原因は消費者にあるのでは

生成AIを使って既存の著作物を模倣した作品を作ったり、作品の大本となる部分をAIに任せたり、いろいろ問題はある

生成AIを悪用する人間が悪だというのは言うまでもないし、それに関してはバッシングがすでにされているので良いにせよ、

僕は、そもそもとして、ここまで脆弱なコンテンツを作り上げている要因は消費者にあるのでは、と思う

例えば、民法のテレビ番組なんかを見ていても、音楽番組とかクイズ番組とか、そういう陳腐な企画ばっかりがあふれ、面白みを感じないし、

画面のデザインも、ディテールの粗密がばらばら、まとまりのない画面。日本語のおかしい字幕、そういう細かいところがまるで洗練されていない

というのはすでにテレビというビジネスのクオリティ的均衡点がそこに下がってしまっているのだから仕方が無いにせよ

ただ、それに「ダメだ!」という視聴者が少なすぎるのは問題だと思う

「だめだ!」と言わないと、クオリティを下げたもの勝ちみたいな状況になってしまう

ようつべの低評価が消えた時にも記事にしたことだが、

悪いものを悪いと言い、良いものを良いと言うのは、新陳代謝の原動力であって、そういうものを疎かにしているようでは文化の質は下がる一方だ

ようつべの動画も同様で、ダメだ!を共有する低評価は動画としてのクオリティの底をダイレクトに共有するものなので、結果としてようつべ文化のクオリティアップにつながっていた気がしている

ようつべの低評価に関しては、アンチみたいなのからクリエイターを守る的な側面もあっただろうから一概に言えることではないが、

ただ、例えば、アニメ、漫画、ゲーム、映画、ドラマ

そういうコンテンツ産業に関しては、やはり、今までの消費者が評価する際に心得ておくべき当たり前の責任を放棄しすぎている感が否定できなかった

異世界転生系の流行も、あれが真っ当な流行だとは思えない

確かに異世界転生というシチュエーションは楽しい。

ただ、そこから快楽成分だけを抽出して色水で薄めたような作品が多すぎる

あんなのは植民地支配的な快楽に過ぎない

人よりも優位に立つことで得られる快感は確かに高純度な快楽だとは思うが、それだけを抽出したような物語を評価するのは消費者としては無責任すぎると思う

消費者がそうだから、それを作ってしまう作者が現れる

例えるなら、お笑い芸人が観客を笑わせるために、上演前に大麻を座席にバラまいているようなものだ

そんなものはプロ失格だし、そんなので良いなら、まじめにやっているお笑い芸人がバカバカしくなる

脚本だって、それを書く人のこれまでの人生、感動や挫折。そういうものを投影できる媒体なのだから、

それを放棄して作っているような物語はちゃんと批判するべきだ

でないとちゃんと作っている制作者が報われない

現時点ではAIが脚本に進出しているというニュースは無いが、もうしばらくしたらAI脚本に関する話題も出てくるだろう

いや、話題に上がれば良いほうかもしれない

異世界転生が流行してしまっているくらいだから、AIで書かれた脚本が出ても、見る人は楽しめればそれでよいと言ってしまう人が多いのかもしれない

ただ、そうやって、消費者の方がちゃんと評価しないことで、文化はどんどん陳腐になっていくというのはどこかでみんなが自覚すべきことだと思う

あと、脚本とは別に、絵柄的な話題で言うと、

2020年ごろの、まだほとんどAIが無いころのピクシブのイラストも、似たり寄ったりなものがほとんどだった

僕も一時期、キャライラストレーターを目指していたので痛感したことだが、

イラスト上達のために模写やトレースを平気で推奨するのはなんだか違和感があった

その結果としてピクシブには同じような絵柄があふれていたし、ラノベのイラストも、あまり個性を感じないような絵柄が大量生産されている感があった

なぜそうなったかと言えば、それを良しとした消費者しかいなかったからだ

僕みたいに文句を言う人間は少数派だろうから、そういう面倒くさい客のために出版社も表紙絵を依頼したりしないだろう

確かに流行りの流行絵はスッと入ってくる感じがあるので、商品としては優秀だ

だからこそ、あの絵柄に落ち着き、AIに一網打尽にされて今がある

流行の絵柄。という、一つのパラメーターがあるのだから、AIにとっては学習しやすい

そうなってしまった要因は、イラストの絵柄のストライクゾーンを狭めすぎた消費者にある気がする

最近のAIに関するあれこれでは、基本的にはAIを使ってモラルに反することをしている人が叩かれている気がする

自分の可能性を広げるためにAIを使うのは悪いことではない。むしろ良いことだ

ただ、人のものを盗むような真似はもちろん悪いことで、僕個人としても軽蔑する

が、この状態を招いた原因は、これまで絵柄や物語の多様性を疎かにしてきた僕ら消費者にあるのでは、

生き物だって、多様な遺伝子を持つ個体が増えるように進化してきた

病原菌の流行で絶滅するのを防ぐために

コンテンツも同じで、多様なジャンル、個性が入り乱れる姿が理想的で、それを促すのが消費者の見る目とそこから生まれる批評だ

それを疎かにしたから一つの技術で一つのジャンルが壊滅した

そう考えると、製品と芸術の違いは、多様性の有無なのかもしれない

今後、益々技術は発展し、芸術と呼ばれたものがどんどん製品になっていくのだろう

その中で、一生取り組める話題はなんだ?

過程はいろいろあるからわからないが、最後に残るのは人が作っているという事実だけだ

それを大切にしながら創作していきたい

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