ

というよりも、生まれたというよりももっと抽象的だ

自分という意識がここにある、さらに言えば、僕がこういうことをここで書いているという事実自体が僕で、それはこれまでの人生で感じたことがここでこういう結果を招いたからこうしているというのに過ぎない

人間、生きる意味もないし、何かを残せるわけでもないし、本当の意味で僕も生まれてはいないし、結果としてここにあるだけだし

だとすると、単なるつむじ風と同じことだ

そこに結果があって、それが渦巻いていてただ砂埃を立てるだけ、外側から見るとそれだけしかない

もしも砂埃が自分の後をつけてきたら怖いか?

人間も似たようなものだ

というか同じだ

複雑度が増しただけだ

だから、つむじ風にも微々たる自我はあるし、僕とかはつむじ風と会話できるわけでもないので、そこから大した価値を得ることもできない

世界全部がそうだ

アバターに、木がたくさんつながって神になっているみたいな設定があったがそれと同じだ

人間の言う魂というのは、要するに何かと何かが繋がって情報が高度に解釈されているという状態なだけで、そこから生まれる既成事実が自我だ

こうして僕がこういう文章を書いているのも、世界が自分という器に干渉して、その結果蓄積された記憶と、今動いている情報によって、こういうものを書いているということに過ぎない

そう書いてみても、なぜ生きるのかはわからない

実のところここで書いたことは最初から最後まで同じことを言っているだけ

要するに、自分の見ているものがすべてで、それ以上でもそれ以下でもないんだから、自分が幸せならばそれで良い、ということなのだろう

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