「美少女戦士セーラームーン」を見た

美少女戦士セーラームーン_1
©武内直子・PNP・東映アニメーション

言わずとも知れた90年代を代表するアニメだと思う

今に至るまで見たことが無かったので見てみたが、とても良かった

色味

色遣いがとても良かった

最近ブームのシティーポップの代表格のような色合いだ

©武内直子・PNP・東映アニメーション

紫とピンク、オレンジのような、鮮やかな色彩が特徴的だった

夕暮れの街を青一色で表現したり、

そういう大胆な色遣いは印象派の絵のようできれいだった

アニメは印象を誇張し、それ以外を省略した表現が美しい

セーラームーンの背景も、そういう印象的な画面がとてもきれいだった

それでいて、キャラクターと背景が馴染んでいる

写実的に解釈するのであれば、青い場所にキャラクターがいると、環境光である青でキャラクターの色を調整しないとおかしい見た目になる

ただ、セーラームーン含め、一部のアニメは背景の色味とキャラの色味を完全に切り分けて考えている気がする

絵のデフォルメが効いているので、違和感なく溶け込んでいるのだろうか

©バードスタジオ/集英社・東映アニメーション

そういう考え方は特に昔のアニメの特徴の一つかもしれない

今、ドラゴンボールZを見ているが、

ドラゴンボールでも、環境光がキャラクターに影響していない

これにより、絵本のような、良い意味で作りものっぽくなっている

そもそも、アニメというのは漫画家の手塚治虫が初期にいたから広まった

最初はアニメは漫画を動かしたものだったので、出発点は絵だ

それが徐々に、表現を追求するうちに、実写の要素を取り込んでキャラに環境光が影響するようになっていったということなのだろうか

ストーリー、主に最終回について(ネタバレあり)

終盤に至るまで、キャピキャピした感じの楽しい感じのアニメだったが、

第45話と最終回の容赦のなさはすごかった

エルフェンリートなどと比べると、描写もマイルドだが、

ただ、これはゴールデンタイムの女児向けアニメだ

しかも、ここに至るまで44話。平和な楽しい感じのストーリーだった

それが、終盤2話で登場人物のほとんどが死ぬ

その死に方も、変に隠して見せるので、余計に不気味さが増した

氷の穴の中に引き込まれたセーラー戦士。

次の瞬間、戦士の悲鳴とともに、穴の中が激しく点滅する

その次に映し出される画面いっぱいの溶岩のような映像、

確かに、作品の枠的に直接的な描写ができないのはそうだが、

隠した分、余計に残酷な感じになった

これは、セーラームーンという少女漫画フォーマットで安心して見ていた視聴者の予想に反することだ

だから余計、この最終回は伝説になったのだろう

お話的には、最後、みんな奇跡で生き返るが記憶は失っているという、辛うじてバッドエンドは避けられたという感じになっている

なので、制作側から見たら、ここで死んでも元に戻るという安定感から、戦士たちが死んでいくという展開になったのだろうが、

初見の視聴者はそういう結末を知らないし、

なんだかんだで正義は勝つ。アニメのヒロインたちは死なない。という固定観念があるだろうから、それを裏切られた時のショックは相当なものだったと思う

信じる人VS叶わなかった人

恋をしたり、大切な人がいる子供たちVS何かに裏切られた大人

というような構図が見えてくる気がした

特に、セーラームーンとメタリアは衛の恋敵という関係で、得た人、得られなかった人という構図で戦っているし、

最後の決戦時、メタリアとセーラー戦士たちとの会話は、メタリアがなぜ希望を持つのか、なぜ信じるのか、というような問いをしていた気がする。

セーラー戦士は全員、何かしら打ち込んでいるものがあるようなキャラクターだ

それがなんであろうと、自分らしくいようとする姿と、それを否定するメタリア

全体的に、見る人に勇気を持たせるような作りだった

だからこそキャラに共感しやすいかったし、そんなキャラが死んでしまうという展開もショッキングに感じたのかもしれない

OPについて

OPはとてもかっこいい

特に、OP1が好きだ

ムーンライト伝説という楽曲自体が良いというのもそうだし、

映像で少女漫画っぽい、メルヘンでおとぎ話のような、不思議な感じを醸し出しているのはすごかった

最終回まで見れば、あのメルヘンな建物は月の建物なんだな、というのがなんとなくわかる

ほかにも、3人が並んで歩く様子を3つのワイプで仕切っているというのもかっこいいし、

それが移り変わるとき、順に黒いフレームを挟んで移り変わる。というような、細かい演出も凝っていた

そのあと、3人のセーラー戦士が登場した順に階段から下ってくる

うさぎの背後には三日月が見える

そういう細かい演出意図と、その結果出てきた画面の少女漫画っぽさ、

いくに監督っぽさも感じられる。

少女革命ウテナにはここから繋がっていくんだな、と思った

タイトルコール

毎回、タイトルコールが出されるが、そこの音楽、映像もカッコよかった

三日月はシルエットがかっこいい

そのシルエットを象徴的に出しつつ、アップテンポになっていく音楽とともにタイトルを出す

タイトルコールの前、うさぎが自己紹介的なことを話す時間があるが、

そこからのつながりも含め、本編での雰囲気づくりという点においてとてもよく働いているなと思った

うさぎのキャラクター

僕が普段見るアニメは基本的に深夜アニメが主なので、夕方枠のアニメのキャラクターには慣れていない

だから感じることなのかもしれないが、うさぎのキャラクターは最近のアニメには見られない設定な気がした

お転婆で明るい女の子という点では今も昔も設定としてはあるが、

ただ、それを表現する絵柄が最近のアニメでは、写実的になりつつある

昔のアニメはまだ漫画の影響を濃く受けていた気がするので、お転婆で明るい女の子をデフォルメの効いた絵で表現して生まれる独特なキャラクターの印象というのは、今のアニメキャラではなかなかいない

うさぎは14歳。中学生という設定だが、そういう設定に説得力があった

最近のアニメは、中学生キャラは中学生に見えないし、高校生キャラはおっさんに見えたりもする

子供らしさを表現する技法が少なくなっているのでは?

絵柄も撮影技法もすべて写実的に近づいているので、子供らしさを表現するのも難しくなっている気がするし、見る人の解釈の余地が狭まっている気がする

最近、昔のアニメにあった抽象的な表現がうらやましく思う

脚本的にも、抽象的な絵柄というのはやりやすいし、良い物語になりやすい気がしている

例えば、このアニメのように、猫がしゃべるなんて、リアルな絵柄でやってしまったら不気味になってしまうだろう

セーラームーンでは、猫は口パクなので、不気味さは感じないし、表情もデフォルメされているので、ぬいぐるみの一種のような認識で見ることができる

おとぎ話のような抽象的な物語というのは、見る人に解釈の余地を生むので、結果として良いものになる気がする

その点、現代のアニメは表現が具体的過ぎるので、脚本の抽象性も出すのが難しくなっているのでは、

話をセーラームーンに戻すと、

うさぎのキャラクターのお転婆な感じは、昔の抽象的な世界観の残る時代のアニメならではな気がした

中学生という設定がしっくりくる

泣き虫、お転婆、元気、おっちょこちょい

そういううさぎのキャラクターと、抽象的な世界観というのが、上手く合致している

まとめ

セーラームーンはシリーズもので、ほかにも作品がある

まだ初見で見ただけでは理解できていない部分も多々あると感じている

引き続き見てみて、セーラームーンを理解したい

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