誕生日だった

今日は誕生日だった

Xのプロフィールに風船が飛んでいるのを見て、気づいた

誕生日は比較的どうでも良いものなので、記事にすることはないと思うのだが、

毎年何かしらのブログで書いていた気がするので、今年は、誕生日がどうでもよくなりつつあるということについて描こうかと思う

毎年、誕生日は鬱々としていたが、今日はそうでもなかった

気が付かなかったくらいだ

今日やったことと言ったら、朝起きて、仕事して、ミーティングして、エジプト料理をCGWORLDの人に奢って、それくらいだ

母親からお誕生日おめでとうのラインが来たくらいしか特異なことはなく、CGWORLDの人も僕が誕生日だということを忘れていた

今までは、死ぬまでの残り時間が1年短くなったというようなことで、その象徴としてある誕生日が嫌だったし、

さらに言えば、人生は若いころだけに価値があって、そこから離れれば離れるにつれて、価値がなくなっていく

死という無に近づいているのだから、そこにある可能性も、生まれる価値も、無に近づいていく

その点、イーロンマスクよりも、ビルゲイツよりも、僕は恐らく、人生の残り時間が長いので、少なくとも彼らよりはこの尺度で言うと価値がある

が、同時に、その辺を歩いている小学生には僕は負ける

恐らく、20年くらいは彼らの方が長生きするので、その分、自分には価値が無い

そして、僕は27歳になった

もう、アラサーで、若手ではなく、価値もない

無価値とまではいわないが、年々失っていく価値に絶望するのがここ数年だった気がする

が、今年は、失う価値というのに向き合え始めた気がする

と、文章にしている今も心が痛いので、死ぬのも嫌だし、年を取るのも嫌なのだが、

ただ、もはやどうでもよくなってきたというのが近いかもしれない

あとは、最近はアニメ業界でお仕事をし、自分のオリジナル企画を半ば商業で作れる見込みも立っているので、その点からくる安心感もあるかもしれない

今は、進んでいないようで進んでいる時間におびえるよりも、目の前にあるやるべきことをやって、自動的に失われる価値以上のスピードで、価値を生み出していくしかない

最近は若気の至りみたいな気持ちも薄れ、ただ、変化する何かを眺めていたいと思うようになってきた

そういう気持ちは前からあったのだが、やはり若くなくなってきたというのを実感すると、いよいよ自分が当事者ではなく観測者として、何かを見ていたいという気持ちになってきた

変化の時期を過ぎたからこそ、今はもっと自分にこもった生き方をしたい

というようなことを、今、書いていて思いました

この記事をツイートする

Youtubeやってます!

作品発表、メイキング、解説もやってます

よろしければ高評価、チャンネル登録、よろしくお願いします

お仕事募集中です

お問い合わせフォーム、またはX(Twitter)のダイレクトメッセージからお気軽にお問い合わせください。

お仕事以外のご相談、顔合わせ等のご連絡も大歓迎です。