映像にクオリティを求めるということについて

映像のクオリティは入り口でしかないのかもしれない

漫画だとか、小説だとか、いろいろな媒体が世の中にはあって、どんな媒体であれ、人を楽しませることはできる

映像が綺麗だと人を楽しませることができるかもしれないが、映像のきれいさはどちらかというと第一印象が良くなるだけで、継続して満足度を高めるものでもない気がした

gdgd妖精s(ぐだぐだフェアリーズ)第1期_1
©2代目gdgd妖精s

というのは、先日、↑のアニメを見て思ったことだ

OPから、キャラがかくついてるし、

そもそも、セルルックCGのように、アニメに擬態しようという気配すら感じないルックのアニメだ

#blender初心者というような感じだ

ただ、声優は謎に豪華で、なので、声は1クール放送クオリティのアニメだ

そんな状態のアニメなので、最初、どうしても絵のチープさを気にせずにはいられなかったが、

数話見たころには気にならなくなっていた

そこで逆説的に思ったことが、冒頭のことだった

映像が綺麗というのは、相対値で判断されるものなので、長いアニメであればあるほど、不利になっていくのでは

鬼滅の刃とか、絵のきれいさで話題になって売れたりもしたのだろうが、

その結果、むしろ、鬼滅の刃のアニメの絵柄が綺麗なことが当たり前になってしまったので、その当たり前を満たすためのコストだけが取り残された状態になってしまったのでは

と、外野の人間ながら勝手に思う

だとすると、きれいな絵柄が生かされるのはやはり短い作品ということになるのだろうか

劇場版とかがそれにあたるのかもしれないが、それに関してはまた別の問題として、劇場版であるために絵のハードルが挙がっているというのもあるのかもしれない

一つ思ったのが、gdgdフェアリーズのほうは、絵柄のチープさが途中から気にならなくなったが、声優のふわふわしたやり取りからくる面白さには飽きが来なかったことだ

これはもしかしたら、高度な視点誘導なのかもしれない

そんなこと、制作陣は考えてもいなかったのかもしれないが、

少なくとも、お金をかけるべきところにかけ、中途半端にお金をかけないと行けなさそうなところはとことんお金をかけないという、割り切った作り方なのだろうか

実際のところ、ポリゴン丸出しみたいな3Dモデルはシュールで面白かったし、

フリー素材みたいな人モデルも良い味を出していた

ピンポンというアニメもそうだったが、

あえて作画を崩すなど、そういうアプローチはとても高度だと思う

今、アニメ業界でいろいろやろうとしているが、いろいろやってみて思う

企画の中のどこかのクオリティを大胆に落とすというのはとても勇気がいることだ

その点、こういう企画ができる場所、理解してくれる周囲の人々がいると、こういう面白いものも通って、形になるんだな、

これが許されるのなら、AIも許される時代が来るのかな、

とか思った

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